《草を食べるな》二章
その後、連れて行かれたのは本屋から歩いて一〇分ほどの場所にあるごく普通の旅行代理店だった。
店外には国内外の地名が記されたパンフレットが並べられていて、卒業旅行のシーズンだからだろうか、店内も数多くの人で賑わっている。
サキは「待ってて」と、一人の男性店員に話しかけると二枚のチケットを受け取った。
「はい、これ」
手渡されたそれには《ノバイン港行き》と書かれている。
「これって……外国?」
聞いたことのない地名、どういうことなのだろうか。
「うーん、ちょっと違う?」
「ちょっとって……どういう」
「着いて来ればわかるって」
サキはそう言うと、足早に店外へと出ていった。
……意味がわからん。
俺が首を傾げながら彼女の後を追い、旅行代理店の自動ドアを潜った瞬間――
外の風景はガラリと変化していた。
……は? え、ま、うぇ?
視覚の誤報。
聴覚の虚報。
膨大で解析不能な事態。
防衛本能から足が止まった。
言葉を紡ぐ事すらままならない。
夢路のように唐突。
違和感の無い場面転換が齎す違和感、矛盾。
……ドコ、ココ。
シュレッダーにバカでかい岩石を放り込んだように、明らかに脳の処理速度が追いついていなかった。故に全てがフリーズ。
「ここがノバイン港ね。でも港っていっても周りに海は無いよ」
故にサキの言葉は現状を把握しようと足掻いている俺には届いていなかった。
「な? あ、こ……へ?」
ようやく滲み出た言葉の断片が現実感を伴って自らの耳に届く。
慌てて振返るも絶対にあるはずの、存在していなければいけないはずの旅行代理店の自動ドアは無く、細かなレリーフが施された石の壁があるのみで、指先に伝わる刻まれた凸面は確かな壁の存在を示していた。
「あの、これは……」
高い天井、その下の売店に掲げられた《ようこそ、港と魔女の街ノバインへ》の横断幕、
石の床を行きかうキャリーバッグを引く人々の喧騒、カフェから漂う甘い香り。
テレビのチャンネルを変えるが如く、瞬時に情景が切り替わっていた。
「いくら言葉で説明したって理解出来ない人が多いのよ。だから実際に来てもらってから説明するようにしているの。ここはアナタ達が言う魔法使いとか、魔術師の世界ね。ちなみにここが人間界とこの世界を繋いでいる都市『ノバイン』になるわ。シンテイっていう国の港街なの」
おい、おい、おい……一片も理解できないんだが。
「理解するんじゃ無くて、言われたことを受け入れるだけでイイよ」
サキはそう言うとバッグから細い棒状の物を取り出した。
「これはタクトって言って魔力を収束させるために使う道具ね。私はまだ他の触媒を見つけていないからこれを使っているけど。見てて」
彼女がタクトを振ると、俺のポケットに入っていた封筒が飛び出してフワフワと宙に浮いている。なんだこれ。マジックか?
「うん、魔術。実際に見てもらった方が早いし、目の当たりにしたら信じるしか無いでしょ? ちなみにこれは《小物体を動かす流れ》って名前の魔術ね」
……魔術、だと?
「それじゃあ、キミは魔女って事?」
「そうよ、今は人間の世界に三年間の留学中。魔女の私が人間界で普通に馴染めているんだから、こっちの世界にもすぐに慣れるわよ」
……スマホにネイルにギャル系ファッション、馴染み過ぎだろ。
「魔術師といっても、ヒトの違いはほとんど無いかな。思想と言葉、あとは魔術が使えるくらい。子供だって作れちゃう。それより両替所に行きましょう、このお金の半分くらいは両替しておいたほうが楽だから。それにサキでいいよ、慎吾の方が歳上なんだし」
颯爽と石畳を歩くサキを追いながら相変わらず困惑していた。
周囲の人々の多くは不気味でグロテスクなマスクと真っ黒なローブを羽織っているし、スライム状の奇妙な生物が首輪とリードを着けられて主人の隣を歩いている。
――更に、
「だってアナタがカバンに入れたって言ったじゃない」
「僕はそんな事言っていないよ。最初にキミが持っていくって話だったでしょ?」
嘘だろ……犬が痴話喧嘩しているぞ。食えたもんじゃないだろうに。
すぐ横の《総合案内所》と記されたカウンターでは人形がせわしなく対応していた。精巧に作られているが木目走るシンプルな木偶だ。どうやって動いて――って魔術か。
「何かお困りですか?」
じっと見つめていただろう、無駄に声の可愛い木偶が声を掛けてきたので慌てて首を振った。こ、こわい。
その隣にある売店には毒々しい色の液体や、正体不明のミイラだとか、瓶詰めされている奇妙な幼虫が並べられていて、数人の人々が興味深そうに眺めている。
「そういうのは人間界からの旅行者向けだからボッタクリ価格ね。欲しいなら港を出てから買ったほうがいいよ。味も良いしね」
……味って、あれは食い物なのか?
