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11 バレット


 息も絶え絶えに少女は青い顔で項垂れた。

「肩から血がたくさん出ています……、なぜだが、頭も痛いです。包帯とアルコールを取っていただけますか? 消毒しなくては」

 丁寧な言葉遣いはいつもの彼女のものに違いなかった。

「はっ」

 少女を射抜く僕とアカの視線に、キンは少しだけ照れ臭そうに鼻の頭を指で掻いた。

「し、失礼いたしました。痛みで気を失っておりました」

 そこは別に恥じることではない。

「ど、どういうことだ。なんでオメェはゾンビにならねぇんだ」

 アカが唇を震わせて訊ねた。ネットやテレビの情報によると噛まれた者は一分もたたないうちにゾンビに生まれ変わるらしい。

 キンがゴリラゾンビに噛まれて数分が経過していた。

「免疫と抗体があるからですわ」

 あっけらかんと答えた。

 いまいち違いがわからない。

「ですが、獣の牙は別の病原体を持っている可能性が高いので、消毒をしたいのですが……」

「あ、ああ、ちょっと待っててくれ」

 僕は救急箱からアルコール消毒液を取り出して彼女の患部に吹き掛けた。

「ぃきゃあ!」

 呻き声が上がる。

「ご、ごめん、痛かった?」

「いえ、大丈夫です。あ、アオ様、間違ってもワタクシの傷口を嘗めたりはしないで下さいね。感染してしまいます」

「間違ってもそんなことしないよ……」

「ああ、ずいぶんと傷は深いようです……」

 彼女の着物がはだける。胸が見えそうだ。凝視しすぎてたらしい。アカに頭をはたかれた。

「へい。アタシが補助をしてやる。男連中は廊下に出てな」

 拳銃を向けられたら従わざるを得ない。僕とシロは大人しく扉の先のキッチンに避難した。


「お嬢様はゾンビウイルスに抗体を持つただ一人のお方だ」

 チュッパチャップスを舐めながらシロが教えてくれた。彼はコーラ味、僕はラズベリー味だ。

「でも大変だね。常に感染状態ってことだろ? それってさ、好きな人とキスもできないってことでしょ?」

「粘膜接触のことを言ってるのか? 安心しろ。お嬢様とキスする前に不埒な輩は全員俺が切り殺す」

「穏やかじゃないね」

「そもそも、キミは勘違いしているぞ」

「なにが」と首を捻るとシロはニタリと笑って続けた。

「お嬢様はゾンビウイルスを中和できるんだ」

「どういう仕組みなんだ?」

「ゾンビウイルスは細胞融解型ウイルスということさ」

「は?」

 文系学生には拒否反応が起こる話だ。

「日本脳炎やデング熱と同じで、ゾンビウイルスは細胞内で増殖が完了すると、爆発して、身体中に散らばるようになってるんだ」

「だからどうしたのさ」

「通常抗体は細胞の中に入れないが、相手が融解型ウイルスの場合は少し変わってくる。ウイルスが爆発して細胞の外で飛び散るわけだからな。お嬢様の持つ中和抗体は、細胞外に飛び出したウイルスにひっついて、他の細胞に感染できない状態、俗に言う不活性化にさせるんだ」

