教皇とのお茶会3 〜 アンナの聖女教育参観
「そうお思いになる根拠はどこに?」
「そなたは知らぬやも知れんが、カリン・カイラスを守る者の存在が根拠となる。使徒とは 一対の存在であることが多いのだ。
使命を帯びて顕現する者、
そして、その者を守護する者。
この2人が同時に現れる。そして2人ともが『聖人』以上の格を持つのだよ」
「なるほど」
カリンの対の存在と言われれば、思い付くのはあの少女だが、あれが守護者と言われても、あの所業を目にした後では、肯定しがたいものがある。
だが、まあ、教皇がそう言うからには、彼女がそうなのだろう。と思いつつも一応、確認せずにはいられない。
「……その対とは、リディア・ガルラントをのこと言っておられますか?」
「それは、おいおいと判ることであろうよ」
教皇はそう言ってはぐらかした。
「前回の会合では、カリンは『四聖徒』の1人に、という意見もあったと思いますが、それでもカリンは『至聖人』なのですか?」
「我々はそう理解している。カリンを『四聖徒』にしたい者どもは、いわば『目の見えぬ者が見えていると称している』ようなものだ」
いきなり、抽象的なことを言われた気がするが、思いだしてみれば、『神命記』の一節にそんな言葉があったはず。
確か、こんな聖句だった。
心の目で見えぬ者が、見えていると称しても、
心の目で見える者には見えておらぬと判る。
しかし、心の目で見えぬ者は、それを見ることは無い。
ユーナは思い出した句に自信が持てないが、その不安を表に出す必要も無いので、表面上は平然を装う。
それにしても、教皇も聖職者だけに、説教臭い言い方をするものだ。
ここは敬意を払い、彼の流儀に従うべきだろう。
「なるほど。『欲に目の眩む者は真実を見ない』、と言うことでしょうか」
ユーナも『神命記』の別の章から引用してみる。
「良く諳んじておられる」
と、教皇は満足そうに頷いてくれるが、ユーナが諳んじたのはカムネリア教の『神命記』の一節。たまたまダールバイ教にも同じ文があったのはラッキーだった。
「では最後にもう一つ、お聞かせください」
「良いとも」
おそらくは養父ザツィオンとそれほど変わりない年齢(つまりは、おっさん)だろうに、教皇は含みの感じられない笑みでそう応じた。
「何故それを、わたくしにお話になるのですか?」
「そなたの疑問はもっともなことだが……期待しているから、という答えでは、いけないかな?」
「……期待、ですか。猊下のそれに添えるかは正直なところ判りません。わたくしはわたくしに課せられた使命を果たすだけですから」
「それで構わない。そなたの思うとおりに。そうすれば、自ずと我が期待にも応えてくれることになるだろうよ」
「わかりました……では、そのように」
「うむ」
どうやら、教皇猊下とは利害の一致を見たと思って良さそうだと、ユーナは理解する。
お茶会に参加した目的は十分に果たせた、と思って大丈夫だろう。その証拠に、別れ際に教皇はこう言った。
「今日は有意義な会話が出来て僥倖であった」
一方、その頃のカリンとアンナは。
風の聖人カタリノフォラから、神話とも歴史ともつかない話を聞かされていた。
ちなみにだが、
古すぎて、事実かどうか、今となっては検証のしようもない出来事とその登場人物を神話。
検証する資料などが残されており、事実と判る出来事とその登場人物を歴史。
と呼ぶことには読者も異論ないであろう。
もちろん、時代が新しくても、資料が少なく事実かどうかの判断ができない場合もあるのだが、それならばそれで、『詳細は更なる研究の余地あり』と後世の学者に託すのが正しいやり方と言える。しかし、えてして学者という輩は、自らの思想に則って事実を決めたがるもので、自分の主義主張に合うように事実を解釈してしまうことがある。
その意味でカタリノフォラは、その思考が学者のそれに酷似していた。少なくとも、アンナの目にはそう見えた。




