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ティレリエン・メア 〜学館の陽は暮れて〜  作者: 西羅晴彦
武門の癖に生意気とか言われても困ります
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遭遇

「ですから、友人たちと一緒に取り組んだんです。だから、首尾よく合格できただけです」

「そうですか。でもね、僕が疑問に思っているのはそういうことじゃない。君は、誰かから入れ知恵されたんじゃないかってことさ」

「入れ知恵?」

 ユーナは眉を寄せる。トーレンドルクの言っている意味が判らない。

「例えば、ローリス・イルトゥースとか、レオンハルト・リッツジェルドとか。ああいう人たちに教えてもらわなければ、君みたいな立場の人間が、合格できるはずがない」

 明らかに、武門の人間の癖にというやっかみだ。確かに、ローリスからの入れ知恵がなかったと言えば嘘になるが、彼女の行動は課題に仕組まれた役割の一つだ。同じ役を、来年は今年の合格者の誰かが担うことになるはずだった。

 こんな言いがかりを付けてくるということは、この男は術門の貴族なのかと疑ってみるが、会話に使う言葉と態度が、そうではないと証明していた。全体的に品に欠けている。つまり、平民、良くても騎士階級だろう(騎士階級は貴族ではない)。

「君は課題で何かを見つけたはずだ。その場所を教えて欲しい。その代わりにずるをして合格したことを黙っていてあげるよ」

 なにを根拠にそんなことを言っているのか全く理解出来ないが、侮辱されていることは判る。さらに言えば、ローリス・イルトゥースまでも間接的に馬鹿にしている。これは許せない。

 そろそろ堪忍袋の緒を切っても良い頃合いだった。啖呵を切るか、やんわりと首を絞める物言いをするか、迷うくらいの理性は一応残っている。

 どちらにするかを決めて、すうっと息を吸う。ユーナが口を開こうとした、その時。

 ばしっと痛そうな音がして、トーレンドルクが頭を抱えた。

「何をやっているの、ルーカス・トーレンドルク」

 怒り心頭気味のアドルフィーネがそこにいた。彼女は手にしている閉じた扇子を、ばしばしと鳴らす。トーレンドルクを叩いた武器はそれだった。

「新参のユーナさんとしばしの歓談を……」

 トーレンドルクは言い訳するが、アドルフィーネの目はまだ釣り上がったままだ。

「ほう……?」

 じろり、と睨まれたトーレンドルクは蛇に睨まれた蛙のように押し黙り、立ち去った。

 途端に、アドルフィーネの雰囲気がころりと変わる。

「ごめんなさい、ユーナさん。嫌な思いをさせてしまって。こういうことが無いよう、予め言っておいたのだけど」

「いいえ、助かりました。ありがとうございます」

「これに懲りずに、また参加して下さると嬉しいわ」

 と言って微笑む彼女の瞳に、曇りは見えない。心からそう言ってくれているのだとユーナにも判った。

 イヤな奴もいるが、このサロンはなかなか良い所のようだ。

 ユーナは『水の会』をそう評価した。


 それから数日間、ユーナは寮と教室と図書館の間を行ったり来たりしながら過ごした。寮に帰るのは八時を過ぎるとが多くなった。夏の盛りのこと、昼は暑かったが、朝と夕方は涼しい。勉学も自然と昼は避けるようになっていた。