「いや、遠慮しておく……というか、旅行者とかも居るんだな?」
「人間はマスクを着けていないからすぐにわかるよ」
確かに売店に溜まっている人々や、サキの指差した先に居る団体はマスクもローブも装備していない、ごく普通の格好をしていた。
「最近じゃ人間界からの旅行者も増えているんだよね、さしょうのめんじょがどうたらこうたらって話だけど。もし色々回りたいならツアーがオススメかもね。飛空船もあるし」
そうサキが指さした大きなポスターには飛空船のイラストと様々な言語で歓迎の言葉が書かれていた。
『わーい、歓迎、どうぞ、ノバインを楽しんでください』
と、奇妙なフォントの日本語で。
疑問が浮かび上がる前に現実を突きつけられた俺に出来るといえば、
「ヘー、ソウナンダー」
と、無心で相槌を打ちながら今までの概念を少しずつ更新することくらいだった。確かに百聞は一見にしかず、だったが一見の情報量が多く消化不良を起こしていた。
港の中にある両替所で、この世界の通貨に両替してきたサキは俺に一枚のパンフレットを手渡した。表紙に大きく《ノバインの通な観光エリアマップ》と書かれているところを見るに、観光産業も発展しているようだった。
「日本語のパンフレットが無かったけど慎吾はこの世界の言葉を読めるんだよね?」
は? パンフレットを受け取りながら俺は声を上げた。
「いやいや……どうして読めると思ったんだ?」
「ウソ? じゃあなんでお店の張り紙を読めたのよ、あれこの世界の言葉で書いてあったんだけど? それに、このパンフレットだってこっちの言葉だよ?」
その言葉にもう一度確認すると確かに日本語でも英語でも無い奇妙な文字だったが、俺はごく自然に読めていた。違和感は無く、なんで? どうして? 意味がわからない。
「あと、おばちゃんの問いかけにも頷いていたじゃない」
「どんな問いかけだ?」
「《貴方が表の張り紙を見たのかしら?》ってヤツ、気が付いていなかったの?」
あ、うん。普通に対応していたわ。
「でも、なんで読めるんだ?」
「こっちが聞きたいくらいよ。どうせアレでしょ、両親のどっちかがこの世界の人だったんじゃない? 今じゃハーフもけっこう居るみたいだしね」
「……いや、そんな事はないと思うけど」
「話せるならそれに越したことは無いからいいじゃない。それじゃあ行きましょう」
そう彼女が歩き出した瞬間、俺は思い出した。
「そう言えば俺が面倒を見なくちゃ行けない子供って、もしかしてこの世界の子供か?」
「そうね。スネイル家っていうノバインじゃ古くからある名家よ。主に拷問器具の制作を請け負っていた一家の三人娘かな」
「ご、拷問器具?」
物騒過ぎやしませんかね? 絶対に肉食系の魔女だろ。
「スネイルってけっこう有名な老舗ブランドね。最近じゃあまり見かけなくなったけれど、良い拷問具を作る家ね。痛くて、血生臭くて、高貴で、実用性がある……」
サキは頬を上気させながら腕を抱いた。
「よく分からないけど、そのスネイル家には両親とか親族は居ないのか?」
「居たら頼まないでしょ」
まぁそうだが。
「言っておくけど、同情はいらないわよ。この世界じゃ珍しいことじゃないから」
……ヘー、ソウナンダー。直視と逃避のスキマからそう呟いた。




