《草を食べるな》三章
サキに連れられ港の外へと出ると思わず声が漏れた。
石と煉瓦で造られた建造物は不規則な線を描きながら空へと伸びている。見慣れた高層ビル群とは違って、粗雑で醜悪な高層家屋の群れが互いに支え合いながら不思議な均衡を生んでいた。以前テレビで見た事がある九龍城砦よりも複雑怪奇で小汚い建造物。
それにしても、高い。
陽の光を受けて輝いている上層、影に染められた中層、生臭そうな霧が立ち込める下層と、異様なコントラストを形成していた。
「ちなみに建物の上の階層から『陽流れ』、『風止め』、『肺病み』ってランク別けがされていて、上の方がより不動産価値があるのよ。あと肺病みの下には……ってこの話はいいか。こっちの世界に住むなら家賃が高くても上層をオススメするわ、洗濯物も良く乾くしね」
その高層家屋の下を走る道路は土がむき出しで、砂利でとりあえず作っておきました的な簡素な道が退廃的な雰囲気を加速させていた。
「この世界の人って、空を飛べるでしょ?」
いや、そんな当たり前のように言われても――
と、思いたかったが確かに飛んでいるわな。ローブを靡かせて、さも当たり前のように大空を駆けている。
「地を這う事が無いから道路が整備されないのよ。だから建物も横じゃなく上に伸びる」
彼女の鋭い爪が天を指した。
「でもホウキを使っていないぞ?」
そんな俺の真っ当な疑問にサキは吹き出した。
「それ、いつの時代の話なのよ?」
だって俺の想像する魔女と言うのはホウキに跨って飛んでいるんだから仕方がないじゃないか。あとは変な帽子と変な笑い声と鷲鼻と大釜と黒い猫もセットだ。
「魔女っていったらホウキだろ?」
「なら私も言わせて貰うけど、慎吾はどうしてチョンマゲ姿でカタナを差してないの?」
今度は俺が吹き出した。
「それはいつの話だよ?」
サキはフンッと鼻で笑うと、
「ね? そういうことよ」
……なるほどね。
「もしかして、サキも飛べるのか?」
その問いに彼女は心外そうな表情を浮かべた。
「当たり前でしょ。これでも飛行技術大会で金賞を取った優秀な生徒だったんだから。技術、速度、高度、全てが芸術的と称されたのが、この私――って、明らかに信じて無いでしょ?」
はい。どこからどう見ても、このギャル魔女と優秀な生徒はリンクしない。
「じゃあ一緒に飛んでみる?」
そんなサキの言葉にテンションが上がるのを感じる。
だってそうだろ? 飛べるんだから。利器を用いずに空を飛ぶのは人間の太古からの悲願である。
「じゃあ慎吾はジーンズを脱いで」
なるほど、この世界では下を脱がないと空を飛べ――は?
「早くっ」
「ちょっと待てっ、どうして空を飛ぶのに脱がなきゃいけないんだ?」
「だってこのワンピースだと飛んだ時に下着が見えちゃうからジーンズを貸して欲しいの。心配ないわよ、この世界の人たちは人間のファッションなんて知らないんだから慎吾が下着一枚でもそれが人間の正式なファッションだと認識する程度よ」
いや、そっちの方が寧ろダメだと思うんだけど……国際的誤解を招きかねない。
「いいから早くっ!」
「やっぱりいいよ、歩いていける距離なんだろう?」
一度疑われた事で意地を張ってしまったのだろうか、サキは座った目で「ヌゲッ」としか言わなくなってしまった。ヌゲ、ヌゲヌゲヌゲッ、ハヤク、ヌゲッ。
しかたがないので俺は港の柱の影に行くと、そそくさとジーンズを脱いで渡した。
「それにしても可愛いトランクスね」
うるせー。
「猫が好きならこの世界で写真を撮ればいいと思うよ、っと……これでよしっ!」
そう俺のジーンズを履き終えたサキは上機嫌でタクトを構えた。
「……あのさ、周りの人たちが俺をガン見しているんだが、本当に大丈夫だろうな」
「大丈夫じゃない? 知らないけど。それじゃあ行くよ」
サキは俺の手を取ると、自らの腰に回させた。
その直後、くびれた曲線の感触を味わう間もなく俺達は空へと飛び立った。
いや、落ちていったと言う方が正しいだろうか。
「これは《落昇の転換》って初級魔術よ」
風を切る音に混じりサキの声が耳に届くと、今度は前方に引っ張られる感覚に襲われた。
「ちょ、怖いっ! マジで怖い、ジャガイモが落ちそう、あと寒いっ!」
高層家屋の渡しを潜り、幾つもの洗濯物の隙間を抜けると灰色の雲へと落ちていく。軟弱な心臓と胃が飛び出しそうな浮遊感は想像以上に最悪だった。
「やっぱり飛べるって最高っ! 人間界だと魔術を使えないからさぁ」
上機嫌なサキとは対照的に、無言の俺は重力という概念の喪失に耐えていた。




