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ティレリエン・メア 〜学館の陽は暮れて〜  作者: 西羅晴彦
武門の癖に生意気とか言われても困ります
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水晶球

 ユーナが『辻斬り』に会う一ヶ月ほど前。『幽体捕獲』の興奮がようやく冷めた頃。

 その日は4コマ(1コマは90分で、一日4コマの授業がある)すべてが埋まっている日だったので、講座やら実技やらで疲れ果てたユーナは夕食を採って部屋に戻ると、制服のままベッドに倒れ込んだ。1分と経たずに寝息を立て始める。

 こんな日は夢すら見ずに朝を迎えるのが常だったが、この日は違っていた。

 ユーナは夢の中で、薄暗い空間に一人、佇んでいる。壁も何もない。その場所で、誰かを待っている。待っている相手が誰なのか、自分に問いかけてみても、答えは見つからない。とにかく、待つことが今は必要なのだ。その思いだけがユーナの中にあった。

 それからどれだけの時間が経過したのか、おもむろに目前に光る点が現れた。目をこらして見ていると、それは次第に大きくなっていき、人の頭くらいになる。大きくなるに連れて光量も増し、眩しくて目を逸らさなければならないほどだった。

 それが何なのかは判らないが、待っていた相手がそれであることは判った。そして、会話が出来る相手であることも。

「あなた、誰?」

 ユーナが問う。

 すると、少しハスキーな高い声がそれに応えた。

「『好戦性精霊スピリトゥス・ベリゲル』、『ムルムリム』」

 その台詞の前者が種族名で、後者が個体名であるとユーナは理解した。

 好戦性精霊は神話に出てくる神々の眷族で、その名の通り、戦争に特化した存在である。おとぎ話では『ベリゲル』と呼ばれ、だいたい悪い精霊として登場する。

『ムルムリム』とは、ラテン語で『不平』の意味である。名は体を表すというから、どんな不平を言ってくるのかと思いきや、ムルムリムは素直そうな口調で訊いてくる。

「あなた様が、新たなご主人でしょうか?」

「ご主人?」

「はい、あなたは私の持ち主。私のご主人になる資格をお待ちです」

「ああ、そういうことね」

 ユーナは理解した。彼女、なのかどうか性別は判らないがとにかく、この精霊は『幽体捕獲』でユーナが持ち帰った水晶に封じられた存在なのだろう。

「水晶を持っている人が主人だというなら、あたしがそうなんでしょうね」

 そうユーナが答えると、ムルムリムは「良かった」と明らかに喜色のある声で言った。

「改めて、我が主。我が名は『ムルムリム』。他の名がよろしければ、新たな名を付けてくださっても構いません。風の第8位階(アルクアンゲロス)に属する『好戦性精霊』にございます」

 この精霊種は、現世から消え去ったと言われて久しい。それが、こんな形で遭遇することになるとは、ユーナは考えもしなかった。精霊の研究者にこの話をすれば、諸手を挙げて喜ぶのではないだろうか。学問的には謎が多い存在とされているからだ。

「その位階って何?」

 ユーナは特に意味のわからない点を訊いてみた。

「位階とはその精霊が属する位のような物で、それがそのまま、その精霊の力の強さになります。第1位階(セラフィム)から第9位階(アンゲロス)まであります」

 説明から察するに、ムルムリムはかなり位が低いことになる。それが良いことなのか、悪いことなのか、ユーナには判断がつかない。

 そんなユーナの考えを察したのか、ムルムリムは、

「位階が低いので力は弱いのですが、お役には立てるかと存じます」

 と申し訳なさそうに答えた。

 先ほどからのやり取りで気づいたことだが、どうやらムルムリムには感情があるようだった。おとぎ話に出てくる好戦性精霊はいたずら好きだったり底意地が悪かったりという性格設定だが、ムルムリムはそうではない。主人とはいえ、人の気持ちを思いやることの出来る、優しい性格のようだ。ユーナはこの精霊とは良い関係を築けそうだと思った。

「じゃあ、あなたのことは『ムルム』と呼ぶことにするわ。よろしくね」

「仰せのままに。必要の時は名をお呼びください」

「判った」

「それでは」

 そう言って、光球は薄暗がりの中に消えた。

 それからというもの、ムルムは頻繁にユーナの夢の中に登場し、二人は会話を楽しむようになった。ムルムが言うには、精霊に性別はないとのことだったが、口調が女性のようだったので、ユーナは勝手に女子として扱うことにした。


 さて、時間を『辻斬り』に遭遇した夜に戻すと——。

 寮の自室に戻ったあと、ユーナは扉に鍵をかけておいて、椅子に座る。まずは真っ二つにされたレイピアを取り出し、じっと見つめる。修復は無理だった。愛着のある剣だっただけに、壊されたのは悲しかった。涙がでるわけではないが、長年の友人を失ったように感じていた。

 立ち上がってレイピアを壁に立てかけた後、インクとペン、それに紙を引き出しから出し、テーブルの上に用意する。それからカバンから取り出したごく小さな水晶球を、その隣に置いた。

「『ムルム』、出てきて」

 水晶球に向かって命じる。動きがあったのは水晶球ではなく、その近くに置いてあったペンの方だった。ペンはひとりでに宙に浮くと、ペン先をインク壺に入れ、それから紙の方に移動する。そして、さらさらと文章を書き始めた。

『仰せのままに。我が主』

 紙にはそう書き出された。筆談は、現実世界で会話をするために、ムルムと二人で取り決めたやり方だ。ユーナが一方的に喋り、ムルムが筆を走らせるという持って回った方法だが、夢で話すよりは手っ取り早い。