 そのうちに、『水の会』で耳にした『辻斬り』のことは、すっかり頭から抜け落ちていた。

 その日も、ユーナは夜の帰り道を急いでいた。手にはいつもの呪杖、腰には鋼のレイピアを携え、いつもながら重武装の出で立ちだった。

 次の『水の会』は再来週になる。顔を出すべきか出さざるべきか、どうしたものかなどと頭を巡らせながら、旧市街のメインストリートを横切って小道にはいる。

 そこに、人の気配を感じた。小道に街灯は一つしか無く、それ以外は暗闇の中。うまく隠れていて、姿は確認できない。

 しかし、気配の持ち主は明らかにユーナに注目していた。ユーナに用事があるのは明白だ。この時になって、ようやく『辻斬り』のことを思い出した。

 今、小道に隠れている人物が、()()なのだろう。

 声をかけてみようと思って、やめる。わざわざ相手をしてやる必要などない。ユーナは回れ右して別の小道へ向かった。

「おいおい、ちょっと待てよ」

 背後から男の声。結構、歳の行った感じだ。

 ユーナは、それでも無視して先を急ぐ。男は追いかけてきて、ユーナの前に立ちふさがった。

 半月の光で顔の細部は見ることができないが、男が無駄なく鍛えられた体躯であることが見てとれる。さらに腰に吊した剣。これは緋剣だろう。

「さあ、これで逃げることはできないぜ?」

 と言う間も与えずに、ユーナは男に背中を向けて歩き出す。

「こ、このっ!」

 男はまたユーナの前に回り込む。

「これでどうだ?」

 このままだと、いつまでも同じ場所をぐるぐる回ることになるので、ユーナは仕方なく男に対峙することにした。

「あなたが噂の『辻斬り』なんでしょう? あたしに何の用?」

「噂を知ってるなら、判るだろう? まあ、闘うかどうかは質問に答えてもらってからだが」

「質問?」

 男は頷いて言う。

「おまえは、『呪猟士専攻』か?」

 ユーナは呪杖とレイピアの両方を携えていたので、見た目には判らなかったのかもしれない。

「そうだったら、どうだっていうの?」

「闘ってもらうことになるな」

「なるほど、そういうことね」

 しかし、わざわざ本当のことを教えてやる必要もない。

「あたしは呪闘士専攻よ」

 きっぱりと言い放つ。

「本当か?」

 男の声には疑いの色がある。

「ほんとほんと。こんなことで、なんでわざわざ嘘をつく必要があるの?」

「ほう……」

 と言いながら、男は剣を抜く。

「違うって言ってるのに」

「嘘と見た。相手してもらおうか」

 ユーナは不満だったが、おそらくこの男の前から逃亡するのは無理だと判断した。ユーナは本のほか、呪杖にレイピアまで携えていたのだ。荷物をすべて投げ出せば逃げ切れるかもしれないが、そんなみっともない真似はしたくない。

 仕方なく、戦闘モードに気分を入れ替える。

「じゃあ、斬られても、文句はないわね」と言いながら、ユーナはカバンを石畳の上に置いた。そして呪杖で固い地面を小突き、そのまま手放した。

 杖はゆっくり、傾いていく。

 がらん、と杖が地面に倒れた瞬間、ユーナは男目がけて突進する。前のめりの姿勢からレイピアを抜き、その剣先を男の鼻先に突きつける。それで、この闘いは終わりのばずだった。

 しかし、剣の先に、男の姿はなかった。男は一瞬でユーナの動きを読み、剣を躱していたのだ。

 ユーナは無言で剣を戻す。

 先手を狙った、かなり有効な突きだったはずだ。それをこうも簡単に避けられるとは、相手は相当な使い手と思われた。

「あなた、何者?」

「そう問われて答える『辻斬り』がいると思うのか? しかし、まさか、呪杖の方を手放すとはね。少し慌てたよ」

 呪杖術士の命とも言える呪具をあっさり捨てたのだから、驚きは当然のことだ。

 しかし、ユーナにとっては合理的な判断だった。女子が緋剣を相手に呪杖で戦うのは分が悪い。だいたいにおいて、呪杖は女子が扱うには重いのだ。それを、武術の一種である『杖術』のように振り回すのは無理がある。となると、ユーナにとってのもう一つの得意技、剣技で相手をするのが正しい選択だった。もちろん、普通の呪猟士専攻が剣技を身につけている訳が無い。だが、武門のユーナにとっては子供のころから慣れ親しんだ技術の一つなのだ。

