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ティレリエン・メア 〜学館の陽は暮れて〜  作者: 西羅晴彦
ヴァールガッセンの亡霊
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抽象魔術

 シィルに給仕された食事を採りながら、いつの間にかベッドが移動してたことをみんなに話す。

「ふうん、なるほど」

「それは、大変でしたね」

「そうなんですよ〜」

「えっ! そんなことあったの? なになに、どういうこと?」

 テンションが違うのはニキアだけだ。昨晩のことと比べれば、ベッドの移動など些細なことに思えてくる。クリスとアンナ、それにランティエの反応はそれを如実に表していた。

 仕方なくポルターガイストと白い幽体と鬼のこと、それにベッドのことをニキアに話して聞かせる。

「起こしてくれれば、やっつけたのに」

 それは白いベッドのことなのか、鬼のことなのか。確かにニキアがいれば戦力にはなったはずだ。


「領館の中で起こった出来事は、全部ヴァールガッセン関係なのかな?」

 食事を終えて、それぞれに珈琲や紅茶を口にしたところでユーナが話し始める。

 様々なことが一度に起こったので、検証してみないと何が何だか判らない。

「ヴァールガッセンかどうかは判りませんけど、ガラスの割れる音と天井のラップ音と鬼は、少なくとも関係ありそうだと思います」とクリス。

「そうですね。鬼がガラスを破って館に入り込み、天井裏を駆け回り、緑大理石の間で、私たちと鉢合わせして逃げていった、と考えれば辻褄は合います」とアンナ。

「それでトマスにばったり出会って、トマスを傷つけた」

「何故そのような一連の行為に及んだのかは不明ですが」

 ユーナの説明にさらにアンナが付け加える。

「私もその説に同意するわ」とランティエ。

「ていうか、その鬼、どこから来たんだよ?」

 当然といえるニキアの疑問に、残る全員が首を振った。


「じゃあ、鬼の件はいったん置いて。白い男の幽体は?」

「幽体は攻撃的ではなかったですよね」とクリス。

「それどころか、わたしたちを導こうとしていたようでした。おそらく、緑大理石の間の暖炉がそうだと思います。あそこにもう一度行ってみれば、何か見つかるかもしれません」とアンナ。

 ランティエが頷く。


「じゃあ、庭園の石像はどうなんでしょう?」とクリス。

 その発言は、わざと『水晶術』という言葉を避けたものだ。ランティエに気づかれるのはまずい。

 とは言え、昨晩、ユーナが『水晶術』と口走り、それをすでにランティエに聞かれている。ごまかすために、ユーナは話題を変えることにした。

「石像と言えば、ランティエさん。どうしてあんな危険なことをしたのか、説明を求めても良いですか?」

「判りました」とランティエは頷いて続ける。「といっても、答えは簡単なの。あれ以上、最適な解を思いつけなかったのよ」

「え?」


 ユーナもクリスも、アンナさえも、ランティエの発言に驚いた。何か、ユーナ達が想像も出来ないような深い理由があるものだと考えていたのだ。

「考えてみて。あの時、呪具は呪杖が一本に緋針が私とクリスさんのを合わせて11本だけ。持力は〈切り裂きの風(シュナイデ・ヴィント)〉、〈裂地(リッツェ)〉、〈灼炎(ゴルデ・フランメ)〉、そして〈氷結(フリーレン)〉。さて、最適な組み合わせは? みんなはどう考える?」

「わたしの〈切り裂きの風〉は、あの状況ではお役に立てなかったと思います」

 残念そうではあるが、はっきりとクリス自身が言った。

「アンナの〈裂地〉なら? 石像を蹴躓かせて転ばせれば良かったのでは?」とユーナ。しかし、アンナが首を振る。

「あの状況では、緋針の使用は不可欠だったと思われます。ですが、わたしでは緋針は扱えません」

 アンナは緋針を学んでいない。見よう見まねで投擲することはできるだろうが、緋針投擲は簡単に見えて結構な技術を要する。

 さらに、あの場で〈氷結〉があまり意味を成さないことも間違いないことだ。


「あの時、重要な課題だったのはトマスを無事に館に連れて行くこと。なのに、私達だけではトマスを運ぶのに時間がかかり、どうしても石像に捕まってしまう。だから、私の〈灼炎〉で石像を溶かし、その炎をどうにかして消して、固めて動けなくすることを思いついたの」

「だからって、あんな危険なことを……。何とかなったといっても、ほとんど偶然みたいなものじゃないですか!」

「その辺りは、多少確信があったのよ」

「それは、どういうものですか?」とアンナ。

 ランティエは、紅茶を飲んで口を湿らせる。


「ユーナさんの発現形式は広域励起型だと聞いていた。それはつまり、本来の持力発現が可能という意味になる」

「本来の、とは?」

「あなた達は、持力は『接触しなければ発現しない』と学んでいるでしょうけど、それは本当じゃないの。持力は距離があっても発現は可能。広域励起型なんて特殊扱いされているけど、本当はそれが本来の持力のあり方なのよ」

