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2 こんにちはも言えない


 ゾンビという名称で呼ばれているが、政府がまだ機能している頃、患者の人権に配慮してウイルス性特定不随意脳症患者と呼ばれていた。

 彼らの発生源は徳島県の薬品工場だと言われているが、実際のところ定かではない。

 ゾンビウイルスに感染した者の最大の特徴が人を襲うという点であり、噛まれた人も程無くゾンビになるので、ねずみ算式にカレらは増えていった。こうなると生き残っている人類の数の方が少ない。いやはやなんとも、ずいぶん前になんかの短編で読んだことがあるが、人類最後の生き残りが結局ゾンビになっちゃって、でも何だかんだでゾンビの方が過ごしやすかったってオチのやつ。なんだかんだでそうなりそうで怖い。

 そんなバカなことを考えていたら、スーパーマーケットに到着した。

 自転車を入り口付近の壁にもたれかけさせる。中で襲われてもすぐに脱出できるようにするためだ。

 浅く息をついて入り口の扉を手でこじ開けた時だった。

 鼓膜がエンジンの稼働音を捉えた。

 スーパーの前のデカイ駐車場に一台のレクサスが当然のようにやって来て駐車した。一瞬の出来事だった。動くのは死体か風かの世界では実に珍しい光景である。

「は」

 ゾンビウイルスに感染すると知能が限りなくゼロになるので、車の運転ができなくなる。つまり、運転手は知性を持った人間だ。

 僕はバッドを握り、自転車に盾に身を縮めこませた。

 運転席側のドアが広く。

「……」

 ガツンとブーツの底がアスファルトを叩く音がした。中から降りてきたのはテンガロンハットを被った女の子だった。


 僕らはしばし無言で見つめあった。二人の間にロマンスなんてない。あるのは警戒のみである。

 中学生くらいの小さな女の子だ。いままでよく生き残ってこれたな。見れば端正な顔立ちをしているが、至って正常な僕の性欲が反応することはない。もう少し年齢がいったらお付き合いをお願いしたいところだ。

「よー」

 少女が腕を水平に掲げ、銃口を僕に向けた。

 銃口?

 は、あ、え? 彼女の手にはおよそ少女には似つかわしくない拳銃が握られていた。エアーガンだろうか、詳しくないのでよく分からない。

「そこで服をぬぎな」

「!?」

 これまた謎の要求だ、さすがに自分よりも一回りも年下にそんな事言われて頷けるほど素直ではないので「意味は?」と尋ねると、

「あんたが普通の人間とは限らないからな。噛みあとでもあろうもんならそれより目立つ穴を眉間にプレゼントしてやるぜ」

 とぶっきらぼうに返された。

「はやくしな。無駄弾は使いたくねぇ。見た目は人間だが、もしも奴等の仲間なら容赦はしないし、できるほど器用でもねぇんだ」

「悪いが露出の趣味はないんだ。理性を持った普通の人間なんでね」

「今この場で裸になれないなら即刻ここから立ち去って引きこもってマスでもかいてろ」

 誰に言葉を教わったんだこのガキは。汚い言葉使いに日本の教育の未来を憂いながら、僕は彼女に道を譲った。

 十中八九モデルガンかエアーガンだろうが、万が一ということもある。用心に越したことはない。彼女は僕がおとなしく離れたのを確認すると「ふん」と鼻を鳴らして先程まで僕が立っていた位置で、準備運動でもするかのように軽く伸びをした。

