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ティレリエン・メア 〜学館の陽は暮れて〜  作者: 西羅晴彦
学館の陽は暮れて
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火曜、昼

 今日に限って、図書館の前は、広場を覆い尽くすほどの館生で賑わっていた。

 みんな、話し合ったり、しゃがみ込んだり、頭を抱えたり。

 何事かが起こっているらしい。しかし、何かは定かではない。

 図書館に行きたいだけなのに、これでは人混みをかき分けるだけで一仕事だ。

 そこに、背の高い女子が通りかかった。

「ニキア!」

 呼びかけると、彼女はしばらくきょろきょろと見回し、ようやく、目前の友人に気が付いた。

「ユーナ、おはよう。どしたの?」

 微笑む顔が凛々しい。ニキア・ヴェンター。平民出身で、南方の都市ファイラッド出身。

 背丈は男子に引けを取らず、髪はベリーショート、肌は小麦色とくれば、男子なんぞより女子に人気が高いのは言わずもがなだろう。身体能力がずば抜けて高く、入館の際、本人は呪猟士を志望したのに、教官陣たっての願いで呪闘士に転向したほどの逸材である。その代わり、座学は壊滅的。性格はのほほんとしていて、何事にも鷹揚。というより大雑把。発現形式は炎系の〈赤炎(ロート・フランメ)〉。

 ニキアはもともとは酒場の歌姫をしていた。そんな彼女が館生となったいきさつは、なんとも彼女らしいものだった。

 酒場でニキアが歌っていた時に酔っ払い同士の喧嘩が始まった。それをを止めようとして間に割って入った時に逆に殴られ、激昂したニキアは魔力を発現させ、酒場に火事を起こしてしまう。その話が街の噂になり、領主までが知るところとなり、領主の命令で学館に放り込まれたのだ。

 なお、呪闘士とは術士ありながら帯剣を許された存在のこと。武門の従士や騎士が使う武器は一通り扱うことができる。ただし、武器の素材は鉄や鋼ではなく、緋である点が異なる。


「ねえ、ニキア。この人だかりはなんなの? 理由、知ってる?」

「なんか二年次共通の課題が出たらしいよ」

 とニキアは頬を掻いた。

「課題? それだけ?」

「伝説の課題がどうとか、みんな言ってるけど……」

 ニキアの説明は要領を得ない。

「課題か……。ちょっと行ってくる」

 掲示板は図書館の入り口前にある。たどり着くのは大変そうだ。だが、課題が出たというなら、話は別。この人混みをかき分けてでも確認しなければならない。それに、もともと目的地は図書館だから、遠回りにはならない。

 ユーナは二人を残して掲示板へ向かう。

「後からでも良いんじゃない?」とニキアがユーナの背中に声をかける。

「そう言う訳にも行かないのよ」

「ったく、真面目なんだから」

 そんなのじゃないんだけどね、と心の中言い返した。

 悪い成績を取る訳には行かない。誰に言われたわけでもないが、ユーナはそう思っている。

 侯爵家令嬢などと言う看板を背負わされている身としては、悪目立ちするとすぐに噂が立つ。

 それだけではない。

 ユーナはリーズ家の人たちを大事に思っている。怪しい出自の自分を迎え入れ、大切に育ててくれた人たち。

 彼らの思いに報いたいと、ユーナは常々思っている。

 今でも思い出す、学館入学のためのメーゼンブルグへの出立の朝、リーズの親兄弟親族郎党総出で別れを惜しんでくれた。

 その別れ際。

「お嬢様、土地が変わると食べ物も変わると言います。どうかご健康にお気をつけて」と執事。

「気楽にな。……お前のやりたいようにやれ。家のことなんて、全然気にしなくていいぞ」と一番上の兄。

「学問なんて、殿方がやれば良いのよ。無理する事なんて、ないのよ?」と二人の姉。

「辛かったら、いつでも帰ってきていいんだぞ」と養父。

 みんな、微笑みながら、頬には滂沱の涙。

 ユーナは何も言い返せなかった。涙は出なかったが、それでもみんなの気持ちは十分に伝わっていた。

 だが、その一方で、かえって重い期待をかけられた気もしないでもない。家族に悪気など無い。それは判っているはずなのに……。

 イヤだなとか、止めようかな? とか思う度に、涙に濡れたみんなの笑顔を思い出してしまう。そうすると、もう少し頑張ろうと思ってしまう。今日のような時が、まさしくそうだった。

