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ティレリエン・メア 〜学館の陽は暮れて〜  作者: 西羅晴彦
ヴァールガッセンの亡霊
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クリス、クリフト村を視察する

「本日はどのようなご予定でいらっしゃるのですか?」

 村長の問いにランティエが答える。

「まず、クリフトの町と畑の状況を見せてもらいます。それからザルリンクに向かいます」

「昼食はいかように?」

「持参した物がありますから、時間を見て採ることにします」

「そういう訳には参りません。質素なものしかありませんが、どうかわたしの家でご用意させてください」と村長。

 ランティエがちらりとクリスに視線を送り、小さく首を振る。誘いに乗るなという意味だと理解した。確かに貴族が平民の家で平民と同じ食事を採るのは望ましいこととは言えない。


 しかし、クリスは受け入れることにした。大商家の娘であるクリスは、良くも悪くも普通の平民の食事の経験がない。だから、領民の食生活を知ることも大事なことだと考えたのだ。

「では、せっかくなので、そうさせて頂きましょう」

 ランティエは不満そうだったが、口を挟むことはなかった。

 シィルが用意してくれたサンドウィッチが無駄になるのは、少し心が痛んだ。

「では行きましょうか」とクリスが促す。

「歩きで、ですか? 馬車ではなく?」

「ええ、そのつもりです。そうでないと、村の様子が良く判らないでしょうから」


「では、こちらへ」

 促す村長に付いて行こうとした時、

「トマスはどうしたんですか?」

 青年の1人が突然、質問を発した。

「おい」と壮年の1人が押し止める。

 その青年は聞く耳を持たなかった。

「領主代行様は知ってるはずだ。トマスをどこにやったんですか?」

 その問いに答えるのは簡単だ。だが、クリスはすぐにはそうしなかった。

『トマスをどこにやった』と言うからには、『トマスは領館に行った』ことを知っていることになる。

 つまり、青年はトマスが口を閉ざして話さない『領館を訪れた理由』を知っている公算が高い。

 そこまで状況を読んだ上で、クリスはどのように答えるか迷った。青年は明らかに憤慨している様子だったので、答えの返しようによっては怒りを爆発させる可能性もある。

 それは避けたいところだった。


 悩んでいる間に、ランティエが先に返答をする。

「トマスは領館で預かっています。怪我をしていますが、命に別状はありません」

 その言い方だと、誤解を招くのではないかとクリスは焦った。

 クリス達がトマスを見つけて怪我を負わせ、監禁しているように解釈されるのではないかと危惧したのだ。

 案の定、青年は激昂した。彼だけでなく、周囲の若者たちも一斉に大声を上げる。

「トマスを返せ!」

「怪我をさせたのか!」

「よそ者が!」

 そんな声が聞こえてくる。

 それを村長と壮年の男たちが宥めようとするが、収まる気配は全くない。それに、抑える側の人たちも一生懸命ではない素振りが見える。

(やっぱり、威厳が足りないんでしょうね……)

 貴族として対応するならば、ランティエに指示を出して力ずくでこの場を押さえつけるべきなのかも知れない。


 しかし、クリスは自分のやり方を変えるつもりはない。とは言うものの、有効な手段も思いつけない。となると正攻法しかなかった。

「皆さん、わたしの話を聞いてください」

 クリスの声は村人に届かなかった。

 すうっと息を胸いっぱいに吸い込む。

「聞いてください!」

 クリスが発したとは思えない大声に、今度は村人達も動きを止め、一様にクリスへ視線を向けた。

 一時的とはいえ、騒ぎが収まったことにほっとする。

「トマスさんは魔物に襲われて怪我をしました。今はそのせいで動けないので領館で預かっているのです」

 クリスは穏やかな声音で説明する。

「だったら、今すぐ返してくれ!」

「それはできません」とクリスはきっぱりと言い放った。「彼は領館に無断で侵入してきたのです。その理由を確認する必要があります。その上で……残念ですが、罰を受けてもらわなければなりません」