 何をするのだろう、と思っていたら、腰のベルトにさしたバールのようなものを取り出し、思いっきりフルスイングして入り口のガラス戸を叩き割った。

 当然猛烈な破壊音が出る。

「ばか! 何してるんだ!」

 僕はたまらず彼女に駆け寄った。

 ゾンビウイルスに感染したものは人としての機能のほとんどを失うが、聴覚だけは異様に発達するらしいのだ。

 つまり奴等は音に反応して集まってくる。

「中にいる雑魚どもの掃除してからじゃないとショッピングできないだろ?」

 少女は事も無げにそう言い頬をつり上げた。

「があ」

 呻き声が聞こえた。

「うわ、いたよ」

 デカイのが四体、新鮮なお肉を見つけて、喜び勇んでこっちに走りよってくる。

「おい、後ろ乗れ! 逃げるぞ!」

 起き上がらせた自転車に股がり避難勧告を行うが、少女は僕に一瞥をくべるとめんどくさそうに吐き捨てた。

「バカか。ここで引いたらなんのために来たのかわかんねぇだろ。へっ、揃いも揃って間抜け面してやがる。食いもんに困らない世界に案内してやるぜ」

 少女は嬉しそうに呟くと持っていた銃を構えてぶっぱなした。

「うそだろ!」

 響く銃声。

 本物だ。本物の銃だ。すごい威力に違いないのに衝撃によろめくことなく二体、三体と、頭に命中させていく。

 四体目は痩せたゾンビだったので足が早かった。彼女が照準を絞るよりも早く獲物にたどり着いたそいつは嬉しそうに両手をつきだした。

 さて、ここで映画のヒーローなら彼女を救おうと飛び出すところだが僕は違う。

 巻き込まれ事故はごめんなので自転車で駐車場の中心に避難していた。

 安全圏だ。少女には悪いことをしたが忠告を無視した者の自己責任だ。十字を切る。

「くせぇ息はいてんじゃねぞ。カスが。死んでんだから呼吸すんな」

 倒れたのはゾンビだった。

 すんでのところで頭頂部にバールを叩きつけたらしい。

 あっけにとられている僕に少女は視線を一度やると、鼻を鳴らして店内に入っていった。

 あわててそれに続く。


「君、すごいな」

 床に乱雑に製品が転がるスーパーを二人で歩く。食料も十分ありそうだ。

「知ってる」

「その銃どこで手に入れたんだ?」

「へい」

 眉間に皺寄せた少女には銃を突きつけられた。

「ペチャクチャやかましい野郎だな。銃と会話がしたいってんなら遠慮せずに言えよ?」

「……黙るよ」

「オーライ。それでいい。おしゃべりにカロリーを使ってちゃ、この先、生き残れないからな」

 少女は僕への興味を無くしたように商品棚をキョロキョロとし始めた。野蛮なことは好きじゃないので会話を打ち切って食料を探すことにした。幸運なことに商品がけっこう残っている。生鮮食品は腐敗してダメそうだが加工品ならなんとかなりそうだ。

「へい、待ちな」

 乾麺のコーナーに向かおうとした僕を少女が呼び止めた。

「ふたつの単語だけはしゃべってもいいぜ」

 首をかしげると彼女は機嫌良さそうに続けた。

「『見つけた』と『カントリーマアム』だ。それ以外の言葉は許可しない」

「は?」

「その二つの単語は発していい。血眼になって探しな。見つけたら、帰りは送ってやるよ、坊や」

「カントリーマアム? お菓子の?」

「クッキーだ」

 冷房が切られ、外気が遮断されたスーパーは酷く蒸し暑い。汗がシャツを肌に貼り付ける。

「好きなの? カントリーマアム」

「このクソッタレな世界に残された唯一の希望さ。神が作りしクッキーだ。いいからさっさと探しな」

 作ったのは不二家だ。たしか。

「お菓子売り場ならこっちだよ」

 以前買い物をしたことがあったので、ある程度は目星がついた。僕は彼女を先導するように歩き始める。無人のスーパーは少しの物音でもすごく響いた。床に転がる雑品に足音をたてないように慎重に進んでいたら背中に銃を押し付けられた。

