二章
皆、歩みを止め、後ろを見ている。
「大丈夫か?」
鈴木が後ろを見る。
「いや、大丈夫だから、立ち止まるな。ゾンビに囲まれる」
今回は町外れから、更に人のいない町外れへ向かうことになる。敵に囲まれるようなピンチに陥る可能性は低いとは思うが、気を付けるに越した事は無いだろう。
金山に背中を向けしゃがみ込む。
「金山さん、掴まれる?」
金山は、黙って頷き、俺の首に、背後から手を回した。足に手を掛けて、金山を負う。
金山の体重は、かなり軽い。このままでも、ある程度なら、移動出来そうだ。
「荷物、あたしが持つよ」
竹田が、俺が持っていたスーツケースを代わりにに引いて行く。
「ありがとう」
女性でも竹田程の腕力が有れば、男手が一人増えるようなものだ。こういう時は心強い。
大きな交差点に差し掛かかる。乗り捨てられた車で車道が埋め尽くされてしまっている。
歩いている間も金山は背中で、ずっと体を震わせている。
「金山さん、詳しく話してくれない?」
無理に聞き出すのは、良くないかもしれないが、先延ばしにしても、解決にはならないだろう。他の皆に聞こえないように小声で囁く。
「……うん」
背中から、ずり落ちそうになっている金山が肩に掛けている腕に力を入れた。腰を持ち上げ、押し上げてやる。
しばらくの沈黙の後、金山が口を開く。
「私、記憶が三日間だけ無いの」
記憶が無いのは、三日間だけだったのか。
「三日間? いつから?」
「地震が起こった日の三日前から」
「えと、それは、地震の当日も含めて?」
「ううん。その日を数えずに三日間」
地震が起きた当日には、普通にカラオケボックスに遊びに来ていたのだ。常識的に考えれば、当たり前の事である。
だが、もし、地震や異変によるストレスが記憶喪失の原因なのだとすると、地震や異変の記憶ではなく、その前の記憶が無いと言うのはおかしな話だ。
「記憶が無いのって、怖い?」
「解らない。私、記憶が無い事を、そこまで怖がってるつもりはないんだけど。でも、何故か、その三日間の事を思い出そうとすると、頭痛くなって」
時折、鼻をすすりながら、金山は言った。
金山に目で見て確認出来る外傷は無い。頭を打ったという訳ではないようだ。やはり、精神的なものが原因なのだろう。
道路に止めてある車の間を縫うように歩く。車の運転手達は何処かにに逃げ出したのだろうか。
金山の顔を見ようと一瞬、顔を後ろに向け、車道の真ん中まで歩いた時だった。
急に最前列に止めてあったワゴン車のライトが点灯し、エンジン音が鳴り響く。
「い?」
鈴木がライトの眩しさに目を閉じる。
ワゴン車はスピードを上げ、怪獣の唸り声のような爆音を立てながら、こちらに近づいて来る。
「危な!」
列の前の方を歩いていた三人は大急ぎで信号を渡り切る。車がすれ違う際にシンの背中を掠った。
「うお!」
加速する距離が足りなかった事もあって、怪我はしていないが、突き飛ばされて、前のめりに倒れている。
車はUターンして、車道側に残された三人に向かって、また発進して来る。今度は充分に加速している。ぶつかれば、ただでは済まない。
「殺す気かよ!」
後ろに下がって車を避ける。灰色の排気ガスをもろに吸い込んだ刈谷が激しく咳込む。
「ハーヒャヒャ! ハヒャ!」
目の前を猛スピードで通り過ぎる車から、耳障りな笑い声が聞こえた。やはり、こちらを狙ってやっているのか。
通り過ぎた車の背後を全速力で走り抜け、車道を渡る。全員が渡り切ると、今度は歩道に向けて、急発進した。金山を背負ったまま最後尾を歩いていた俺に向かって、車が近づいてくる。
「ん!」
シンが咄嗟に俺をガードレールのある所まで引っ張り上げた。
しかし、それでも、車は速度を緩めず、こちらへ向かって来る。
「突っ込んで来るぞ!」
車は車体の半分だけ中途半端に歩道に乗り上げると、そのままガードレールに勢いよくぶつかった。轟音がして、車の運転席の部分が凹む。
「キャー!」
竹田が悲鳴を上げた。
反射で閉じた目をゆっくりと開けると、目の前に無惨な姿のワゴン車が横転している。
車内の運転手は、体が潰れていて、原形が残っておらず、それがたった今死んだ人間なのか、それとも、元から死体だったのか解らない。
「死体が運転してたのか? ってことは、やっぱり奴ら知能があるのか」
刈谷が恐る恐る車内を覗き込む。
「ここまで原形が残っていなくても、復活するのかな?」
鈴木が死体を見て一歩後ずさりする。
「さぁ、解らんけど」
刈谷が車のドアを開けようとする。
「いやいや、止めとけって!」
そう言って、刈谷を止めようとした次の瞬間、不意に死体からバスケットボールぐらいの大きさの青白い光が飛び出す。
「え?」
「うお!」
シンが腰を抜かして尻もちをついた。
