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ティレリエン・メア 〜学館の陽は暮れて〜  作者: 西羅晴彦
学館の陽は暮れて
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金曜、夜。ブラジウス聖堂

 翌日。

 深夜の二時。

 旧市街の西のはずれ。

 四人は小さな聖堂の前に集まっていた。

「こんなところに聖堂なんてあったんだ」

 ニキアは古い建物を振り仰ぐ。

 煉瓦造りの壁は所々が崩れ落ち、周囲の石畳は隙間から草が生えている。

 聖なる建物と知らなければ廃屋と勘違いしても責められはしないだろう。そのくらい古い建築物だった。

「このブラジウス聖堂には『対話する神々』と呼ばれる伝説があります」

 アンナが切り出す。

「その伝説が禁術に関係あるの?」とユーナ。

「おそらくは」

「また襲われたりしないよね?」とニキア。

「申し訳ありませんが、それは判りません」

 アンナは気まずそうに答えた。

 みんな、沈黙する。

「大丈夫だよ、今夜はちゃんと準備してきてるし。でしょ?」

 ユーナは呪杖のほかにも、用意できる限りの符などを持参していた。

「ええ、そうですね」

 クリスもいつもより多めに緋針を用意している。

「あたしには、これがある」

 ニキアは第三緋剣を見せびらかす。

「じゃあ、行こう」

 木製の厚い扉は軋みを上げて内側に開いた。

 蝋燭のゆらゆら揺れる灯りに、堂内は薄く照らし出されていた。普通はミサのために長椅子が設置されているものだが、この聖堂にはそれがない。壁を伝うのは植物の彫刻、天井近くにうっすらと浮かび上がるのは、髑髏や大腿骨の彫刻。祭壇には、聖ブラジウスの絵画が掲げられている。

 その祭壇の前に、大勢の人間のシルエットが揺れていた。それは十三体のブロンズ像。祭壇に向かって縦に、二列になって向かい合うように並び、なぜか一体だけがあぶれた様に、列から離れて入口の方に立っていた。

 ニキアは緋剣を構えて三人の前に出た。いつもの彼女と違い、気迫が漂う。昨夜の轍は踏まないというつもりなのだろう。ユーナとアンナは呪杖を構え、クリスは緋針を三本を手のひらに隠すように持っている。

 昨晩の出来事から順当に考えて、ブロンズ像が動き出すと見るべきだった。

 四人は、警戒を怠らず、様子を窺う。

 そのまま時が過ぎる。

 しかし、みんなのやる気に反して、四人以外に動くもこはなく、四人がたてる吐息以外、何も聞こえない。

 さらにしばらく時間を置いてから、全員が構えを解き、呪具を元に戻した。

 肩すかしを喰らった感じだ。

「アンナ、これはどうなってるの?」

「私が聞いたところでは、このブロンズ像たちが会話するということ以外は、何も……」

「だとすると、動くとは限らないんだね。今夜も待ってみるしかないかな」

 その時、何を思ったのか、クリスがおもむろにブロンズ像に近づいていき、その堅く冷たい頬に触れる。

「この像たち、十二柱神なんですね」

 十二柱神とは、神話に出てくる神々のことを指す。大神アルマから始まって戦神テウラス、慈愛の神リディルレ、契約の神コースティスなどが含まれる。彼らは神代に、悪魔とも呼ばれる外の神々と戦って勝利し、この世界を構築したと言われている。

「ちょっと、クリス! 危ないよ?」

 ユーナが咎める様に注意した。何が起こるのか判らないのだから、迂闊な行動は慎むべきだった。しかし、クリスはお構いなしだった。

「これは、リディルレの像ですね」

 それは水と慈愛の女神のことだ。

「像は全部で十三いるよ。もう一つはなに?」とニキア。

 今度はアンナが入り口に近い一番像へ歩いて行く。彼女は像に触れることはしなかったが、しばらくじっと見つめてから、三人の方へ振り向いた。

「これが違います。術士の像ですね。それも、高位の人物です」

 術士の位は徽章を見れば判る。

「なんで、そんな仲間外れの像があんの……?」とニキアが呟く。

「確かに、そうね。ちょっと場違いな感じ」

 クリスが、突然、アンナに話しかける。

「アンナさん、リディルレって、水晶球を持ってましたっけ?」

「いいえ。水晶球を持つのは、コースティスですよ」

「ですよね……」とクリスは腑に落ちないといった様子。

 コースティスは運命と契約の神のこと。この神は手に持つ水晶球で人間の運命を見ると言われている。神像はその像が誰なのかが判るように、それぞれ固有のアイテムを持っているのが普通だ。

