土曜、夜。付属図書館、その5
「ところが」
とローリスは人差し指を立てて朗読を止めた。
「その後、『精霊物理学序論』、通称『スティクトーリスの朱い本』は焚書で燃やされてしまったのです。折しも魔術改革の嵐が吹いた一五〇年前のことです。ですが、幸いなことに、写本が存在しました。これが現在まで伝わる『メーゼンブルグ第三写本』です」
アンナはほっと胸をなで下ろした。
「とは言うものの、また燃やされる可能性がある。このため写本の存在は極秘として、真実を求める者のみが閲覧できるようにしたのです」
「そのための最初の道標が、『幽体捕獲』という課題だった訳だ」
とレオンハルトが付け加えた。
「その後の七日間事件の経緯はすでにご存知でしょうでしょう。ヴァールガッセン卿と水晶術士たちは国外追放となり、公には『水晶術』は禁術指定され、使用できなくなりました」とローリス。
「だが、それでは困るのだよ」
レオンハルトが呟いた。
「どうして?」
ユーナがレオンハルトに向けた問いに答えたのはローリスだった。
「精霊物理学はご存知ですね?」
「名前だけ知ってればいいって教官が言ってたやつですね」とニキア。
「そうですね」
と言ってローリスは微笑む。
アンナは黙ったまま頬を紅潮させている。物静かな彼女には珍しく、興奮しているのが判る。
「魔術史の最初に習う古代の魔術理論、ですよね」とクリスが言い直す。
「『精霊物理学』の『無秩序の業』に属する『封魂の系統』、そこに属するのが『水晶術』です」
とローリスは説明した。
「……つまりどういうことでしょうか?」とクリス。
ローリスは答えて言う。
「『無秩序の業』は、かつての古代世界を終焉に導いた魔術です。神々の戦いを知っていますね?」
「神話ですよね? ティレリア神話の中の創世神話」
クリスは言いながら、ずっと黙ったままのユーナを見やった。
「では、『神話学』を受講していますか?」
レオンハルトとニキアは首を振り、ユーナは無反応のまま、残る二人は頷いた。
「最近の神話研究では、テオマキアは実際にあったことだとするのが、有力な学説になりつつあります」
「はい」
アンナは同意するように頷いた。
「神々は『無秩序の業』を用いて戦争の尖兵と言える存在を創造しました。その結果出現したのが、後に天使や悪魔と呼称されるようになった存在です。『無秩序の業』の根幹は、精霊同士の結合を自在に操ることにあります。エーテル圏だけではなくアストラル圏にまで介入し、魂や精霊を切り刻み、自然界には存在しなかった結合を行い、有りえない生物を作り出すことが出来るのです」
「そんな術式、危なくない?」
とニキアがつぶやく。
「そうですね。ですから、その意味でも『水晶術』は隠されるべきなのです」
ユーナは、俯いたまま終始無言だった。クリスは心配になって声をかける
「ユーナさん、どうなさったんですか?」
それにレオンハルトが答える。
「自分の家系が、無実の罪をかぶった『水晶術士』の追放に関わっていたのだから、ショックも大きいだろうさ」
ユーナは頷いて、ようやく口を開く。
「武門貴族出身だから嫌われているんだと思ってました。だけど、こういう理由があったんですね」
「それは少し違うのよ。リーズ侯爵家は昔から魔術に理解のある家柄だったの。でも、だからこそ、魔術を暗殺に用いたことが許せなかったのでしょうね」とロールス。
ユーナはレオンハルトを見た。
「あんたが言ってたことって、これだったのね。覚悟しておけって」
「まあ、そういうことになる。たが、君なら大丈夫だろう、とも俺は言ったはずだ」
「確かに、ね」
ユーナはかすかに微笑んだ。
「さて、講義はこれでお仕舞いです」
「あの、お訊きしても良いでしょうか」
アンナは手を挙げた。
「何でしょう」
「『精霊物理学序論』は、どうすれば閲覧できるのでしょうか」
「今はわたくしが持っています。来年は、ここにいる皆さんの誰かが所持する事になるでしょう」
「つまり、その人に言って見せてもらえば良いんですね」
ローリスは頷き、続けて言った。
「そして、おめでとうございます。皆さん、課題合格です」
「ほんと? やった!」
ニキアは喜びのあまり立ち上がって両手を天に突き上げた。
「あの、提出物は要らないんですか?」とクリス。
「必要ありません。『幽体捕獲』の方法を伝えるのが課題の主旨ですから。本当に捕まえてしまうと、資格剥奪になってしまいますよ」
「それもそうですね」
答えながら、ユーナは呆気ない終わりに拍子抜けしていた。しかし、一方で、何かが頭に引っかかっている気もした。
扉を開けて廊下に出たとき、ユーナは、クリスに呼び止められる。
そこで自分の気持ちを打ち明けると、
「実は、わたしもです」とクリスも同意した。
螺旋階段を降りようとしたとき、それが判った気がした。白い本の中でファルマ・スティクトーリス公爵は、『水晶術』を『極秘裏に継承できるようにすべき』と記述していた。だが、実際には、ユーナ達は継承したわけではない。違和感の原因はそこにある。
すなわち、『水晶術』を『継承できる』仕掛けが、まだ残されている。そこで目に止まったのが、螺旋階段だった。
「歴史は循環し螺旋をなす……そうか、そういうことね」
「どういうことですか?」とアンナ。
「時計塔の秘文が解決してない。ブラシウス聖堂のは、口に出して言ってみたら本棚が動いたでしょ」
