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枚数別のご案内――原稿用紙30枚の短編

技師とオウムと人形と

作者: 陣 杏里

 二年前に亡くなった祖父の名を見るのは、なぜかずいぶんと久しぶりのような気がした。

 今朝届いたその手紙には、祖父が作った自動人形を手入れして欲しいと書かれていた。人形技師ギルドが紹介した、ファティ・マイゼル宛の正式な依頼書だ。

「その仕事引き受けるのか? 珍しいじゃん。お前、お貴族サマの相手は苦手だったろ」

 祖父の遺したオウムの自動人形、トルーがそう言って首を傾げた。

「あ、うん。そうだけど、これはおじい様の人形を整備して欲しいって依頼だもの」

 自動人形は、この世界に満ち、そこに暮らす生物達も持っている『魔素』という不可視のエネルギーを動力源にしている。祖父はその設計、制作から整備まで全てを請け負う、名うての人形技師だったのだ。

 大好きな祖父の手がけた人形達は、孫娘である自分にとって家族も同然だ。跡継ぎとしての目で見れば、その仕事に触れる事で技師として精進したいとの思いもある。

 依頼書に返信しようとすると、人形達が紙とペンを用意してくれた。子供姿の彼らを抱きしめていると、トルーの声がする。

「仕事はいいけど、いい加減人間と喋るの慣れろよなー。俺達にべったりじゃなくてさ。いつまでもそんなんじゃ、困るのはお前だぞ」

「べ、別にべったりなんかしてないよ。仕事の時はちゃんとお話できるんだから」

 前髪を止めようとしたピンを、トルーがさっと奪って飛んでいく。

「相変わらずトロいな、お前」

「と、トロくなんかないもん。返してよ!」

 そう言ったとたん、床に置きっぱなしの工具につまずく。危うく人形達に支えられるファティの周りを、トルーがからかうように飛び回った。



「ガーランド伯爵家……って、ここよね」

「だいぶ変わった趣味のお貴族サマだな」

「ちょっと、依頼主の前で失礼なこと言わないでよ?」

「なんだよ、お前だってそう思ってるんだろ」

 トルーの物言いに、そりゃあそうだけど、という言葉を飲み込む。

 手紙で指定された日、自宅のある森を抜け、自動人形が運転するバスを乗り継いでたどり着いたここ。依頼主であるガーランド伯爵邸であるはず……なのだが。

 錆びて傾いた門扉に荒れ放題の庭。くすんだ外壁に薄暗い窓。二人の目の前にあるのは、いかにも何か出そうな屋敷だった。

「なぁ、ギルドに問い合わせた方がいいんじゃねぇの? こんなお化け屋敷の住人じゃ報酬は怪しいし、タダ働きかもしれないぜ」

 ファティは依頼書をもう一度確認した。依頼者の住所は間違いなくここなのだが、この寂れぶりに不安を掻き立てられるのも確かだ。

「でも、ギルドを通した正式な依頼だし、いくら汚くてもその辺はしっかり……」

 トルーにというよりかは、自分に言い聞かせるよう口にした言葉。

「汚いところではありますが、あなたにお支払いする報酬くらいはありますよ」

「ひゃ! っつ、痛ぁ……」

 突然の返事にファティは飛び上がり、傾いた門扉にしたたか頭をぶつけてしゃがみこむ。

「あの、すみません。まさかそんなに驚かれるとは……。お怪我はありませんか?」

「いえ、その、大丈夫……です」

 痛みをこらえるファティに、門の向こうのこざっぱりとした少年が手を差し出した。

「ギルドに自動人形の整備を依頼された、ガーランド伯爵でいらっしゃいますか?」

「いえ、僕は息子のユニウスです。お待ちしておりました、ミス・マイゼル」

 少年はファティの手を引いて立たせてくれ、ぺこりとお辞儀をした。



