《空を飛べたら》二章
「ギィちゃん、あとちょっと」
……どうせ俺には無理だよ。というか、魔術って何だよっ!
腐りながらギィを見ると、彼女は十センチほど浮いていた。
おお、さすが魔女。
「そうそうっ!」
ギィは頬を膨らませながら、今まで見たことのないような真剣な表情で練習をしていた。
諦めた俺はルイの隣に腰を下ろすと、彼女と一緒にギィに声援を送った。
「そういえば明日は参観日ですけど、マスクは見つかったんですか?」
ルイの問いにバッグから取り出したマスクを着けると、二人の前に立った。
「どうだ、凄いだろうっ!」
以前、ガロとギィにこのマスクを見せていたという重大な事実を失念していた俺は、自慢気に腰に手を当ててポーズを取っている。
「…………むぅ?」
ギィが首を傾げたのは、俺のマスクを羨ましがっているのだろうと都合よく解釈。
「わぁ、素敵なマスクですね。なんだか、偉い人って感じがします」
ルイの言葉に気を良くした俺は、背後からガロが迫っていることも知らずに上機嫌でマスクを見せびらかしていた。この目がカッコイイだろう? このワンポイントの――
「どう? 飛べた? お姉ちゃんが良い助言をしてあげ……る?」
ガロは俺のマスクを見つめながら固まっている。
「そのマスクって……」
「ああ、これか? どうだ、似合っているだろう?」
ガロはタクト抜くと、その先端を俺に向けた。
なんで? 自問自答後、即解答。
ノバイン港でガロをナンパ(未遂)していたのだ。
《全身を包む衝撃》という魔術は殺傷能力こそ無いものの、目標物を大きく吹き飛ばす魔術だということを身をもって理解した俺は、庭の湿った土の感触を頬に感じつつ、血生臭い匂いが広がっている庭をフワフワと浮かんでいるギィを眺めていた。
飛行の練習を終えてリビングに戻った俺はいつしかソファの上で眠ってしまったらしく、目を覚ますと時計は十五時過ぎを指していた。
あ、昼飯作らなくちゃ。そう体を起こそうとした時、キッチンから料理をしている音と調子外れの歌が聞こえてきた。
「焼けた石を抱いてみて♪ それでも開かぬ赤い口♪ それなら耳を砕きましょう♪」
この不安定でおぞましい歌は……ルイか。
それに俺に掛けられているこのローブは彼女の物で、柔軟剤の良い香りが漂っている。
ソファの背もたれから顔を出すと、ルイが俺のエプロンを着けてボウルに入れた何かを魔術で混ぜているところだった。
「ふんふんふん♪ 貴方の事を全て知りたいの♪ 流れている命の色も♪」
ルイはガロと違って対象物に魔術を纏わせて操作したり、簡単な動作を覚えさせる『制御魔術』を得意としていた。《小物体を動かす流れ》や、伝動石に魔力を貯める《秘めた対話》などルイらしい技術屋寄りの魔術だった。
対するガロは魔術を飛ばしたり、推力に変化させたりする『転変魔術』が得意だった。俺自身が身を持って体験した《鼻先に満つ爆の香り》や《全身を包む衝撃》、更に空を飛ぶために必要な初級魔術である《落昇の転換》もこれに当てはまる。
「あら、起こしちゃいました?」
俺に気が付いた彼女はボウルをテーブルに置くと、《小物体を動かす流れ》を使って保冷庫から水を注いで持ってきてくれたので、ふわふわと浮かんでいるカップを受け取った。
「ありがとう、なんか良い匂いが……」
それと不思議な歌が。
「そうなんですよ。先週、人間界で買ってきてくれた粉でパンを焼いているんです」
確かにテーブルの上にはホットケーキの粉と卵が置かれていた。
「ホットケーキか、それにしても作り方がよくわかったな」
「ホットケーキって言うんですね? 袋の裏面に絵が書いてあるので、その通りに作っているんですよ」
「お腹すいたのか、すぐに作ってやるよ」
「あ、良いんです。私が作ろうと思っていましたから」
「……作るって言っても」
「これくらいなら出来ますよ」
確かに三人の中では一番器用なルイなら作れそうだが……あのさ、後ろ。
ルイの背後から立ち上る煙を指さすと彼女は小さな叫び声を上げた後、俺の手から水が入ったカップを魔術で奪うとフライパンへとぶちまけた。
「すみません、時間までは分からなかったです……」
ルイは眉尻を下げ、しょぼくれている。
