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《ムスメと家訓》一章

 まず、ヒトは雑草を主食とする生物ではない。

 例え人間では無くとも肢体の各部位から始まり、遺伝子が我々と合致するモノならば、それは例外なく当てはまる。雑草は野菜とノットイコール、その名が示す通り雑な草だ。そこら中に生えている。

 薄暗い部屋の食卓に山盛りの草を乗せて、ドレッシングもかけず、無表情で、一言も発せずただ偶蹄類のようにモシャモシャと草を食むのは、時として必要だろう。誰しもが牧場で優雅に暮らす乳牛を夢見て発狂したい時はあるのだし、ベジタリアンを三回くらい抉らせた挙句、そんな歪んだイデオロギーに軟着陸する場合もある。

 だがそれが毎日ともなると明らかにおかしい。頭がオカシイ。

 二六歳で一人暮らしのオトコにとってブレックファーストなんて概念は存在していない。カーテンの隙間から伸びる太陽光に焼かれながら目を覚まし、気の抜けた炭酸飲料をひとくち飲んだ後、ハラヘッタと呟いて再び眠りにつくか、賞味期限の切れているパンをモサモサと虚しく食べながら牛乳もあったらなぁ、と思いつつ小腹を満たすだけである。

 朝食を食べないと脳の働きが云々――、なんて言えるのは脳を使う真っ当な人間だけであって、多くの孤独で自由な若者は時間という概念に縛られていない太古の、自然の、自堕落なリズムでカロリーを摂取していた。それは作業だ。

 だが、いくら空腹だとは言っても、料理が面倒だと言っても、そこら辺の道端に自生している雑草を生のまま食べるというのはいささか常識から外れているような気がする。

 そんなワケで『草を食うな』がこの家における最初の家訓となり、俺は焜炉の前でアクビを噛み殺していた。

 『Best Chef』なんて文字が刺繍されている安っぽいグリーンのエプロンを着けると保冷庫の中から昨日わざわざ買って来たベーコンと卵を取り出した。とうとう零れたアクビを沿えながらフライパンを熱し始めると、まだ肌寒い部屋に鈍い熱気が広がっていく。

「……ねむ」

 市販のベーコンは脂が少ないから、油を少量投入した後に中火でゆっくりと焼き上げるとカリカリになるというのは俺の数少ない料理の知恵だった。卵を落とし、半熟になるまでの間にレタス、トマト、きゅうりを取り出して、朝日を反射する石製の器にサラダを盛り付ける。そして空いた油の残るフライパンに食パンを並べた。

 この家、いや、正確に言うとこの世界には炊飯器もトースターも存在していない。だが元来粗略な生活をしていただけあって不便とも感じたことはなかった。

 壁掛けの珍妙なハト時計に目をやると午前六時五十分。今日は早く終わった方だ。

 ソファに腰を下ろし、新聞を手に取ると紙面には様々な記事が浮かび上がった。

『国選曲芸団、シンテイを巡遊』『ヘンリクスに二国制裁措置』『古都の政戦が激化』

 ――特にめぼしいニュースは無かったがボケっと眺めていると、ちょうど午前七時になったところでハト時計上部の窓からは腐って朽ちかけている雛鳥が元気良く顔を出した。

 ……生きているのか死んでいるのか、わからん。

「お前の餌はあとだ」

 新聞をソファに放り投げて二階へ向かおうとすると、玄関に置いてある飼育箱から、

『ハヤク、タベモノ、クダ……クダサイ……』

 そんな声まで聞こえてくる。

 ったく、誰だよ? アイツに変なことを吹き込んだのは。今は無視だ、ムシ。

 階段を昇り終えた正面の部屋には『ガロット』と名前が記された金属製のプレートが下がっていて、そのドアをノック。

「起きろ、朝メシだぞ」

 ノック、ノック、おい、ガロット、朝だぞ、ノック、ノック。

 ああ、返事が無いのはいつもの事だ。

 酷く軋むドアを開けると、ガロットは幸せそうな表情で掛け布団を抱いて寝ていた。

 小さな寝息と甘い匂いが漂う部屋は通信販売のカタログやファッション雑誌だらけで、その周囲にはタグの付いたままのローブが何着も積み上げられていた。壁にはエモい女性モデルのポスターが所狭しと貼られていて、俺を麗しい視線で追っている。