 後半の言葉は声が小さくなった。

「理由なら……」と言いかけた青年の口を壮年の男が押さえ、それ以上言わせないようにした。

「やっぱり、何か知ってるんですね」

 クリスは目を細める。

 威圧されたように村人達は沈黙を保った。

「最初にわたしにかけた言葉は『トマスはどうしたのか』でしたね。どうしてトマスさんがわたしの所にいると知っているのですか?」

 村人の誰も答えようとしない。剣呑な雰囲気を作り出して、じっとクリスを見つめてくるだけだ。それに気圧されることなくクリスは言葉を続ける。

「話すつもりはない、と言うことですね? トマスさんもそうでした。どうしてそんなに頑ななのですか? あなた方とわたしは、昨日会ったばかりなのに。最初から友好的な関係を持てないのは、どうしてですか? わたしに非があるのなら、教えてください」

 クリスは悲しくなった。

 感情を露わにした領主代行の言葉は村人の心にも響いたようだった。

 何かを話そうとして躊躇う者もいた。

「それは、おいおいわたしの口から話させて頂きましょう」と村長。

「大丈夫なのですか?」という壮年の男の問いかけに、村長は力強く頷く。それを見た他の村人達は村長に一任することに決めたようだった。

「それではこちらへ」

 村長が促し、壮年の男が1人付き添う。村長は外見はかなり年老いて見えたが健脚で、村長に合わせて歩く速度が遅くなるようなことはなかった。


 クリフトを含む3つの村はクライル家が領主になるまでは皇帝直轄領の一部に組み入れられていた。

 クリフトは村と言うには大きい。村の中央に銅像が立つ広場と古い聖堂があり、北東から南西へと大通りがある他、小道が放射状に伸びており、その両脇には村人が住む家屋が整然と並ぶ。そして建物が切れると農地となり、麦畑が一面に続く。

 城壁が無いのは、取り壊したからではなく、この土地がただ一度の例外をのぞいて侵略された歴史を持たないからだ。

 村の生活は裕福なようだった。

 その理由としては、皇帝直轄領が全般的に税率が低いことが考えられる。


 農作業に勤しむ村人を何人も見かける。

 クリスは彼らにも違和感を覚えた。ほとんどの村人が、こちらに目を向けようとしない。警戒しているように見受けられるし、時折、敵意に満ちた視線を投げてくる者さえいる。

 歓迎されていない。そんな雰囲気がありありだ。

 村にもトマスのことが伝わっているらしい、とクリスは判断した。


 遥か向こうまで見渡す限りの麦畑を、クリスは初めて目にした。収穫期にはまだ早いが、すでに穂は姿を見せている。

 初夏の風がクリスの頬を撫で、さらに麦畑を吹き渡る。

「わあ」

 思わず声が漏れる。

「私共クリフトの者は、」

 おもむろに村長が口を開いた。すると壮年の男が不安そうに村長を見つめた。村長はその視線を意に介さず話し始める。

「先のヴァールガッセン家の方々に恩義を感じているのです。200年経った今でもそれは変わっていません。もともとクリフトは貧しい村だったと聞いております。それを税を軽くし、土壌を改善して作物を増やし、街道を整備したりと、さまざまな改革を行ったのだとか。我々はその恩恵の中に暮らしているのです。そんな我々に新たな領主が現れたのですから、困惑するのは当然のこととご理解いただけないでしょうか。失礼な物言いと知りつつお話ししますが、クリスティーネ様のお家はもともと商家と聞いております。貴族としてどのような振る舞いをなさるか、我々には知りようもない。そんな折にわたしの馬鹿息子が行方知れずになったものですから、あのような態度を取ってしまったのです。どうか、ご容赦の程を」

 壮年の男が、ほっとしたように胸をなで下ろすのが見えた。何をそんなにはらはらしていたのか、クリスには理解できない。

「ですが、クリスティーネ様を見る限り、そんな不安も杞憂だったようですな」

 村長は皺を寄せて微笑んだ。

 旧ヴァールガッセン家が領民に慕われていたことが判る話だが、それだけでは新ヴァールガッセン家が嫌われる理由としては弱いように思える。

「そういう事情があったのですね。よく判りました」

 クリスは、一応納得してみせることにした。


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