 彼に案内されて屋敷に入ると、中は割とこぎれいに保たれている。応接間らしき部屋でファティは紅茶をご馳走になった。

「本当は家族でお迎えするべきなのですが、父と母は出ておりまして。おもてなしできるのは僕だけなのです。お見苦しいところではありますが、どうぞごゆっくり」

「いえ、そんな。ええと、頂きます」

「ギルドの方が教えて下さいました。稀代の天才と謳われた人形技師、ガゼット・マイゼルの跡継ぎは、オウムの自動人形を連れた若い女性だと」

「若いから何だってんだ、あぁん?」

 足元に置いた鳥籠の中から文句が聞こえ、冷や汗をかいたファティはそれを蹴った。

「いえ、すみません。若いからどうこうというのではなくて。僕も緊張しなくてすむな、と思っただけなんです」

 慌てて手を振るユニウスの様子がおかしくて、くすりと笑ってしまう。

「いいんです。皆さんよくおっしゃいますし。十七の小娘に、大事な人形を預けるのは心配なのだと思います」

 祖父の名に恥じぬ仕事をと努めてはいるが、若さゆえに軽く見られることは少なくなかった。特に貴族という人種では、それが顕著だったからだ。

「でも、すごいオウム君ですね。まるで生きているみたいだ」

「祖父は仕事で留守がちでしたから、幼い私が寂しくないようにこの子の他にも二人、サリマとアーサー、って名前をつけた人形を作ってくれたんです」

 トルーに興味津々のユニウスに、ファティは鳥籠を持ち上げて説明した。祖父の仕事が褒められた嬉しさで、舞い上がる思いだ。

 朝起きてから夜寝るまで、何をするにも一緒に過ごした日々。仕事に出る祖父を見送り、家事をこなし、帰りを出迎えたこと等。祖父の思い出を色々ユニウスに話した。気づいてみれば、人間に対する不安や苦手意識はどこへやら、だ。

「そうそう、そろそろ人形達を呼びますね」

 ユニウスが席を立つ。壁に付けられた呼び鈴の紐を引っ張ると、暫くしてドアが開いた。

「わぁ……」

 部屋に入ってきた人形は四体。色違いのリボンを首に結んだ彼らは、どれもファティの胸くらいの背丈で、おもちゃの兵隊のような丸っこい体に召使いの服を着せられていた。世間には生きた人間と区別できないほど精巧な人形もあるが、祖父は人間を模した造作ではなく、トルーのような動物や、子供のおもちゃのような姿の人形を好んで作った。

「お前達の手入れをしてくださる、人形技師のミス・マイゼルだ。ご挨拶を」

 ユニウスの言葉でお辞儀をする人形達に、ファティは思わず席から立ち上がった。

「か、かわいい……」

「この人形バカ!」

 いつもの癖でつい抱きしめてしまいそうになり、トルーの罵声で我に返る。怪訝そうなユニウスに、ファティは苦笑いでごまかした。

「ご依頼はこの子達の整備でしたよね。おまかせください! ずっと元気に動けるよう、体の隅々まで手入れさせて頂きますから」

「ありがとうございます。やはりあなたにお願いしてよかった。最後くらいは、きちんと整備してあげたかったんです」

 人形達の手を取っていたファティの耳に、ユニウスの言葉が引っかかった。

「最後……ですか?」

「はい。少し前に――ご覧の通り、我が家では大きな借金を抱えてしまいまして。返済のために人形達を手放す、ということになりました。僕も彼らとは子供の頃からの付き合いですし、できればこんな事をしたくはないのですが。維持費も払えない今では、満足に手入れもしてやれませんし」

「そう、ですか……」

 ファティは唇を噛んだ。

 機能や用途によって多少の差はあるものの、自動人形は総じて高価なものだ。個人で所有しているのはそれこそ王室や貴族など、富裕層に限られており、維持費もそれなりである。