「ちんたらすんなよ。私は気が短いんだ。こんな掃き溜め、目的のブツを手にいれたら即刻おさらばしたいんだぜ」

「音をたてるとゾンビが寄ってくるだろ」

「居ねぇよ。表でデカイ音たてて処分したとこ見てなかったのかよ。悪いのは視力か頭か?」

 なるほど。だから入り口のガラスをわざわざ割ったのか、と密かに納得した僕は彼女のアドバイス通り床のものを踏んづけながらお菓子コーナーに移動した。


「なんもねぇじゃねぇか」

 お菓子売り場は空っぽだった。飴やガムなんかは少し残されていたので、とりあえずポケットに詰められるだけ詰める。

「どうやら別の生存者が食べ尽くしたみたいだね」

 ゴミが散らかっていた。ここを根城にしていた人たちがいたらしい。

「チッ。出るぞ。こんなとこに用はねぇ。他の食料をテキトーに詰めろ」

 少女は床に転がっていたかごを僕に投げ、不機嫌そうに踵を返した。


 缶詰めとコーヒーと調味料をいくつか手に入れた。とりあえずは一週間程度は持ちそうだ。

 スーパーから表に出るとすっかり日が暮れかけていた。街灯が灯ることもないので、原始の暗闇が街を包み込んでいた。

「ちっ、もう夜か。冬は糞だな。日の入りが早すぎる」

 少女はポケットからキーを取り出すとピッと押してレクサスのロックを解除した。

「食料をトランクに積んだらお別れだ。さっさと失せな」

「おい、待てよ。少しは分けてくれ」

「ポケットのお菓子で我慢しな。我慢できねぇてんなら私と殺り合うしかないな。死に急ぎたいなら相手になってやるよ」

「缶切り持ってんのか?」

「……」

 手に入れた食料はほとんどが缶詰めだ。缶切りがないと開けることができない。

「夜は奴等の時間だからな。送ってやるよ。乗りな」

 顎でくいっと車を示す。僕は「どうも」と感謝を告げて、助手席に座りシートベルトを閉めながら、念のため後部座席を確認した。誰もいないのでほっと一息。

 横目でそれを見ていた少女が鼻を鳴らした。

「どこに行けばいい?」

「大通りに出たら道なりに真っ直ぐ行ってくれ。信号を三つ目で左折したら下ろしてくれてかまわない。そしたら缶切りを貸してあげるよ」

 残念なことに家には缶切りはない。手に入れたのはさっきのスーパーでだ。もちろん内緒だが。

「オーライ。タクシーよりも上品にお届けするぜ」

 車が静かに滑るように走り出した。

 見た目は幼く粗暴な性格をしているが運転は丁寧らしい。

「そういえば君は名前なんていうんだ?」

 シートに深く腰掛ける。柔らかくて気持ちがよい。

「……へい。そういうのは無しにしようや。名前を知ると情がわくからな。自己紹介はやめようぜ」

 国道は荒れていた。中央分離帯にトラックが突っ込み横転している。ちらほらゾンビが歩いているのが確認できた。

 まだまだ奴等は元気らしい。

 限界まで引きこもりゾンビがいなくなるのを待つ計画は失敗らしい。

「それだと困るな。君のことをなんて呼んだらいいのか」

「呼ばなきゃいい。どうしても名前をつけたいんなら好きに呼びな」

 少女はハンドルを切り、車線を変更することで事故車とぶつかるのを防いだ。運転にはずいぶん慣れているようだ。

「そうだな。それなら君の出身はどこだい?」

「出身地? 生まれは東京の港区、……赤坂だが。それがどうかした?」

「なら赤坂と呼ぶよ」

「……はっ、ご自由にどうぞ」

「それにしても驚いたな。赤坂なら僕の実家と近いじゃないか。僕は青山に家があるんだ。隣だね」

 港区の赤坂と青山は位置的に隣り合っている。

「青山ね。あのおしゃれぶった町並みが好きになれないな。墓地と服屋しかないくせによ。お上りどもの見栄はりの巣窟だ。でもそんなとこで育ったやつがなんでこんなとこにいるんだ」

