疲れを取るには甘いもの
「じゃあ、仕事しますかね」
気を取り直してクリスに声をかけるが、返答がなかった。
おかしいと思ってクリスを見る。
彼女は、頬を膨らませてむくれていた。
「どうしたの?」
「何でもありません」
ぷいっと、クリスは横を向く。
「何でもないってことはないでしょう?」
「でしたら、わたしのことはクーって呼んで下さい」
「は?」
『クリスティーネ』の最初の『ク』を取って『クー』。『ルツィア』の『ル』を取れば、『ルー』になる。
ああ、そういうことね。ユーナは合点がいった。
これは、一種のやきもちだ。
クリスのことが可愛く思え、ユーナは自分より背の高いクリスの頭を撫でる。
「さっきの子かどうかは判らないけど、『ルー』っていうのは、あたしが小さい頃の友達の一人だよ」
「仲が良かったんでしょう?」
「そりゃね」
「ですよね……」
しょんぼりするクリス。この場はご機嫌取りをしておいた方が良さそう。
「確かに、ルーとは仲良しだったけど、今はクリスとの方が仲良いじゃない」
途端にクリスの瞳が輝きを増す。
「本当にそう思ってますか?」
「もちろん」
ユーナは優しくクリスに微笑みかける。
「そうですよね。……良かった」
クリスもにこりとした。
機嫌を直してくれたようだ。
「さて、お仕事に取りかかろうか」
「はい!」
クリスが元気よく答える。
しかし、二人の意気込みはすぐに消沈し、徒労感だけが残ることになる。
問題なのは、なんといっても保管されている赤色の数の多さだ。それを1個1個、二人で交代しながら確認していく作業は骨が折れる。
それから『番外の緋』について、判ったことがある。
どうやらこの緋は、持力を大量に消費するらしい。つまり、持力の発現効率が非常に高いということだ。おかげで持力量が少なめのクリスはすぐに疲弊してしまった。
ユーナもクリスほどではないがすぐに疲れがきた。
赤色探しは五分の一も進んでいなかったが、床に座り込んでいるクリスのことを考えると、今日はもう切り上げた方が良かった。
夕方、体力回復と称して喫茶店『三角符』で甘味を所望する。
もう夕食も近いので、ユーナは注文を躊躇ったが、誘惑には勝てず、パラチンケン(クレープのような食べ物)と珈琲を頼んだ。
「わたしもパラチンケンで」とクリス。
「え、それだけ?」
ユーナの口から驚きの声がついて出た。いつものクリスなら、ケーキ一つで済むはずがない。
「もちろん、他にも頼みますよ。そうですね……」
クリスは楽しそうにメニューを眺める。注文を待つウェイターがしびれを切らし始めた頃、ようやく、「決めました」とクリスはメニューから視線をウェイターに移した。
「アプフェルシュトゥルーデルとノッケルをお願いします」
「え、ノッケル?」
ノッケルは、小麦と砂糖と卵を使ったメレンゲ状のお菓子なのだが、とにかくでかくて、その上甘ったるい。3つの山が連峰のように横に並んで盛り付けられたそれは、メーゼンブルクの名物にもなっている。
それでもクリスならば、一人で食べきるだろうとユーナは思った。
ウェイターが大きな皿を運んできて、クリスの前に置いた。ウェイターは取り分け皿も持ってきた。それを見たクリスは、
「食べますか?」
と、ユーナにノッケルを勧める。
「いや、結構。大丈夫」
ユーナが断るとクリスは残念そうな顔をした。
それを見たユーナは、即座に且つ素っ気なく断ってしまったのを申し訳なく思った。
「じゃあ、少しだけもらおうかな」
「それなら、取り分けますね」
クリスが取り皿を手に取る。
ほんの少しだけ、味見程度にもらえれば良かったのだ。それなのに、クリスの手は3つある山の1つをそのまま皿に移そうとしている。
「ちょっと待って! そんなに食べられない!」
ユーナは叫んだが、時既に遅し。
……山の半分くらいをクリスに返そうと言い訳を考え始める。しかし。
「はい、どうぞ」
クリスはこれ以上ないくらいの満面の笑みで取り皿をユーナに差し出した。それを見て、ユーナは食べきるしかないと覚悟した。
山一つ分のノッケルは、思ったよりすんなりと胃に収まった。メレンゲ状なので、体積は大きいが、重量は軽い。
しかし、まだパラチンケンが残っている。クリスに食べてもらおうかとも考えたが、彼女はノッケルの他に、2つ頼んでいる。さらに1つ追加するのは、いくらなんでも無理だろう。
もったいないが、食べられるだけ食べて、残すしかない。
「これは、寮の夕食はパス、かな」
「どうしてですか?」
「え?」
クリスの言葉の意味が判らない。
「え?」
クリスが聞き返す。
「えと。もしかして、夕食も食べるつもりなの?」
「もちろんです」
クリスは自慢げに胸を張った。
ユーナはため息すら出なかった。羨ましいのと呆れるのが入り混じって、なんとも言えない感覚だった。




