004 強獣・ハンティングブラックタイガーvs青年実業家(ニート)・近衛仲弥
バギーに関して表記の追加。
仲弥がネットで買ったのはカスタム使用で、特に走行距離を考えて燃料タンクを大きく改造しているものを購入している。
私はソレを前に死を覚悟した。彼我の距離は未だ遠く、直ぐにジープに乗りこんで逃げれば良いとも思ったが、どう想像しても追い付かれて喰われる場面しか思い浮かばなかった。
ジープの最高時速は60キロだが、舗装されていない草原なので40~50キロが精々だ。
対して虎の瞬間最高時速は40~60キロほどと聞く。持久戦になれば逃げきれる可能性もあるが、それは相手が普通の虎であればの話だ。
今、私が前にしているのは、普通の虎の2倍も大きい化け物虎だ。体毛は全て黒く、細身であったなら黒豹だとでも勘違いしただろう。しかしそれは無い。強靭な筋肉で覆われた体は太くも、ネコ科のしなやかさを残している。
これで大きくなったのだから足も遅くなるだろうと考えれるほど私はお気楽では無い。なにせ此処は地球では無い異世界。コボルトやスライムがいる世界だ。アレが突然光り輝いてイナヅマのような速さで走っても不思議では無い。流石にそれは無いと思いたいが。
ああクソッ! 思考が完全に飲まれている。もっと建設的な事を考えろ。逃げる方法を模索しろ!
私は大量の精神力を消費して黒い虎から目を離すと、素早く周囲を確認した。
黒い虎の後ろは森。私たちの後ろは遮蔽物の無い草原。
こっちは全身に冷や汗を掻いている現代人な私が一人と、ぷるぷるぷるといつもより震えているプルプルが一人、そしてへたり込んで頭を隠している若いコボルトが一人だけだ。……恐ろしいくらいに戦闘力が無いな!
「きゅぅぅん」
――ぷるぅ~
プルプルの転移で逃げようとも考えるが……無理か。アレには数秒の時間がかかる。これから二人に近づく時間を考えると10数秒。きっとあいつはそれに気づいて転移する前に襲い掛かってくるだろう。
ああどうするどうする。もうそれほどの距離は無い。飛びかかってくれば数秒の距離だ。
後は……後は……必死に思考する私の足が、コツンとガソリン携帯缶に当たる。
――マジか。ソレ、やっちゃうの?
知恵熱が出てきた私の脳裏にハリウッド映画の爆破シーンがリフレインする。
私は煙草を吸わないが、異世界探検用として探検の定番であるジッポはポケットに入れている。
ああ、クソッ! 即断即決、決めたらやれ! 後は野となれ山となれ!
「プルプル! コボルトを連れてジープに乗れ!」
――ぷっ!
私の突然の指示にプルプルがためらいもなく行動する。流石プルプルさん、普通のスライムとは一味違う!
「きゃうん?!」
怯えて丸くなったコボルトの下に潜り込んだプルプルが、先日のコボルト背負いと同じ動きと速さでジープに飛び込む。
しかし、そこで逃げる態勢に入ったと考えた黒い虎がこちらへと走り出した。3秒。
向かう先は棒立ちになっている私。胸ポケットからジッポを取り出して蓋を開ける。2秒。
物凄い速さで、それこそ車かバイクのような速さで黒い虎が私に迫り、私はガソリン携帯缶を蹴飛ばして転がす。使い切ったのと交換するのにほんの少しでもジープと離れてて助かった。1秒。
黒い虎はそれに警戒したのか飛び上がり、背後で火を付けていたジッポを携帯缶からこぼれたガソリンに落とす、凶悪に輝く金色の瞳が大きく開かれた口の向こうに消える。0。
ボン。そんな音を立てて火が上がる。顔を腕で塞ぎ、給油口が開いたままのジープを背中で隠すようにして横に飛び退いた私の体を熱気と悪臭が襲う。ジープに引火しないでくれよ!
「グガアアアアアア?!」
悲鳴を上げる黒い虎に視線もやらず私は逃げ出す。震える足で必死にジープに体をねじ込むと、差しっぱなしの鍵を、鍵を、クソッ!震えるなよ俺の手! 手をハンドルに叩き付けて痺れさせ、その手でキーを回す。
「捕まってろよプルプル、コボルト!」
幸いにもエンジンが一度で掛かった。私は後ろで悲鳴を上げ続ける黒い虎にやはり視線を向けず、そんな一秒ですらもったいないとアクセルを踏み込んだ。
ギュルルとタイヤが地面を一瞬だけ空回りし、焦げ臭い匂いを起こして急発進する。
行け行け行け行け! 逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ! あんな少量のガソリンであの化け物虎がどうにかなるものかよ!
ガソリン携帯缶を三つともその場に置き去りにしてバギーは草原を疾走する。――だが。
――ぷるん!
