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ティレリエン・メア 〜学館の陽は暮れて〜  作者: 西羅晴彦
ヴァールガッセンの亡霊
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ランティエ、石像を燃やす

 幸いだったのは、館の中で見たときとは違って、石像たちがまるで統率を欠いたように右往左往していることだ。

 石像の間を縫って、男に近づくことはそれほど難しいことではなかった。

 男は腹ばいになって倒れていた。背中に傷を負っていて、そこから血が溢れている。傷は深いようだ。

「誰か、治癒魔術を使える?」

 ランティエの問いにユーナが首を振った。治癒魔術を使えるのは、炎系か水系の術士に限られる。治癒魔術とは言うものの、実際には治癒ではなく、回復力を高める効果を与えるだけである。傷を塞ぐようなことは出来ない。

 つまり、呪猟などで深手を負ってしまった場合、命を落とすこともあり得る。

 ユーナは治癒魔術をまだ習っていない。さらに、その発現形式の特性のせいで治癒効果はあまり期待できないと教官からは言われている。

「では、私が治癒します。その間、監視をお願いね」

 そう言うとランティエは跪き、男の手を握った。その手から淡い光が零れる。

 ユーナ達は、ランティエと男を囲むようにして石像たちの方へ向き直る。こちらに近づいてくる石像がいたら、狩るか、せめて方向を逸らさないといけない。


「はい、これ」

 ユーナは自分の呪杖アンナに渡した。アンナはその意図を察し、「判りました」と言って杖を受け取った。幼馴染みなだけに、こういうやりとりは慣れたものだ。


 庭園は噴水はあるものの、空気は乾燥していて石像も水分含有量は少ないと思われた。つまり、ユーナの〈氷結〉で足止めするのは効果が薄い。その点、アンナの〈裂地〉は土さえあれば発現できる。石像の歩行速度は大人のそれより遅い。石像が足を取られるように、タイミングを見て地面に小さな裂け目を作れば良い。