「つまり、時計塔の秘文も口に出して言えば何か起こるということですか?」
「ほんとかなぁ」ニキアは早くも螺旋階段を降り始めている。
「言ってみれば判るでしょ」
ユーナは時計塔の秘文を声にする。
「『歴史は循環し螺旋を成す。真実はその中央に沈殿する』」
みし、と建物がきしむ音がした。
ゆっくりとだが、確かに目の前の螺旋階段が回転を始める。
歯車の噛み合う音と共に、螺旋が上に伸びていく。
「なに? なに?」
ちようど階段を降りる途中だったニキアはそれに巻き込まれ、回転しながら二階より高い位置へ昇っていく。
手すり部分が天井にぶつかる直前で、螺旋階段は動きを止めた。ニキアは頭がぶつかるすれすれだった。
「ニキア、大丈夫?」
「び、びっくりした」
そう言いながらニキアは二階まで降りて来る。
「一階に穴が空いてますね」
クリスが一階を覗き込む。
「地下まで螺旋階段が繋がっているみたいです」とアンナ。
もともと地下まで繋がっていた螺旋階段が上にあがることで、床の部分が上に上がり、地下への蓋が開いたのだ。
「これも『水晶術』の仕掛けね」
「一体、どういう意味があるんでしょう」とクリス。
「行ってみれば判るでしょ」と答えながら、ユーナには確信めいたものが芽生えていた。
ユーナは階段を降り始めたところで、足を止めてレオンハルトを見る。
「あんたは、どうするの?」
「ご一緒して良いのかな?」
意外なことにレオンハルトは遠慮がちに答えた。
「好きにしなさいよ」
ユーナが素っ気なく言うと、レオンハルトは「ありがとう」と言って笑顔を見せた。
「ユーナさん」
いつの間にか螺旋階段の近くまで来ていたローリスが呼び止める。
「ユーナさん。よく気付きましたね」
「ええと、あの、はい」
「これからあなた達は、最後の真実を見ることになるでしょう。いってらっしゃい」
とローリスは微笑みながら手を振った。
螺旋階段を地下まで降りると、長い横道となっていた。
ニキアがランタンを手に先を行き、次にレオンハルト、そして女子三人が続く。
「この先に何が待っていると思いますか?」
「時計塔の秘文に従うなら、あるのはきっと、二つ目の真実」
「それは何でしょう?」とクリス。
「行ってみれば判るよ、たぶん」
しばらく進むと、下り階段が現れ、五人は頷きあって先に進む。さらに歩くと、古びた木製の扉が、五人の行く先をふさいだ。
レオンハルトが扉を押し開く。
ニキアがランタンを掲げる。
明かりに乱反射する光が、五人を出迎えた。
そこには球状のもの、角柱のもの、様々な形をしていながら、どれも水のように透き通る静物が無数に、棚の上に整然と置かれていた。
「こんなにいっぱい……」
「全部、水晶……」呆気にとられてニキアが呟く。
「これが二つ目の真実ね」ユーナは確信を持って言った。
「どういうことです?」とクリス。
「『水晶術が隠されている』と言うのが、一つ目の真実だった。でも、その先があったってことよ」
「先ですか?」
ユーナは「うん」と頷いて続ける。
「水晶術は、ただ残されていたんじゃない。ちゃんと受け継がれるように残されていたってこと。この水晶は、水晶術士たちが追放される時、スティクトーリス公爵に託したものだと想う。浮き彫りにあった通りにね。そして公爵は、ここにその水晶を隠した。将来の術士がここに到達して、受け継ぐことが出来るように」
ユーナは人差し指を立てて説明した。
「そして、『幽体捕獲』なんて仕掛けを施した、というわけか」とレオンハルトが付け加える。
「なんか、ここに文字があるよ」
とニキアが指さす壁には、確かにクヴァルティス語の黒い文字が書いてある。
代表してアンナが読み上げる。
「この水晶の間に到達した君たち、おめでとう。君たちは課題を成し遂げた。故に単位は『優』をあげよう。褒美はここにある水晶。どれでもいい、一つもって帰ることを許可しよう。ただし、このことは秘密だ。ファルマ・スティクトーリス……だそうです」
「『優』だって! これで『精霊学基礎』から解放される……」
「持ち帰って良いと言われても……」と戸惑うクリス。
「なるほど。こうして水晶術は受け継がれて来たって訳だ」
レオンハルトは感慨深げに言った。
「あんた、最初から知っていたの?」
「『幽体捕獲』が水晶術に関わる課題だと言うことは知っていた。これは術門貴族の間では公然の秘密だったからな。だが、ここまでのものとは思っていなかったよ」
「そう……」
と頷いて、ユーナは微笑んだ。
「どうした? いきなりニヤニヤして」
「何でも無いわ」
「何でもないことはないだろう」
「どう? 吠え面かいたでしょう?」
ユーナは得意げに笑った。
「確かに、完敗だよ。さすが我が婚約者だ」
「な?」とニキア。
「え?」とアンナ。
「それって、ほんとうですか?」とクリス。
「もちろんだとも」
胸を張ってレオンハルトが言う。
「ちょっとちょっとちょっと、どういうこと?」
ニキアがしたり顔で寄ってくる。
「ちが、違うって。ただ候補ってだけでしょ? こいつの花嫁候補なんて、何人もいるんだから」
「そんなことはないぞ。おれの心は一つだからな」
「あんたも、そういう勘違いされそうなことを……」
「勘違いではない」
「ば、ばかもの……」
ユーナは、紅くなる頬に手を当てた。
学館の陽は暮れて 了




