クリス、村長の家で昼ごはんを食べる
「それで、今後の税についてでございますが……」
畑から帰る途中で立ち止まり、村長が切り出す。
彼としては、領主が変わることで税率が高くなりはしないか、という不安があった。新領主が有名なクライル商会なので(商人=がめつい、という固定観念があるらしい)、税を上げられる可能性を危惧したようだった。
「父から言付かった内容は、『これまで通り』です。あとで書状もお渡ししますね」
クリスが優しい声音で伝えると、村長はほっと息をついた。
クライル商会としては、クリフトから上がる税など、本当に雀の涙ほどでしかない。だから、多少増えようが減ろうが、基本的に無関心である。そこまで村長に教えてあげる必要もない訳だが。
昼食の前に村の中央にある聖堂に立ち寄る。
軋みをあげる木扉を開けて中に入ると、涼しく静かな空間が広がっていた。祭壇の前に白い服を着た司祭が祈りを捧げていた。司祭は誰かが入ってきたことに気付き、祈りを止めて振り向いた。
「司祭様、領主代行のクリスティーネ様をお連れしましたぞ」
村長が慇懃無礼な態度で司祭に声をかける。
「ご苦労様です」
そう答える声はまだ若さを感じさせる。クリスに近づいてきた司祭は、実際、まだ青年と言える年頃の男だった。おそらく神学校を卒業してまだ日が浅いのだろう。
「わたくしはこの聖堂を与るコンラッドという者です」
「領主代行のクリスティーネです」
簡単な自己紹介を終えると、とりとめの無い話が続く。その中には司祭がいつこの聖堂に着任したのか、聖堂にまつわる聖人の話、経典の話がなどがあったが、クリスの興味を惹くものではなかった。
「それから……」
それまで流暢に話していた司祭が突然口ごもる。そして村長たちにちらりと視線を向けた。
クリスが村長たちに視線を向けると、彼らは司祭の動きを監視するかのようにじっと見つめている。
ごほん、と咳払いをした司祭は、おそるおそる、小声でこう言った。
「クリスティーネ様、何のおもてなしもできませんが、わたしの私室でお話させていただけないでしょうか」
「領主代行様は、これからザルリンクに向かわれる予定だ」
間髪入れずに壮年の男が言い放つ。クリスを行かせまいとしているのが見てとれる。
「ではせめて、この場で人払いをお願いできますか」
クリスは黙ったまま司祭を観察する。
おどおどした様子で、しきりに村長たちを気にしている。彼らに聞かれたくない何かを伝えたいのだとクリスは理解した。
実際、司祭は切羽詰まった表情をしていた。
「クリスティーネ様、そろそろご昼食になさいませんと、ザルリンクの視察に間に合わなくなるのでは?」
村長が急かす。確かに、彼の言う通りあまり時間は無い。
一方で司祭は固唾を呑んでクリスの反応を見守っている。話を聞かないで済ます訳にはいかなそうだ。
「今は時間もありませんので、後で聞くことにします。今日の夕方、領館までご足労願えますか?」
司祭の顔がぱっと明るくなる。
「ええ、それはもちろん。伺わせていただきます」
今度は村長達の顔色が悪くなった。
「それでは参りましょう」
司祭に見送られながら、クリスと村人の一行は聖堂を後に、村長の家に向かう。
壮年の男の1人が何かを言いたげにしているのに気付き、クリスは話すよう彼を促す。すると、表情を固くした男は声を潜めた。
「司祭に気を許してはなりません、クリスティーネ様。あの男は立場を悪用して村人に悪さをすような奴です」
いわゆる陰口だった。
クリスの第一印象では、コンラッドという司祭は真面目そうに見えた。クリスは商人の娘なので、様々な人間と出会った経験があり、人を見る目は鍛えられている。
その感覚から言っても悪いことをする人物には見えなかった。
「悪さとは、どのようなものですか?」
具体的な事実を求めると、「それは……」と言ったきりその男は口ごもった。
待ってみても返事はない。
「それでは、夕方に会ったときに、司祭の言い分も聞いてみます」
とクリスは返した。
こういう場合、一方の意見しか聞かないと、言動を誤ることがあり得る。だから両方の意見を聞いた上で平等に正しく判断する必要がある。クリスはそう父親から教えられていた。
村長が陰口を叩いた男を咎めるように顔をしかめた。
広場を横断しているとき、そこに建てられた銅製の胸像が目にとまる。
「この像は、どなたなのですか?」
興味本位で訊いてみる。
「この像は、ヴァールガッセン家最後の当主、〝カッシート・ヴァールガッセン〟様です」
そう言って村長は胸を張る。
まずいものを見てしまった。
最後の当主カッシートは、濡れ衣とはいえ罪人である。それを偉人のように銅像として建立しているのは、村の評判だけでなく、そこを管理する貴族にも害が及ぶ可能性が高い。
