ユーナ、ポルターガイストに驚かない
ユーナは目をつむる。
『水』ではない。
『事象』を止める。
そんなことが出来るのか。
いいや。
出来るか出来ないか、ではない。
やるのだ。
それ以外に助ける方法がない。
ユーナは集中する。
『水』じゃない。
『水』じゃない。
『事象』。人以外の。範囲は、この庭園の中。
止めるのは『炎』。
『炎』という『事象』を、『止める』。
『止める』
『止まれ』!
瞼に映る光が消える。
それと同時に頬に触れる熱も消えた。
すとんと、何かがあるべき場所に収まったようなイメージが浮かぶ。
「お見事」
ランティエの満足そうな声に目を開けると、光景は一変していた。
火柱は1つも残っていない。その代わり、溶けかかった状態で、ガラス質となった表面をむき出しにした石像が至る所にある。さらに、火に包まれなかった石像も、何故か動きを止めていた。
「これは……」
ユーナは茫然となった。
「突然、炎が消えました。いえ、消えたと言うより、突然取り払われたような、無かったことになった、とでも言うんでしょうか」
クリスは驚きを隠さずに説明した。
「さあ、この男を運ぶわよ、手伝って!」
4人がかりで館の1階にある執事の寝室に運び込む。
そこで初めて、男の正体が判った。
「この人、トマスだよね、村長の息子の」
クリスもアンナも同意する。
「なんで庭園に居たの? どうやって入り込んだの?」
「今は、助けることだけ考えましょう」
「そうですね。シィルを呼んできます」
ユーナは執事室を出てシィルを迎えに行った。
シィルは若いが、多少の医療の心得がある。ユーナの側仕えになるときに、ユーナが臥せった時や怪我を負った時の対処方法を学んだためだ。
ユーナがメイド室に駆け込むと、シィルはメイド服に着がえていた。異変に気付いて待機していたのだろう。
「ご用を承ります」
「怪我人が出たの」
「どなたでしょうか」
「トマスって言う、村の人」
シィルは眉を寄せた。しかし、それも一瞬のことで、すぐに薬箱を手に取る。
「案内をお願いできますか?」
「ついてきて」
駆けつけたシィルの結論は、「幸い、血は止まっているので、大丈夫ではないでしょうか」だった。
「良かったあ」
ほっとして近くにあった椅子に座り込む。
「傷は深いのに、いくらか治りかけているように見受けられます」
ランティエの治癒魔術が効いたようだ。
「傷は5本の筋状になっています。まるで獣に襲われて、爪で引っかかれたような」
その『獣』には、心当たりがあった。
ガラスを破って庭園に飛び出した『鬼』が、出くわしたトマスを襲ったのだろう。
今まで抑えていた疑問と困惑がわき上がってくる。その中でも特にランティエの行動に関するものが強かった。
「ランティエさん、どうしてあんなの危険なことをしたんですか? あたしがもし炎を止められなかったら、どうするつもりだったんですか?」
「止められたじゃない」
「そうですけど……。あんな危険な行為が本当に必要だったんですか? 一歩間違えれば、領館まで焼失しかねなかったですよ?」
「言いたいことは判る。他にもいくつか疑問があるだろうけど、それは明日話し合うことにして、今日はもう休みましょう?」
「でも」
「私の責務はあなた達を守ること。それを放棄するような真似はしない。もちろん、持力を使った理由はあるし、それを話すことに否やはないわ。でも、今はみんな疲れているでしょう? だから休みましょうと言っているの」
確かにユーナも疲れ切っていた。特に炎を止めた後は、身体が怠くて仕方がない。切迫した状況で持力を盛大に使ったのが要因なのは明白だった。
しぶしぶだが、言うことを聞くことにした。
翌朝、窓から差し込む陽の光に、ユーナは目が覚めた。天蓋の天井がいつもと違うことに違和感を覚え、すぐに理由を思い出す。
結局、あまり深く眠れなかった。
もちろん、昨夜の出来事せいだ。
今日は、いろいろと検証が必要になるだろう。
1つは領館のポルターガイストについて。
2つに、鬼について。
3つに、トマスの扱いについて。
そして、ランティエの行動について。