「大学がこの辺りだったんだ。学生寮に入っててね。独り暮らししてた。ゾンビが世界に溢れるまえだが」

「そいつは気の毒だな。故郷に帰りたいと思わないのか」

「いや。知り合いがゾンビになってるところなんて見たくないし」

「無事かもしれないぞ」

 なぜだが力強い語気をしていた。

「え?」

 僕が思わず聞き返すと彼女は無言でラジオのスイッチをいれた。

 ノイズ混じりで聞こえづらかったが、

「六本木六丁目……ゾンビがいない、平和な……」

 途切れ途切れに単語が聞こえた。

「わかったか?」

「いや……よく聞こえなかった」

「今日は調子悪いな……まあ、毎日こんな感じで流してる。いわく、平和な世界が六本木にあるらしい。赤坂は、青山も……六本木のすぐ近くだ」

 残り少ないジュースをストローで吸った時のようなノイズがガーガーと響いていた。少女は舌打ちをしながら人差し指でラジオをオフにし、「ゾンビのいない楽園さ」とおどけたように言った。

「そんな馬鹿な」

「あの辺りは背の高いビルが多いし、金持ち連中が多いからな。あり得ない話ではないだろ。ヒルズやテレビ局なんかも多い」

 信号を左折する。もうすぐ我が家だ。

「ここらでいいかい、アオ」

「……なんだい、それ?」

「青山だからアオ」

「それなら君はアカだね」

 ポケモンみたいだな。

「なんでもいいさ。それで、どこで停まればいい? 言わなきゃノンストップだぜ?」

「ああ、ここでいいよ。そこのマンションが僕の家だから」

 車を停止させ、すぐ近くの建物を親指で示すと、アカは「ヒュー」と外国人のように口笛を吹いた。

「なかなかいいところに住んでんじゃんか」

 入り口のガラス扉はひび割れているが、家賃はなかなか高かった。

 親の仕送りがけっこうあったので、オートロックつきのマンションに住むことができたのだ。それに上のほうの階だったので、非常階段の鍵を閉めればゾンビに襲われることもなかった。

「それじゃあ、ちょっとまっててくれ、缶切り取ってくるから」

 シートベルトをはずした僕に、彼女は後部座席に置いておいた鞄を素早く取って、投げつけた。

「なにすんのさ?」

 反射で受け取ってしまう。

「運びな。お宅の荷物だぜ」

 中身は先ほどスーパーで手に入れた缶詰めを含む食料品である。

「くれるの?」

「寝言が言いたいんなら寝かしつけてやるぜ」

 ギアをパーキングに入れて、エンジンを切ってから、アカは扉を開けて外に出た。

「家は水は出るかい?」

 他愛のない会話をしながらも、アカの手には常に銃のグリップが握られている。

 彼女のような警戒心の強い人間にあうのは初めてだった。

 電気が切れ、暗いエントランスを壁を背にしつつ、進んでいく。

「貯水タンクはあるけど電気がないからポンプが機能しないみたいでね。ライフラインが整備されてた時に貯めた飲料水ならまだあるけどさ。それに近所に井戸水を使ってる家庭があることもリサーチ済みだから水で困ることはないよ」

「……風呂はどうしてる?」

 僕と彼女以外に物音をたてる者はいなかった。どうやらゾンビの侵入はないらしい。

「ガスと電気はないんだ。水もでないよ。たまに貯めてた水で軽く汗をぬぐうくらいさ」

 マンションの住民はほとんどが大学生だったので、災害が始まった初期のほうに、ほとんど全員が実家に帰省していった。残された僅かな住民が右往左往している間に僕は籠城の準備を整えた。

 いつのまにか一人ぼっちになっていたけど、今日の今日まで生き延びることができたのは事前準備の賜物である。

 はからずしてオーナーになった僕は自由気ままにマンションを支配していた。

「そりゃ難儀だな」

 非常階段についた。ここまで来れば心配することもないが、油断することなく階段を上がっていく。

「風呂に入りたかったが、そこは我慢するか。今晩の寝床にさせてもらうぜ」

「はあ?」

「助けてやっただろ?」

 助けてもらった記憶はない。

「まあいいけどさ。その代わりアカの話を聞かせてくれよ。外がどうなってるかしりたいし」

「オーケィ。決まりだな」

 上機嫌に彼女に背中を任せ、非常階段の扉を開き、内廊下を威風堂々と歩いて僕の部屋のドアを鍵を開けた。


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