光は車の窓をすり抜け、空高く飛んでいく。
「幽霊?」
金山が空を見上げた後、間中と顔を見合わせた。
「ううん。だから、あれ、霊じゃないって!」
間中は唖然としている。
光はある程度の高さまで飛ぶと、そのまま池袋サンシャインの方角へ向けて飛び去った。
「何なんだよ」
車内の死体に視線を戻す。
どちらにしろ、ここまでボロボロでは動けはしないだろうが、死体が復活する時間は、この前戦った時の事を考えると、そろそろのはずである。
「復活しないな」
「さっきの光のせいなのか?」
いくら待っても、死体は微動だにしない。さっきまで立ち止まる事の危険性を語っていたのが馬鹿らしくもなるが、足が動かない。
「いや、もういい。行こう。わざわざ死体が動いてくれるのを待ってやる必要もない。ここで突っ立ってるのも、危ないだろ」
刈谷を先頭に皆、歩き始める。
「カイ君、ごめん。もう大丈夫。ありがとう」
そう言うと、金山は背中から下り、隣を歩き始めた。
「そう。無理しないように」
前を歩く竹田から、預けていたスーツケースを受け取る。
「助かった。ありがとう」
竹田が金山を見る。
「心配?」
「うん」
そう答えて、竹田は黙ってしまった。
刈谷が顔をしかめる。
「だけど、あのパニック障害みたいなのを毎回起こされたらたまんないぞ」
竹田は泣きそうな顔になって、刈谷を見る。刈谷も悪気は無いだろうが、この構図では、どうしたって刈谷が悪者に見える。
「あの子、見捨てないよね」
刈谷が竹田から視線を剃らす。
「別に見捨てるとは、言わないけどさ」
竹田は金山の心の不安が伝播して、感傷的になっている。このまま全員がヒステリックな空気に飲まれるのは良くないだろう。
間中を指差す。
「大丈夫だよ。この数日間で、ようやく今日初めて一回起きただけだろ。もっと周りの迷惑になってる奴はいる訳だし」
それを聞いた間中が無言で木刀を持って近づいて来る。
予測出来ない反応ではなかったが、仲間のことを思って言った冗談を笑って流してくれるぐらいの優しさは、有ってもいいと思う。
皆を壁の代わりにして、その周りを何周もして、逃げ回る。そうして、しばらく走り回ると、間中は、息を切らし、その場にうずくまった。
「参ったか」
勝ち誇った目で、間中を見下ろす。間中は、こちらを睨んで動かない。流石に言い過ぎたか。
「おい! 早く行くぞ!」
刈谷が声を掛けても、動く気配が無い。立ち止まって、睨み合う内に皆は、どんどん進んでいく。
「謝るまで、動かない」
完全に拗ねてしまっている。
面倒臭い。何なんだこの女。
「ハイハイ、ゴメンゴメン」
頭を下げて、謝罪の意を表明する。その姿勢のまま、地面を見つめていると、急に背中が重くなった。
しかも、何だか暑苦しい。何の重みだろうか。
顔を上げると、目の前にいたはずの間中がいない。
「疲れた。負ぶってけ」
俺の背中に負ぶさっているのか。間中の体温は、かなり高く、近くにいるだけで体力が減っていく。
一刻も早く降ろさなければ、死んでしまう。
「シン! 後、どれくらい?」
「もうすぐ」
すぐとは、距離で表すと、どれくらいなのだろうか。
耳元から風船から空気の抜けるような細い風が耳に当たり、寝息が聞こえる。この気が狂いそうな暑さの中で、眠っているというのか。
「マジかよ?」
早く誰かに押し付けてしまおう。最後の力を振り絞り、重い荷物と、間中を背負って、皆を追った。
2
間中を負う役目を男子は誰も代わってくれず、一人でホテルまで負っていく羽目になった。
「スーツケース、また持とうか?」
竹田が再びそう申し出て、手を差し出した。
「いや、もう大丈夫だよ。もうすぐホテルらしいし」
竹田を心配させないよう笑顔で、歩くスピードを上げる。本当に大丈夫な訳ではないが、これ以上竹田に頼るのは申し訳ない。
背中に負ぶさっている間中の頬をつたった汗が自分の肩と胸をつたった。何だか不思議な気分になって肩にもたれ掛かっている間中の顔を見る。
少し口を開けて寝ている様子は、何処と無く小動物に似ている。どうにも憎たらしい印象が先行するが、彼女も静かにさえしていれば、可愛らしいのかもしれない。
角を曲がった道の先にホテルの大きな看板が見えた。
シンが俺の背中をポンと叩く。
「ネット環境完備だってよ」
看板の下の方には、確かに、インターネット利用可能と書いてある。
「おお、ちゃんと使えるのか解らんが、情報収集には役立つな」
ネットで情報が集められるのは、確かに便利だ。だが、俺の場合、情報収集というのは建前で、本当はゲームがしたいのだ。元からヘビーなゲーマーである俺にとって、ゲームが出来ないのはそれだけで辛い。
パソコンがあれば、いくらか遊びの選択肢が増える。
「シャワーがあるのは、有り難いかもね」
