ヴァールガッセンの遺産
カンテラをかざすと、鉄の壁が扉のように、こちら側に開いているのを見つけた。
向こう側は真っ暗闇だった。
カンテラで部屋の中を照らす。
そこに見えたのは、立ち並ぶ書棚。
中に入る。
狭い部屋だが、四方の壁が全て書棚になっており、部屋の真ん中にも二台の棚が立っている。
そして、アンナにとって最も大事なことに、全ての棚が書籍で埋め尽くされていた。数百冊はあるだろう。
「凄いね。これがヴァールガッセンの英知、か」
ユーナは大量の本に圧倒されるのと同時に、これだけの数を揃えた旧ヴァールガッセン家の財力に驚いた。
200年前に印刷は発明されていない。つまり、この部屋が封印された当時は筆写するしか本を作成することは出来なかった。だから本は貴重な物で、それゆえに高価な物だった。
下級貴族で領地も3村しかない旧ヴァールガッセン家がどうやって蒐集したのだろうか。
「魔術に関する本が多いようですね」とアンナ。ユーナの目には雑然として見える。
「ちゃんと見て回らないと断言できませんが、本の量では学館の付属図書館に及ばなくても、質では十分、比肩するのではないでしょうか」
ユーナは書籍を一冊手に取ってみる。
開いてみると、ぱりっと音がした。
「脆くなっているかも知れませんから、気をつけてくださいね」
「あ、うん」
書籍はクヴァルティス語で書かれていたのだが、筆写師が悪筆だったのか、断片的にしか読み取ることが出来ない。それでも理解できた言葉の中に『精霊哲学』の単語があった。
ランティエに教わった魔術学だったこともあって興味を引かれ、先を読んでみると、どうやら『精霊哲学』の詳細ではなく、どのような魔術学があるのかを概略しているようだった。
『精霊物理学』はもちろんのこと、『精霊生物学』、『精霊工学』、『精霊数理学』などというものもあり、正直、どういう物か想像も付かない。
頭が痛くなってきたので書籍を元に戻す。
ユーナが書籍に目を通している間、アンナはカンテラの光が届く範囲内を歩き回り、書籍のタイトルを確認していた。
「神代魔術の研究書や、カムネリア魔術、ダールバイ魔術の研究書、それから今となっては失われたダールバイの神事に関するものなどもあります。これらが世に出たら、クヴァルティスの魔術学がひっくり返るかもしれませんね。それは学術的には意味があるかも知れませんが……」
「混乱も生むということね」
ユーナがアンナの言葉を引き継ぐ。
「トマスとクリスはどうするつもり? 公開する気、ある?」
最初に答えたのはトマス。
「わたしはクリスティーネ様に一任しようと思います」
任されたクリスは戸惑いながらも、
「封印すべきだと思います。ここには禁術に関わる本も多いと思います。見つかれば焚書になるものも多いでしょうから」
「確かに、それが賢明ね」とランティエ。
「で、時々読みに来る、と。良いんじゃないかな、秘密基地みたいで」とユーナ。
「男子みたいなこと言ってる」とツッコミをいれたのはニキアだった。
「結局、ポルターガイストのことは判らなかったね」
緑大理石の間に戻ったところで、ユーナは誰に答えを求める訳でも無く呟いた。それに応じたのはランティエだった。
「全部〝カッシート〟が引き起こしたことよ」
「そうなんですか?」
「推測だけどね。〝カッシート〟は自分自身のたましいを水晶に封じたんだと思う。そして、この館のどこかに嵌め込まれているはず」
ランティエの説明に一番驚いたのはアンナだった。
「それはつまり、〝カッシート〟にとっての身体が領館そのものということですね?」
「おそらく、だけどね」
「そう考えると、無理矢理ではありますけど説明が付きます」
「どういうことか、説明を求めてもいいかな?」とユーナ。
アンナは頷いた。