「まぁ最初から上手くいくはずもないよ、ちょっと教えてやる」
ぶよぶよになった黒い物体を処理した後、フライパンを熱すると焜炉から下ろし、濡れ布巾の上である程度冷ましながら、オタマでホットケーキの素をすくって流し込んだ。
再び焜炉に戻し、しばらくすると表面にプツプツと泡が立ち上がり始める。
「こうやって気泡が浮かんできたら、ひっくり返すタイミングだ」
「気泡が出てくるまでどれくらい時間が掛かります?」
「えーっと……三分だってさ」
ひっくり返すと、キツネ色のホットケーキが現れた。
「今度はちゃんとやって見ますから、貸してください」
ルイは俺からオタマと受け取ると、「ようしっ」なんて言いながら、フライパンの前に立っていた。
「座っていて下さい、出来たら持って行きますから」
と、リビングをオタマで指した。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
ルイはフライパンにホットケーキを流し込むと、「ぜーろ、いーち、にーい、さーん」と数え始め、メガネの奥の真剣な瞳がフライパンに注がれている。まさか、三分間、そんなアナログ的なカウントをするわけじゃないだろうな。
静かな室内に響くルイのカウントを聞きながら新聞を眺めていた。
……そう言えば今日は家の中が静かだな。
「ガロとギィは部屋にいるのか?」
「にじゅうはち……さっき一緒に出かけましたよ。ギィちゃんが就役した飛行船を見たがっていたのでお姉ちゃんが連れて行ったんです。港街の陽流れ地区からよく見える場所があるんですって」
なるほど、だからあんなに練習していたのか。
「大丈夫かな、まだギィは飛べないだぞ」
「あの子達は思っている以上にオトナですよ? それにちゃんと首輪とリードも着けていきましたから」
「それはわかっているけどさ……」
何故かルイが笑っているので、どうしたんだ? と尋ねると、
「心配してくれているんですね」
「……まぁ、そりゃ心配だよ。でもルイは行かなくても良かったのか?」
飛行船のギミックなんてルイが一番好きそうな感じだが。
「いいんです、飛行船に痛みは無いですし、人混みは苦手ですから」
あ、そういう基準だったのね……。
それからしばらく天井を眺めていると、ルイの声が響いた。
「できましたっ! 見て下さいっ」
その声にキッチンへと視線を送ると、綺麗なキツネ色のホットケーキがお皿に乗っていてホクホクと甘い湯気を昇らせていた。
「上手く出来たじゃないか、やっぱりルイが一番料理の才能あるんじゃないか?」
そう頭にポンッと手を置くと、
「エヘヘ、そうでしょうか? 料理も拷問器具を作るのと同じくらい楽しいですねっ!」
そう嬉しそうに微笑んだが、どんな対比だよ……。
ホットケーキに舌鼓を打ちながら新聞に目を通していると、洗い物を終えたルイが俺の隣に腰を掛けた。沈み込むソファに互いの肩が触れ、新聞から顔を上げるとルイが目を潤ませながら俺を見つめていた。
「な、なに?」
「あの、ちょっとお願いがあるんですけど」
そうモジモジと。
……ルイがお願い事なんて珍しいこともあったもんだ。
「いいよ。何かな?」
こういう場合、まずは『お願い』の内容を聞いた後に承諾するのがお決まりだったが、相手はルイだ。突拍子もない事は言わないだろう。
――そう思っていたが、その言葉を受けたルイは三〇センチ程の木の棒を取り出すと、
「これで、ここを、こう……やってもいいですか?」
そう自らの白く滑らかなスネに叩きつける真似をした。
「えっ、何? なに? その棒で俺の脛を叩くってこと?」
「はいっ!」
ルイは嬉々として棒を振り上げると、その熱っぽい眼差しを俺のスネに向けた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って、一回下ろして、それ、一回下ろしてください」
「どうしてですか?」
……どうして、って。
「いいよ、って言ったじゃないですか?」
いや、それは、確かに言ったけど。
「まずは説明してくれないかな? なぜ、俺の、スネを、砕こうとしているの?」
しかも唐突に。
「あ、そうですよね。それを言わなくちゃ、ですよね……」
うん、そうだよっ!