金山が竹田に向かって言った。
確かに、カラオケボックスにいた日数だけを数えても、そろそろ三日になる。体は大量に汗をかいたこともあり、相当汚くなっているはずだ。お互いの臭いが気にならないのは、皆、自分が臭い為、他人の臭いが気にならなくなっているからだろう。
まともな治療が出来ない今の状況では、不衛生な環境のせいで病気になったりしただけでも、文字通りの死活問題になりかねない。
「カラオケボックスは、何となく窮屈だったからな。引越ししてよかったかもな」
刈谷が、そう言いながらドリンクを飲み干した。
鈴木が頷く。
「もっと寂れた所を想像してたけど、案外綺麗だしな」
この手のホテルによくある安っぽい西洋風の外装は何となく下品に見えるが、確かに思ったよりはましだ。
「一旦、何人かで、様子を見に行った方が良いな」
「アタシ行く」
いきなり背中を突き飛ばして、間中が地面に降りた。
「痛! 起きてたのか! 降りるなら、言えよ!」
「何だ。珍しいな。お前が行きたがるなんて」
刈谷は、間中が最初の日にコンビニで手に入れた飴を口の中で転がしている。
「アタシが一緒に行けば、霊の居る部屋が解るでしょ」
金山が不安そうな目で、ホテルを見る。
「そうだね。霊の居る部屋に引っ越す事になったらやだもんね」
金山は間中を霊能力者だと信じているようだ。確かに、真実なのだが、普通は話を聞いただけでは信じ難い事だろう。素直に信じる事の出来る金山がそれだけ純粋無垢だということか。
シンが武器を入れていた袋を開ける。
「中で死体と会うかもしれないから、武器を持って行こう。外で待ってる奴らも一応、何か持ってけ」
皆が駆け寄り、袋から武器を取っていく。
間中がヌンチャクを取り出して大事そうに抱えた。
「この前は、あんなに嫌がってたのに、ヌンチャクで良いのかよ」
「このヌンチャク、古矢さんがおまじない掛けてくれたし」
霊の事が良く解っている訳ではないので、反論は出来ない。面倒くさいので、する気も無いが。
「そういうもんか」
「おまじないって……。マジで言ってんの?」
刈谷が呆れた目をして、間中と俺を見て来る。
幽霊を見たと、言った俺まで疑われてるのではあるまいか。
金属バットを振り回し、感覚を確かめる。他の武器でも、多少変化は有るのだが、金属バットは重心の位置が特殊な上に、竹刀や木刀よりかなり重い。
余り無茶をすると、自分の腕を悪くする可能性も有る。出来るだけ、体に負担のかからない戦い方を考えなければ。
「今回はパス」
刈谷は暑さのあまり既にばてている。悪い言い方をすれば、間中が来るということは、足手まといが一人増えるということだ。
だが、霊の見える間中が一緒に泊まる部屋を選んでくれた方が、後々には、苦労する可能性が低くなるのも確かである。
間中を守るためという意味では、出来るだけ男子は連れて行きたいが、熱中症で倒れられては敵わない。
「鈴木は来れるだろ」
「おう」
鈴木がベルトに木刀を挿した。
ホテルのドアを開けて中に入る。死体がいる気配はない。
ふと疑問に思ったことだが、ちゃんとした数字までは解らないが、死体に殺されることで、死体になった人間は、そこまで多くはないのではないだろうか。
最初の頃の混乱の中で敵に囲まれるような状況に陥ったりしたなら、まだしも、あの緩慢な動きの死体達とまともに戦って、負けるほうが難しい気がする。
そう仮定すると、今、歩き回ってる死体達は少し数が多過ぎはしないか。
俺が家を出るときには、既に今に近い東京が殆ど死体達に占拠されているような状況であった。食料不足で餓死した人達も居るのかもしれない。だが、何だかんだと色々あったものの、異変が起きてからまだ数日しかたっていない。いくら何でも、そんなに早く食料は尽きないだろう。
「何か感じる?」
間中が首を横に振る。
「今のところは何も。本当に人を殺すような霊がこのホテルにいるとしたら、建物に入った時点で気付くはずだから。とりあえず、そういうのは居ないと思っていいと思う」
鈴木が後ろを振り向く。
「死ぬ呪いかけられたら、絶対助からないの?」
「そういう呪いを持ってる奴等は、ホラー映画のお化けみたいなもんだから。呪いをかけられたら、大体の人は死んじゃう。でも、たまに助かる人とか、何かの拍子に呪いを解いちゃう人とかもいる。そこもホラー映画と同じなの。まあ、滅多にそんな事は無いから、それに期待は出来ないけど」
鈴木は視線を前に戻してふーんと返事をした。
カウンターを乗り越え、部屋の鍵を探す。
「男女で分けて、二部屋あれば、充分だろ。あんまり、バラバラになるのも危ないしな」
「出来れば、人が少ない階が良いと思うんだけど……これか!」
