《なれの果て》三章
そして、全身に伝わる振動によって視界が震えた瞬間、俺は残骸と化した飛行船と共に地面へと落ち始めた。
目を閉じ、なるべく景色を見ないように努めようとしていたが、胸元に伝わる違和感がそれを妨げた。
「……お、おいっ!」
ギィは脱出していなかった。俺のシャツを掴んだまま傍らに居たのだ。
彼女を抱きしめると、俺は等速で落下を続ける残骸の中から何回も体をぶつけながら、切り傷を作りながら飛び出した。地面までは一分も無い。
「離せっ!」
無理やりギィを離そうとするが、彼女は俺の腕の中で首を振るのみだった。
誰か。
誰か。
ガロット。
ルイゼット。
誰か、気づいてくれ。
そう上空を見渡すも、残骸と共に落ちた俺達の消息を掴んでは居ないようだった。
風切音が音をかき消す。全身が冷たく、動きが鈍くなる。
「ギベットッ! 離すんだっ! お前だけでも――」
そして、腕の中でゆっくりと顔を上げた彼女は大声で叫んだ。
「お父さんと一緒じゃなきゃ、やだっ!」
――魔術とは何か?
この世界に来た時からずっと思い続けていた疑問だった。
だが、今、ようやくそれが理解できた。魔術とは『この世界に生きる』と言うことだ。それは一つの繋がりがもたらす小さな奇跡であり、この世界に根ざした者にだけ与えられる宿命でもあった。腕の中の小さな異物は、俺にそれを与えたのだ。
その直後、身体の中心を何かが抜けていくような感覚に襲われ、俺は今まで感じたことのないような陶酔感を味わった。ずっと詰まっていた鼻が抜けたような、奇妙な感覚。
そして上空から幾つもの残骸が降り注ぎ、その矛盾した光景に辺りを見回す。
俺は…………宙に浮いていた。飛んでいた。
「なんで?」
ポケットの中から僅かな発光が見て取れ、それを取り出すと、あのギィがくれた玩具の指輪がほのかに輝いていた。
魔力の開花……そして、これが触媒に?
「二人ともっ!」
顔を上げると、ルイが青い顔をしながらそこに居た。
涙と、血の混じった鼻水、ぐしゃぐしゃになった可愛い娘がそこに居た。
「なんで、なんで飛んでいるんですか?」
「いや、なんか……急に魔術に目覚めちゃったみたいで」
「飛べるなんて聞いてないですよ」
……俺も聞いてないわ。
「とにかく、ここから逃げましょう」
ルイにギベットを預け、依然として残骸の降り続ける空域を抜けようとした瞬間、俺の手の甲に、涙が落ちた。
……涙もろくなったもんだ。
そう思って手の甲を見ると、それは涙ではなく血だった。
「あれ?」
次々と流れ出てくる血は、俺の鼻からだった。
「どこかぶつけたかな?」
そうつぶやいた直後、激しい頭痛が襲った。全身に倦怠感が広がり、胃袋が反転しそうな吐き気も追加される。なんだ? なんだ? なんだ? なんだこの感覚――
魔力の枯渇がやってきたのだ。
「おい、ウソだろ?」
そして、魔力が尽きた俺は再び自由落下を始めた。
「ちょ、た、助け、助けてっ! 死にたくないっ! 死にたくないっ!」
そう懇願するもギィを連れたルイでは俺の落下に追いつく事は出来ず、必死に手を羽ばたかせるも、もちろん鳥になれるわけでもない。
一度、助かった事で恐怖が鎌首をもたげてしまっていた。
「誰かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
必死の叫びも虚しく、俺は暗い森へと吸い込まれていった。
…………………………………………。
「ギリギリセーフッ!」
瞼を開けると、誰かが俺の手を掴んでいた。
ホワイトパールに装飾された爪、ブラックのブーツ――
それはサキだった。
「マジで何やってんのよ?」
サキは笑いながら握った手に力を込めた。
「……なんで、サキが?」
「なんで、って、久しぶりに実家に戻ってきたら、大変な事になっているって話じゃん。それで思わず駆けつけたのよ。それに、ほら、私ってもう除隊しちゃったけどシンテイ空軍のエースだったでしょ?」
「は?」
「あれ? 言ったと思ったんだけど?」
確か初めてノバインに連れて来られた時にエースとは言っていたが……。
「それに飛行技術大会で金賞を取った優秀な生徒だったんだから。技術、速度、高度、全てが芸術的と称されたのが、この私ね」
それは聞いたよ。
「でも、大変だったみたいね。大婆様に色々聞いたわよ?」
「ああ、お陰様でね」
「可愛いトランクスを履いているにはなかなかやるじゃない?」
うるせー。
「サキこそ、そんな格好をしている割には随分と幼い下着を着けているんだな」
俺が精一杯の皮肉を返すと、彼女は「え? ウソ?」と頬を赤らめた。
それだけなら良かったものの、あろうことか俺の手を離してスカートを抑えたのだ。
は?
……本日三回目の自由落下である。
「っっっっざけんなぁぁぁぁぁ」
落下しつつ、絶望の反芻に泣きそうになっている俺に突っ込んできたのはガロだった。
ラグビーのタックルの様な鋭い救出によって俺は生還したが、その衝撃で肋骨が二本も折れてしまっていた事を後に知る。もうラヴィを茶化すことは出来ない。
「良かったぁ、良かったぁ、うああああああっ」
ガロは俺の胸に顔を埋め、肩を震わしている。
「ガロ……ガロ……」
彼女の頭を撫でながら抱きしめると瞼の裏に涙が溢れた。生きているという実感が、ようやく現状に追い付いてきていた。
強く、強く、力強くガロを抱きしめると、その整った頭に頬を擦りつけた。
「ルイちゃんだっけ? アナタも行きたいんでしょ? そのオチビちゃん預かるわよ」
サキはルイの腕の中で眠っているギィを受け取ると、その顔についた汚れを優しく拭った。
そしてルイは口を結んだままやってくると俺の腕の中に割り込んできた。
おい、脇腹が痛いから、抱きつかないでくれ……そんな事は言えなかった。痛みよりもなにか、こう充実した気持ちが溢れていたからだ。
……だけど、だけど、ルイッ! ドサクサに紛れて齧るなっ! 吸うなっ!
「エヘヘ、バレました?」
そんな俺達にサキが声を掛けた。
「家族団らんはそれくらいにしたら?」
サキの見つめる先にはあの、腐敗したゴーレム、なれの果てが腐った咆哮をあげていた。
その周囲を蠅のようにぐるぐる回りながら、致死魔法を放っているのは空軍だ。
「大丈夫……でしょうか?」
ルイの言葉にサキは頷いた。
「軍人にとって死ぬことも任務のうち。一般市民である私達には関係のない話よ」
俺達は黒海に響くなれの果ての咆哮と石守の魔女の嗚咽を聞きながらその場を後にした。
そして石守の魔女と一般市民である俺が深く関わっている真実を知るのはもう少し後のことになる。




