贈り物、その2
翌日の月曜日、メーゼン橋たもとのファルマ・スティクトーリス公爵像の下でユーナはクリスを待った。
「おはようございます〜」
と、いつもの調子でのんびりムードのクリスがやって来る。
「おはよう」
二人は旧市街へ歩き出す。
「そうだ、あちらはどうなりました? やる気、出ましたか?」
「あちらと言うと?」
「ユーナさんのサロンを作ることです」
「あ、忘れてた」
「そんな……期待していたんですよ?」
「ごめん。ちょっと、色々あって、ね」
「そうですか……」
クリスは残念そうな表情をする。だが、ユーナの事情には踏み込もうとはしなかった。ユーナも緋剣のことを話すつもりはなかった。アンナに口止めされたこともあるが、不穏な話に巻き込むべきではないと考えたのだ。
「そういえば、今日のレイピアは、いつもと違うんですね」
クリスは不思議そうにユーナの出で立ちを見る。ユーナが腰に佩いているのは、ボルケン教官から贈られた緋剣だった。これもアンナに言われたことで、いつも持ち歩いている物を持っていないと、不審に思う人がいるかも知れない。特にユーナの場合、普段から通常武器を持っていたことで目立っていたはず。たとえ些細なことであっても、何かあったのではないかと思わせるのは得策ではない。
そういったことへの対処が必要だったのだ。だが、魔術の学都で通常武器など、そう簡単に手に入る物ではない。これはだからこその苦肉の策だ。
ゆえに、いついかなる時でも抜く訳にはいかない。
「実は、前のは折れちゃって。これは、治るまでの代わりなんだ」
折られたとは言わないことにした。
「勿体ないですね。装飾とか、綺麗だったのに」
「うん」
「いつ治るんですか?」
「しばらくかかると思う」
友人に嘘をつくのはあまり気持ちの良い物ではなかった。
さらに数日して、『銀鷲徽章争奪戦』の話題が館生の間で口にのぼりはじめた頃。ユーナは相変わらず、旧市街の教室と新市街の寮の間を行ったり来たりする生活を送っていた。争奪戦については、自分から関わる気はさらさら無かった。争奪戦には、ネガティブなイメージを持っていたからだ。
徽章保持者から徽章を奪うのも、徽章保持者になって徽章を守るのも、館生同士の戦いが必要になる。正直なところめんどくさいし、人間同士が争うのも好きではない。
しかし、そんなことを考える人にこそ、運命の神は悪戯をしたがるものである。
翌日の夕方。
通常通りの日常をこなして寮に帰宅したところで、ユーナはメイドのシィルに呼び止められた。
「お届けものがあります」
その言葉に、一瞬、悪寒を覚える。
「な、何かな?」
「さあ? 中身は存じ上げません」
シィルが差し出したのは、年季の入った小さな木の箱。
(ああ、やっぱり)
と叫びそうになるのを抑えて、
「ありがとう、シィル」
とにっこり笑顔で受け取る。笑顔がちゃんと作れている自信はなかった。
小箱を手にして階段を登り、部屋へ向かう。その途中、誰かに会うのではないかとひやひやしたが、運良く何事もなく部屋までたどり着くことができた。カバンを床に置き、呪杖とレイピアを壁に立てかけてからテーブル付属の椅子に座る。
そこでようやく、テーブルに置いた小箱と対峙する。
開けるべきか、開けざるべきか、悩んでみても、開けなければならないことに変わりは無い。
だったら、さっさと開けてしまった方が良い。
とは言うものの、ユーナは、こそっと蓋を開け、中を覗き込む。
きらりと光る物体が入っていた。
ごくりとのどを鳴らす。
今度はしっかりとふたを開け、中身を取り出す。
それは、鷲の片翼を象った銀色の小さなバッチ。所謂、『銀鷲徽章』である。
「なんで、こんなことに……」
ため息が出た。
争奪戦の開始にあたっては、徽章はランダムに配布されることになっている。今年はユーナがアタリと言うわけだった。
徽章が当たったことを隠すことはできない。争奪戦の期間中は、バッチを胸に付けることが義務付けられている。それを怠った場合の罰則は特にないのだが、そういう不正を働いたことがバレた時の周囲からの誹りは計り知れないものがある。正式な術士になってからも、争奪戦逃亡者として白い目で見られることになる。社会的地位を失うのに等しい。
ゆえに、徽章は胸に付ける必要があるのだが、そうすると当然ながら、徽章が欲しい挑戦者が現れることになる。それも、いつ、どんな場所で挑まれるか判らない。不意打ち、夜討ち朝駆けはしないのが暗黙の了解となっているので、背後からいきなりとか、寝ているあいだにとか、そう言うことがないのが幸いではある。
ユーナは、正直なところ、面倒事に巻き込まれたという気持ちが強い反面、どこか気分が沸き立つのを感じてもいた。
まだまだ稚拙とはいえ、自分の技術がどれほどのものなのか、試してみたいという考えに惹かれる。
だったら、争奪戦に本気で取り組んでみるのはどうだろうか。
人間と戦うことに抵抗感が無いではないが、命の奪い合いをするわけではない。
「よしっ、こうなったら、やってみるか!」
ユーナは気分を入れ替える。
かくして、ユーナの波乱に満ちた10日間が幕を開けた。
木曜日の朝、メーゼン橋たもとのファルマ・スティクトーリス公爵像の下でユーナはクリスを待った。
「おはようございます〜」
と、いつもの調子でのんびりムードのクリスがやって来る。
「おはよう」
二人は旧市街へ歩き出そうとしたところで、クリスがユーナの胸元をじっと見つめる。
「どうしたの?」
理由は判っているが、一応訊いてみる。
「そのアクセサリ、どうしたんですか? あまりユーナさんの趣味っぽくないですね」
「え? 『銀鷲徽章』のこと知らないの?」
一瞬、きょとんとしたクリスだったが、すぐに思い当たったらしく、驚いた表情をした。
「これが『銀鷲徽章』なんですね。わたし、初めて見ました……でも」とクリスは不機嫌そうに眉を寄せて続ける。「でも、アクセサリとしては出来は良くないですね。30点くらい」
クライル商会の娘として、様々な装飾品を目にしてきたクリスの審美眼は確かだ。
「流行外れなのは確かだよね」
ユーナは苦笑した。
「その徽章、どうするつもりですか?」
「どうって言われても……」
「挑まれたら、戦うんですか?」
「そうなっちゃうよね」
戦わずに徽章を相手に譲ってしまうという方策もある。それ自体、許されていない訳では無いが、ユーナとしてはやりたくない。何もしないで不戦敗となるのはいやだ。
徽章のデザイン性はともかく、胸元に輝く片翼のバッチはよく目立つ。
ユーナが姿を見せただけで、教室内は少しざわついた。目立っているのを黙殺して長椅子にすわる。
他に徽章を付けている館生は、教室内にはいないようだった。全部で30個くらいが配られるようなので、そう簡単に出会うものでもない。ただ、次第にどこの誰が持っているという噂が立ち、それを元に遭遇戦が始まっていく。つまり、少しの間は余裕があると考えて良さそうだった。
しばらくして、教官が教室に入ってくる。すぐにユーナを見つけ、
「お、もうそんな季節か。まあ、頑張りたまえ」
と、応援にもならない応援をくれた。




