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《マリエスマリフカラム》一章

 黒林を抜け、ヘンリクスに到着したのが、正午を回った頃だった。

 ヘンリクスはデグダ山の麓に広がる都市で、無数の岩棚に開けられた『商窟』という穴に各国の商人たちがそれぞれの物品をところ狭しと並べていた。その下方には地上市場が広がり、魔導士、魔女、獣人、人間、かなりの賑わいを見せている。

 ヘンリクスの後背部には中央大円山と呼ばれるイナリナ大陸最大の山脈が連なっていて、そこから伝動石が『鉄蝸牛』や『蝦蟇竈』を始めとする採掘会社によって掘り出されていた。特に鉄蝸牛は大陸最大の採掘会社であり、多種多様の業種を営むコングロマリッドでもある。故にヘンリクスの意思決定に大きな影響力を持っていた。

 ヘンリクスの都市中央部にはデクダ・マリー寺院と呼ばれる光り輝く白亜の建造物が聳え立っていた。別名『落涙の御堂』とも呼ばれ、壁の至る所に伝動石の装飾が施されているなんとも豪儀な寺院だったが、その周辺に巡らされている強固な壁によって物々しい雰囲気を醸し出していた。

「寺院とは名ばかりだな」

 そう呟きながらラヴィの視線を追うと寺院の上空には五機ほどの飛行船が飛んでいた。

「人間界からの旅行者も居るみたいだね」

 地上市場へとやってきた俺達は商人に紛れ、情報を集めることにした。

 見慣れない様相の商人を見ていると、ラヴィがワニグの商人だと教えてくれた。広げたゴザに不気味な触媒を並べ、じっと座っている。

「ここじゃ、国籍はあってないものさ。人間だって特別視されたりはしない」

 そんなラヴィの視線の先には人間界からの旅行者がカメラ片手に市場を歩いていた。

「そういえばさ、この世界で写真を撮ってもいいのか?」

「うん。特に問題は無いけれど、その写真を見られるのはこの世界にいる間だけだよ。人間界に帰った際に別の写真に置き換わる様に転移門に制御系魔術が施されている」

「へー、知らなかったわ」

「アデリア様の方針だね。『固い記憶は災いを呼ぶ、柔らかい記憶に留めるべし』って」

「で、どんな写真になるんだ?」

「猫の写真」

「マジかよっ!?」

「ネットに出回っている可愛い猫の写真の半分は魔術によって置き換えられたモノだ。動画もまた然り」

 ……魔術ってハイテクな機械にも対応できているんだな。

 ということは、俺のお気に入りの『蛇口から水を飲もうとする猫』の動画も――

 ラヴィは証明書を市場の管理局に提出した後、人間界から持ってきた雑誌や生活用品を空いているスペースに並べ始めたが、端から売る気は無かった。

 俺達はまずここで、現地に潜り込んでいる諜報員と会わなければいけなかったからだ。


 それから二十分後、何人かの冷やかし客に混じって一人の少女が商品を眺めていた。

 歳はギィと変わらないだろうか、小さくて、生意気そうな顔をしている少女は並べられている商品を見渡した後、

「ねぇ、“日はまた昇る”は置いていないの?」

 そう尋ねてきた。

「いや、置いていないよ」

 ラヴィが答える。

「じゃあ“武器よさらば”は?」

「それも置いていないな。“老人と海”ならあるけれど……」

「ならいいわ、また来る」

 彼女はそう言うと、何故か俺とラヴィの間に割り込んできてドカっと腰を下ろした。

 なんだ? このガキ――

 ……おい、まさか、と、ラヴィに耳打ちをする。

「どうやらそうらしいね」

「らしいって、顔を知らなかったのか?」

 そうラヴィに尋ねると、商品の雑誌を適当に見繕いながら少女が答えた。

「最初に言っておくけど私には正式な名前や容姿なんて無いわよ。好きに呼べばいいわ」

 一冊の雑誌を手にとった彼女はそう呟いた。

「僕はヴィオレットって呼んでいるかな、ヴィオレット・サボーって」

