木曜、夜。落石通り
修道女の山とメーゼン川の間の土地を旧市街といって、古くは六王国時代から人が住んでいる。学館の教室は、ほとんどがこの街区にある。
川の反対側を新市街と言う。新しいと言っても、既に二百年以上の歴史がある。新市街は、川沿いに幾つかの貴族寮がある他は、住んでいるのは、ほとんど平民である。
新市街側にも山があり、こちらは『修道士の山』と呼ばれていて、山の中腹には『スティクトーリス寮』が建っている。名前の通り、スティクトーリス公爵家が所有する寮である。昔は男子修道院が頂上にあったと言うが、現在はそれらしい廃墟が残されているのみである。
その名残として、山の頂上に至る登り坂には、十二柱神の神像が点々と設けられており、その全てに参拝すると、聖教会の総本山であるゲイルゴーラのアルマ大聖堂に詣でたのと同じ御利益があると言われている。
さて、話を本筋に戻そう。
『修道士の山』のメーゼン川に面する側の麓に、奥が行き止まりの細い通りがある。古い坑道の入り口として使われていたという。山のすそを切り通して作られたため、道の両側が切り立った崖になっていた。
その所為か、落石が絶えることがない。
付いた名前が『落石通り』。
坑道はすでに閉じられ、朝と夕に陽がわずかに射し込むだけで昼でも薄暗くじめじめとしているので、住居はあるが、住人はいない。まして、今は深夜の二時、月明かりは届かず、窓明かりも無ければ街灯の灯りもない。アンナが持ってきたランタンが無ければ、四人とも暗闇に閉じこめられているだろう。
アンナが歩みを止めると、三人も立ち止まった。
誰も何も話さない。
明かりを中心にぼんやりと浮かび上がる互いの顔を見比べる。
「さて、来てみたは良いけれど……この後どうする?」
「岩が落ちてくるのを待ちます」
アンナが簡潔に答えた。
「転がって登るんじゃなかったっけ?」
「登るためには、まず、落ちてこなければなりません」
こういうのは、いわゆるゼン問答というのではないか。
ユーナは、アンナの言うことなので仕方なく従うことにした。
そのまま、時が過ぎていく。
「いつまでこうしてれば言い訳?」
ニキアはすぐに飽きてしまったようだ。
「まあ、もうちょっと様子見ようよ」
ユーナがなだめる。
その時、からからと頭上が鳴り、ぱらぱらと小石が降ってくる。
岩の落下を察したニキアが、道の中央に寄る。それとほぼ同時に、大人の頭くらいの岩が転がり落ちてきた。
石畳にぶつかって、ごん、と鈍い音が響く。
それは、ニキアが場所だった。
「こんなのぶつかったらただじゃ済まない……って、なんじゃこりゃ?」
落ちてきた岩を確認したニキアが興奮して叫ぶ。
その岩は本当に人間の頭の彫刻だった。
「なんか、不気味……」とユーナ。イヤな予感がしてきた。ユーナの勘は、獣的直感で、幼少期に磨かれたものだ。これが意外と当たる。
また落ちてくる音がする。
それを頭上に聞いたクリスもさっと身をかわす。ちょうどその場所に、また岩が落下する。今度は人の手の形をしている。
「まるであたしらを狙ってるみたいに落ちてくるな」とニキア。
「崖の上は『スティクトーリス寮』ですよね。寮生は気づかないんでしょうか」
クリスは怪訝そうに言った。
「知り合いの寮生に聞いてみましたけど、この上は庭園になっているそうです。石像が沢山あって気味が悪いので誰も近づかないのだとか」とアンナは説明した。
「そこから転がって来るわけか……なんて迷惑な」ユーナは少し憤りを感じた。
今度は、広範囲で音がした。落ちてきたのは、複数の腕、胴、脚……そして、頭。
見回すと、石像数体分の様々な部位が石畳の上に転がっている。
「気味が悪いですね」