「水晶術で一般的な法式『プセウド・オム』は、身体となる石像や青銅像に水晶を嵌め込んで運用されますが、〝カッシート〟さんの場合は、それが領館なのです。つまり、私たちは彼の体内にずっといたようなものです。理論的にはまだ証明出来ませんが、〝カッシート〟さんの身体の中にある物は、〝カッシート〟さんの思うままに操ることができるのではないでしょうか」
「その考え方に従うと、館の中の家具なんかは、彼の内臓みたいな感じになるわけ?」
「その例えもあながち間違いではありません」とアンナ。
ユーナは少し気分が悪くなる。人間のものとは全くの別物だが、内臓の上で眠ったと考えると気持ちが悪い。
「館の外壁が綺麗なのも、それが理由なのでしょうか?」とクリス。
「そうだと思います」とアンナ。
「水晶術って、何でもありだな」
感心したのか呆れたのか判らない感想をニキアが漏らす。
「それはそうと、〝カッシート〟が言っていた、水晶術用の水晶をあなた達が持っているって、どういうこと?」
ランティエが不審そうに訊いてくる。
「それは……」
4人は互いの顔を見た。代表してアンナが課題『幽体捕獲』の隠れた目的を説明する。
「なるほど、伝説の課題にそんな裏があるとは知らなかったわ」
「秘密にしてくださいね」
「ええ、大丈夫よ。これでも口は固いから」
ランティエは気軽に請け負う。まあ、彼女も色々と危険な領域に首を突っ込んでいるようなので、迂闊な言動はしないだろう。
中庭の騒動が収まっていることを確認して、ユーナ達は夕食を採ることにした。
トマスには執事室に戻ってもらうことにした。今日はかなり無理をさせている。シィルにお願いして介抱してもらうことにした。
翌日、早朝から慌ただしく出立の準備をして、朝食を採る。
それから用意された馬車に乗り込む。ランティエは後ろ側の使用人席を使う。
トマスも中に乗せて、馬車は走り出し、門をくぐったところで一度止まる。領館の鉄扉は、自動的に閉まった。
山を降りると、そこに村人が集まっていた。
「ここまでで結構です」と言ってトマスは馬車を降りる。本当は自宅まで送り届けるつもりだったが、トマスはそれを固辞した。
近寄ってきた村人の肩につかまりながら、トマスは馬車の中のクリスを見上げた。
「本当に今回は、ご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げます」
集まった村人たちも声こそ出さなかったが、申し訳なさそうにしている。昨晩の内に村長が村人を説得してくれたのかも知れなかった。ともかく、クリフト村と和解出来たと考えて良いはずだった。
「一つお願いと言いますか、ご相談があるのですけど」
とクリスが何かを思いついたようだった。
「はい、何なりと」
「トマスさんに3つの村の代官をお願い出来ませんか? もちろん正式には領主と相談してから決めることになりますけど」
トマスはその依頼をすぐには飲み込めずにいた。
代官は領主に任命されて、徴税などを行う立場にある。騎士身分には届かないものの、村に対する影響力は大きく、実質的に支配的な立場を取ることになる。
さらに言えば、外からやってくる代官の場合、立場を利用して私腹を肥やす悪代官になることがあり--これは任命する側に問題がある訳だが--それを考えると村人の中から代官を任命した方が信頼出来る。その代わり違う意味での村との癒着が発生する恐れもあるが、トマスなら信用して良いとクリスは判断した。
と言ったことを理解したトマスは、
「それは願ってもないことですが、よろしいのですか?」
と、少し不安の混じった視線を投げかける。
「トマスさんなら大丈夫でしょう」
クリスの返答はあっさりしていた。
「ありがとうございます。誠心誠意、務めさせていただきます」
トマスが礼を言う。
「では、そろそろ行きますね、またお会いしましょう」
本当にまた会うことになるのは判っていたので、別れの挨拶も簡潔なものだった。
「はい、村人一同、お出でをお待ちしております」
ロランが手綱を打つと、馬車は走り出す。
見送られながら、4人は帝都への帰途についた。
ヴァールガッセンの亡霊 了




