土曜、夜。付属図書館
アンナが言うには、「図書館に行くのは夜にしましょう」とのことだった。昼だと、他の館生が居るのでやりにくいのだそうだ。禁術に関わる調査をしようというのだから、彼女の言い分は尤もなことだった。
付属図書館は夜の十時に閉館となる。その後も居残りする為には、全員で図書館司書へ届け出が必要になる。それを終えてから、それぞれの寮に戻って夕食を摂り、再集合することになった。
ユーナが図書館に着いたのは九時を少し回った頃だった。既に図書館利用者の姿は絶えている。帰りたそうにしていた司書から鍵を受け取ると、ユーナは一人、残された。
しばらくして、クリスが姿を見せる。
「早いですね。ユーナさん一人ですか?」
「うん」
「ニキアさんとアンナさんは、いつ頃来るのでしょうか」
「アンナは、ニキアを迎えに行くって」
「じゃあ、もうしばらくは、二人きりですね」
「そ、そうね」
ユーナは、クリスの雰囲気がいつもとちょっと違うような気がした。
「どうかしたの?」
「いえ、何でもありませんよ?」
「な、何でもないって感じじゃないよ?」
「そうでしょうか」
「うん……」
「だとしたら、ユーナさんの所為ですよ」
「どういう意味?」
「そのままの意味です」
クリスは妖しい雰囲気を漂わせる。
「えっと……」
ユーナは、対応に困り、逃げる口実を考える。
「ユーナさん……」
クリスはユーナにさらに近付く。ユーナはなんとなく身の危険を感じた。
ちょうどその時、扉が開いてアンナとニキアが姿を見せる。
「参ったよ、外出するのは課題の為だって言っても誰も信じてくれなくてさ。アンナが迎えに来てくれなかったら、出てこれないところだった」
ニキアは遅れた理由を説明した。
「もうっ、お二人とも早すぎです!」
クリスは悔しそうに言った。
「どしたの?」
状況が読めていないニキアがあっけらかんと言った。
「なんでもないてす!」
クリスはそう言って膨れてしまった。
とりあえず助かった。
「アンナ、さっそく聞きたいんだけど」
四人が閲覧席に座ったところでユーナが切り出す。
「わかりました。……ファルマ・スティクトーリス卿が館長を勤めていた当時、クヴァルティス術士界を震撼させた事件があったのです。それが当時の皇帝陛下であらせられたハルトゥス帝の暗殺未遂事件です」
「それが今朝、話していた『七日間事件』ね」
「はい、その首謀者とされたのがヴァールガッセン剥奪男爵。彼とその一味は水晶術士だった……」
ハルトゥス帝は、〝柔帝〟と贈り名された双子の兄ラキニオスの後を次いで帝位に登った。兄とは対照的に〝厳帝〟と贈り名をされるほど何事にも厳しい性格で、悪を許さず正義を愛する人物だったという。
「そんな事件があったんだね……」とニキア。
「動機は、何だったんでしょうか。そんな暴挙に及ぶ以上、なにか事情があったはずですよね」とクリス。
「ハルトゥス帝と言えば、魔術史で習ったけど、『術士制限令』を出して術士の権限を制限しようとしたんだよね。それと関係あるのかな?」とユーナ。
「ハルトゥス帝は術士を嫌っていたということですか?」とクリス。
「確かにハルトゥス帝は武門派だったと言われています」とアンナが答える。
「制限て、具体的には、どんなの?」とニキア。
「術士資格所有者が皇帝の側近になるのを禁じる、とかじゃなかったかな」
「それから呪闘士の廃止ですね」ユーナの説明にアンナが付け加える。
「ですけど、呪猟士は存続されたんですよね? どうして、呪闘士だけが?」とクリス。
「一説では、武門貴族が裏で手を引いたとも噂されたそうです。帝軍から術門派を一掃したかったのかも知れませんね」
「でも今も呪闘士は居るよ」
呪闘士専攻のニキアが聞く。
「はい、なぜかハルトゥス帝の在位期間中に呪闘士は復活しています」
「話をもどして。事件はその後、どうなったの?」
「はい。未遂に終わった後、水晶術士たちは立てこもって抵抗したそうです。そこで流血もあったと言われています。最後は、ファルマ・スティクトーリス閣下の説得に応じて投降。暗殺未遂から、それまでにかかった日数が七日間だったと言われています」
「その事件が『血の記録』と言うわけですね。でも、『図書館』というのは?」とクリス。
「水晶術士たちが立てこもったのは、この図書館だったそうです」
「え? ここ?」
「はい。ですから、この場所に何か手掛かりとなる痕跡が残されているのではないかと思うのです……」
「痕跡って、『水晶術』に関わるようなの?」
「そうだと思います」
「ここでも像を探せ、ってことね」
今まで見てきた『水晶術』は、石像やブロンズ像が使われていた。となると、図書館でも同じようなものを探せば良いのではないか。
「または、『七日間事件』にまつわるもの……」とクリスが付け加える。
ユーナは頷いて言う。
「そうと判れば、手分けして探してみよう。私はクリスと二階を。アンナはニキアと一階をお願い」