クリスは手で口元を覆う。
続いて、ずず、ずず、と地面を擦る音。
アンナがその方向にランタンをかざした。照らし出されたのは、ひとりでに転がる岩、だった。
「うわっ」とニキア。
「何が起こっているんでしょう……」クリスは状況を見守る。
岩は次第に集まっていき、人の姿を取り始める。すべての部位が集まって固まると、立ち上がった。そしてユーナ達の方へぎこちなく歩き始める。まるで物質を伴った亡霊のようだ。
「ニキアさん、その人型、壊してみてください」
「え? いいの?」
アンナか頷きを返すと、ニキアは嬉々として腰の緋剣を構えた。
「じゃ、遠慮なく」
ニキアは緋剣を顔の岩に振り下ろした。斬るとか、突く、ではない。叩きつけると言うのが相応しい、豪快な剣裁き。剣術も何もあったものではない。その一撃で、岩は砕け散った。緋剣は高硬度を誇るのでその位では刃こぼれ一つしない。
ニキアはそれに飽き足りず、二撃、三撃と繰り返して粉微塵にした後、次を物色する。
「うふふ、うふふ」
興奮しているのか、ニキアは笑いだす。次第に笑いが大きくなっていく。
「あはははははは、あはははははは」
ニキアの哄笑が響く。何かスイッチが入ってしまったみたいだ。そうして、落ちてくる岩をことごとく粉砕していった。
「ニキアさん、そんなに粉々にしないで! 止めてください。全部壊さないで!」
アンナの制止も耳に届いていない。火がつくと誰も止められない。一種の戦闘狂。
「ああなったニキアは、ほっておくしかないから」
ユーナが慰めるように諭すと、アンナはため息をついた。
ニキアの笑い声が鳴り響く中、アンナは砕かれた岩に近づき、破片を手に取って調べ始める。
そこにクリスが寄って来た。
「石の中に、こんなものが」
と言って、アンナに透明な石の破片を手渡す。滑らかに磨かれた表面を持つ破片。元は球体の一部だったことが判る。
受け取ったアンナは、目を見張る。
「これを、どこで?」
「そっちの岩の中に」とクリスが指さしたのは、やはりニキアが通った後のがれきの山。
「探し物はこれなのでは?」とクリス。
「そうです、けど……」怪訝そうに答えるアンナ。
その時、ユーナは後ろに人の気配を感じた。しかし、アンナとクリスは目の前にいるし、ニキアは遠くで笑いながら岩を砕き続けている。
イヤな予感が現実になった気がした。
ユーナは振り向き様に呪杖のテルティアに持力を通して叩き付ける。固い物に当たった感触が杖を通して腕に伝わる。やはり、人間ではなく、石像。
ユーナの持力を受けた石像は、もともと水分を多く含んでいたために凍り付き、バランスを失って倒れ、ばらばらになった。
「ユーナさん、大丈夫ですか?」
異変に気付いたクリスが叫ぶ。
「いつの間にか、後ろから石像が……」
ユーナが言いかけたとき、さらに岩が雨霰のように降ってきた。
「あぶない!」
危険を察知したユーナ達は、とっさに崖の反対側に逃れる。
落ちてきたのは、やはり、人間の像の一部ばかり。
そして、またもや転がりながら集まっていき、人の形を取った。
その数、二十体以上。
その中に、一際大きい石像が一体。高さは人の背丈の二倍を優に越えている。そのすべてがニキアに向かって歩き始めた。
「ニキアさん!」
アンナが呼びかけるが、彼女には聞こえていない。
「あはははははは、でっかいな、こいつぅ。お前が親玉かぁ? あはははははは」
「気をつけて、ニキア!」
「はは、は。このやろうっ……」
ニキアの声に余裕がなくなる。石像の群れに取り囲まれたニキアは、じりじりと後退を余儀なくされていく。このままでは道の行き止まりまで行ってしまう。そうなったら、いくら彼女でも石像に押し潰されてしまうかも知れなかった。石像を片っ端から壊し続けたことで、敵性と判断されたのだろう。