「そっちの黒髪の子は初めてだから教えてあげるけど、容姿を変える魔術があるのよ」

「……《縹渺たる認識》か」

「あら、よく知っていたわね」

 ポンコが使っていた錬成魔術だったが、体格まで変化させられるところを見ると相当な使い手であることがわかる。大魔導か、大魔女か、いずれにせよ練成魔術のプロだろう。

「次に会う時は老人かも知れないし、男や半獣かもしれない、見た目で認識しちゃ駄目よ。ただ年齢だけは貴方達の何倍も重ねているから、丁重に扱いなさい」

 それからヴィオレットは雑誌を顔の前に持ってくるとヘンリクスの動向を囁き始めた。

「まず商人に扮したヘンリクスの自警兵が至るところに居るわ。だから商人への聴きこみはやめておいた方が懸命よ。ハズレを引いたら適当な理由を付けられて即、収監って事になるから」

 その言葉に俺たちは周囲を見渡した。

「自警兵はローブの下に近接用の補助触媒を忍ばせているから、注意深く観察すればわかるけれど……アタナ達には無理そうね」

「補助触媒って何なんだ?」

 そんな俺の問いに、ヴィオレットはローブを捲くし上げ、足に装着されている短刀を見せた。

「主に近接で使う武器兼触媒ってところかしら、職業軍人の多くが二本差しよ」

「プライマリーとセカンダリーって感じか」

 ラヴィがそう呟いた。

「それと最近になって寺院への立ち入りが制限されたの。表向きは改装工事らしいけど怪しいものね」

 ヘンリクスはシンテイから代表二名、ワニグから二名、そして太古よりヘンリクスを統治してきた豪商である鉄蝸牛と蝦蟇竈から一名ずつ、計六名による合議制を敷いていた。しかし、どうやらヘンリクスとワニグの代表者達はヘンリクスの独立に関する情報をそれぞれ伝えていないようだった。

「ヘンリクスの独立派、強硬派に取り込まれたと考える方が懸命ね。今、ナイゼンとカズラに伝えられている動向は全てデタラメよ。それだけは言える」

 そしてそのタカ派の中心人物こそが人間界出身の男、クラーメルだった。

「ここ三ヶ月間、クラーメルは表の場に姿を見せていない。ただ、今現在ヘンリクスの兵力はそれほど多くないから、すぐには動かないと思う。一年か、二年、ゆっくりと準備をしてから独立を宣言するかも」

「……ということはまだ猶予はあるんですよね?」

 ラヴィの問にヴィオレットは頷いた。

「ただ一つだけ奇妙な事があるのよ」

「と言いますと?」

 ヴィオレットは更に声のトーンを落とした。

「ヘンリクスの上層部は件のシンテイとワニグ両国から受けた制裁措置に関して従順に受け入れているのよ」

「そりゃ悪い事をしたんだから反省しているんじゃないか?」

 そんな俺の意見にヴィオレットは首を振った。

「それは違うと思うわ。過去にヘンリクスが軍隊を持ちたいと打診してきた時ももっと強気だったのよ。黒髪の子はまだわからないと思うけれど、鉄蝸牛と蝦蟇竈という二つの組織は両国も無視できないほどの力をもっているの。それが素直に制裁を受けいれるわけがない。裏に何かあるような気がする……まぁ、これは勘だけど」

 ……勘すか。

「アデリアは人間らしい情報を元にした戦略を好むけど、私は自分の直感を信じるのよ。並列化された経験則から導き出される無数の近似した未来、そこから可能性を拾うの」

 そして彼女はローブから一枚の紙を取り出すと、それを雑誌に挟んだ。

「魔術が使えないからこそ、見える真実もあるわ。その件についても調べてみて」

 そう俺に雑誌を手渡した後、ヴィオレットは人混みに消えた。

 雑誌を開くと、そこには地図が入っていて、デクダ・マリー寺院へ侵入するための経路が記されている。

「さて、一向に売れる気配がないから店仕舞いだ」

 ラヴィはわざとらしくそう言うと、商品という名のガラクタを片付け始めた。

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