「どうしたの?」とユーナはクリスの側に寄る。

「これ、なんですけど」

 クリスはリディルレの左手を指差す。その像は、ブロンズ製の球体を持っていた。リディルレの本来の持ち物は水瓶のはずである。

 おかしいと思ったユーナは堂内をぐるりと見回す。そして、すぐに異常に気がついた。

「ここの神像って、みんな丸い物持ってない?」

 みなブロンズ製ではあるが、リディルレのように手に持つもの、首飾りや指輪として持っているものもある。そして、それぞれの本来のアイテムを持っていない。

 この神像たちには、何か作り手の意図が隠されているに違いなかった。そうでなければ、こんな珍妙な像を建立したりしない。例えば、そう、禁術に関係する何か、とか。

「もしかしたら、いえ、もしかしなくても禁術は水晶球(クリスタル)に関わるものなのではないですか?」とクリスが言った。

「なるほど、それはありうるかも……」

 ユーナも同意する。

 課題の掲示を見たときに、隣りに居合わせた館生が口走った、『クリスタルム』という単語。

 メーゼン橋のブロンズ像の眼球に使われていた、透明な石。

『落石通り』からアンナが持ち帰った、透明な石の破片。それらが水晶なのだとしたら……。

 その時、ユーナの思惟を突き破るように、大音響が四人の間を駆け抜けた。

 鼓膜がびりびりと鳴り、驚いた四人は耳をふさぐ。

 しかし、単なる雑音ではない。ちゃんと和音を構成し、メロディーが奏でられていく。

「パイプオルガンですね」

「え? 何?」

 大きな音に遮られ、アンナの声はユーナに届かない。

「パイプオルガン!」

 アンナが叫ぶ。

「え?」

 ユーナは、もう一度聞き返す。

 すると、アンナは上を指さした。人間の背丈より遥かに高い場所で、幾本もの金属製のパイプが天井まで伸びていた。それはパイプオルガンの一部で、階下からはそれしか見えないが、鍵盤を持つ巨大な楽器である。

「ああ、なるほど」

 言うと同時にユーナは声が聞こえていなくても判るようにと大きく頷いて見せた。

「フィストバルのトッカータかしら?」

 クリスは首を傾けて呟いたが、その声もユーナ達には届いていない。

 アンナは壁際に据えられた階段を指さし歩き出す。その意味を察した三人も続いた。

 登り切ると、そこには、細いもの、太いもの、数え切れないほどの金属製パイプが屹立し、その中央に二段の鍵盤が据えられていた。

 だが、人影はない。つまり、演奏者がいないということで、なぜオルガンが鳴っているのか説明がつかない。

 演奏が終わると、周囲は、何事もなかったかのように、静寂に逆戻りした。

『真実はどこにあるのですか?』

 静けさの中に、男の声が響いた。ユーナは、辺りを見回す。しかし、それらしい影はない。レオンハルトかと疑ってもみたが、もしそうなら、隠れていないで姿を見せるはずだった。

「確かに聞こえたよね?」

 確認すると、みんな、頷く。背筋が少し寒くなった。

『彼女は一人泣いています。彼女が掲げた輝く栄光は、どこに消えてしまったのですか』

 今度は、女の声が聖堂の中に木霊した。どうやら、声は階下から聞こえてきているようだ。

 四人は手すりから乗り出して下を見る。

「これが、『神々の対話』?」

「おそらく」とアンナが答えた。

 対話はなおも続き、男の声が響く。

『それは消えたのではない。隠れているだけなのだ』

『なぜ隠れているのですか』と女の声が訊き、問答が始まる。

『真実とは表に現れるものではない』

『それは、真実と言えるのですか』

『真実を知る者は限られる。資格のない者にとっては、それはただの言葉以上の意味を持たない。ゆえに真実は隠されるのである』

 しばらくの静寂。

『知識とは、人間から人間に受け継がれるべき物であって、それ自体には、善悪はない』と別の男の声が言う。

『善悪を決めるのは人間の感情である。感情が理性を支配した先に善悪が存在する。知識は感情のくびきから解き放たれていなければならない』と、また別の男の声。

『知識とは、真実を指し示す道標である。だが、虚偽を示す知識もまた真実である』

『知識には真実を示す知識、虚偽を示す知識、虚偽そのものの知識がある』

『真実を求める者には、真実を示す知識を正しく判断するための理性が求められる』

『これを、忘れた者は罠にはまり、資格を失う』

『ヴェリタス・イン・スクリプタ・サングイネア・イン・ビブリオテカエ』

『聞くものよ、神々の声を心に留めよ』

 最後に、入り口前の高位術士像の方から声がして、対話は止んだ――。


 四人は階下に降りてしばらく様子を窺ったが、それ以上のことは何も起こらないようだった。

「もう終わりってこと?」

「はい。ですが、成果は十分にあったと思います。対話の内容は、禁術に関係があると思われますので」

「というと?」

「会話の中に、『ヴェリタス・イン・スクリプタ・サングイネア・イン・ビブリオテカエ』という言葉がありましたよね。クヴァルティス語に訳すと、『真実は、図書館の赤い記録の中にある』と言う意味になります」

「『図書館の赤い記録』……。なにかの本かな」とユーナ。

「おそらく、『スティクトーリスの朱い本』を指しているのだと思われます」

「なんか、聞いたことがあるような、ないような」

 ユーナは頬に人差し指をあてる。そして、思い出した。

「もしかして、『黒い本』と関係ある?」

「はい。俗に『スティクトーリスの三冊』と言われている本の一冊です。黒い本、白い本、そして朱い本。朱は、ファルマ・スティクトーリス公爵の旅行記です」

「じゃあ、その朱い本を確認するのが次にやるべきことか。……でも、アンナは読んだことあるんじゃないの?」

 勉強家のアンナが、名著と呼ばれるような本に目を通していないはずがない。

「いえ、読んだことはありません。……なぜなら、焚書されたからです」

「そっか」と納得しかかって「え? 焚書?」と聞き返す。焚書。つまり、異端認定されて燃やされたということを意味する。

「じゃあ、中身を確かめることはできないってこと?」

 アンナは無言で頷いた。

 ユーナは道標が目の前で消え去るのを感じた。

「ですが、まだ手がかりはあります」

 そう告げるアンナの表情には自信があった。

「もう一カ所、見ていただきたい場所ができました」

「それは、どこ?」

「集議堂、です」


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