馬鹿笑いは既に影を潜め、ニキアも真剣に対峙し始めた様子だ。しかし、いくら戦闘狂でも、この状況は分が悪い。
「助けなきゃ!」
迷っている時間はない。
とは言うものの、三人はほとんどの呪装を所持していなかった。今夜は必要ないと考えていたのだ。符などの呪具が無ければエーテル式魔術は使えない。そうなると、アストラル式魔術、つまり持力魔術を使うことになる。状況に沿った効果的な発現は出来ないものの、みんな呪杖や緋針だけは持ってきていた。
「アンナは地面に穴を開けて。クリスは風で攻撃」ユーナが指示を出す。
「効果はあまり期待出来ませんよ?」とアンナ。
「風でこんな巨大な岩を砕いたことは無いです。相性も悪いですし」とクリス。
「それでもいい。とにかくやってみて!」
「判りました」と二人が頷く。
クリスは左手に手甲を付け、そこに緋針を三本、嵌める。
クリスの本来の専門、〈緋爪法〉。緋針を鉤爪として用いる法式で、魔術というよりは武術に近い。もちろん、前衛専門である。これにクリスの〈切り裂きの風〉という発現形式が加わるので、ある意味、最強の取り合わせであった。
「最大励起でいきます」
クリスは左腕を大きく振り上げ、勢い良く振り下ろす。
三本の白い弧が空中に描かれ、それに触れた石像は三本の深い溝が刻まれ、裂けて崩れ落ちる。
〈切り裂きの風〉は真空の刃を発生させる発現形式。対属相殺(属性の相性が悪く力が弱まる)が発生するとは言え、さすがは超攻撃的発現である。
クリスはそれを繰り返し、あっと言う間に石像の数を減らした。しかし、砕けた石像は再び人の姿を取り、ニキアへと歩き始める。
「準備出来ました」
アンナは呪杖に持力を通し、地面をコツンと突いた。
直後、地面が揺れ始める。
石像たちが立つ石畳に亀裂が生じ、全ての石像を巻き込んで陥没する。
「やった」
ユーナは穴に近づき、覗き込む。しかし、巨像だけは地面を掴んでいて、地割れに落ちることなく這い上がって来た。そして再びニキアに向かって歩き始める。
「ユーナさん、次はどうしましょう?」とアンナ。
クリスは少しでも巨像の歩みを止めようと脚を狙って攻撃を続けている。が、相手が大き過ぎて、壊すまでには至っていない。クリスにばかり負担はかけられない。彼女は持力保持量が少な目なので、すぐに尽きてしまうだろう。アンナにもう一度穴を開けてもらうことも考えたが、また這い上がってくるだけで効果は薄い。
せめて、一時的にでも動きを止められたら……。
「あ」
さっき自分が倒したやり方を思い出す。
この場所は湿気が多い。石像には水がたっぷりと染み込んでいる。水だったら、ユーナの専門である。
「二人とも下がって」
「どうするつもりですか?」
「まあ、見ててよ」
ユーナは目をつむり、水を意識する。持力の単純発現には呪文も呪具も必要ない。そうなることを思うだけで事足りる。
ユーナは流体を思い浮かべる。
例えば上から下へと滴り落ちる水。
その動きを止める。
そうなるように思い込む。
瞬間。
パキンと音がした。手応えは十分にある。
目を開けると、地面には霜が降り、空中は霧がかかっていた。ユーナ達人間を除くあらゆる水分が動きを止め、氷に変わっていた。
「寒いです」
クリスは身体を縮めた。
問題の石像も動きを止めている。
しかし、この攻撃も足止め程度の効果しかないはずだ。氷が溶ければまた動き出すに違いない。その前に。
「ニキア、その石像思い切り叩いてみて?」
「え?」
「いいから」
「……判ったよ」
しぶしぶな声が聞こえ、続いて「おりゃー!」とかけ声。
一瞬の空白。