 それを四体も所有しているとなると、ガーランド家の財力は相当なものだったのだろう。

 だが、屋敷の荒廃ぶりが証明していた。その栄光は、最早過去のものなのだと。



「では、僕は所用がありますので失礼します。終りましたら知らせてください」

 ユニウスはファティと人形達を別室に案内し、部屋を出て行った。

「あーあ、売っちゃうのかぁ……」

「ため息ついたってしょうがねぇだろ。人様の事情に首突っ込んでどうなるってんだ。ほら、仕事仕事」

「それは、……そうだけど」

 鳥籠から出したトルーの言葉に人形達を見やり、ファティはもう一度ため息をついた。

 木材や金属、石材などで作られる自動人形の耐用年数は長く、丁寧な整備があれば何十年でも働くことができる。何代にも渡って同じ人形を使い続けている王室もあるくらいで、人間のよき隣人としての歴史は長いのだ。

「では、改めまして。私はファティ・マイゼル、あなた達を整備させてもらう人形技師です。よろしくお願いしますね」

 そう人形達に挨拶した所で、ふと気づいた。

「そう言えば聞いてなかったわ、あなた達の名前。……なんていうのかしら」

 木製の素体は長年の稼動で磨耗し、傷もあったが、もれなく保護用の塗料が塗られている。服の布も良質の物が使われており、大事にされてきたことを伺わせた。子供の姿である事を考えると、ユニウスが幼い頃は遊び相手もしていたのだろう。

 かつては専門の技師も雇っていたようで、案内されたこの部屋は、小さいながらも人形を整備する工房としての設備を備えていた。

「え? なぁに?」

 赤いリボンの人形に服を引っ張られて目を向けると、首にかけられたペンダントを見せてくれた。コイン状のそれに、子供のたどたどしい字で名前が彫られている。

「アリス……レティ……バートにジム、か。これがあなた達の名前なのね。昔ユニウスさんが作ってくれたの?」

 赤いリボンの『アリス』はこくりと頷いた。

「ファティ、妙なこと考えるなよ? そんなの見せてもらったってどうしようもないだろ、人んちの借金返せるほど金持ちでもねぇし」

「だ、だって、ここにいた方が幸せじゃない」

「だってもクソもねぇ! お前らも赤の他人に妙な期待すんな、俺達人形はご主人サマの都合にゃどうする事もできねぇんだよ」

 けたたましい叫び声をあげ、トルーが人形達に襲い掛かる。黄色の『レティ』と緑の『ジム』は、爪を立てた容赦ない攻撃にばたばたと逃げ惑い、赤い『アリス』と青の『バート』は頭を抱えてうずくまった。

「赤の他人なんかじゃないわ! おじい様の作った人形だもの、あなたやサリマやアーサーと同じように家族じゃない!」

「じゃあアレか? 今回の整備費は頂きませんからこの子達を売らないで、とでも頼むつもりか! あのお坊ちゃんはそんな施しを喜びそうには見えなかったけどな!」

「施しなんて、そんなつもりじゃ……」

 ファティは言葉につまった。トルーの言う通りだったからだ。しかも根本的な問題は何も解決しない、自己満足に過ぎない。

「お前に……俺達に出来るのは、技師として仕事をやり遂げることだけだ」

 肩に止まったトルーの言葉。ファティは「分かってる」と返すのが精一杯だった。



「人形達を誰に売るのか、ですか?」

 アリス達の整備を終え、ユニウスに報告する際。彼らがこれからどうなるのか、どうしても気になったファティは、彼に聞いてみた。

「その、差し出がましいようですが、心配なんです。アリスさん達が……あの、ペンダントを見せてくれて、それで、これからどうなるのかなって。祖父の作った人形は私にとっても家族みたいなものだし……」

 言葉を続ければ続けるほど、妙なことを口走っているようで。不思議そうなユニウスの目に耐えられなくなる。

「あの、ごめんなさい。変なことを聞いてしまって。私、料金を頂いたらお暇しますから」

「そうですか……あれを見たのですね」

 彼は売るのであろう壷を磨く手を止め、椅子に腰掛けた。

「いや、お恥ずかしい。あれは僕が子供の頃に作って、彼らにあげたものなんです。もちろん僕は文字を刻んだだけで、コインや金鎖の加工は、当時雇っていた技師がやってくれたんですがね」