まったく、常識が備わっているルイだと思って油断していたわ。
「今、新しい拷問器具を製作中なので、そのヒントになればと思って……」
「ああ、なるほど」
――ゴスッ!
「はっ?」
肺から押し出された空気が最小の言葉を紡いだ直後、俺はリビングをネズミ花火の如くシュルシュルと回り踊った。スネを抑えながら断続的に流れる激痛が全身を震わせている。
なっ、なにして、なになにしてんだ、このオンナッ!
ま、まじで、ノーモーションから、俺のスネに、マジで、やりやがったっ!
俺は酸欠になった金魚の様に口をパクパクさせながら、人って極度の痛みを感じると肛門括約筋も伸縮するのだなと、どうでも良い事実を認識しながら床の上で痙攣していた。
ルイは魔術で紙と鉛筆を引き寄せると、苦痛に悶える俺の様子を恍惚とした表情で見つめながらメモっている。
「はぁ、やっぱり痛いんですね?」
「あたり前だろっ! すすすスネだぞ、脛ぇっ! あぁ、もう痛いぃっ!」
震える口気を何とか言葉に変換した俺の頬に涙が伝うと、ルイは人差し指をその軌跡に這わした。そして蟻を救うよう優しく痛みの具現を掬うと、桜色の唇へと運んだ。
直後、彼女の口から湿っぽい吐息が零れ落ちる。
「ん……とても良い苦痛の味がします。今まで殴打を使うことは無かったんですが、一定の苦痛を与えられる事がわかって良かったです」
初夏の太陽を思わせる満面の笑み。
痛みがひいてくると俺は大きな溜息を吐きながら再びソファへと腰を下ろした。
「ルイがこの家を支えてくれているのはわかっているけどさ――」
現在のスネイル家の収入はルイが制作した拷問器具の販売によって賄われていた。
かつてのブランド力は失われたとは言え老舗の威名は強く、咎人が口を閉ざす度にスネイル家に纏まった額の入金があった。
「いきなり俺で試すのはやめてくれよな」
「えぇ……」
「えーじゃないっ! 自分だって痛いのはイヤだろう?」
「そうですけど……苦痛を与えるのは好きと言いますか……」
スネ砕き棒を持ったままモジモジとしている。
「ルイゼット」
唇を尖らせて俯いた彼女は「ごめんなさい」と謝った。
「わかればよろしい」
「……なら、私にもして下さい」
「え? 何を?」
「はい、これ」
ルイは俺の手に棒を握らせるとゆっくりとローブを膝上まで捲し上げた。
「ど、ど、どうぞ?」
露となった白い二本の足は微かに震えていた。
「俺に、叩けって?」
コクコクと頷いたルイは頬を染めながら強く目を閉じた。
「は、早く、お願いできますか?」
……そうは言っても。
「あのさ――」
俺がそう発した瞬間、ルイは「ヒュエッ」と変な鳴き声をあげて跳ね上がった。
「いや、まだ何もしてないってば」
「も、もうっ、早くしてくださいよ」
彼女は安堵の溜息を吐きながら胸を撫で下ろした。
「それじゃあ、やるぞ」
「は、はい」
眉尻と口角を下げなながら、ローブを握っている両手に力が込められる。
「……あ、そういえばさ」
「はぅんっ!」
再び彼女の口から湿った吐息が漏れると、俺は意地悪な笑みを浮かべた。
……これは、おもしろい。
それから何回かのフェイントを織り交ぜて、ルイの反応を楽しんだ俺は棒をソファに放り投げた。
「あー楽しかった、もういいや」
そう言うとルイは、
「ああ、そうですかっ、それは良かったですねっ!」
と、不貞腐れながら腰に手を当てた。