そして、巨像はがらがらと音を立てて崩れ落ちた。その向こうに元気なニキアが現れる。
「おお、すげー」
「何をしたんですか?」
「水が固化する時の膨張を使ったんですね」とアンナ。
つまり、岩の中に染み込んだ水を凍らせて動きを止めると同時に、氷の膨張効果を利用することで隙間を広げ、割れやすくしたのだ。後はニキアの馬鹿力で叩けば、脆くなった岩は砕け散る。
「ご名答。でも、うまく行って良かった」
ニキアがアンナの開けた穴を超えて戻って来る。
「ありがとう、助かったよ」
「ニキアさん、すみませんでした。壊してくださいと言った私の落ち度です」
「いいよいいよ。こうして何とかなったんだし」
「ですけど……」
「気にしないでいいよ、アンナ。壊し過ぎたニキアが悪いんだから。それより話はあとあと。氷が溶けたら、きっとまた復活する。その前に退散しよう」
ユーナは先を急がせる。
落石通りを走り抜け、新市街のメインストリートまでたどり着く。
ユーナは安心してふうと息を吐いた
「道の穴、そのままにしておいて良いんでしょうか」アンナは自分が持力で開けた大穴のことを気にしている。
確かに、見つかれば大事件になる。それぐらい大きな穴だ。
「埋め戻すにしても、あたしたちだけじゃ、一晩では無理だよ」
アンナの発現形式では、大地を裂くことは出来ても、戻すことは出来ない。
「そう、ですね」
アンナはどことなく悔しそうに見えた。彼女は、石の破片を大事そうに携えていた。
「その透明な石、持ってきたの?」
「はい、サンプルとして」
「石像、追ってきたりしないですよね」とクリス。
「大丈夫だと思います。あの仕掛けは『落石通り』に限って起こるものでしょうから」
「それなら良いですけど……」胸をなで下ろすクリス。
「それで、アンナ。何か判った?」
これだけ危険な目にあったのだから、何かしらの成果が欲しいところ。
アンナは「はい」と簡潔だが意志のこもった口調で頷いた。
「ということは、あれは禁術に関わっているとんですね……」とクリス。
「この後、どうする?」
「もう一つ、確かめても良いですか?」とアンナ。
「良いけど。今度は危なくないのにしてね」
「……善処します」
アンナの歯切れの悪さに、ユーナは一抹の不安を覚えた。
ほおっておこうと決めたものの、やはりそのままでいいのかという気持ちも拭いきれず、ユーナは翌日の午後、クリスと一緒に落石通りを訪れた。犯人は現場に戻ってくるというが、まさにそんな感じだ。
通りは昼間であっても無人で、その上日が差し込まず、どんよりとした空気は、昨晩のそのままに漂っていた。
「お昼でも気味が悪いですね」と言いながらクリスはユーナの腕に自分の腕を絡める。そのまま二人は通りの突き当たりまで来た。
その光景を見て、ユーナは驚きを隠せなかった。あるはずの光景が、そこには無かったのだ。
アンナが地面を裂いて作った穴が無い。塞がっている、というのではなく、影も形もないのだ。その場所は、綺麗に石畳が敷かれ、何事もなかったかのように道が突き当たりまで続いていた。
「禁術に関係があるのかな、これ……?」
「例えば、あの石像達が穴を埋めて舗装した、ということですか?」
「メーゼン橋のブロンズ像みたいに、自動修復したとか」
「想像しにくいですけど」
「だって、それ以外、考えられないじゃない?」
「そう、ですね」
頷くものの、クリスは納得がいかない様に見えた。それはユーナも同じだった。一方で、大穴が表沙汰になることは避けられたともいえる。とにもかくにも、気にしていた問題は解決したことになる。
--『落石通り』の穴は勝手に修復する。
理由も根拠もあったものではないが、それで良しとする以外、方法がなかった。