「恥ずかしいなんて、そんなこと! とても素敵なプレゼントだと思います」

「それはどうも」

 ユニウスははにかんで笑い、話してくれた。五歳の誕生日に両親が人形を買ってくれて、毎年一体ずつ増えていったこと。彼らと毎日のように遊び、様々なイタズラをしては他の使用人達を困らせたこと。やがて学校に通うようになり新しい友達ができても、家に帰ればいつも待っていてくれたこと。

「ずっと一緒にいられると、何の疑いもなく信じていたんです。あの頃の僕は」

 何かを堪えているようなユニウスの声。

「……ほんとうは、所用なんてないんです。この壷はもう散々磨いたし、そもそも今回の件だって、僕が両親に無理を言ったからで」

 言葉は途切れ、彼は俯いた。だがユニウスが何を言おうとしたのか、ファティは何となく分かるような気がした。きっと今、自分の胸にある言葉と同じなのではないだろうか。

 こんな事をしたところでどうにもならないのは分かっている。でも、何もしないでいたらきっと後悔してしまう。『彼ら』との別れに耐えられなくなってしまう。

「あの子達とお別れしなくてすむ方法、きっとあります! わ、わたしもお手伝いしますから、いえ、させてください!」

 そう言うと、彼の碧眼が大きく見開かれた。それから伏目になり、視線がふらふらとさまよう。迷っているのだろうか。

「だ、大丈夫ですよ! 一生懸命頑張れば、きっと何とか」

 長い、長いため息。ユニウスはファティに背を向けた。

「どうもありがとうございます。でも、もう決まった事ですから。報酬をお持ちしますね」

 行ってしまう。

「待ってください!」

 お金なんていらないから。あの子達とずっと一緒にいてあげて。手入れなら私が何度だってするから、だから。

 言うつもりなんてなかった言葉を、口走ったとたん。

「……満足か?」

 ユニウスの声ががらりと変わった。

 ファティがあっけに取られていると、一度は背中を向けた彼が戻ってくる。

「施しをしてご満足ですかって聞いてるんだよ。名門技師の家で、生まれた時から英才教育を受けたお嬢さん?」

 ファティを睨む彼の言葉は続く。

「僕が何もしなかったみたいな言い方はやめろ! 学校やめて仕事探して、駆けずり回って何とか雇ってもらって、朝から晩まで働いたさ。それでも……全然足りないんだ」

 鋭い眼光ときつい声に気圧され、ファティは後じさりした。祖父の人形達は生前から結構いい値がつけられていた。本人が他界し永遠に新作が作られなくなった今では、市場価値は上がりこそすれ下がりはしないだろう。

「君がとても羨ましいよ。僕も人形技師になりたかったから。あいつらを自分で整備できるように、誰かの大切な友達を助けられるようになりたかったんだ。でも、君にはないだろうね。お金や仕事、ましてや――才能で困ったことなんて、さ」

 ユニウスの顔に浮かぶのは嘲りの笑みだ。だが、それよりもカチンと来るものがあった。困ったことなんてないだろう、だって?

「何も分からないくせに勝手なことばかり言うなよ。そんなに人助けがしたいなら、どこかよそでやってくれ」

「……っ、勝手なのはあなたの方じゃない! 人形技師になりたかった? 学校に通ってた? なれるわよあなたなら!」

 そうだ。自分がどんなに望んでも手に入らないものを、生まれながらに持っているのに。持てる幸せに、気づいてすらいないくせに!