四人は二手に分かれて何かしらかが無いか探しに散って行った。
ユーナはクリスと組んで一階の書架の間を巡る。像や、何か紋様のなものがないか、目を凝らす。だいたいそういう類の置物は、壁際にあるか、柱の側に配置されている。そこで、ユーナは書棚の間ではなく壁に沿って目当てのものを探した。
しかし、一時間経っても、それらしい手がかりものは何も見つからない。
ユーナとクリスが閲覧室に戻ると、アンナとニキアは既に戻ってきていた。
「どうだった?」
ユーナは椅子に座りながら訊いた。
アンナは無言で首を振った。
「どうもこうも、やっぱりこんなに広いと何が何だか。でも、像みたいなものは無かったと思うよ?」とニキア。
「あたし達もそんな感じ」
しばらくの沈黙。
「それで、これからどうしましょうか?」
「う~ん……」みんな、悩むばかりで何も思いつかない。
「何かを見落としているはずなんです……」アンナは、困ったような悔しいような、それらが入り混じった表情を見せた。
「だったら、初心に帰ってみよう」ユーナは人差し指を立てた。
「初心って?」とニキア。
「そもそも、『水晶術』がどんな術法なのか、あたし達は詳しく知らない。魂を操ってゴーレムみたいのを作れる法式があるのは聞いたけど、それ以外は、どんな術式で、どういう法式があるのかってこと」
「確かに」とクリスは納得する。ニキアは渋い表情をしている。
要望に応えてアンナが話し始める。、
「水晶術とは、一言で言えば、精霊と魂を自在に操る術式です」
「自在にって……まさか切り貼りするって訳じゃないよね?」とニキア。
「まさに、そんなイメージです。複合精霊は知ってますか?」
「複数の精霊から構成される精霊のことね。広義には、魂も当てはまるはず」
ユーナは『精霊論基礎』を引き合いに出しながら言った。
「『封じの法式』、すなわち『封魂法』は、強引に肉体から魂を引き剥がし、別の物質に結合するものです」
「つまり、複合精霊なら、なんでも対象になりうる、と言うことですね」
クリスの確認に、アンナは頷いて続ける。
「そして、『水晶術』は、意志を持つ擬似的な生物を作り出すと言われています」
「動く像が生物なんですか? どういう理屈なんでしょう」と不思議そうにクリスが訊く。
「『精霊物理学』によれば概念的には、『二手対二手結合』と言うらしいです。魂が持つ四種類の結合子のうち、二種類をエーテルの塊である水晶に結合させ、残りをマテリアルに結合させて擬似的な生物を作り出す、と言うことのようです。結合するマテリアルを土属性にすれば石像やブロンズ像が擬似的な身体になります。そして、マテリアルを変えることで、持力発現に似た現象を起こすことも可能です」
水晶は土属性であることはもちろんだが、その他に水属性を有しており、エーテル含有量は他の宝石と比較して非常に多い。言い換えれば、大量のエーテルによって土と水の精霊が繋ぎ止められているのが水晶というマテリアルである。
「一応、確認なんだけど、寮の暴風も、原因は『水晶術』と言うことで正しいんだよね? あれはゴーレムと言うより、まさしく幽霊だったけど」とユーナ。
「はい。その幽霊は、風とマテリアル結合したタイプの擬似生物だと理解すべきでしょう」
「あれも課題に関わる仕掛けなんだね……」
なんで、ウチの寮にそんなものがと、ユーナは思った。だが、よく考えてみれば、リーズ寮は、つい最近までスティクトーリス家の持ち物だったのだ。それをリーズ家が譲り受けた経緯がある。この一連の事柄には、ファルマ・スティクトーリス公爵と言う人物が深く関わっているのは明白なのだから、公爵家が一枚噛んでいる。そう考えるのは無理のある話ではない。
「つまり、『落石通り』、『ブラジウス聖堂』、『リーズ寮』の三箇所が課題に関係する仕掛けってことね。それとメーゼン橋のブロンズ像もそうか」
「それらは真実にたどり着くための道標なのでしょう。それを辿った人だけが『隠された真実』を見つけることが出来る。『真実』とは『水晶術が存在すること』。そして『真実』は『資格を持つ者に見つけられる』。これは『対話する神々』が言っていたことです」
「じゃあ、『資格』って、具体的には?」
「おそらく、『禁術という事実に抗う覚悟があるかどうか』、でしょう」
「じゃあ、ここでの道標って?」とユーナ。
「像とかじゃないのは確かだね」とニキア。
「でしたら、オーソドックスに、何かの合い言葉みたいなもの、とか?」とクリスが人差し指を立てる。
「意外と、『ヴェリタス・イン・スクリプタ・サングイネア・イン・ビブリオテカエ』だったり。そんな安直な訳ないよねぇ……」
ユーナは、そう言って椅子の背もたれにもたれかかった。
その時。
なんの前触れもなく、灯りが消える。
みし、と床が軋みを上げる。
次の瞬間、周囲の本棚が一斉に移動を始める。まるで底に車輪がついているように動き回り、あっという間に四人を囲むように壁を作った。




