10 戸惑いと黄昏の刹那
プレッパーズたるもの怪我への備えはバッチリだ。包帯と消毒液で手当てをしてあげる。僕はてんで素人だが、キンは医療への心得があるらしく、丁寧に処置を施していった。
野戦病棟のようになった僕の部屋だが、怪我人三人は今日の出発をあきらめたらしく、一日休んでから港区を目指すことにしたらしい。
「本日は安静にいたしましょう」
キンはそう言ってはにかんだ。
「しかたねぇな。また泊めてもらうぞ」
「……いいけど、僕の家の食料はやれないぞ」
「相変わらずケツノアナな小せぇ野郎だな。世紀末なら即刻殺してるからな」
現状はだいぶ世紀末に近いが、アカのなかではいまだ秩序は保たれているらしい。
レクサスに積んであった食料を僕の家にあげ、簡易的なパーティーの様相をていしていた。
本当に久しぶりだった。正直にいってしまえば、僕はかなり楽しかった。
「下らねぇ足止めで一回休みだな」
あたりめをもっちもっちと噛みながら不機嫌そうにアカ害う。
「本当にすまない」
アカの悪態にシロは殊勝に頭を下げた。
「この世界に順応しやがれくそ真面目が 。子供だろうが感染してたら等しくゾンビなんだよ」
「頭ではわかっているが、ほんとうにすまない」
「うじうじうじうじうざってぇ野郎だな。お前が謝ったところで傷が治りやすくなるわけじゃねぇんだ。ともかく現状はてめぇがドライバーだったせいで、あたしらが怪我を負ったってことだ」
なんだか、すこし雰囲気が悪くなってきた。キンはなにも言えずおろおろとしている。
「なあ」
「あん?」
たまらず声をかける。
「なんだ?」
「ゲームでもしないか?」
「ゲーム? なに言ってんだ、テメー」
「一回休みで思い出した。うちにさ」
立ち上がりクローゼットをあける。
「人生ゲームがあるんだよ」
ボードゲームの完成形として名高いパーティグッズだ。大学の新入生歓迎会のビンゴの景品である、遊んだことはない。
「はあー? 正気かよ。世界は変わってんのにいまさら前時代的な人生なんて……」
「ひゃあはー! 「興した事業が大成功! 他プレイヤーから一万ずつ得る!」早く金寄越しな!」
暫定一位のアカは凄く楽しそうだった。
「しかたないな」
「おめでとうございます」
キンとシロが財布からお札を取り出し、アカに手渡した。
「リアルマネーじゃねぇよ! そんなもん便所の紙以下の価値しかねぇ! 仮想通貨を寄越しな。現在一番価値のあるものだぜ!」
驚いたことにキンとシロは今まで人生ゲームをプレイしたことがないらしい。
「はあ」とか「へえ」と言いながらゲームに興じる様はなんだか可愛らしかった。
「次はワタクシの番ですね」
キンがルーレットを回す。
物凄く平和なワンシーンだ。僕はこんな平和がずっと続けばいいのにと考えていた。
「あ、みんな飲み物はいるかい? ルートピアがあるんだ」
提案に誰ひとりとして僕の方を向かず、静かに手をあげるだけだった。全員が全員ボードに集中している。
苦笑いをして、冷蔵庫のペットボトルを取るために立ち上がる。
平和だ。
ゆらゆら揺れる蝋燭の炎と相まって、久々に落ち着いた気持ちになった。
「うほ」
喉をならしたような音がした。
「おい、アオ、変な声だすなよ」
「僕じゃないよ、なんだ今の音」
冷蔵庫から顔をあげて音がした窓をみる。
「なっ」
ゴリラが一頭立っていった。
「アカっぁ!」
窓ガラスが割られる。破片が飛び散る。カーテンが引きちぎられ、ゴリラが幼気な少女に向けて跳躍する。
僕は叫んで彼女をかばおうとしたが、距離が遠く、間に合わないと悟った。次に考えたのは退路の確保だ。アカが襲われている間に逃げなくてはならない、生き残ることが至上の目的だから、はやく、踵を返さないといけないのに、そのはずなのに、なぜだが、足が言うことをきかない。視界が涙でボヤけた。
「ああああ!」