「だってあなたには魔素があるんだもの!」

 ファティは負けじとユニウスを睨みつけた。

「何だよそれは、論点がずれているぞ。だいたい、魔素なんて誰でも――」

 ユニウスの目が嘲笑から疑問へと変わる。

「もしかして……君には魔素がないのか?」

 ここまで来て、やっとファティは自分の招いた事態に気づいた。

「でもそんなバカな、魔素欠乏症ならどうやって技師の仕事をしているんだ?」

「そ、それは」

「祖父の名声を傘に着て、いい加減な仕事をやってきたんじゃないだろうな」

「そんなことしてない! 魔素が必要な仕事はトルーが手伝ってくれるの! おじい様はその為にあの子を作ったんだから!」

 肩を掴もうとするユニウスの手を振り払い、逃げるように走った。

 祖父とトルーと自分だけの秘密。怒りのあまり、それを口走ってしまうなんて。



 ファティは転がり込むように工房に入り、すぐさまドアを閉めた。

「そんなに慌ててどうしたんだよ。もしかしてほんとに金もらえなかった、とか?」

「え? ううん、大丈夫。お金はちゃんともらえたから。もう失礼しましょ」

 トルーに嘘をつき、機能停止させてあるアリス達の服を調える。ごめんね、と呟き背を向けて、帰り支度だ。

「その様子はお坊ちゃんに売らないで、とか頼んだってところか? 断られたんだろ」

 ケケケ、と笑うトルーの言葉に心臓が跳ね上がり、落ち込む。

『名門技師の家で、生まれた時から英才教育を受けたお嬢さん?』

 ユニウスの言葉が甦った。

「確かにそう、だけど……私は……」

 思わずこぼれた言葉。それをトルーは返事だと思ったようだ。

「だから言ったろ。あんなに釘刺してやったのに、余計な口出しするからそうなるんだ。お節介はやめとくんだな。もう懲りたろ?」

 ぱたぱたと羽ばたき、上から見下ろしてくるトルーにちらと目をやる。ため息が出た。

 人間は長い間、体内にある魔素で刺激を与え、外界の魔素を自在に操る術――魔術を磨いてきた。自動人形はその魔術研究がもたらした恩恵の一つだ。

 人形の動力源には、自然環境下で魔素を蓄積する特殊な鉱石が使われている。技師は鉱石を人形の体内に設置し、魔素が各所に行き渡るよう銀製の回路を作成。魔素の量を調整する装置や、行動を設定する命令式を刻んだ金属板、その他様々な仕掛けを盛り込んだ最後の仕上げが、魔素なくしてはできない滲出加工と初期起動だ。

 人形を動かすのは鉱石内部の蓄積魔素だが、石を壊してしまうと魔素が一気に放出されて長持ちしない。少しずつにじみ出る形が望ましいのだ。そこで励起剤として、魔術の出番である。

 鉱石に魔素がにじみ出るよう命令式を刻み、外から『魔術でちょっとした刺激』を与えると、命令式が効果をあらわし、初期起動は完了だ。

 魔術研究から派生した自動人形は、その製作と整備に魔素が不可欠である。人形技師は魔術の専門職ではないが、『魔素を持たない人形技師』など、理論上はありえないのだ。

「……何やってんだよ?」

 不思議そうなトルーを尻目に、そっとドアを開けて外を窺うと、そこにいたユニウスとばったり鉢合わせしてしまう。

「いやぁぁ!」

「うわ」

 二人はそろって声をあげ、それぞれドアの外と中に飛びのく。なんとか立ち上がったファティがドアを閉めようとするが、同じように立ち上がったユニウスに、ノブを握られて引っ張られる。

「ひゃ!」

 若い男に力でかなうはずもなく、ファティはべちゃっと床にはいつくばるはめに。

「……ごめん。大丈夫?」

「何やってんだ? お前」

 ユニウスとトルーの声が降ってくる。

「だって、ばれちゃったんだもの! 私が魔素欠乏症だって!」

 情けないやら恥ずかしいやらで、ぽろりと涙がこぼれた。



「どうぞ、ミス・マイゼル」

 トルーを抱えて鼻をすすっているファティの前に、ユニウスが紅茶を出してくれた。

「先天性魔素欠乏症の人間は百万人に一人、いるかいないかだって聞いていたけど。……まさか人形技師の家に生まれるとはね」

 大抵どんな生き物にもある生来の魔素を、全く持たない子供が生まれることがある。彼らはどんな事をしても生体魔素を獲得できず、魔術はもちろん僅かな魔素がスイッチ代わりの照明や調理、暖房などの魔術機器も使えないのだ。

