《変なイキモノだったら》三章
二時間ほど経ってストロガ家の二人が帰宅した頃、ようやく長女のガロが帰ってきた。
手洗いとうがいをしたガロがリビングでファッション雑誌を開くと、宿題を終えたギィが寝転んでいる彼女の上に乗っかって一緒に雑誌を読み始めた。
「ねぇ」
「…………んー」
「ちょっと、重いんだけど」
「…………だいじょうぶだよ」
「アタシが重いのっ! まぁ、我慢するけどっ」
なかなか微笑ましいじゃないか。『姉妹は仲良く』だ。
テーブルの上にはそんなギィの宿題プリントが置いてあり、何気なく目を通す。
――が、俺は頭を抱えてしまった。
『問題:肺の苦しみの灰賊ドブネズミがその衣服を着替えている間、隠れている子供は何人ですか? またそれは子供と言えるのでしょうか? 大衆に躊躇しない時間帯に一時的にコマバラの性質を追加すると何が起こるでしょうか? それが霧であり、また最下層の空気ならばどうなりますか?』
はぁ? なんだ、この問題。禅問答か?
何回読んでも意味がわからないんだが。
ちなみに書かれていたギィの答えは『死ぬ』だった。文中に問い掛けがが四つもあるのに答えがワンセンテンスだけでいいのか?
俺はガロを呼ぶと、この問題を出してみた。
「これってわかるか?」
彼女は鼻で笑った後、「死ぬ」と答えた。マジかよ。
「それ典型的なひっかけ問題でしょ? 五歳位の子供なら『死にそう』って応えるヤツ」
いや、ひっかけも何も俺には全ての文章が引っかかっているんだが。
だって最初の段階で何人ですか? って聞かれて――
これ以上読んでいたら本当に頭がおかしくなりそうだったので、プリントを置くと夕食の準備に取り掛かった。深く考えてはいけない。
この世界では全てが間違っていて、全てが正しいのだ。
ちなみに今日の夕食は久しぶりのカレーだ。カレーは簡単で良い。だが、この家ではカレーは単体で食べるものとなってしまっていた。つまりライスは無しってことだ。どうも三人には白米の良さがわからないらしく、ベタベタして気持ち悪いだの、甘いだの、ブーブー文句を垂れるのだった。いやね、お前らは少し前まで草を食っていたんだぞ?
草だぞ、草、く、さっ!
裏庭に生えているなんの変哲もない草だっ!
舌が肥えたからって、贅沢な奴らだよ本当に。そんなワケでカレーだけで食べられるように具材を多く入れる。大豆、じゃがいも、トマト、玉ねぎ、ベーコン、チーズ、栄養もあるだろう。
……ん? 栄養? ちょっと待て。
少し前まで適当にカロリーを作業のごとく摂取していた俺が、栄養?
ハハッ、随分と変わったもんだ。どうやら人というのは他者の為にこそ真剣に取り組むのだという事を実感する。自身の事などどうでもいいのだ。
そういえば白米で思い出したけどお茶漬けが食いたい。
人間界に帰ったらパックの白米とお茶漬けと漬物とインスタントの味噌汁とラーメンを買ってこよう。
そう思いながら夕食と次の日の朝食を作り終えた俺は人間界へと向かった。
「いいか、夜更かしはするんじゃないぞ。それに朝はちゃんと自分で起きることっ!」
「はいっ! わかりましたっ! お利口にしていますっ!」
おい、ガロ、きちんと返事をしたのは褒めたいんだが、あからさま過ぎるだろ。
一夜とは言え、久しぶりの人間界を満喫した俺はボストンバッグに多種多様の荷物を詰め込んで野毛書店へと向かっていた。この世界は自動車の排気ガスで満たされている事を実感しながら。
バッグの中身は恋しくなった食品や、ラヴィに渡す雑貨と調味料、あとは何着かの服とガーメントバッグに入れられたスーツだった。
その道中、駅前の大通りでサキを見かけたので、急いで駆け寄ると声を掛けた。
ナイスタイミング。ギィの参観日に何を着て行ったら良いのかを聞きたかったのだ。
「参観日? そう言えばあったね、そんな行事」
サキはブラックのベロアトップスに同色のショートパンツという魔女らしくないアグレッシブな服装である。
「一応、スーツは持ってきたんだが、もしかしてマスクとか必要?」
「あー、そうねー、人間とはいえ正装の方が良いかも」
