ユーナ達、司祭の話を聞く。その1
クリフト村の町並みを、クリスは馬車に揺られながら何の気なしに眺めていた。
何というか、物凄く頭を使った一日だった。おそらく一週間分くらい。
村人との会話が堅苦しい上に、クリフト村では化かし合いとまでは言わないが、腹に一物あるような人物たちを相手に渡り合う羽目になった。
クリスは、そういうやり取りは得意ではない。それが疲れに繋がっていた。
(早く館に戻って、ユーナさんと一緒に夕食が食べたいな)
と考えて、コンラッドとの面談があったことを思い出す。まだ仕事が残っていると気づいて少し憂鬱になる。
村の中央広場を横切っている時、数人の男が聖堂の前に居るのを見つけた。
それだけなら、仕事を終えた男たちが夕飯までの間に集まって話をしているようにも思えたが、クリスの目にはただの集まりとは映らなかった。
一人の男を取り囲んで、口論しているようだ。
馬車の中にいても何かを叫んでいるのが判る。
切れ切れに聞こえてくる中に『司祭』とか、『どこに行く気だ』などという言葉が含まれている。
囲まれている男をよく見れば、それは司祭のコンラッドだった。
——彼は、夕刻に館を訪れる予定になっている。
クリスは即座に馬車を止めさせて外に出る。
「ランティエさん!」
呼びかけたときにはランティエの準備は整っていた。
男たちの方へ駆け寄る。
「何してるの!」とランティエが声をかけると、男たちが一斉に振り向いた。
コンラッドを取り囲む男は全部で5人いた。
「なんだ、あんたら?」
きつい西方訛りでその中の一人が訊いてくる。
「よそ者には関係ないこった」
「おい、待て。この娘……」
訝しむ声を上げた男はクリスを不躾にじっと見つめた。そしてすぐにクリスが何者なのか思い出したようだった。
「領主代行様、どのようなご用事で?」
男は少し媚のある声になる。
「え? この小娘が?」と驚いた別の男は肘で小突かれた。
「司祭様を迎えに来たのです」
クリスは男たちを責めるこよなくコンラッドをこの場から助け出そうと考えた。
「司祭様を、ですか?」
「そうです。今日は晩餐をご一緒する予定なのです」
「しかし……」
なおも食い下がろうとする男に、ランティエが睨みを効かせる。
「では参りましょうか、司祭様」
「あ、はい」
もともと領館に向かおうとしたところで男たちに絡まれたのだろう、コンラッドの支度はすでに出来ていた。
コンラッドを馬車に乗り込ませて、自分も乗ると、クリスはロランに命じて馬車を出した。
窓の向こうで、絡んでいた男たちが走って行くのが見えた。
「おかえり」
ユーナとアンナ馬車を出迎えた。
「あのね、クリス……」
ユーナはトマスと石像の関係を早く伝えようと思い、声をかけようとした。
しかし、クリスより先に馬車から降りてきた人物がいる。
簡易な聖職者服に身を包んだ青年だった。
彼に見覚えがないが、村の聖堂に属する聖職者であろうとは察しが付く。問題は、そんな人物がどうしてクリスと一緒にやって来たか、だった。
「この方は?」
ユーナが馬車から降りてきたクリスに聞く。
「クリフト村の聖堂の司祭、コンラッド様です」
「司祭?」
どういう経緯で連れてきたのか、ユーナは視線だけでクリスに確認する。すると、そのやり取りに気付いたコンラッドが、
「領主代行様にどうしてもお話したいことがあるのです」
と、焦りを感じさせる表情で言った。
「村ではお話をするのが難しいようでしたので、領館に来ていただくことにしました」
「村人が居ると話せない内容ってこと?」
ユーナの問いにコンラッドが小さく頷いた。
「それでは司祭様。まずはお食事でよろしいですか? と言っても、大しておもてなしはできませんけれど」
「出来ましたら、食事の前に話をさせていただきたく」
真剣な表情でクリスを見つめるコンラッド。
クリスは応じることにした。
ユーナもコンラッドの普通ではない様子を見て、トマスのことは後回しにすることにした。
「2階に参りましょう」
クリスにしたがって歩き出した時、ユーナは何かを忘れているような気がしてすぐに立ち止まった。
「ねえ、何か忘れている気がしない?」