鈴木がカウンターの裏の部屋の鍵を見付けた。並べて有る鍵を見て、空いている部屋を確かめる。
鍵は階ごとに分けてあるようだが、人が入っている部屋が意外と有る。
助け出すような余裕は無いが、そのどれかには生存者が居るのかもしれない。
ほとんど誰も使っていない四階の並んだ二部屋の鍵を取る。
「おし、行くぞ」
立ち上がろうとすると、急に鈴木に頭を押さえ付けられた。
「何すんのよ!」
鈴木が俺と間中の頭を押し付けたまま、自分もしゃがみ込む。
「どうした?」
「ゾンビ、ゾンビ!」
「え、今かよ!」
ホテルの中にも、何体かいる事は予想していたが、悪いタイミングで、出くわしたものだ。
「どうする。他に泊まれる所を探して見るか?」
鈴木が腰から木刀を抜いて構える。
「いや、ゾンビが一体もいない場所なんか、もう何処にも無いだろ。自分達がどの部屋にいるのかさえばれてなければ、それでいいよ」
最初の慌てぶりの割には、鈴木も意外と冷静に状況判断をしているようだ。
地面を濡れ雑巾で摺るような足音が聞こえて来る。
「あのゾンビは武器、持って無かった。広いホテルの中のたった一体のゾンビにロビーにいるのを見られたってどうこうならないだろ」
鈴木がカウンターを飛び越え、踊り出る。
「大声を出される前に倒さないと、他のゾンビも集まって来ちゃうな。俺達も行くぞ」
特攻して行った鈴木が背後から頭部を不意打ちする。
「アァッ!」
悲鳴を上げようとする死体に、袈裟を刀で切るように金属バットを振り下ろす。
「はあぁあ!」
間中が目をつぶって、突進して来ている。
何を考えているんだ。
「馬鹿! 目を開けろ! あぶねえぞ」
鈴木と一緒に頭を抱えて、地面に伏せる。
偶然、ヌンチャクの一撃が入った死体はそのまま床に倒れ込む。
「やった! アタシ凄い!」
間中が誇らしげにガッツポーズをとった。
「呑気な事言ってんな! 今の内に、皆を呼びに行くぞ」
外で待っている皆を手招きで、呼び寄せる。左右を確認して、ぞろぞろと四人がトラックの陰から出てくる。
「どうだった?」
刈谷が小声でそう尋ね、ホテルに入って来た。
「大丈夫だと思うけど、何体かゾンビが居る。今、一体倒した所だ。復活する前に、急いで移動しよう」
鈴木がエレベータの上のボタンを連打している。気持ちは、解るが、効果は、無いだろう。
エレベータのドアが開き、皆が駆け込む。
「あれ、ドア閉まんないぞ」
鈴木は、閉まるのボタンを連打している。
シンの腹が支えて、ドアが閉まらないのだ。
「うっそん!」
死体がその体を痙攣させ始めている。
「こんのオデブ!」
刈谷が力いっぱい、シンをエレベータの中に引き入れるが、ドアは、閉まらない。
「鈴木、部屋の番号は?」
「え? 407だけど、何で?」
シンの腹を押し退け、エレベータの外へ出る。
「行ってらっしゃい!」
エレベータの中の皆に敬礼をする。俺が飛び出すと同時に、ドアが閉まり始める。
「うおい!」
鈴木が一瞬、手を伸ばそうとし、すぐに引っ込めた。
「えー……と。まあ、じゃあ、後で」
ドアが閉まり、ワイヤーの動く音がし始めた。今度は、体重オーバーで止まらなければ良いが。
エレベータが上へ向かったのを確認し、自分は階段へ向かう。
荷物が無ければ、四階程度なら、階段でも上がれるだろう。自分で言うのも変な感じがするが、風に吹かれる羽毛の如き速さで階段を上がっていく。
そうして気持ち良く、二階まで駆け上がった時の事だった。
「ぐあぁ!」
不意に、低い音の耳鳴りが耳の奥で鳴り響く。耳鳴りの症状にも似ているが、それよりもっと低くもっと大きな音がする。
「何なんだよ! これ!」
音が段々大きくなっていく。いや、音の原因が近づいて来ているのか。
空気までが重くなったように感じる。思うように動けなくなる。
逃げなきゃ。
逃げなきゃ、死ぬ。
「あぁあ!」
やっとのことで足を前に出したものの、力が入らずバランスを崩してしまう。
手摺りに縋り付くように掴まり、階段を一段一段上がっていく。
青白い手が下の階段の手摺りを掴んだのが見える。
何故だろうか。今、迫って来るそれの正体を自分は知っている。
捕まれば、殺される。
必死で手足を動かし、四階に着く。今や、ほとんど四つん這いのような姿勢になっている。
原因のわからない目眩に体を左右に振られて、廊下の壁にぶつかりながら、走る。
皆が待っているだろう部屋のドアの前に立ち、ようやくある事に気付いた。
「あ……あ、そうか! クソ! ちきしょー!」
駄目だ。あれだけ気をつけていたのに。痛恨のミスだ。このまま部屋に入る事は、出来ない。
奴に部屋に入っていく所を見られれば、中の皆は全滅してしまう。
どうすればいい。
階段に戻るには、ここに来るのに時間を使い過ぎた。今は、この部屋から注意を逸らさなければ。
