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《つかの間の平和》六章

 正午を回った頃、スネイル家へと到着した俺はソファにカバンを放り投げた。

 保冷庫から残り物のたまごサンドイッチを出した時、二階から物音が聞こえ、誰かが下りてくる。思わず身構えてしまったが、

「あれ? 人間界に帰ったんじゃないの?」

 それはガロだった。

「なんでここにいるんだ?」

「えー、アタシの学級は日帰りだったじゃん。昨日にはもう帰ってきていたよ」

 ……あ、そういえばそうだった。

「ねぇ、聞いてよ、博物館すごくつまらなかったっ!」

 まぁ、ガロならそういうと思っていたよ。

「でも、お弁当は良かったよ。友達のカルレアに少し取られちゃったけどね」

 ガロはそう言うと、テーブルの上に置いておいたサンドイッチの残りを食べ始めた。

 それ、俺が食べようとしていたんだけど……まぁ、今回は許してやる。

 仕方がないのでカバンの中からインスタントラーメンを取り出そうとソファに座った。

「なんでアタシの学級だけ日帰りなんだろうね?」

 一分足らずでサンドイッチを食べ終わったガロは机の上に突っ伏した。

「そりゃ、お勉強の為だろ。卒業に向けて秘術の調整をしなくちゃいけないんだろ?」

「まぁ、そうなんだけどさぁ、まだ一年以上もあるから大丈夫」

 多くの学校で秘術の調整を卒業試験として課していた。秘術は一般魔術とは違って調整した当人だけが使えるものであり、限定的な効果を持つものが多い。

 俺が実際に見たことがある秘術はシェイドの《大食らいの豚》だけだ。

「えー、勉強は学校だけで間に合っていますぅ。ねぇ、そんな事よりもどこか遊びに行こうよっ!」

「おい、勉強しろ。宿題が出ているんだろ?」

「でも、いまさら勉強したって意味無いじゃん。アタシはもう――」

 ガロはそう言ったきり黙ってしまった。

「どうした?」

 彼女は俺の質問には答えず、アンニュイな表情を浮かべたまま、俺の隣にやってくるとソファに座った。

「あのさ、アタシが空軍に入隊したいって話」

「ああ、その話……ね」

「ちょっと考えなおそうかなとも思っているんだ」

「え? 急にどうした? ガロが決めたことならそれでいいんじゃないかな?」

「でも、この前はやめろって言っていたじゃん」

「そうだけどさ。あれは、ただ……」

「ただ?」

「……なんというか、少し相談して欲しかったっていうか、まぁ血の繋がっていない俺には関係のない話だとは思っているんだけどさ。一応な? 他人とは言え、お前達の保護者? で、ある訳だし……その、ガロットからしてみれば余計なお世話なのかもしれないけれど、お前達の将来について、それなりに考えたいと思っているから」

 いつの頃からだろう、そんな感情が俺を包み込んでいたのは。

 その言葉にガロはフフッと笑った後、綺麗に咲いているポコラの花に視線を送った。

「どうしたんだよ?」

 その質問には答えず、ガロはソファから立ち上がると腰から抜いたタクトを俺に向けた。

「ちょ、何を――」

「動かないでね」

 ガロは逃げようとする俺に《肉体の捕縛》と呼ばれる制御魔術を放ち、俺はその場で固まった。全身に柔らかい何かが巻き付いているかの如く、動かすことが出来ない。

「なんで逃げようとするのよ?」

 ……そりゃ逃げるに決まっている。

 今まで散々、吹き飛ばされたり、ネズミに変化させられたり、吹き飛ばされたりと、ガロにタクトを向けられて良かったことなんて無いのだから。

 彼女は硬直したままの俺に真面目な眼差しを向けた後、キッチンへと向かった。

「ガロ? 何を……」

 振り返ることも出来ない俺は庭先の雑草を眺めながら尋ねた。

「ルイだけじゃズルいもんねー」

 背後ではガチャガチャと何かを探しながらそう呟いている。

「ズルいって、どういうこと? おーい、何をしてるんだ? この魔術、解いてくれない?」

「あったっ!」

 キッチンから彼女が持ってきたのは……一本のナイフだった。

「おい。ガロ」

「ねぇ、どこがいい?」

 ソファに上り、視線を合わせたガロは俺の体を舐めるように凝視している。

「……えっと、何が?」

「手、いや、やっぱり首かな?」

「あの、いったい何の事を……」

 次の瞬間、ガロは俺の首筋に、ナイフの刃を滑らせた。

 ――冷たい刃の感触と、そこから沸き上がる、かすかな痺れ。

 そして床へと落ちるナイフの甲高い音に誘われるようにガロは瞳を閉じると、首の傷口に、そっと唇を合わせた。

「ガロ……なにを……」

 開け放たれた窓からは心地良い風が流れ込んできていて、俺の目のすぐ下にある銀髪を緩やかに撫でていく。

 首筋に流れる後れ毛から俺と同じシャンプーの香りが立ち昇った。鼻先を掠める甘いガロの匂いと、汗の匂。首筋を這う柔らかいイブツ。鼻から抜ける乳児の様な吐息と控えめに動く、小さな舌がくすぐったかった。

 家の前の簡素な路をデルカッテさんが真っ白な蝶を追いかけながら駆けて行くのが見える。いつもと変わらない、昼下がり。

 チッ、という小さな音と共に部屋の灯りが消えると採光の悪い部屋は灰色に染め上げられた。背中に回される華奢な腕に微かな力が込められる。俺と、彼女の、喉が鳴った。口から漏れる吐息からミントの香りがする。もう魔術は解けていたが動けずにいた。

 そして、お互いの熱がゆっくりと融け合った瞬間、俺も彼女の背中に手を回すと、その腕に力を込めた。力を入れてしまえば壊れてしまいそうな夾雑物を愛でるように、優しく。

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