《マリエスマリフカラム》四章
急いで下水道を抜け、寺院から抜けだした俺は隠しておいたホウキを手にとった。
これからどうにかしてラヴィと合流しなければ……って、言ってもラヴィの安否がわからないようじゃ、どうしようも――
「おいっ!」
止まった心臓を押さえながら振り返ると、そこには三人の自警兵が立っていた。漆黒のローブに身を包み、触媒でもある長剣を構えている。
思わず両手を上げてしまう。
「オォーッ! ワンダフル、ビューティフル、ピクチャーオーケー?」
カメラならまだしもホウキを持っている状態では全く意味をなしていない。
「そこを動くなっ! これから貴様を連行する」
そう自警兵の一人が長剣の切っ先を俺に向けた瞬間――
その男は膝から地面へと倒れた。
……何が? どうなってんだ?
「シンッ!」
もう一人の自警兵がマスクを取ると、それはラヴィだった。
「思ったよりも警備が厳重だった」
そしてラヴィの隣にいた男が俺からホウキを奪うと《秘めた対話》で魔力を注入した。
……誰だ?
「早くここから逃げろ!」
「ヴィオレット……なのか?」
俺にホウキを放り投げた男は空を指した。
「良いから早く飛べっ! この時間帯だと商人に紛れ込むのも無理だ」
彼の言葉に俺たちはホウキ跨がると明るくなり始めた空へと飛び立った。
風を切り開きながら、それぞれが手に入れた数少ない情報を共有していく。
「マリエ……なんだって?」
「マリエスマリフカラムッ! それを作っている最中なんだと」
「何語だ?」
「こっちの言葉じゃないのか?」
「聞いた事が無いよ。でも大棚では巨大な飛行船が極秘建造中だった。それの事かも」
「なんでまた飛行船なんかを……」
「しかも大棚の所有者は鉄蝸牛だった」
「鉄火牛……」
「ああ、大陸最大の複合企業だけど黒い噂も耳にする」
その直後、地上から聞こえる怒号が連鎖し、近くを攻撃魔術が掠めていく音が加わる。
振り返るとヘンリクスの各地から飛び立つ自警兵達の姿が確認できた。
ゆうに二十を超す兵はやがてひとつの塊となり、俺達の軌跡を撫で始めると攻撃魔術の精度が上がり始めた。
すぐ横を黒い塊が通り過ぎると、背筋が凍る。死を覚悟した。
それは《肉体を別つ》と呼ばれる転変魔術で、大鎌を携えた影を前方に放つ上級致死魔術だったからだ。
防御系魔術である錬成魔術や制御系魔術が使えない俺にとっては悪夢でしか無い。
明らかな敵意から放たれた黒い塊が甲高い叫びを上げながら並走を始めた時、ラヴィが俺の前に着いた。彼もまた防御系魔術不得手のようだった。
「僕が引くから、後ろにっ!」
前傾姿勢になったラヴィが前に着けると風の抵抗は弱まり、スピードに乗り始めた。
そして幸いな事に、ヘンリクス自警兵は燃費の悪い致死魔術を放ちながらの追跡。今はまだ俺達のほうが早く、徐々に引き離せている。
しばらくすると辺りは静かになったが、鼓膜に届く鼓動音、柄を握りしめている手は鈍く痺れ始めていた。
ヘンリクスを脱出して二十分後、俺達は東へと向かわず南下していた。
「黒林は親知らずが居る、灰海を突っ切るっ!」
俺はただ黙ってラヴィの動きをトレースしていた。
しかし自警兵達は灰海に入ってもピッタリと着いて来ていて、追いつかれるのも時間の問題だった。薄くなり始めていた恐怖が再び鎌首をもたげている。
全速力で逃げること四十分。
ラヴィのスピードが落ち、苦しそうな息遣いが聞こえてくる。彼を見ると肩で息をしながら鼻血を出していた。それは典型的な魔力の枯渇を示す症状だった。
更に俺のホウキもスピードが落ち始めていて、このままでは墜落の危険すらある。
自警兵の怒号が耳に届く距離に迫った時、周囲に大きな声が鳴り響いた。
『こちらはシンテイ空軍――』
周囲を見渡すと空間が球状に歪み、その後、破裂している。
……言葉を飛ばしているのか。
『繰り返す、こちらはシンテイ空軍所属、腐砂のカルディナック隊、灰海上空で致死魔術の使用を感知した。直ちに使用を停止しなければ、こちらも応戦する。繰り返す――』
振り返ると自警兵達は引き返しているところで、その光景に俺は胸を撫で下ろした。
それから間もなくして、前方から十数人の兵士が現れると俺達を取り囲んだ。全員が朝日を弾く銀糸のローブに編上げのブーツを履いている。
「僕たちはノバインから来た商人です。ヘンリクスの自警兵に追われていました」
ラヴィが、許可証を取り出して事情を説明すると、おそらく隊長であろう一人の魔女が近づいてきた。【逆さ鳥籠と錠】のマスクに、手には触媒のコマバラの根。
彼女は許可証を確認すると、周囲の兵士達に声を掛けた。
「このまま高度を維持しながら監視任務に移行しろ。陸軍に出動の中止を要請。野盗が現れたとでも報告しておけばいいだろう。間違ってもヘンリクスの名前は出すなよ。あとは足の遅さに関して皮肉の一つでも言ってやれ。私はこの者たちをコトまで護送する」
隊長は俺たちに方を向いて、
「私はこの隊を率いているカルディナック・クリナだ。これから君達をコトの兵舎へと連れて行くが、私が出来るのはそこまでだ」
その言葉に俺は安心しきっていたが、ラヴィの表情は固かった。
その理由はすぐに明らかとなった。
コトの兵舎に連れて行かれた俺達はシンテイ軍によって身柄を拘束されたのだ。