エレベーターは、先程、使われた時のまま四階にある。
ボタンを押して、エレベーターに乗り込み、最上階である七階のボタンを押す。
エレベーターの中の緊急連絡の電話から、誰かの声が聞こえる。
「カギ……ガイ……」
「クソが! 黙れ!」
スピーカーを思いっきり殴る。
耳鳴りには、ラジオのノイズのような音が混じっていく。
急に、後ろから壁を叩く音がした。
振り向くと、今度は、前から。そして、また振り向くと、今度は、左から。
音は、段々テンポが速くなり、激しさが増していく。
「気ぃ狂いそうだ!」
エレベーターのドアが開く。七階に着いたのだろうか。
何故か廊下の明かりが消されている。
体が見えない何かに廊下に引きずり出される。
「うわあああああああああああああああ!」
廊下の奥の角から、何か粘着質な物が地面に着く音がする。
奥から、青白い顔の目を見開いた女が表情筋の動きが感じられない笑顔で、歩いて来る。
目の周りに隈のように血の涙を溜めている。
女が近付くにつれて、耳鳴りのノイズが酷くなっていく。
「ああ・・・うあああああ!」
壁に背中を付け、金属バットを構えようと、腰に手を伸ばす。
「あ!」
次の瞬間、バットは、先程、自分を引っ張ったものと同じような力で奪われ、廊下の奥の闇に飲み込まれた。
「クソ!」
座り込んで、手と足で壁まで後退する。
出来るだけ、女から離れるために、目を固く閉じ、上を向き、体を反らせた。もう向き合い、戦うような精神力は残っていない。
ここで、俺は死ぬのか。その鼓動を確かめるように手を心臓の位置に置いた。
3【刈谷】
エレベーターのドアが閉まり始め、カイが階段のほうへ走っていく。
「大丈夫かな」
竹田は、カイが行った方向を見つめている。
「大丈夫だろ」
多少のことでは、カイが死ぬとは思えない。逞しいというか、マイペースな性格なのだ。それよりも、死体がまだ何体かホテルの中にいることを考えると、気をつけなければいけないのは、こちらのほうである。
壁に立てかけておいた棒を脇に挟んで構える。
エレベーターが四階につきドアが開いた。
「じゃあアタシ達は、こちらの部屋で」
金山が406号室のドアの鍵を開く。
「カイがどちらの部屋に来るか解らないから、どちらの部屋にも人がいるようにしたほうがいいよな」
407号室の鍵を鍵穴に通す。
「駄目!」
間中が、そう叫んで手から鍵を奪い取った。勢いよく引っ張られたせいで、手に痛みが走る。
「いって! あ? どうしたんだよ」
間中は、全員を406号室の方へ、引っ張り込んむと、大急ぎでカーテンとドアの鍵を閉め、ベットの上で体育座りのまま動かなくなってしまった。
鈴木が間中の肩に手を置く。
「パニック起こすなよ。407号室には、幽霊がいたのか? でも、そんなに強い霊は、このホテルには居ないんだろ。慌てる事ねぇじゃん」
「違ぇよ! そういうんじゃないだよ! 本当は、今やってることも意味無いかもしれないんだ!」
間中は、苛々し始めると、男のような言葉遣いになるようだ。
「意味が解らん。解るように説明しろよ」
「……徘徊者!」
「ハイカイシャ?」
「呼んで字のごとくだよ。呪う相手を町を歩き回って探す霊! 古矢さんの話だと、こちらの位置がわかってる上に、どこにでも現れるらしい。出会ったら助かりようがない敵に怯えるなんて、意味が無いから、アンタ達には教えなかったの!」
「え……そいつが今、ここにいるのか? カイは安全なのか?」
状況が一変してしまった。カイは、今どこにいるのだろうか。無理やりにでも引き止めるべきだったのだろうか。
「解らない。でも、多分アイツを追っかけてるんだと思う」
シンが嘆息して、ベットの上に腰掛けた。
「でも、そんなことが出来るのに、どうしてそいつは何で東京中の人間を皆殺しにしないんだ?」
「それも解らない。神に近い力を持った霊は、必ずしも人間と同じような感情や理性に従って、行動するわけじゃないから」
竹田がドアの方へ駆けていく。鈴木がその手を掴んで、竹田を止めた。
「下手に逃げ回っても助からないよ。皆が離れないほうがいい」
竹田が鈴木に掴みかかり、突き飛ばす。
「だって、カイ助けなきゃ!」
「落ち着いて! 加奈子!」
金山が止めに入り、竹田の頬を叩いた。泣き出して、縋り付く竹田を抱きしめて、背中を叩く。
「安全になったら……安全になったら、カイを探しに行こう。きっと大丈夫だ」
根拠の無い発言だ。だが、今は助けに行くことも出来ない。
この前、カイが間中とあの胡散臭い霊能力者と話し合っていたのは、この事だったのだろう。
額を手で覆い、その場にしゃがみ込む。
大丈夫な訳がない。
だが、口に出せば、それが事実になってしまう気がして、誰も口に出さない。いくらカイでも、そんな物に狙われて無事で済む訳がない。