やはり来たか! 助手席で丸くなるコボルトの背中に乗ったプルプルが警戒の意志を伝えてきた。
取りあえずは逃げる事に成功した私は、2個連なっているサイドミラーを見て後ろを確認する。
クソッ! 思ったよりも近い。
ガソリンの熱波をそれほど浴びなかったのか、それとも毛皮で防いだのかは解らないが、五体満足の黒い虎が怒りの表情でジープを追っている。
ハハッ! 獣面でも怒っているのが解るもんだな! 少々現実逃避気味に笑った私は、このままでは1分もせずに追いつかれる未来を予測した。
「逃げる場所は……」
そう言って素早く周囲に視線をやるが、あるのは見晴らしの良すぎる草原と、日本の切り開かれた森ではそうそう見られない巨大な木が密集する森だけだ。
森、行けるか? 入り口近辺ならそれなりの隙間がある。普通の車ならキツイが、二人乗りとは言えジープのコンパクトな車体なら多少の余裕はありそうだ。
車体が横転しない程度にハンドルを切り、ドリフトギリギリの急曲がりで森へと向かう。
この方向転換で距離を稼げればとも思ったが、黒い虎はまるで紐で繋がっているかのようにピッタリと追いかけてきた。
本気でヤバイ。これは森に入った所で追いつかれるぞ。
何か無いか何か。ああクソッ。
「プルプル! お前物を投げれるか! 放り出すだけでも構わんから後ろのリュックでも何でもいいからあのケダモノの面にお見舞いしてくれ!」
――ぷる!
できるんかよ!? 本当に多芸なプルプルさんはその粘体?の体をぷるにゅるんと伸ばし、座席の背中と車体の隙間に入れてあったリュックを掴んで放り出した。
「ッガア?!」
クリティカルヒットォ! ダメージこそ無いだろうが、プルプルが放ったリュックやティッシュなどが面白いように黒い虎の顔面にヒットし、嫌がった黒い虎がジグザグに飛び退く。それによって直線では無くなった事から速度が低下し、僅かながらの距離を稼げた。
その隙に森の中に入り込んだ私は集中力を全開にして木々の間を蛇行、木の近くは根が大きく出っ張っているのでそれ避けながら草原と森の中を行き来する。しかし、黒い虎はそれにもぴったりついてきた。
「しつっけえなあ!」
こいつほんとに虎か! ネコ科の動物にしては体力があり過ぎる。イヌ科と違ってネコ科は瞬発力に優れる代わりに持続力が無い。普通の虎やライオンなら諦めている距離と時間……だ?
――ぷるっ!
しまった!
蛇行のタイミングを読まれてしまったのか、それともいよいよ体力が無くなった黒い虎が賭けに出たのか、一瞬体を撓ませて力を溜めた黒い虎がこれまでにない速度で跳び上がり、速度が低下する前に木を蹴って再度跳躍、足場を粉砕しながら大跳躍をしかけてきた。
「掴まれえええ!」
「きゃいーん!」
――ぷるーん!
ドガンと車体が揺れる。それでも目を瞑ると言う自殺行為を耐えた私はハンドルを切って森から出ようとするが、ジープが上手く動かない。原因を探ろうとサイドミラーで確認すると――黒い虎がエンジンを押しつぶしていた。
ニヤリ、サイドミラーに映る黒い虎が、そんな擬音がしそうな嫌らしい笑みを浮かべた。
「飛び降りろー!!」
――ぷるー!
南無三! ハンドルから手を放した私は助手席で丸くなっているコボルトを背中のプルプルごと車外へと放り出し、爪を伸ばしてきた黒い虎の一撃を肩に受けながらも体を外へと投げ出した。
ガツンと体全体に衝撃が走り、天地上下も解らないほどに転がり回転し、全身を何かに何処かにぶつける。
……あ……あ……あ、やばい。意識が……クソッ
立ち止まるな動け。ひたすら自分に言い聞かせて半ば無意識に立ち上がる。当然フラフラだ。正直体の感覚もあやふやだ。なんか頭がぬるっとするし、左肩も冷たいのか熱いのかも解らない。
そして目の前には舌舐めずりする黒い虎。ああ、これは終わったな。お前、せめて美味く食ってくれよ? 私はぼんやりとする頭で黒い虎に微笑みかけ、黒い虎は大口を開けて私に噛みかかって来――
「シャガメ、ニンゲン!」
「っ?!」
突然の言葉に私は咄嗟で体から力を抜いた。足元から崩れる私の顔の上を黒い虎の大口が通り、ギャン!と言う悲鳴と共に消えた。
いや、消えたのではない。横から何かに攻撃され、その巨体ごと横に吹っ飛んだのだった。
な、なんだあ……。まとまらない思考と力の入らない体で落ち葉の絨毯で寝転んでいると、霞んだ横向きの世界で黒い虎が翻弄されていた。
一定ごとに飛来する矢に全身をハリネズミにされ、その合間に飛び込んでくる緑色の小人の剣や金属の棍棒で滅多打ちにされる。
おいおい、ふざけんなよ? 自分がアレだけ惨めに逃げ惑った奴をフルボッコかよ。
黒い虎も時折反撃するが先制攻撃を受けたからか動きに精彩を欠き、空ぶっては矢で剣で棒で返り討ちにされ、やがて動かなくなった。
其処までを見届けた私は、コボルトを乗せて這いずってくるプルプルの無事を確認して意識を手放した。
……なんだよ、ゴブリン強えじゃん。
仲弥の強獣メモ
ハンティングブラックタイガー
その名の通りの黒い虎。しかし地球の虎の2倍から3倍の巨体である。
ハンティング、と付くだけあって狙った獲物を逃さない執着心と狡猾さを持つ。
私が遭遇した個体はどうやら縄張り争いに負けたはぐれ、弱い個体らしかったが、それでアレとか本当に勘弁してもらいたい。
特殊能力は全く持っていないが、そのかわりに身体能力が高く頑強なので、不意をうたれればベテラン傭兵が数人いても喰われる事があるそうな。恐ろしい。