アンナに訊いてみると即座に答えが返る。
「ニキアさんをほったらかしです」
「あっ!」
クリスが振り返る。
「ユーナさん、どうしたんですか?」
「えっと。ニキアを連れてくる!」
「だったら、私が」
ランティエが代わりを買って出る。
「そのまま監視を変わります」
そう言ってランティエは1階の執事室の方へ走っていった。
コンラッドを食堂に通し、椅子に座らせると、クリスは当主の椅子に、ユーナとアンナはコンラッドの両隣に腰掛けた。
時を置かずにニキアが姿を見せ、アンナの隣に座る。ニキアは少々むくれていたが、それを解消するのは後回し。
シィルがトレイを持って姿を見せ、黒い液体が注がれたカップをそれぞれの前に置いていく。
そしてシィルが礼をして部屋を出た直後、クリスが口を開いた。
「それでは司祭様。お話を聞かせていただきましょう」
「どこから話せば良いのやら……」
ようやく打ち明けられる状況になってほっとしているのか、コンラッドは頭の整理が追いつかないようだった。それでも、少しずつ語り始める。
コンラッドがクリフト村に赴任したのは3年前のことだった。
神学校卒業と同時に割り当てられたのが小さな村だったことに少し不満を覚えはした。運が良ければ中央聖堂か、ダールバイ大聖堂の末席に連なることを期待していた。とは言え、神学校では並の成績で可も無く不可も無く過ごしたコンラッドにとっては、まあ、悪い話ではなかった。
クリフト村に到着してみて、コンラッドは驚きを隠せなかった。
彼は帝都生まれの帝都育ちだったので、そもそも田舎に来ることが初めてだった。こんな所で、最短でも5年間過ごさなければならないことに不安を感じた。
前任の司祭は人の良い高齢の男性で、スムーズに引き継ぎを行った。
司祭用の私室はすでに片づいており、コンラッドは私物を整理するのに手間がかからなかった。
最初に違和感を覚えたのは、この時だった。
この部屋からは、村人が言う『ヴァールガッセン山』を見ることが出来、その中腹には白っぽい舘が見えた。その建物の壁が綺麗に維持されているのを見て、コンラッドは、
「あの館には、どなたかがお住まいなのでしょうか?」
と、前任司祭に訊いてみた。
「あの舘は、ヴァールガッセン家の持ち物です」
前任司祭はそう答えた。
この村が皇帝直轄領であることくらい、コンラッドも知っている。そして、ヴァールガッセン家が200年前に断絶した貴族の家柄であることも。
ゆえに、白い建物は皇帝の持ち物のはずで、すでに亡いヴァールガッセン家のものではない。
前任司祭の言い方だと、今でもヴァールガッセン家の物のように聞こえた。
ともかく、館には現在、住む者はいないということだ。その館が綺麗に管理維持されていると言うことは、きっと村人が定期的に清掃しているということなのだろうと、コンラッドは察した。
引き継ぎの中で村長に引き合わされた。引き継ぎの中で村長にも引き合わされた。
「我がクリフト村にようこそおいでくださいました、司祭様」
「わたしはコンラッドと申します。神学校を卒業したばかりの若輩者ですが、精一杯お勤めを果たしていきたいと想います」
そう応じつつ、村長の挨拶に引っかかる。それは、『我がクリフト村』という言い回しだった。普通、『我々』とか、『我ら』と言った表現を使うものではないか。
村長の言い方だと、まるで貴族が自分の領地を紹介しているようにも聞こえる。
しかし、帝都を出たのが初めてであり、地方の事情など知らないコンラッドは、そういうものなのだろうと納得るすることにした。
そうして引き継ぎが終わると、前任司祭は村を去った。生まれ故郷で余生を過ごすつもりとのことだった。
別れ際に彼にかけられた言葉は、「村のことに深入りしてはいけない」だった。
コンラッドはその意味が判らなかった。司祭として村の行事に参加し、相談を受け、助言をすることは自分の責務と考えていたからだ。
村人は信仰心篤く、毎日曜日の礼拝には多くの人が参集してくれた。前任司祭の人徳のお陰かもしれなかった。自分の代でこの村の信仰心が薄まることがあってはならないと、コンラッドは奮起した。