 そして全身鏡との位置関係から、夜遅くまでローブを合わせていたのだろうと推測。

 これもいつもの事。

「また通販で買ったのか?」

 鏡横の女性型マネキンに尋ねると、彼女は胸元を恥ずかしげに正しながら頷いた。

「ったく……おい、朝だぞ」

 肩を揺するとガロットはむぅむぅ言いながら反対側にゴロン、おい、起きろ、朝だ、メシだ、再び揺するとウルサイナァ、とゴロン。

「ガロッ! 朝だってば、起きろよ」

 そこでようやく上半身を起こして目をシパシパ、後頭部にできた寝癖はピコンと跳ね上がり、口を尖らせて俺を睨み付けるが、ダサい豚の寝巻き姿とヨダレの跡がなんとも間抜けだった。

「朝メシ食わないのか?」

 ぶすっとした表情のまま、「食べるわよ」と再び倒れこもうとするガロットの腕を掴んで無理矢理立たせると、背中を押して部屋の外へと追いやった。

「ガロの目玉焼きとパンはいつもの席に置いてあるからな」

「んー」

「あと――」

 彼女の背中、その違和感に俺は手を見つめた。

「――ブラのホック外れているぞ」

 というか、着けたまま寝ているのか……それがこの世界のマジョリティーなのか俺にはわからなかったが、なんだか寝苦しそうではある。

 ガロットは銀髪の頭を掻きながらペタペタと階段を下って行ったが、またリビングのソファで寝る気だろう。

 溜息を吐きながら部屋を出ると今度は右側の『ルイゼット』のプレートが下げられているドアを静かにノックする。

「ふぁい」

 そんなルイゼットの声にドアを開けると最初に正面の大きな本棚が目に入り、そこには数多くの専門的過ぎる書籍がキチンと並べられていた。

『全てを“はい”にする方法』

『心身を削る交渉術』

『苦痛と新世界』

『表情で見る拷問教典』

 更に部屋の中央に置かれたバカでかい作業机には用途不明の工具と、禍々しい鈍色の鉄片が置かれている。トゲトゲの先端に付着しているモノを赤錆だと思うように努めていたが、やや粘度のある光沢に俺は視線を背けた。

「もう朝食の準備は出来ているぞ、ガロの隣に置いてあるから」

 淡い緑色の髪留めを咥えているルイゼットは栗毛色の髪をまとめている最中の様で、その小さめの寝間着からは慎ましいヘソが覗いていた。

「おはようございます。すぐに向かいます」

 手探りで丸メガネを探し当てた彼女は透き通った笑顔を浮かべた。

「あとさ……付いてるぞ」

 その言葉にルイゼットは自らの頬に触れると、手に付着した赤黒い怪粉を見て「あら」と恥ずかしそうに微笑んだ。

 ……血、だよな、あれ。

 続いてギベットの部屋をノックしようとした瞬間、ドアが開いて中指の第二関節は空を切った。その先にはツンと上を向いた鼻と桜色の唇がポツンとこちらを向いている。

「起きていたか。おはよう、ギィ」 

 直立不動のギベットの手にはブタだかクマだかネコだかわからんキッチュなヌイグルミが握られていた。ボロボロで腹からは濡れたワタがはみ出しているし、時々ブサイクな鳴き声をあげる事もあったが彼女のお気に入りらしく、一時たりとも手放す事はなかった。

「…………よ」

「ん?」

「…………はよ」

「ああ、おはよう、ギィの目玉焼きは俺の隣に置いてあるから」

「…………がと」

「あと、ほっぺにヨダレの跡が付いているぞ?」

「…………んん」

 ギィベットは逆の頬をゴシゴシと擦っていて、それを見かねた俺が親指でクニクニと擦ってやると、彼女はうぐうぐと呻きながら顔をしかめた。

「落ちないな、後でちゃんと顔を洗うんだぞ。すぐに下に降りておいで」

 そう言って漆黒の長い髪を携えている頭をポンと撫でてやると切れ長の瞳を心地良さそうに細めてヌイグルミを抱きしめた。

「ブ、ブビィィィィィ」

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