流石に量販店のバラエティーコーナーで買った『なりきりっ! 強盗犯』という商品名の目出し帽じゃダメだろうと、不安になっていたのだった。一応、持ってきているけれど。
「なら私のマスクあげようか? ちょっとウチまで来られる?」
「いいのか? 使うんじゃないのか?」
「しばらく使わないし、また新しいのを作ろうと思っていたからね」
思ってもいない申し出に感謝しつつ、サキと共に野毛書店へと向かった。
「今日、ハナさんは居ないのか?」
ハナさんとはあの婦人の名前で、この辺りに暮らす魔術師達のまとめ役だった。
数十年前にこの世界に渡ってきた魔女であり、人間の男性と結婚をしていた。旦那さんは既に亡くなっていたが彼女は帰ること無く、この書店を守っていた。
「おばちゃんは集会に行っているよ、魔術師の集まりね」
話を聞くに、この地域に住んでいる老魔女や老魔導士が情報交換のため月に一回ほど集まるのだという。情報交換と言ってもその内容は孫の自慢話だとか、最近行った旅行の話だとからしい。どこも変わらんな。
魔術師と接するようになって既に三ヶ月。俺もある程度、人間と魔術師の区別がつくようになっていた。この街にもかなりの数が存在しているが、まだ人間界に慣れていない魔術師は簡単に見分けがつく。
特に男の魔術師である魔導士は顕著だった。
基本的に彼らは二つのタイプに分類されていた。
人間界に『適応できていない』か『適用しようとしているか』の二つである。
適応できていない若い魔導士はインドア派で、黒い服装を好み、人間界の最先端利器であるパソコンでネットばかりしていた。常に空を駆けていた彼らにとって徒歩は苦痛でしかないらしい。人間界へ留学できる魔術師と言うのはそれなりに裕福な家に生まれていたから、特に働かなくても問題ないんだと。
日流れ地区や郊外に一軒家を持っているだとか、両親が大魔導や大魔女だとか、そういう家の子息である。羨ましい限りで。
そして適応しようとしている魔導士は、カフェの窓際とかで「俺、どこからどう見ても人間やろ?」的な表情でこれまた最先端利器であるタブレットを片手にブラックコーヒーをチビチビ飲みながら、辺りをキョロキョロしているのだ。
そんな魔導士とは対照的に人間界にいる若い魔女はかなり適応していた。
基本的に社交的で積極的でフットワークが軽い、そして清楚系のファッションを好んでいてサキのような尖ったファッションの魔女はかなり珍しかった。
飲み会などで「えー、シモネタは苦手だけど話すのは好き」なんて甘い声で言ってくるのはかなりの確率で魔女だ。矛盾という万能的な隙を作って、オトコを追い込んでくる。狩人だ。ハンターだ。魔女だ。
そんなことを思いながら本屋の前で待っていると、サキがマスクを持ってやってきた。
「他人にマスクを譲る事はまず無いんだけど慎吾は人間だし、新しいのを作りたいから」
そのマスクは【三つ目に四つ葉】と呼ばれているもので、鼻の辺りから後頭部にかけて歪んだ瞳が一つ、口から左耳に掛けて一つ、そして自分自身の右目が出ているという奇妙なマスクだった。
しかも、可愛らしいポップな四つ葉のクローバーが右側頭部に着いている。
「ありがとう、助かるよ」
サイズ的に問題ないかと被ろうとした瞬間、サキは慌ててマスクを奪った。
「あ、ちょっと待ってっ!」
彼女はマスクに顔を近づけてスンスンと鼻を鳴らした。
「もしかしたら臭いかも?」
彼女はなんとも言えない表情を浮かべた後、急にカバンから香水を取り出したので俺は慌てて止めた。
そんなものマスクの中にぶっ放されたら俺が死ぬわっ!
「大丈夫だろ?」
そうマスクを被る俺をサキは耳まで真っ赤にしながら不安そうに見つめている。
「ん、特に臭くはないな」
その言葉に彼女はホッと胸を撫で下ろした。むしろ良い匂いだ。
それよりもこのマスクは被った時の不快感や圧迫感は無く、視界も良好。更に妙な安心感があった。うん、これはありだな。
「そのマスクとスーツで良いと思うよ」
マスクを脱ぐと、サキにお礼を言って旅行代理店へと向かった。