 さて、男女が入り混じる間を縫って、たまには押しのけて進み、辿り着いた先の掲示板には、確かに課題が掲示されていた。



 特別課題 幽体捕獲

 幽体を捕獲し、レポートと共に提出のこと。

 対象者は二年次の全員とする。

 術法は問わない。

『優』合格者には更に望む一単位に『優』を与える。

 尚、提出の無い者は落第とする。


 十八頭領会                



「なにこれ?」

 開口一番に口をついて出たのが、それだった。それほど、内容が常軌を逸している。

 まず、出題者が十八頭領会と言うのは普通ではない。クヴァルティス術界を統率する最高権威組織が直々に出題するなどというのは、聞いたことがない。つまり、それだけこの課題が重要だとも考えられる。

 さらに、他の成績に関係なく即落第というのは、これも、尋常じゃない。つまり、強制参加と言っているのと変わりない。しかし、裏を返せば、何らかのレポートさえ提出すれば、落第だけは免れるようにも読める。

 とりあえず、これらの問題は脇に置いておいても良い。本当は良くないが、もう一つの問題からすれば、些細と言っても構わない。

 もう一つの問題、それは――。

 幽霊を捕まえることの意義、だった。

 幽体、俗に言う幽霊という存在は呪猟(ツァウベルヤークト)の観点で言えば『捕まえるべき』対象ではなく『消し去るべき』対象だからだ。と言うより、捕まえることが出来ない。それが一般的な解釈だ。

 要するに、この課題は、一言でくくれば、あまりにも『奇妙な課題』なのだ。出題者が普通有り得ない組織で、未提出は即落第、課題自体が実現不可能。

 こういう変な課題が出されることがあるとは、ユーナも聞いたことがある。意味不明だったり、遂行不可能なものだったり、色々有るらしいが、これもそういう類いなのだろう。その一方、どれでも一単位が『優』になるのは魅力的だ。これ以上、カルルスリヒター教官に悩まされずに済む。

 しかし、対策をすぐに思いつけない。

 ユーナが腕を組んで悩んでいると、

「『幽体捕獲(ガイストファンゲン)』か。今年もやるのか」

 隣に居合わせた男子館生が、無精髭の生えた顎を撫でながら呟いた。すると、その友人らしい男が頷いて言った。

「また伝説の課題か……。くそっ。おれが今、二年だったら」

「やめとけやめとけ」

「いや、だって、クリスタルムだぜ? 十分、自慢になる」

「おいっ! 馬鹿!」

 髭の館生が、血相を変えて叫ぶ。

 友人の方は、しまったとばかりに口を押さえて周囲を見回す。その表情には焦燥が見て取れた。

 その彼と目が合う。

 ユーナが怪訝な顔で応じると、彼はこほんと空咳をして、誤魔化すように視線を逸らした。

「行こう」

 二人は連れ立って離れていった。


 年次は不明だが、老け具合から上級生だと察しはつく。二年次のユーナが知らない何かを知っているようだったが、見ず知らずの相手に訊くのは気が引けた。それに、訊いて教えてくれるとも思えない。

 この課題には、やはり何か裏がある。ヒントは一つ。先輩の男が口を滑らせた『クリスタルム』いう単語だ。そのスペルからするとラテン語と思われる。クヴァルティス語にも同じような単語があるから、意味は『水晶』と言うことになる。宝石が関係するのだろうか。