「ったく、自分で言っちまうとはよぉ。おい、俺で鼻をふくんじゃねぇ!」

 視線定まらぬユニウスと、心底呆れ果てた、というトルーのため息。ファティはますます縮こまり、トルーをぎゅっと抱きしめた。

「忘れ物だよ」

 封筒に入った紙幣が目の前に置かれた。訳が分からず封筒とユニウスを交互に見る。

「……別に何も変な事はないだろう。これは最初から払うつもりだった報酬だ」

 くれるとは言うものの、彼の目はあまり穏やかとは言えない。受け取るべきか決めかねていると、どかっと音を立てて彼の足がテーブルに投げ出され、ファティは飛び上がった。

「冷めない内にどうぞ」

「は、はいっ! いただきます!」

 慌てて封筒を鞄にしまい、紅茶に口をつけるが熱くてカップを落としそうになる。自由になったトルーが甲高い声で笑った。

「……何かもう、気が抜けちゃったよ」

 深いため息と共にこぼれたユニウスの言葉。

「何が、ですか?」

「あの不世出とまで言われたガゼット・マイゼルだぞ? 僕の大切な友達を作ってくれた人の孫娘が技師をやっていて、仕事も頼めた。何か、いろいろ……期待したっていいだろ?」

「そうだよなぁ、まさかこんなにドジでマヌケでトロくさいなんて予想できないもんな」

「いや、さすがにそこまでは思ってないけど」

 ユニウスは自分の爪先の上で喋るトルーを追い払った。悔しさと恥ずかしさと情けなさがない交ぜになり、ファティは俯く。紅茶に映る顔がへにゃ、と歪むのも止められない。

「でも、君がどんなに人形を好きかは分かったような気がするよ」

 その言葉に耳を疑い、顔を上げた。目頭の熱が引いてゆく。

「まるで生きているみたいに人形を心配して、気を揉んで赤の他人に余計なこと言って、結果として墓穴を掘る。君がそういう人間だってことがよく分かった」

 彼が一体何を言いたいのか、よく分からない。ファティは程よく冷めた紅茶で、もやもやした気分を飲み下した。

「心配しなくても、君の秘密を誰かに話してやろうなんて思ってないさ。ただ、その……」

 彼はそっぽを向き、何かためらっているようだった。だが、意を決したように口を開く。

「さっきざっと見たけど、アリス達はすっかりきれいになっていた。昔僕が間違ってつけた傷まで直してあったし。ありがとう」

 ファティはびっくりしてまたカップを落としそうになり、危うく掴んだ。

「何も分かってないのは僕だった。君の魔素に比べたら、この家を再興するのなんてどうってことない気がしてきたよ。勝手に期待して、変な誤解して、すまなかった」

「いえ、あの……こちらこそごめんなさい」

 椅子から立ったユニウスが頭を下げたので、弾かれたようにファティも倣う。気まずそうなユニウスを見ていると、笑いがこみ上げてきて、我慢できない。

「人が謝っているのに、何を笑っているんだ君は……。失礼な人だな」

 ごめんなさい、と何とか口にしたものの、笑いの発作はしばらく止まらなかった。

「あの、伯爵家を継がれるのですか? 人形技師の学校に通っていらっしゃったのでは」

「言い方が悪かったかな……僕がいたのは普通の寄宿学校だよ。人形は好きだし、子供の頃は技師になりたいと思ったこともあったけど。僕はみんなのいる、この家も好きなんだ」