「ごめんよくわからないや」

「つまり無敵というわけさ」

 シロが謎のドヤ顔で他人の功績を誇った時だった。


「きゃあああ!」


 絹を裂いたような女の悲鳴が聞こえた。

 僕とシロは顔を見合わせ、同時にアカとキンがいるリビングに突入した。


「いかがされましたか! お嬢さま!」

 シロが日本刀に手を辺りを警戒しながら着物がはだけたキンに声をかけた。

 僕も震える手で鉄バットを握りしめた。

 ゴリラが突入してきて窓は割れたままだが、特にゾンビの気配はない。

「あ、えっと」

 キンが戸惑ったように言った。

「いまの悲鳴はワタクシではございません……」

「え?」

 視線の先のアカを見やる。

 頬を紅潮させて立っていた。

「ひょっとして今の悲鳴、キミかい?」

「……」

「すごく……その女の子っぽい悲鳴だったね」

「うるせぇ、殺すぞ」

 死にたくないから、からかうのはやめよう。

「……それでなにがあったんだい?」

「なんだかんだじゃねぇよ、そいつの肩口を見てみな」

 顎をクイッと動かしてキンの肩口を指し示す。

「え?」

 白く華奢な肩があるだけだった。つるんとした卵のようだ。傷なんて存在していない。


 着物にはたしかに血のあとがついているが、どう考えてもおかしい。普段は気丈に振る舞うアカが悲鳴をあげたのも頷ける。

「噛み傷は……?」

 消えていた。痕すらなく。きれいさっぱりと。

「ワクチンの影響か……わからないのですが、ワタクシ、傷の治りが異様に早いのです」

 彼女は少し寂しげに言うと、露出していた肩口を着物を上げて隠した。

「そんなレベルの話じゃないだろ。つい数秒前の傷だぞ。回復、いや、これじゃまるきり再生じゃないか」

 世界が滅ぶ前の、僕が把握している医学レベルを遥かに凌駕している。iPS細胞とかいうやつだろうか。

「……父様の研究の成果です」

 いつか、研究職と言っていた、ような気がする。

「君のお父さんは何者だ?」

 思えば彼女の経歴は謎だ。

 従者とともに港区の病院を目指している。

「父様は……」

「お嬢様!」

「良いのです。知っていただく良い機会です」

 制止を振り切って少女は続けた。

「ワタクシの父は品川三朗。特定不随意脳症ビールス、ゾンビウイルスの産みの親です」

 キンは頭に巻いていた包帯をほどいた。事故を起こしたときに着けたものだ。血は付着しているものの、肩口の噛み傷と同様に傷などは一切無かった。


「……ゾンビの発生源は薬品工場の爆発事故のはずだろ」

「父の研究はウィルス療法。生体工学を用いてウィルスを改変し、ガンや特定疾患に苦しむ患者を助けるものでした。ですが、研究の途中であの爆発事故が起き、数多の薬剤が混じりあったことで、想定外の感染爆発(パンデミック)が起こったのです」

「そんなバカな話が……」

 爆発の原因は明らかにされていないが、一説によると内部犯による人為的なテロと噂されている。

「娘のワタクシを助けるために行っていた研究です。ワタクシは幼い頃より身体が弱く誰かに守られて生きてきました。それはいまも変わりません。ですが、父のお陰でいまでは健康の体を得ることができました」

「大多数を犠牲にしてな」

 アカが銃を構えていた。


「アカ!」

 僕は叫んで彼女の手に握られた黒くてゴツい拳銃を奪おうとしたが、鋭い目付きで睨み付けられてしまった。

「黙ってな。世界をぶっ壊した首魁の娘だぜ? ただで殺すには惜しすぎる」

 アカに銃を突きつけられてもキンは表情を変えなかった。

 割れた窓から秋の夜風が吹き込んでくる。カーテンがふわりと揺れた。

「全世界の人類に詫びな。お嬢様」

 くいっと照準をキンの頭部に合わせる。

「やめろ!」

 射線を遮るようにシロが手を広げ割り込んだ。

「お嬢様も父親を事故で無くしてるんだぞ」

「関係ないだろう。こいつの父親が害悪を世界にばらまいたんだ」

「違う! 意図はない、事故だったんだ。工場が爆発したんだ!」

「へいへいへい肩持つなよ。外野がとやかく言おうと、世界にゾンビが溢れたのが事実だ。わざとだろうが恣意的であろうが、アタシの友人知人は全員こいつの父親のせいで歩く死体にされたのさ」

 キンは静かに目を閉じ、「申し訳ございません」と謝罪の言葉を口にした。

「どう償うつもりだ。失ったものは返ってこないんだぜ?」

「世界を正そうと思います」

「正す? 覆水盆に返らずって知ってるか? もうどうしようもないところまで来ちまったのさ」

「床に散らばった水は器に戻らないかも知れませんが、拭くことはできます。何もなかった時代に戻すことは出来るのです」

「どういう意味だ?」

「ワタクシが、……いえ、ワタクシとこれがかの地へ着けば」

 少女は着物の帯の内側から、昨日僕に見せてくれたCDを取り出し掲げて見せた。

「なんだそれは」

「療法データ、いえ、実験データです。ワタクシの血液の抽出の仕方などがプログラムされています」

「……感染者を戻せるっていうのか?」

「いえ……感染を予防出来るのです」

「それじゃあ、意味ねぇな。どのみち食われたら終わりだ。予防もなにもあったもんじゃねぇ。悪いがそれが贖罪になるとは思えない」

 アカの気持ちは痛いほど理解は出来た。

 元来友達は少ない僕でもメールだけでやり取りをしていた旧友は何人かいた。連絡が取れなくなった時、彼らがどうなったのかを察した。

 家族だって、いまはどうなっているのかわからないのだ。

 アカの持つ拳銃の銃口は尚もキンに向けられている。

「このソフトがあれば、アンチウイルスを大量生産できます」

「予防接種が捗るだけじゃねぇか」

「生成されたウィルスを、例えばヘリコプターなどから散布できれば、感染者を元の歩かない遺体に戻すことも可能です」

「……」

「アカ様、お願いです。ワタクシを白金の地に届けてくださいまし。然るべき処置が済んだ後であればワタクシはどんな処罰でも受けます」

「命乞いにしか聞こえないな。別に白金のホスピタルに着くのは、そのCD-Rと」

 アカの銃口はゆっくりとスライドし、ピタリとキンの胸に向けられた。

「死体があれば充分なんじゃねぇのか?」

「それは……」

「安心しろよ。たとえお前がどうなろうと届けてやる」

 ニタリとアカは歯を見せて笑った。

「あばよ」

 耳をつんざくようなドンという銃声が空気を震わせた。


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