「いたいた」とニキアと共にクリスも一緒に来た。混雑が収まったのを見計らって探しに来たのだろう。

「ねえ、クリスタルムって聞いて、思い出す術式って、ある?」

「判りません」と即座にクリス。

「あたしに聞く?」と質問で返すニキア。

「う~む」

 二人に尋ねる方が間違いだったとユーナは悟った。


 用事かあるというニキアと別れた後、街の中にあるレストラン、『ヴェネの店』でクリスと昼食を採る。寮に戻れば用意してもらえるのだが、面倒くさいので外食にしていた。館生に人気のあるこの店は、帝国西方出身の人の良い太目のおばさんが営む小さいレストランで、ハーブをふんだんに使った料理が美味しいことで評判だった。早く出かけないと、すぐに席が埋まってしまうのだが、今日は運良く隣り合う席に座ることが出来た。

 ユーナはスズキのムニエル。

 クリスは鶏の半分料理。鶏を半分に割った片方をじっくりと焼いた料理で、結構な量があるが、彼女は苦もなく平らげてしまう。そのくせ細身を維持しているのだから、羨ましいことこの上ない。

 初めて食事を一緒したとき、大量に注文するクリスに唖然としたユーナが、

「そんなに食べられるの?」

 と訊くと、

「大丈夫です。太らない体質なので」

 と、さらりと打ち明けられ、ユーナは軽く殺意を覚えたものだった。

 そのクリスがフォークとナイフを操る手を止め、ユーナに呼びかける。

「あれ、どうしましょうか」

「あれと言うと?」

「あれです、幽霊を捕まえる……」

「ああ、あれ」

「やるんですよね?」

「もちろん。と言いたいところなんだけど……」

「何か、心配事でも?」

「クリスは、あの掲示を見て何とも思わなかったの? 明らかに変でしょ」

「確かに、二年次全員が対象とか、出題者が十八頭領会だったりとか、おかしいとは思いましたけど……大丈夫ですよ」

「そう言い切れる根拠は?」

「だって、ユーナさんと一緒ですから」

「つまり、一緒に課題に取り組みたいと言うのね?」

「はい」クリスは屈託のない笑顔で応じる。

 ユーナは無言で切り分けた魚をフォークに刺し、口に運んだ。

 昨晩も結局遅くまで彼女のレポートの手伝いをしていた訳だが。時々、この子に集られているのではないかと疑ってしまう。正直なところクリスの本心は判らない。しかし、友人として頼られるのも悪い気分ではない。

 ユーナは軽くはため息をして答える。

「いいよ。今回はだいぶ分が悪いら、確かに協力した方が良いかも。でも、あまり期待はしないで」

「ありがとうございます。今度、何かお礼しますね」

「そういうのは気にしなくていいよ」

「そうはいきません。恩義には必ず報いるのが第二の家訓ですから」

 妙なところで律儀な子だ。

「ちなみに、第一の家訓は?」

「『時は金なり』」

「なるほど」

 さすが商人の家だ。

 ユーナが料理を食べ終わると、ちょうど見計らったようにクリスも平らげていた。

「さて、あたしはこれから呪杖の実技だけど、クリスはどうする?」

 ユーナは椅子から立ち上がる。クリスは空きコマのはずだ。

「実技が終わったら図書館に行くんですよね?」

「そうだけど」

「でしたら、修練場でお待ちします。あまり時間はかからないでしょう?」

「うーん、多分」

 ユーナは曖昧に答えた。

 クリスには一人で調べるという選択肢は無いらしい。



 二人で山の麓を目指す。しかし山と言うには高くない。丘と言うには低くない。そんな山だ。東西に長く延びたこの山は旧市街の南側を天然の城壁のように囲んでいる。『修道女の山』と言う名前は、大昔、この山に女子修道院が有ったことに因む。