「安全になるまで後どれくらいかかる?」
そう尋ねるが、間中は俯いたままで、中々、答えが返って来ない。カイを危険に晒した事に責任を感じているのかもしれない。
「徘徊者がこの近くから消えたら、それは解るとおもうけど、いつ消えてくれるかは解らない」
間中は、しばらくして、ようやく、呟くように答えた。
何も出来ず、ただ時間だけが過ぎていく。危険を承知の上で、カイを助けに行くべきだったのだろうか。
鈴木はイライラして、足を揺すっている。
数分が経った後、間中が立ち上がった。
「多分、もう大丈夫」
それを聞いた途端、鈴木がベットから飛び降りて、部屋を飛び出す。
「俺は上の階を探す」
「じゃあ私達は下の階で」
金山が竹田の手を引いて、部屋を出ていく。
シンが立ち上がって、こちらを見る。
「そうすると、俺らはホテルの外を探した方が良いのか」
皆、焦って、好き勝手に動き出してしまった。何も起きなければ良いが。
だが、急いだ方が良いのも事実だ。
「三人か。広い範囲を探すなら、人数が多い方が良いんだけどな」
間中がベットから飛び降りる。
「駄目だよ。誰か一人はここに居ないと。あいつはアタシ達がここに居ると思ってるんだから」
今まで、間中がこんなに主体的に、俺達に協力することが有っただろうか。カイの事を本気に心配しているらしい。
「そうだな。この辺に隠れてるかもしれないなら、やたらめったら遠くを探しても意味ないか」
「皆にも、知らせておくけど、今から三十分したら、一旦、部屋に集まるようにして」
シンと顔を見合わせる。
「ああ、解った」
シンと二人で、エレベーターに乗り、一階まで降りる。
ドアの外から、赤い光が差し込んでいる。先程の死体の姿が見えない。また、どこかへ行ってしまったようだ。
「俺はこっち側から建物の周りを回ってみる。お前は反対側から、回れ」
左側の道を指差す。
「んでもって、反対側で会おう。ゾンビに気をつけろよ」
「了解」
シンは頷いて、カイの名を呼びながら、左側へ走って行った。
自分も右側に道を進み始める。
カイの名を大声で呼ぶ。余り大きな音を出すと、死体が集まって来てしまうが、ただ歩き回るだけではカイがどこかに隠れていた時に素通りしてしまう。
「ウヒヒ! ウヒヒ! ハャワ!」
壊れたおもちゃのような笑い声を上げで、後ろから何かが迫って来ている。
「こんな時に!」
小さめの子供くらいの大きさのゾンビが白目を向いて、シャカシャカと素早く手足を動かし、突進して来る。
棒を振り回して、頭を殴る。柄の長い武器は、鈍器のように使うには不向きだ。不意を突いたことで、当たりはしたものの、勢いが死んでいる。
「アヒィ」
ゾンビは驚いて飛び上がり、またこちらへ迫って来た。
棒を短く持ち直し、ゾンビの足を凪ぐ。
すると、今度は、ゾンビは飛び上がり、棒を躱した。
今まで会った他の死体に比べて、動きが俊敏過ぎる。普通の死体では無いのか。一人で倒し切るのは無理だ。もうすぐ建物の反対側に出られる。
シンと合流して、戦おう。
背中を向けて、逃げ出すと、死体がまた奇妙な走り方で迫って来る。
シンは、既に建物の裏に着き、手を振って、待っている。
後ろのゾンビを確認し、叫ぶ。
「ゴメン! 何か変なの連れて来ちゃったわ!」
「うわ! 何だあの動き。 ロボットみたいだな」
「やたら動きが早いんだ。適当に大振りに殴っても、当たらないかもしれない。俺が棒で突いて、一瞬動きを止めるから、そこをぶん殴れ!」
物凄い勢いで走って来るゾンビに対して、大きく一歩踏み出して、棒を突き出す。
だが、ゾンビは横に転がるように飛び、攻撃は躱された。棒の間合いに入り込み突き返す事の出来ない位置から、飛び掛かって来る。
「下手くそ!」
シンが木刀でゾンビを何とか打ち返した。
「グヒィ!」
ゾンビは吹っ飛ばされて動かなくなる。体が小さい分、耐久力が無いようだ。
「動き止められてねえじゃねえか!」
シンが小馬鹿にしたような顔でこちらを見ている。
「いや、スマン」
結果的に倒す事が出来たが、実は軽くピンチだったかもしれない。
「前に武器を持った体のでかいゾンビを見た。ゾンビにも一応種類とか固体差みたいなものが有るらしいな」
「そうだったのか。てか、それよりもカイは?」
黙って首を横に振る。
もう、カイが生きているか解らない事は全員解っているはずだ。それでも、カイを探さずにはいられない。カイ個人も勿論大切だが、それ以上に一人でも生存者が欠けたという事実は、残った人間を精神的に追い詰める。
「そうか」
シンは意気消沈して、ガードレールに腰掛けた。
横に転がっているゾンビを見る。
「もう少し探したいけど、こいつに復活されたら、厄介だな」