「それで、言い訳はある? 聞いてあげるけど」

 また、ペンが動く。

『主をお助けしたことに、何か問題がありましたか?』

「うーん、問題というか、むしろ感謝してはいるんだけど……」

『では、何が問題なのですか?』

「感づかれたと思うのよ。でも、どこの誰だか判らないし」

『無視してもよろしいのでは?』

「そんな簡単な問題?」

『いつものように惚けてみせればよいだけでは?』

「……そうなんだけど、ね」

 ムルムは風の精霊だったので、当然のことながら風を操ることが出来た。ただ、その力はけして強いものではなく、例えば暴風を起こしたり、大きな傷を負わせるような鎌鼬を起こすようなことは出来ない。その代わり、小さいが堅固な空気の壁を作ることと、空気を精密に操ることに長けていた。辻斬りの剣線を逸らしたのはこの空気の壁である。

 ムルムのこの能力は、ユーナにとってはありがたいものだった。手間のかかる法式を展開する時などに、敵に対して時間稼ぎが出来る。呪猟の際に役に立つはずだ。問題は、ムルムを使役することは『水晶術を使う』ことに該当するので、表向きには法律違反になる。見つかれば、国外追放になる。

 そんな危険な橋を渡るわけにはいかないので、ムルムには迂闊に力を使わないよう厳命しておいたのだが……今日のような状況では、命令違反も仕方ないのかも知れなかった。

「ま、いいわ。今後は気をつけてね」

『仰せのままに』

「じゃあ、会話は終了!」

『またお呼びください』

 その文章を最後に、ペンは空中を漂うのを止め、テーブルの上にからんと落ちた。

 ユーナはそれを拾い、インク壺と共に引き出しに戻した。


 翌日の土曜日、メーゼン橋たもとのファルマ・スティクトーリス公爵像の下でユーナはクリスを待った。

「おはようございます〜」

 と、いつもの調子でのんびりムードのクリスがやって来る。

「おはよう」

 二人は旧市街へ歩き出す。

「そう言えば、サロンに手紙を送ったら、返信があったんですよ〜」

「へえ、どこの? そこに入るつもりなの?」

「いえ、お断りの手紙です。ほら、ユーナさんが言ってたじゃないですか。わたしを囲む会」

「ああ、あれね」

 入会を断るよう、ユーナが強く勧めた『クリスティーネ・クライル嬢を囲む会』のことだ。

「そこから返信があったの? それには何て?」

「ええとですね」とクリスはカバンから手紙を取り出す。

「『クリスティーネ・クライル様。お返事を拝見しました。単刀直入に申し上げましょう。あなた様は誤解なさっているのです。我々はただ、あなた様と同じ時を過ごす機会を与えていただきたいだけなのです。我々にそれ以上の望みはありません』だそうです」

「やっぱり、やめておきなさい」

 間髪入れずにユーナは答えた。

「そうですよね。判りました。もう一回、お断りの手紙を出そうと思います」

「それも、やめておいた方が良いかも」

 これ以上の関わりは持たない方が良いように思える。

「では、どうすれば良いんでしょう?」

「無視するのが良いと思う」

「無視、ですか」

「うん、無視。そんなのより、他のサロンはどうなの?」

「えと、『超攻撃的な会』は参加してみましたけど、参加している方々の雰囲気について行けなくて……」

 このサロンは武闘派に属するとユーナも聞いたことがある。おそらく、クリスの持力、〈超攻撃的〉に分類される〈切り裂きの風』〉に目を付けて参加を依頼してきたのだろうが、当のクリス自身が筋肉と武術で物を語る系のノリが苦手なので、最初から彼女に向いているとは、ユーナは思っていなかった。

「そっか。じゃあ、やめておいた方が良いかもね。緋針友の会は?」

「緋爪の人がいなくて、話が合いません……」

「なるほど。じゃ、『風の会』の方は?」

「何となく息苦しい気がして……」

 地水火風の四大サロンの中で、『風の会』は、最も人間関係が難しい団体だと言われている。風属性の人間には自由人が多いが、それだけに風属性だけで集団を作ると意見がまとまらず、まとめ役を買って出るような人もおらず、次第に関係がぎくしゃくとしてくるらしい。ゆえに四大サロンの中では規模が最も小さい。クリスはそういったところに息苦しさを感じたのだろう。

「だったら、無理に参加しなくても良いんじゃない?」

「そうですか?」

「だって、どこも気に入らなかったんでしょ?」

 突然、何かを思いついたらしいクリスが、ぱんと手を叩いた。

「そうだ! いっそのことユーナさんがサロンを作るというのは、どうでしょう?」

「あたしが?」

「そうすれば、アンナさんとニキアさんも参加してくれるでしょうし、もしかしたら、リッツジェルド伯爵も……」

「それはナイ。というかイヤ」

「えー? どうしてですか?」

「あ、イヤなのは伯爵が参加することについてよ」

「では、サロンを作るのは賛成なんですか?」

「それもちょっと……」

 むー、とクリスはふくれてしまう。

 結局すべての選択肢が否定されている。クリスがむくれるのも無理はなかった。それに、クリスに対して介入し過ぎている気もする。彼女自身が決めるべき事柄をユーナが横から勝手に決めているように思えたのだ。少しはバランスを考える必要があるかも知れない。

「じゃあ、サロン作るの、少しは考えてみる」

「ほんとですか?」

「でも、あんまり期待しないでね」

「はい」とクリスは期待に満ちた表情で頷いた。


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