かと言って、村人が好んで建てた像を無くすよう強制するは、クリスとしては気が引ける。この件は、父親に報告することにしようとクリスは考えた。
貴族と平民が同じテーブルで食事をするのはいろいろと問題がある。このためお付き役のランティエと村長達は別の部屋で食事を採ることになった。
「大したものはご用意できませんが」
給仕役の村長の娘が言うとおり、昼食は質素なものだった。ブロートとズッペとザラートとケーゼだけ。
正直なところ、シィルが持たせてくれたサンドウィッチの方が豪華だ(量的にも)。
それでも村長は小麦のブロートを提供してくれた。普段の村人の食生活ではライ麦のブロートが一般的とのことだから、かなり奮発してくれたようだ。ライ麦のブロートは固くて重くて黒い。それから少し酸味がある。クリスはその存在を知っていただけで、口にしたことはない。食べられないのは少し残念だった。
ブロートをちぎって口に運びながら、物思いにふけってみる。用事がひと段落して思い付くのは、ユーナのことだ。
(今頃ユーナさんは何をしてるのかな)
ユーナがやっていることなど、領館の調査以外にないのだが、それでもユーナのことを考えてしまうクリスだった。
ニキアはトマスの監視をしているので、ユーナはアンナと一緒にいるはずだ。
ずっと二人きりにさせておくのはクリスとしては気が気ではない。焦りのようなものを感じてしまう。
ユーナとアンナは幼馴染みだから仲が良いのは仕方ないとしても、これ以上ユーナとの距離に差を付けられるのはいやだった。
とはいえ、領主代行の仕事を投げ捨てる訳にはいかない。これも大事な用事だ。領地の掌握はクライル家が貴族の一員としてやっていくためには絶対に必要なこと。それを一任されたのだから、失敗は許されない。
クリフト村の住人が、挙動不審であることは、当然ながらクリスも気付いている。
村人達は何かを隠しているのではないか。そう思わせるだけの言動はこれまでも多々あった。
聖堂司祭も村人から敬遠されているようだったし、何かをクリスに伝えようと必死だった。
それゆえに、司祭が何かを知っている可能性がある。
夕方に会う約束を司祭と交わしたのは、そういう理由があった。
まだ食べ足りないと思いつつ食事を終えて、最後に出されたのはお茶らしい謎な飲み物だった。茶色っぽい液体なので、紅茶ではない。香りは悪くない。口を付けてみると、少し苦かった。
クリスが食べ終わったのを見計らって村長と壮年の男、それにランティエが部屋に入ってくる。
「ところで、クリスティーネ様は、普段はどのように過ごしておられるのですか?」
立ったままの村長が問いかける。
「今は学館に通っています」
「ほう、学館ですか。つまり、将来は術士になるおつもりなのですかな?」
「そのつもりです」
「発現形式は何でしょうか」
「風です」
「どの術を専攻なさっておいでで?」
答えたとしても、魔術体系を村長が理解できるとは思えない。それでもクリスは素直に答えた。
「持力術と緋術緋針法です」
「つまり呪猟士を目指しておられると」
「そうですね」
クリスは関心しながら頷いた。村長の魔術に関する専門用語の知識に驚いたのだ。館生にとっては当たり前の知識でも、都市から離れた村に住む平民としてみれば博識の部類に入る。
そんな知識をどこから得たのか。
「呪猟士を招いたことがあるのですか?」
以前この村を訪れた呪猟士に教わったと考えるのが妥当だろう。
人間の生活圏内に魔物が出没するような場合、呪猟士を呼んで狩ってもらうのは、クヴァルティスではそう珍しいことではない。
しかし、村長の返答は予想外のものだった。
「わたしが知る限り、この村が術士様のお世話になったことはありませんな。いたって平和な村ですので」
「……そうですか。では、この村出身の術士がいるのですか?」
「いえ、おりません」と村長が否定したすぐ後に、村長の娘がクリスのティ・カップにお茶を注ぎながら、自慢げに言う。
「この村には必要ないのですわ」
「それはどうしてですか?」
クリスが問うと、村長の娘は口を押さえて、気まずそうに村長を見た。
「この村は平和なので術士になろうという者がいない、とそう言いたかったのでしょう。実際、持力保持者もほとんど現れませんし」
「そうですか」
ごまかされたとクリスは理解した。揚げ足取りかもしれないが『持力保持者がほとんど現れない』というからには、『少しは現れる』という意味である。確か、皇帝直轄領では、1年に1度、持力の有無を確認する検査が行われていると聞いている。学館でそういう館生に出会ったこともある。
ゆえに、持力保持者が多少なりとも居るのに、この村出身の術士が居ないのはおかしなことなのだ。
検査でわざと持力が無いふりをするのでなければ。
この村には、検査を免れた持力保持者が居る。これはどうやら間違いが無さそうだ。




