敵の意表をつく
その言葉に、少しざわめきが起こった。
しかし、すぐに灰色の髪のボリスが反論する。
「それは、さすがに考えすぎでは? 魔族が占領する前の帝国軍を想定していたとはいえ、我らが仕掛けた罠は、そもそも軍を相手にすることを想定したものですぞ。無論、単騎で来ようが、殺すなり捕まえるなりはしますが」
「それはわかっています」
発言した年配の男は難しい顔で唸った。
「しかし、世の中には常に例外がありますからな。例えば、我らが共和国に密かに光臨されている主神のジュール様は、そのお姿は生身だと伺っておりますが?」
そこで彼は、この場のまとめ役である魔道士のデルグレイドを見た。
自分達の中で光臨した神を見た可能性がある者がいるとすれば、おそらく彼以外には考えられない。
「期待して見つめてもらって心苦しいが、わしは主神ジュールのお姿を見たことなどないぞ、テトよ。確かに、我らが神が現世に光臨されているという噂は、なぜかここ最近、よく聞くが」
苦笑した後、ふっと考え込むような顔を見せる。
本国では諜報活動の責任者でもあり、さらに王宮魔法使いの立場にもあるだけに、あながち笑い飛ばせる話とも思えなかったのだ。
偶然聞いた噂も、それが二度目になり、三度目になれば、もはや偶然とも呼べなくなる。
その場合は明らかに噂に真実が含まれるか……さもなくば、流言飛語の類いかだ。
しばらく考え、デルグレイドは首を振った。
「実際に具体的な事例を知るわけでもないのに、いくら考えても始まらぬな。我々が今判断すべきことは、あくまでもその獲物への対処であろう。それともテトは、本当にその青年が、この世界の神だとでも思っているのか?」
「いえ……さすがにそれは」
最年長のテトは、ゆっくりと首を振る。
「主神ジュール光臨の噂が事実としても、あくまでも例外であり、特殊例でしょうな」
「ならば、問題の青年はそこまでの男ではないとして、話を進めよう。後は、そやつがどう動くかだ。最良なのは、軍勢を率いて仕掛けた罠まで来てもらうことだが……さすがにそこまでは望めぬか」
「しかしその男、思わぬ大物である可能性がありましょう」
痩身のトールが期待に満ちた目で発言した。
「もし軍属か……さもなくば王宮の関係者だとすれば、鮮やかな腕前からして相当な地位にあると見ましたが。そういう男であれば、捕虜にして情報を得るなり、こちらの捕虜交換に応じさせるなりできるはず」
「普通なら確かにそうだが、問題は現在のヴィルゲリア帝国は、既に我らの怨敵である魔族共が支配しているということだ」
帝国の、三者支配のややこしい実体をまだ知らないデルグレイドは、顔をしかめた。
「本来、我々の相手は『魔族が力尽くで支配中の帝国』ではなく、『暗愚とされる皇帝が治めている、容易く侵攻できる帝国』だったはずだ。しかし、既に魔族が帝国をも占領し、その方針は崩れている。仕掛けていた罠も、本当なら占領される前の帝都を想定していたのだ」
苦い顔で一瞬目を閉じてから、デルグレイドは続けた。
「そもそも魔族などという種族は、残念ながら我らの故郷である大陸には存在しない。しかも、連中は長期にわたって深い峡谷の地下に潜んでいたため、その実力を我らは見誤った。知っていれば、評議会とて、大峡谷を避けるように遠征軍に命じたか、あるいは遠征そのものを取りやめていたであろう。当然、同じ愚を二度と冒すわけにはいかん」
これには、全員が異論なく頷いた。
十万もの兵力を仕立てて侵攻作戦を展開したのに、その半数が瞬く間に瓦解したのだ。もちろん、撤退に成功した者もいるにはいるが、魔族の王が素早く動いて軍船を押さえてしまったため、撤退時にさらに大勢が亡くなり、捕虜にとられた者達の安否も未だ判明しない。故郷の大陸で戦を勝ち残り、ついに大陸全土を支配した共和国としては、有り得ないほどの惨敗だと言えるだろう。
「――となれば」
ボリスが他のメンバーの顔を伺うように提案した。
「こちらからは余計なちょっかいをかけず、仕掛けた罠にかかるのを気長に待つということでどうでしょうか? いささか、迂遠ですが」
「そうだな、それが一番の――」
デルグレイドが答えかけたところで、部屋のドアを慌ただしくノックする音がした。
「今は軍議中だぞっ」
『失礼しましたっ。しかし、急報です! 例の仕掛けた罠に接近する者ありと、今報告がっ』
「なにっ」
デルグレイド達四人は、さっと顔を見合わせた。
まさか……日付も変わらぬうちに来るとはっ。
「我々とて、魔法的手段で報告を聞いて間がないというのにっ」
年長のテトが呻くように言う。
デルグレイドも気持は同じだが、いつまでも呆けている場合ではなかった。
「とにかく、どれほどの人数が来たか、詳細を知ることだ。――入室を許す、入れ!」
部屋の外で待機する兵士に、大声で告げた。