「でも、お別れしなくてはいけないのですね」

 そう言うと、彼は首を横に振った。

「今はそうだけど。必ず、この家を元通りにしてみせるよ。馴染みの使用人や、アリスとレティ、バートにジムがいた頃に。……それまで、待っていてくれるかな」

 ファティはユニウスの言葉が自分に向けられたのかと思ったが、彼の視線が人形達を向いているのでほっと胸をなでおろす。

 そこでふと、思い出した。整備の際人形達からリボンとペンダントを外して、そのままだったことを。

「大事なものを忘れるところでした」

「どうも。しばらくは思い出で生活かな」

 ペンダントを受け取ったユニウスの『思い出』という言葉が、ファティの脳裏でカチリ、と何かにはまったような気がした。

「……そっか。なんで、こんな事を忘れてたんだろう」

 仕事を終えた祖父の笑顔を。人形達と共に過ごした毎日、迎えた朝日や見上げた夜空を。

 もう一度アリス達の服を脱がし、ネジを外して背中の蓋を取る。何をするのか、と聞いてくるユニウスに返事をするのももどかしい。

「思い出です。この子達――人形の素体は手放しても、思い出だけは取っておくことができるんです」

 自動人形の行動を制御している、命令式を刻んだ金属板には二種類ある。一つは技師が依頼主の意見をくみ、使用状況を想定して予め入れておくもの。二つ目は、人形が実際に稼動する過程で情報を記録し、以後の動きに反映させるものだ。人形が売却され全く違う環境で使われる場合、これらは新しいものと入れ替えられるのが普通である。

「オークションに出されるのですか?」

「いや、父上がギルドを通じて買い手を募集して、個人に売ると決まったんだ。何でも自動人形を集めるのが趣味とかで、鑑定人が震え上がる程の、破格の値段をつけてくれたよ」

 トルーがファティの肩に飛んできて言う。

「コレクターか。あいつら人形を飾っておくだけだからな。あんまり込み入ったもんはいらねぇだろ」

「テスト動作用のものを新しく作って入れておけば、問題なさそうね」

 体から金属板を取り外し、紙とペンを手に新しい命令式の骨子を作る。トルーと表現や綴り間違いをチェックして、清書。完成したものを持ち合わせの金属板に刻み込むこと四人分。次はもしもの時に備えて、取り外した方の控えを作っておく作業だ。びっしり刻まれた小さな字をトルーが読み上げ、ファティはひたすらペンを走らせた。



「ユニウスさん、できましたよ」

 白み始めた空。全ての作業を終えて外を見ると、そんな時間になってしまっていた。トルーがユニウスの耳元でやかましく騒ぎ立てると、彼の頭が動いた。

「……あれ……僕は寝てたのか?」

「よくおやすみでしたよ」

 昨夜ユニウスが持ってきてくれた夜食を片付け、徹夜明けの体を伸ばす。

「はい、作業終了です。もし新しい人形が買えるようになったら、技師の人に頼んで入れてもらって下さい。これで、例え体は違ってもあの子達は帰ってくる事ができますよ。控えも作っておきましたから、大事に扱ってくださいね」

 あくびをかみ殺しているユニウスに、控えの紙と取り外した金属板を渡す。

「手伝っておいてなんだけど、追加料金は払えないぞ」

 ユニウスは困り顔だ。ファティがちらりとトルーを見ると、しょうがない奴だな、と呟いて肩に飛び移ってくる。 

「お家を再興するまでは、ツケにしておきますから。がんばってくださいね」

「……ふぅん。出世払いってわけか」

「そうです。料金はちゃんと頂きますよ」

 窓から差し込む朝日を受けて、ユニウスが持つ金属板がきらきらと光る。眩しそうな彼の顔に浮かぶ笑みを見ると、疲れも吹き飛ぶようだ。ファティはもう一度体を伸ばした。

「やっぱり、君に頼んだのは正解だったな。ありがとう」

 ユニウスが差し出してくれた手を取り、握手を交わす。

「いえ。それが私の……人形技師の仕事ですから」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 皮肉やのトルーが良い味出してました(^_^) 魔法が当たり前の世界で魔法を使えない少女。だからこその、っていうファティがとてもキャラクターとして素晴らしく完成されていたように感じられました…
[良い点] 登場人物が生き生きとしていて、姿が目に浮かぶようです。テンポも良くて読みやすいです。 [一言] ユニウスはやっぱりおぼっちゃんなんでしょうね。 プライドが高いというか、自分の不幸を嘆くこと…
2015/06/11 10:54 退会済み
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[良い点] ユニウスとファテイの衝突と和解をはらはらしながら読ませて頂き、いつの間にか物語に引き込まれていました。 なんだか、この二人は長い付き合いになりそうですね。
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