「そうなんですか?」とクリスは驚きを隠せない。

 アンナは沈黙したまま。

 ランティエはさらに話を進める。


「本来の持力が使えるということは、治癒魔術の他にもう一つ使える魔術があると言うこと。それは……」

 ランティエが言いかけたところで、言葉の端を奪うようにアンナが口を開いた。

「『抽象魔術アルス・アブストラクティオニス』、ですか?」

「ご名答。よく知っているわね、アンナさん」

 今度はランティエが驚く番だった。

「その知識をどこで?」

「とある文献で読みました。かつては『精霊哲学フィロソフィカ・スピリトゥ』が存在し、『抽象魔術』はその一部に含まれるとだけ。ランティエさんこそ、どうしてそんな知識を持っているんですか?」

「私は『赤の族(フェルマイル)』に会ったときに教わったわ。まあ、内容は昨晩言った通りよ。これ以上は教えてあげることはできないけど」


「どうしてですか?」

「『抽象魔術』は、クヴァルティスの魔術理論にひびを入れてしまう可能性がある。

 アンナが頷く。

「クヴァルティス魔術では、『持力は接触しなければ発現しない』という定義が根幹にあります。ですが、『抽象魔術』は広域励起型であることを前提とします。そして、それが本来の持力のあり方だと言うことになれば、持力そのものの概念が変わります。当然ながら魔術体系自体が崩れかねません」

「アンナさんの言うとおり。だからあなた達も、ここで聞いたことは誰にも言ってはダメよ」

「判りました」とユーナとクリスは承諾する。ニキアは話についてきていないので問題は無さそう。


 というものの、ユーナは釈然としないものを感じていた。何か、はぐらかされているような感覚が胸の中にある。

 そのイメージがある所為か、ユーナはランティエを不信そうに眺めた。するとランティエは何事もないかのようににこりと笑顔を返してくる。

 やはり、何だか、もやもやする気がした。


 昨晩のことは調査することで全員一致。今後、クライル=ヴァールガッセン家の人が訪れたときのためにも必要なことだ。

 一方でクリスには村々の視察という本来の仕事がある。

 三日間という限られた期間で3つの村を見て回る必要があった。

 話し合った結果、村の視察をクリスとランティエが、領館の調査をユーナとアンナとニキアが担当することになった。


 話し合いを終え、それぞれ部屋に戻って支度をしている時、ドアにノックがあり、「どうぞ」と応じると慌てた様子のシィルが姿を見せた。

「どうしたの?」

「トマスさんが目を覚ましました!」

「判った。すぐ行く」

 手際よく着替えを済ませ、トマスがいる1階の執事室に向かう。


 ドアを開けると、先に戻ったシィルに付き添われたトマスが横になっていた。まだ上半身を起き上がらせるのは無理のようだ。

「ご迷惑をお掛けしたようで、大変申し訳ございません。この償いはどのようにでも」

 領地を与る貴族の領主代行に迷惑をかけたのだから、相応の処罰がある。トマスはそう考えたようだった。ただし、その表情には憮然としたところがあって、本気で謝罪しているようには見えない。

 領民のことを道具程度にしか思わない貴族だったら、これだけで処刑もあり得る。

 ユーナはそれに気付きつつ黙っていることにした。処罰などクリスが望むはずがないと思ったのだ。


 予想通り、クリスはトマスに優しい声をかける。

「峠は越えたみたいですね。怪我の具合はどうですか?」

 トマスは目を見張る。まさか労りの言葉をかけられるとは思っていなかったようだ。これにはトマスもほだされたようだった。

「はい、お陰様で。まだ起き上がれそうにはないですが、大丈夫だと思います」

「そうですか。良かったです」

 そう言ってクリスは微笑んだ。


 しかし、柔らかい空気もそこまでだった。それを壊したのはランティエ。

「さて、領主代行は、寛大な言葉をかけられましたが、トマス、あなたは領館の敷地内に無断侵入した罪があります」

「はい」

 トマスも表情を改める。


「それからあなたは動く石像と、あなたに怪我を負わせた存在を目撃しているはずです。それらについて、知っていることを話してもらいます。良いですね」

「もう少し怪我が良くなってからでも……」と言いかけるクリスをユーナが押しとどめる。

 容態が気になるのはユーナも同じだが、トマスが重要な事実を知っているのは間違いないのだ。

 トマスは素直に語り出した。

「確かにわたしは動く石像と白い人間のような影を見ました。石像はわたしが庭園に入った時にはもう動いていました。白い影はわたしの前に現れた途端、腕を振りかざしました。危険だと感じたわたしは逃げようとしましたが叶わず、背中に激痛が走ったのを覚えています。その後のことは……判りません」

「石像が動いた理由は判る?」

「……いいえ。知りません」

 トマスは躊躇うように少し間を置いてから否定した。


「では、庭園に侵入したのは何故?」

 トマスはぐっと唸って、口をつぐんだ。

「話して」

 ランティエが催促するも、トマスが語りだす気配はない。

「だんまりするのは構わないけど、それだときつい処罰が待っているわよ?」

「ランティエさん!」

「領主代行、ここは私に任せて頂きます」

「ですけど……」

「ここはランティエさんに任せよう」


 ユーナはクリスの肩に手を置いた。ユーナの方を振り向いたクリスは「はい」と小さく頷いた。

「もう一度訊きます。庭園に侵入したのは何故?」

 返答は無い。

「判りました。では、処罰はあなただけではなく、村人にも累が及ぶことを覚悟してください」

 トマスは、はっとしてランティエに目を向けるが、それでも口を開こうとはしなかった。


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