「そうか、そういうことか」

 男は嬉しそうに声を上げ、続けて言う。

「おまえが、ユナマリア・オーシェだな?」

「は?」

 ユーナは思わず聞き返した。まさか、本名と偽名を混ぜて名を呼ばれるとは思ってもみなかった。

「あたしの名前は、ユーナ・オーシェだけど……」

「そうか。まあ、名前のことは良い」

「良くない!」

「まあまあ、間違えたのは悪かった。それより、おまえは武門貴族の娘で合っているかな?」

「そうよ」

 今度は素直に答える。この期に及んで嘘を言っても始まらない。

「それは良かった。これ以上、館生を傷つけずに済む」

「その言い方からすると、あなたの目的はあたし、なのかしら?」

「俺は、おまえの武術が見てみたい」

 男は緋剣を構えた。ユーナも剣先を男に向ける。会話している時から思っていたことだが、男からは殺気が感じられない。まるで戦いを楽しんでいるかのようだ。実際、殺す気は無いのだろう。今までの被害者たちも傷の程度差こそあれ、命に別条はなかったと聞いている。

「行くぞ」

 男が剣を振り上げたと、ユーナが認識した時には、既にその剣先がユーナ目がけて振り下ろされようとしていた。二人の間の距離も時間もまるで無視したかのような剣技。

 ユーナはレイピアを突き出して相手の緋剣の腹にぶつけ、剣線を逸らした。同時に左足を一歩引いて、剣を確実にかわす。さらに同時に、レイピアを男の肩へ目がけて突き刺す。刺突は完全に肩に食い込んだ。

「若いのに、やるねぇ」

 男の声には、まだ余裕がある。

「それは、どうも」

 レイピアを引き抜いたその時、男が動いて、緋剣を横凪に振るった。ぎゃんと金属音がして、レイピアの先端から半分があらぬ方向に飛んでいき、地面に突き立った。

 レイピアをたたき折られたのだ。

 高硬度を誇る緋剣の前では鋼のレイピアなど細い木の棒に等しい。だからこそユーナは真正面から緋剣を受けるような真似はしなかったのだ。

 ユーナは獲物を失ったことに愕然とするより先に、怒りがこみ上げてきた。

「な、何してくれるの! せっかくお養父(とう)さまからいただいた剣なのに!」

 その剣幕に押された男は、とまどいながら、「お、おう、それはすまん」と言い訳っぽく言った。それだけでユーナの怒りは収まらない。

「すまんで済むか! 子供のころからの愛用だったのよ? 気に入っていたのに!」

「だから、済まんと言っているだろう? それに、今おまえは『辻斬り』に対している訳で、そんなことを気にしている余裕はないんじゃないのか?」

『辻斬り』本人から諭されてしまう。

「それもそうね」

 ユーナは気分を切り替え、あっさりと言い返した。確かに今は感傷に浸るタイミングではない。その態度に余裕を感じ取って、男は警戒を強める。

 しかし、ユーナには特にこれといった策がある訳では無かった。ともかく武器もしくは呪具が欲しいが、呪杖を拾いなおすチャンスを男が与えてくれるとも思えない。接近さえ出来れば持力で相手を凍らせることも可能だが、殺してしまうかもしれない。それは避けたいところだ。

 男はユーナが迷っていることに気づいた様子だった。剣を構えて、無言のままじりじりと距離を詰めてくる。

 ユーナは後退するがやがて背中が建物の壁にぶつかった。

「手詰まり、だな」

 男はそう言って剣を振り上げる。この時になっても男からは殺気が感じられない。振り下ろされた剣がユーナの肩に当たる。かと思いきや、剣線が逸れ、緋剣は空を切る。ユーナが避けたのではない。勝手に剣の軌道が変わったのである。

「なに?」

 男は驚愕の声を上げる。確かにユーナの肩を狙ったはずだった。切るつもりはなく、実際には寸止めで済ますつもりはあった。その狙いが意図に反して外れたのである。

 程なくして、男は「風の持力か。しかし……」と呟いた。

 ユーナは無言のまま男を睨み付けていた。

「そうか、おまえは『幽体捕獲』の合格者だったな。なるほど」と男は一人で納得したようだった。それから剣を収め、一瞬で姿を消した。

「まあ、ともかく目的は達した」

 声だけがユーナの耳に届いた。その台詞は、ユーナの剣の技量を確かめたかっただけではない、何か他の目的があった、というニュアンスが入っているように聞こえた。

 男は、剣線が勝手に逸れた理由を、どうやら気づいていた様子だった。問題は、それを他言されるかどうかだが、どこの誰かも判然としない『辻斬り』が相手では、口止めのしようもなかった。


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