「ひょっとしたら、形が無くなる程殴れば、こいつもあの車の運転手みたいに動き出さなくなるんじゃないか?」
やってみる価値は有りそうだが、何だか気が引ける。
「しゃーないな。やってみるか。いっせえのせでやるぞ」
「頭を叩き潰すのが一番散らからないだろうな」
シンがゾンビの頭部を指差して言った。
武器を目を閉じて、思い切り振り下ろす。
「いっせいのせ!」
前から解ってはいたことだが、空が赤くても、東京を壁で囲まれていても、季節や天候は通常通りのままらしい。激しい運動と暑さで意識が朦朧としてくる。太陽の光も入って来ないのに、不思議な話だ。
「もう良いだろ」
目を開けて、シンを止める。ゾンビの顔は、既に崩れている。
「また、あの青白い光が出て来るのか」
「さあな」
その場に立ち尽くしていると、例の光がゾンビの体から飛び出した。
「やった!」
これで本当に復活しなければ、安心して、カイを探す事が出来る。
「ゾンビっていうから無限に何度でも蘇るのかと思ってたけど、そういう訳じゃ無いんだな」
シンが武器で地面に倒れているゾンビを突く。
「さっさと探しに行くぞ」
シンの服の袖を引く。
しかし、その後も、しばらく探し続けたが、カイは見つからなかった。
肩を落とし、部屋に戻る。
他の三人は、まだ帰って来ていないらしい。
「他の奴等が見つけてるかもしれないだろ。そんな顔すんな」
「あぁ。そうだな」
金山達と鈴木が順番に帰ってきた。
鈴木の手には、カイの金属バットが握られている。
「お前、それ! カイがいたのか?」
鈴木が首を横に振る。冷たく、魂の抜けてしまったような目をしている。
「いや、これが落ちていただけ」
「・・・・・・そうか」
間中が手を叩き、注目を集め、テーブルの上にクッキーの袋を開ける。
「とりあえず、何か食べようよ」
皆が二三枚づつ取り、口に運ぶ。人が一人居ないだけで、こんなにも会話が無くなってしまうのか。無力感がこの部屋にいる誰にも平等にのしかかっていた。
4【刈谷】
誰がつけたのか解らないが、テレビがついている。
画面には、どこかの国の軍隊が東京の壁を爆弾で破壊しようとしている映像が映っている。
爆弾を爆発させるが、壁に変化は無い。壁を破壊することは出来なかったようだ。
やはり、もうここから出ることは出来ないのだろうか。
部屋は静まり返り、誰も喋らない。全員、淀みきった表情をしている。
カイの話題を出さないのはカイを忘れているわけでなく、思い出しても仕方がないからであろう。
見兼ねて、シンが口を開く。
「壁に爆弾を仕掛けたり、地中奥深くまで潜ったり、空から突っ込んでみたり、外側からも、色々やってくれてはいるみたいだけど、駄目みたいだな」
下を向いていた鈴木が視線をテレビに移す。
「どういうこと? 宇宙まで無限に壁が続いてんの?」
「いや、どうやら俺達、筒というよりは、箱のような物の中に居るらしい。パラシュートで降下しようとした海外の軍人さん達が上空で急に足が透明な天井に着いちまって、大慌てだったらしいよ」
明らかに無理をして、引きつった顔で竹田が笑った。その目は、まだ若干腫れている。
「何か間抜け」
笑って話しているが、異変が起こってから、事態を解決する糸口は一向に見えてこない。それどころか、外に出られる望みは、段々、薄くなっていくばかりだ。
「こういう大掛かりな作戦もいつまでも出来るわけじゃないよな。海外の軍隊は、日本の事ばかり構ってるわけにはいかないだろうし、日本の他の地域だって、いろんな組織の中心部がある東京が駄目になってるんだから、自分の事で精一杯だろ」
金山がゆっくりと頷く。
「そうかも……」
鈴木が何か思いついたように立ち上がる。
「だからさ、あのさ。一度、行かない? あの鳥居のに」
「は?」
カラオケボックスの前に現れた鳥居の事を言っているのだろう。最後には、行かなくてはならないと思っていたが、今がその時とは、思えない。
全員の目を見ながら、鈴木は演説を続ける。
「外からの助けは、もう期待できないだろ? それに、このホテルに篭城してるだけじゃ徘徊者がもう一度、襲って来たら、どっちにしろ皆、死んじゃうかもしれないし」
鈴木がどうしてこんな突拍子も無い話を始めたのかは解らない。カイが消えたことで動揺して、焦っているのだろうか。
「いや、そうだけどさ。お前、カイがいなくなってやけくそになって言ってるだろ?」
「違うって! 俺が行きたいんだよ!」
シンが机にひじを着き、顎をついて呟く。
「行ってみるか」
「お前まで何言ってんだ。あそこには、あの卵もあるんだぞ。何の為に逃げて来たんだよ」
「一度でいいんだ! 危なそうだったら、近くを見て来るだけでも良いし」