 そうして警戒していると、1体の石像がこちらに近づいてきた。

 早速、アンナが呪杖に持力を込めて、地面を小突いた。

 石像の前方の地面に裂け目が出来る。上手い具合に石像は足を取られてバランスを崩して倒れた。

「やった!」

 アンナではなくユーナが拳を握り込んで喜んだ。

「3人とも、手伝って。この人を館に連れて行く」

「あ、もう大丈夫なんですか?」

 振り向いたユーナに、ランティエは首を振って応じた。

「傷が深くて、治癒魔術程度では埒があかないみたい。薬は少しは持ってきているんでしょう?」

 クリスが頷く。

「じゃあ、移動させましょう。あたしが頭の方を持つから、足の方をクリスさん、左右をユーナさんとアンナさんが持ってね」

 4人がかりでも、気絶した大人の男を担ぐのは大変だ。この場にニキアが居れば、あるいはおんぶして歩くこともできただろうけれど、彼女は現在、夢の中。


 こうなると、4人の歩みは断然、遅くなる。

「石像を避けて通るのは無理じゃないですか?」とアンナ。

「この歩く速度では、攻撃されたら、避けきれないと思います」とクリス。

 ユーナにいたってはは男の身体を支えながら、さらに呪杖も持っているのだ。

 腕が痺れて、力が入らなくなってくる。

「少し、休ませて欲しいです」

 ユーナが最初に弱音を吐く。

「でも、一刻も早く治療しないと」

 傷の状態を確認したアンナが言う。

「……やるしかないか。みんな、下ろして」

 ランティエに従って、男を地面に横たわらせる。

「なにをするんですか?」

「燃やす」

 ランティエの答えは簡潔だった。

「は? えと、石像を燃やすって意味ですか? 石は燃えませんよ?」

「あなた達、呪具は用意しているの?」

 ランティエの問いにアンナだけが首を横に振る。ユーナは呪杖を、クリスは緋針を携行していた。

「クリスティーネさんは、緋針を何本持っているの?」

「4本です。全部、テルティアです」

「それを貸して欲しいんだけど、最悪、失っても問題ない?」

「え」

 クリスの顔が凍る。

 館生であっても、呪具を紛失すれば始末書と説教は免れない。

「……判りました。今は、人命救助の方が大事ですから」

「ありがとう。私の分が無くなったら使わせてもらうわね。それからユーナさん、あなたは広域励起型の〈氷結〉で間違いないわね?」

「はい、そうです」

「では、私が持力で石像を燃やします。そのあと、ユーナさんが火を止めてください」

「無茶です!」

「大丈夫。できるから」

「あたしのことなのに、その自信はどこから来るんですか?」

「説明するのは後ね」

 〈氷結〉で火を消すのは無理である。不可能と言っていい。なぜなら、〈氷結〉による発現は『存在している水』を『凍らせる』ことしかできないからだ。百歩譲ってランティエが石像を燃やせたとしても、その炎の中では水は蒸発してしまって存在しない。


 だが、ランティエは『消す』ではなく、『止める』と言った。


 どういう手段をランティエが用いるつもりなのか、全く想像できない。

 ともかく今は、早く男を館に入れる必要があった。

 ユーナを安心させるようににこりと笑顔を見せてから、ランティエは右手に握った緋針に入念に持力を込める。そして、ユーナ達の近くに居る石像に向けて投擲した。

 緋針は硬質の石像の表面に当たり、突き刺さる。


 途端に、火柱が空中に向かって伸び上がった。黄金色に光。びしびしと割れる音をまき散らしながら、本来燃えるはずのない石像が燃え出した。道に敷かれた小石がその熱を受けて溶け始める。周囲の草木は巻き込まれて蒸発し、さらに延焼していく。

 ものすごい熱気が押し寄せてくる。それに耐えられずにユーナ達は後退した。

 ユーナは男の方を見た。クリスが付き添っていて、『大丈夫』と言うように頷いた。まだ、余裕は持てそうだ。


「ランティエさんの発現形式は、〈灼炎(ゴルデ・フランメ)〉ですね?」

 今まで何かを考えていたアンナがランティエに訊いた。

「……そう言うことになるわね」

「聞いたことないです」とクリスが小首を傾げる。

 それはユーナも同じだった。

「〈灼炎〉は、炎系の最高クラスの1つで、岩をも溶かすと言われています」

 つまり、青銅を焼き切るレオンハルトの〈蒼炎(ブラウ・フランメ)〉と同等レベルに危険ということだ。

 術士業界は広いように見えて案外狭い。

 〈灼炎〉などという希少な持力保持者が存在するなら、噂くらいは聞こえて来そうなものだが、ユーナは全く覚えがなかった。


 それはそれとして。

「あんなの、どうやって消せって言うんですか!」

「炎を『消す』のではなくて、『止める』の。ユーナさんがやるべきことは、『水』の抽象概念である『事象』を対象にして、『氷結』を行うのではなく、抽象概念動作である『停止』を行うの」

「そんなことが出来るはずがありません!」

 というより、言っている意味が判らない。

「大丈夫、あなたなら出来る」

「そんなこと言われても!」

「人間以外の『事象』の『動き』を『止める』。あなたは、それだけを意識して」

 そう言うや、ランティエは次の緋針を投擲した。さらに次々と投擲し、多くの火柱を作り出す。その熱に煽られて、周囲の草木があっという間に燃え広がる。

 複数の火柱に照らし出される庭園の光景は、荘厳というべきか、地獄絵図というべきか、もはや適当な言葉を思いつけない。

「ほら、早く。そうでないと、この男性の命が危険になる」

 それだけではなく、このままでは館まで炎が回る可能性すらある。さらに言えば、ユーナ達も炎のに囲まれ、焼死するかもしれない。

 いや、これはもう、やるしかない。

 失敗しても知りませんよ、と言ってやりたかったが、それは死に直結する。


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