 この山の麓に修練場となっている広場があった。元は馬場だったのを改修して利用している。

 ユーナが修練場に到着すると、そこには既に教官と十数人の履修生が集まっていた。

「今日は、『呪杖法メトードゥス・ルディス』による『点結界』をやります」と女性教官が告げた。

 正式には『緋術呪杖法点結界』という。点結界は緋針法でも実現できるため、正確な呼称が定められている。


 また、この結界は『物理結界』の一種でもある。これと逆のものを『論理結界』という。その違いは、結界を構築する際に物理的な支点を用いるかどうかの差異である。

 結界を張るには一つ以上の支点が必要となる。五角形、六角形などの角のことを支点という。その角となる箇所に呪杖や緋針を設置して図形を描き、持力を通す。すると結界としての機能が完成する、と言うのが『物理結界』の基本的な考え方となる。これに対して『論理結界』は、支点を純化した魔力で構築する。

 点結界とは、その名の通り支点が一つしかない。その特徴から、複数の支点を用いる結界よりも結界境界が曖昧になりやすい。その意味で使用者の魔力操作能力が試される法式の一つである。また、呪猟士の間では点結界は一般的に外向式で用いられることが多い。その最たる利用法が緊急回避である。結界内に自分を置き、外向式で発現すれば、外からの干渉を防ぐことが出来る。魔物に襲われてどうしようもなくなった時に使えるため、呪猟士にとっては必須の技術だ。


 ユーナは、女性教官に指示されるままに呪杖の片端を地面に付け、もう片方の先を右手で握る。

「はい、魔力を通して~」

 言われた通りに魔力を通すと、杖が自分の身体の一部のように感じられた。

「はい、魔力で円を描いて~」

「フィアト・シグヌム・キルクム・インテンデンス」

 簡単な呪文を詠唱する。『結界術』では、呪文は必ずしも必要ではないが、ユーナは集中力を高めるため唱えるようにしていた。

 地面に淡く光る円が現れる。この円は術士によって大きさが異なる。術士個人が持つ魔力量に比例して大きくなる為だ。ユーナの描く円は、他の誰よりも大きく、あえて力を抑えなければ他の館生の円にぶつかってしまうほどだった。境界が重なると共鳴して最悪、結界が消滅してしまう。

 やがて円が空中に伸び上がり、半球形の結界の境界を構成する。これで完成。ユーナが手を挙げると、教官がやってきて、拾った小石を投げる。小石は光の結界面にぶつかって、地面に落ちた。

「ユーナ・オーシェ、合格~」

 ユーナにとって、これくらいは楽勝である。

 実技は合格できればそれで一コマ終了となる。停止呪文を唱えて結界を消し、出席簿にサインして修練場を出て、待っていたクリスと合流する。その足で『結界術論』のレポートを提出するために教官の家を訪ねる。教官は不在にしていたのでポストに紙の束を放り込んで完了。

「さて、まずは調査から始めないとね」

 ユーナが言っているのはもちろん、幽霊を捕まえる課題のことだ。

 対策は茫漠としたものだが、思いついたものがある。

 一般的に、幽霊を捕まえることが出来る魔術は存在しない。しかし、それはユーナが知らないと言うだけで、もしかすると存在しているのかも知れない。

 では、次の年次以降で習う魔術なのか? というと、それはないはず。

 もしそうなら、その年次用の課題となるべきだ。学んでもいない魔術について出題するのは、いくら何でも筋が通らない。

 そのため、ユーナはその術法が、現在の学館には講座や実技が無いと考えた。もしあるのなら、それを履修している館生は簡単に合格できるのに対して、履修していない館生は対策に困ることになり、最悪の場合、落第となる。これは不公平に過ぎる。つまり昔は使われていたが、今では廃れてしまい、扱われない術法の中に正解がある。

 ユーナは、そう当たりをつけた。

 そして、忘れられた術式の資料なんてものは、あるとすれば図書館にしかない。

 なぜ、忘れられた術式についての課題が出されるのか疑問は残るが、ユーナは気にしないことにした。もともと妙な課題なのだから、それくらいのことは十分あり得ることだ。必要なのは課題に合格すること。何より落第して自分への期待を裏切りたくはない。


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