ベッドから降りようとして、また違和感を覚える。
クリスが眠っているもう一つの天蓋付きベッドが、ユーナのベッドと接していた。確か、クリスのベッドとの間にはテーブルがあったはず。そのテーブルはなぜか窓際に移動している。
反対側を見れば、壁に接していたはずが、かなり距離ができている。つまりベッドが2つ、部屋の中央に移動した状態だった。
もちろん、クリスが動かした訳がない。
クリスは隣のベッドですやすやと寝息を立てて眠っていた。昨晩いろいろ動き回ったので、睡眠不足なのだろうけれど、これほど安眠しているのを見るとなんとなく腹が立つ。
ユーナはクリスのベッドに移って、無情にもクリスを揺すった。
「ちょっと、クリス。起きて」
「うーん」
と唸りながら、クリスはなかなか起きようとしない。それどころか、ユーナの手を無意識に握って、自分の頬にくっつけ、すりすりする。手の甲に伝わる彼女の感触は、ちょっと気持ちよかった。
「ちょっと、寝ぼけてないで」
緩く三つ編みにした金色の髪を軽く、くいくいと引っ張る。
「にゃ?」
まだ目を覚まさない。随分と寝起きが悪いらしい。
ユーナは、もう一方の手でクリスの頭をぺちぺち叩く。この攻撃はさすがに効いたようだ。
「もう……なんですか?」
ようやく人語を話し始めた。
「起きた?」
「どうしたんですか? こんなはやくに……」
クリスは目をこすりながら起き上がる。
実際は、そんなに早い時間ではない。置き時計は朝食の時間を示している。
「ちょっと周りを見て?」
クリスは言われた通りにする。
「いつのまにもようがえしたんですか?」
「やったとしたら、夜の内でしょうね」
「ゆーなさんがしたんですか?」
「そう思う根拠は何?」
「わたしではないので、ゆーなさんしか……」
だめだ。まだ寝ぼけている。
まあ、クリスの仕業でないことは明白なので、いったん放置することにする。
ユーナはベッドから降りて室内を良く見回してみた。
床に敷かれた絨毯には、引きずったような跡は無かった。3本立て燭台も、倒れることなくテーブルの上に置いてある。
その他、奇妙と思える箇所は見当たらない。
この状況を見る限り、何か力が働いて、テーブルとベッド2つのを浮かせて移動したとしか思えない。
「どうしたんですか、これは。なんで、ベッドがくっついて……わたしは嬉しいですけど」
「起きた? 多分、夜の続き。ヴァールガッセン関係だよ」
クリスの発言の後半は無視することにした。
「やはり、そうですよね」
ベッドを元の位置に戻すのは不可能なのでそのままにし、2人は学館制服に着替えて食堂に向かった。
食堂と言えば、昨晩は白い幽霊のようなものが椅子に座っていたのを目撃している。その椅子は当主席だった。
昨日の夕方に一度座ったとはいえ、クリスはなかなか腰を下ろすことが出来ずにいた。昨晩の白いものがただの幽霊だとしたら大したことは無いのだが、呪的な仕掛けを伴うものだとしたら、椅子にも何かあるかも知れない。
「どうかなさいましたか? 何か至らぬところがありましたでしょうか?」
シィルが心配して声をかけた。
「何でもありません、大丈夫ですよ」
「何か失態がありましたでしょうか?」
シィルは不安に駆られてさらに訊く。
ユーナは彼女に事情を話そうかと思った。しかし、シィルは怪奇現象関係が苦手なことを思い出し、言い出すことができなかった。
「椅子を変えれば良いんじゃないかしら。気休めにはなるでしょう?」
ランティエが提案する。
「なるほど」
そこでクリスは椅子を変えることで落ちついた。シィルはその理由を理解出来なかったが、主人の決めごとに口を出す必要は無いと割り切ったようだった。
頭にクエスチョンマークが未だにくっついているのはニキアだ。
「なに? どういうこと? なんかあったの」
ユーナはため息を吐く。
「いろいろあり過ぎて説明しきれないから、おいおい話してあげる」
「うーん。まあ、そう言うことなら良いけど。問題は無いんだよね?」
「危険は無いけど、問題は山積み」
ユーナが答えると、ニキアは少しだけ真面目な表情を見せた。




