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2.「もうばれちゃった」

 日向の縁側で寝転ぶ猫のような顔をして、奴が現れた。

 午前の講義が終了し、さあお昼を食べに行こうかと食堂へ足を向けた矢先のエンカウントである。


「アッキー落し物持ってきたよ」

「呼ぶな近寄るな花枝の前に現れるな消えろ」


 還元濃縮した殺意を瞬時に纏わせたアキラは、とっさに花枝をかばうように前へ出た。

 いざとなれば殴る。

 そして花枝の手を引いて走って逃げよう。そうしよう。

 駄々漏れの殺気もどこ吹く風で、森永映太はのほほんとした笑みを花江に向けた。

 それは嘘やごまかしのない、本当に嬉しそうな表情だった。

 相変わらず意図が読めない男だ。

 正直、薄気味が悪い。

「やあ久しぶり、花ちゃん。元気?」

「うん。森永くんも元気そうだね」

「いつもご飯大盛りで三杯食べてるからね」

「あはは、まだそんなに食べてるの。太るよ」

「そうなんだよね。俺の親父が最近太ってきてさ、ああなるのは嫌だなあ。でも腹は減るし」

「運動すればいいんじゃないの」

「うーん。早朝ジョギングでも始めようかなあ」

 おかしい。

 おかしすぎる。

 何がおかしいって、これが二週間前に破局したばかりの元彼氏と元彼女との会話だということだ。

 実は別れてないんじゃないのとか、なぜそうも互いに平然と話ができるんだとか、大盛り三杯はさすがに食い過ぎだろとか、もろもろの疑惑や怒りがアキラの胸中に押し寄せて、はたと気づけば不覚にも森永の接近を許していた。


 ひょいと鼻先に突き出される学生証。

 口元を引き結んでこちらを見る、自分の仏頂面とばちりと目が合った。

 それは、大学に入学する直前に撮った証明写真だった。

 周囲の全てを敵だと思っているような、少しだけ幼い目が懐かしい。

 この頃のアキラはまだ、花枝とも出会っていなかったのだ。


「はい、学生証。新しく発行するのお金かかるんだから気をつけないと」

「黙れそれ以上近づくな。あんたが触ったものなんかもういらん。ゴミ箱に捨てろ」

「そ、そんな……」

 がーんとショックを受けた顔をする男に、一瞬の感慨が胸から霧散する。

 いちいちわざとらしいリアクションをするな。漫画のキャラか。

 しかし、脇からするりと手を伸ばしてきた花枝が学生証を受け取ると、はいとアキラに差し出してきたので不承不承手に取った。

「行こう、花枝。こんな奴の相手するのは時間の無駄だ。人生の大いなる損失だよ」

「おおげさだよ、アッキー」

「そうだよアッキー」

「黙れ下種!」

 人好きのする笑みでへらへらと追随する男にシャーッと牙を剥く。

 困ったように微笑んだ花枝が下がり眉をさらに下げて、ぽんぽんとアキラの頭を撫でた。

 それだけでたちまち怒りが収まっていってしまう。

 花枝さえいれば他には何もいらない。もし無人島に何か一つだけ持っていってもいいと言われたなら、アキラは迷わず「花枝」と答えるだろう。

「えっとアッキー、ちょっと森永くんと話があるから先に食堂に行っててくれる?」

「え、でも、花枝……」

「いいから。大丈夫。あ、月見うどんの食券もついでに買ってくれたら嬉しいな。後で払うね」

「うどんはいいんだけど、でも……」

 なにせ相手は宇宙人の思考を持つ、脳内花畑最低人格破綻者である。

 次に何をしてくるのかまったく予想がつかない。

 予想できなければ対策も立てられない。

 この男に何かされたらどうするのだ。

 ぎゅっと花枝の袖を握って懸命に見上げたが、一度決めると譲らない頑固なところがある彼女は首を振って「ほら行った行った」というようにアキラの背中を優しく押した。


「アッキー、俺は日替わりデラックス定食でよろしく!」

「死ね」

 寝言をほざく森永を一言で切り捨てたアキラは、何度も何度も不安げに振り返りつつ食堂へと向かった。

 その背中は異様に悲壮感を帯びていたと、後に合流した花枝が語った。



 完全にアキラの小さな姿が見えなくなったところで、花枝は口を開いた。

「あの、森永くん」

「なに花ちゃん」

「もしかしてアッキーに興味があるの?」

「もうばれちゃった」

 悪戯っ子のように森永がひょいと肩をすくめる。

 欧米人のような茶目っ気のある仕草が似合うのは彼の魅力の一つであり、恋をしていた時はそんなところにもいちいちときめいていたものだった。

「あなたがとても好きだったから、嫌でも分かるの。特別面白いものを見つけたときの顔でアッキーを見てる」

「そんなに分かりやすいかなあ俺」 

「普段見てる人にしか分からない程度の違いかな」

 何気なくそう答えると、森永がああと頷いてこちらを見下ろす。

「花ちゃん、講義中も結構俺のこと見てたもんね」

 にっこりと笑う男に、花枝はじんわり赤面した。

 相変わらず気の抜けない人だ。

「……き、気づいてたの」

「そりゃもうばっちり」

 あまりの屈託のなさに、文句を言うのもなんだか馬鹿らしくなってくる。

 花枝はため息を一つこぼした後、意を決して森永の瞳を見つめた。

 甘やかな二重まぶたのそれは、客観的に観察しても非常に綺麗な形をしていると思う。

 ゆっくりと瞬きをするたびにざわついていた自分の心は、ここにはもうないのだと改めて実感し、そして安堵した。

「もうちゃんと吹っ切れたから安心して。それよりアッキーに変なことしないでね。私の大事な親友なんだから」

「分かった。変なことはしません。約束します。昼飯に誓って」

 こちらの真剣な空気を読んだのか、間髪をいれず胸に手を置いて騎士のように宣言する。

 そんな森永をくすくすと笑いながら数人の生徒が横を通り過ぎていった。

「ならいいでしょう。ふふ、森永くんのそういう素直なところが好きだったよ」

「ありがとう。俺も花ちゃんのそのストレートさが気に入ってたよ」

 動揺するでも格好つけるでもなく、さらりと言葉を返してくる男に、天然たらしの異名を持つだけはあるなと妙に感心してしまった。


 陽の当たる廊下と昼時のざわついた構内は、どこか遠い。

 多くの若者が笑い、出会い、すれ違ってゆく。

 少し首を傾けて、花枝は目を細めた。

「あなたのせいで辛かったけど、あなたのおかげで楽しかった。もう女の子を泣かせたらだめだからね」

「うーん、それは約束しかねるかな。俺わりとモテるから」

 自慢に聞こえる言葉のわりには神妙な顔だったので、花枝は小さく噴き出した。

「森永くんって、つかみどころのない人」

「それよく言われる」



**


 

 それじゃあと手を振って背を向けた元恋人の姿をじっと映太は見送った。

 凛と伸ばした背筋は、付き合っていた頃よりも自信に溢れている。

 そこには、泣きながら別れたくないと縋ってきた彼女の面影は一欠けらも見当たらなかった。 


(やっぱり俺、女の子を振る才能あるよなあ)


 満足したようにうんうんと一人頷くと、映太は同じ学部の知り合いに声をかけられその場を後にした。


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