玄関に鉄バットがあったはずだ。あれで仇を討とう。そして、彼女が悪意に飲み込まれてしまう前に、僕の手で解放してあげよう。それが、僕から名も知らぬ少女に贈ることが出来る唯一のプレゼントだ。
血が飛び散った。
「アカ、様……」
「あんた、なんで……」
ゴリラに噛まれたのはキンだった。アカは彼女に庇われたらしい。茫然自失といった表情で、虚ろな目をするキンを見つめていた。
ゴリラゾンビは本能に赴くままにキンの肩口に牙をたてている。ぐちゅぐちゅとトマトを潰して煮込んだような音が室内に響いた。
「お逃げ、ください……わたく、しは平気ですので」
「んな、わけ……なんで、助けた、あたしを……」
「ワタ、クシはあなた様の奴隷で、ご、ごございます、から……」
キンは苦痛に満ちた表情を一瞬だけ綻ばせたようた。彼女の華奢な肩口に噛みついたゴリラゾンビは再度勢いをつけようと思ったのか、キンを放し、もう一度、口を大きく開けた。
「お嬢様ぁ!」
シロが発狂したような声をあげ、ゴリラゾンビの首を日本刀で切り落とした。全ては一瞬だった。おもちゃみたいに首がポーンと飛んで、床にゴロリと転がった。
「お前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前が!」
例えゾンビであろうと最早動くことも叶わないだろう。全身の筋をズタズタにされた毛むくじゃらの赤黒い物体が力無く床に崩れ落ちる。
「クソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソが」
それでも気がすまないらしい。今度は転がったゴリラの生首をズタズタにしはじめた。狂気を感じる瞬間だが、気持ちは痛いほどよくわかった。
「お嬢さまぁ……」
涙をボロボロ流しながら、シロが顔をあげる。
「……」
キンはそれに答えることなく、目を閉じたままふらついた。シロが慌てて抱き抱える。
死んだわけでは無さそうだった。胸が上下している。大ケガではあるが、致命傷ではない。
へたりこんだままのアカは機械のような冷徹な顔でそっと僕に目配せした。
「そこにあるリボルバーを取ってくれ」
「ああ……」
たとえ息があり、命が助かる見込みがあろうとも、この世界じゃ傷がついただけでお仕舞いだ。もう助からない。
「まっ、待ってくれ」
崩れ落ちた少女をかばうようにシロはキンに覆い被さった。半泣きになりながら僕らを睨み付ける。
「待つことはできない。アタシも感謝している。だからこそ、自我があるうちに殺してやりたい」
「違うんだ、お嬢様はゾンビにはならない!」
「気持ちはわかるが、もうだめだ。いいかい、この世に特別な奴なんていねぇんだ。総理大臣も皇帝も死んだら等しくゾンビになるだけ。何人も見たからわかる。あと十秒ほどでそいつは白く濁った瞳を見開く。そのあと血が混じったゲロをして、「うーうー」と唸り、生きてる人間を襲い始める。一体のゾンビの誕生さ」
「そうならないんだ」
「アタシはキンが素直なまま旅立ってほしいと思ってるんだ。どけよ。このままじゃアタシはあんたもやらなくちゃならなくなっちまう」
「信じてくれ! お嬢様は……」
「退けっていってんだろ! ぶっ殺すぞ!」
アカは天井に向けて銃をぶっぱなした。
銃声が響く。空気がビリビリと嘶いた。
「テメーが、どかねぇと! そいつを人間のまま逝かせてやることが出来なくなっちまうんだよ!」
アカは怒鳴ってシロを蹴飛ばす。背後の本棚に背中をぶつけたシロは「ぐっ」と小さく唸った。
「下がってろ、今に元気はつらつに立ち上がる。一撃で葬ってやるから安心しな、……キン」
涙のない泣き顔を浮かべ、アカは銃を銃をキンの頭にセットした。
「ありがとよ」
「うぅっ、痛いです……」
「なっ!」
シロの手から離れ、床におでこをぶつけたキンは、たしかに人間のままの言葉を話した。