その一度で一度死んでしまったら、もう帰ってこられないということを解っているのだろうか。二人は、完全に行く気になっている。
「じゃあ、出発は明日にしよ。今日は、もう皆疲れてるでしょ」
竹田がベットに倒れ込む。鳥居に行く事自体には、賛成らしい。
全員行くとなれば、俺だけが行かないわけには行かないだろう。 説得は、諦めるしかなさそうだ。
それならば、綿密に作戦を練るしかない。
「……本当に危なくなったら、すぐ帰るぞ」
「ああ」
鈴木が頷いた。
机の上の鍵を持ち、部屋を出る。
「俺達も部屋に戻ろう」
部屋にベットは二つしかない。一つのベットは、シンでいっぱいになってしまうだろう。もう一つのベットを二人で使えば良いのかもしれないが、正直、男と同じベットで眠るのは、御免だ。
「俺は、机で寝るよ」
そう言って、机に突っ伏した。
別に二人の事を思いやっているわけではない。やりたい事が有るのだ。
5【刈谷】
机の寝心地の悪さも手伝って、それから三時間程で目が覚めた。予定通りである。
クッキーとペットボトルを鞄に一つずつ詰める。
二人を起こさないようにドアをゆっくりと押し、部屋を出た。
朝の静けさの中で、自分の足音だけが廊下に響いている。
エレベーターのボタンを押す。昨日、最後に四階に止まっていたはずのエレベーターが一階に降りている。他にも誰か起きているのだろうか。
或いは、他の生存者ということも考えられる。
一階のロビーに着く。玄関から外に出ると、目の前にトラックが見えた。
近寄って、運転席を覗き込む。ガソリンは半分以上残っていて、エンジンの鍵も刺さりっぱなしになっている。
昨日、外でカイを待っている間に気付いたのだ。
ドアを開け、運転席に乗り込む。
大きく深呼吸をして、エンジンを掛ける。
エンジン音に反応して、ゾンビが集まって来ないか、バックミラーを確認する。
昔、田舎に帰った時、悪戯で車の運転をしたことが有ったのだ。
記憶の糸を手繰り寄せながら、操作をする。ギアを入れると車が動き出す。怖くなり、慌てて一旦ブレーキを踏んだ。
何とか動かす事が出来そうだ。深呼吸をして、またハンドルを握る
誰かが車の窓を叩いた。
驚いて、助手席の方へ逃げる。
見ると、外側から金山が車内を覗き込んでいる。胸を撫で下ろし、ドアを開けた。
「びっくりした」
「ゴメン。声を掛けようと思ったんだけど、タイミング逃しちゃった」
金山が申し訳無さそうに、手を頭の後ろに置いた。
「運転……出来るんだね」
乗ったまま話をするのも何なので、エンジンを止め、車から降りる。
「いや、今日が初めてだよ」
金山の顔に感動が滲み出る。何となく照れ臭い。
「そうなんだ。凄いね! これで鳥居の場所まで行くの?」
「いや、直接あそこまで行くのは、無理だろうな。街に近づけば、車道に車が止めて有って動きが取れないし、エンジンの音でゾンビが集まって来ちゃうだろ。遠回りだけど、ゾンビの少ない道を通って、近くまで行くくらいなら、出来ると思うよ。ていうか、俺が言うのも変だけど、こんな時間にどうしたの?」
「ちょっと外の空気を吸いたくなりまして」
冗談めかして、わざと事務的な口調で金山が言った。
「そうか。でも、あんまり一人で外に出ると、皆が心配するかもよ。まだ完全に朝って時間帯でもないし、早く部屋に戻って、もう一眠りしよう」
金山は素早く二回頷くと、寒そうに自分の体を抱いた。
夏でも深夜から早朝の時間帯は、やはり若干寒い。
外気の冷たさから体を守るように、出来るだけ体を小さく丸めてホテルへ戻る。
「そういえば、部屋のベットって二つしか無いよね?どうやって寝てんの?」
「え。私達は、普通に皆で分けて使ってるけど……」
「そっか」
やはり、ベットを分けて使うのがベターな手段なのだろう。
だが、それは、女性同士だからこそ使える選択肢だ。男が二人並んで寝るなんて事は想像したくもない。
ホテルの中にゾンビがいないのを確認してからドアを開け、ドアマンの真似をして、金山に道を開ける。
「どうぞ」
「ありがとう」
金山が口角を僅かに上げて微笑む。
「いえいえ」
警戒しながら、ロビーを速足で横切る。
ボタンを押して、エレベーターに乗り、壁にもたれかかる。
エレベーターが動き始める。
「鳥居に行けば、何か解るかな?」
共通の話題も無く、困っていると、急に金山がそう聞いてきた。
どう答えるべきか。一瞬、考えてしまう。
「そうだな。それに、動き回ってれば、ひょっこりカイと会えたりするかもしれないしなぁ」
また笑みを浮かべ、金山が頷いた。
エレベーターが四階に着き、ドアが開く。
「もう何時間かしたら、出発することになると思うからさ。しっかり眠っとこう」
「そうだね。おやすみ」
金山は、そう言うと、手を振て、部屋に入った。
それを見て、自分も部屋に入る。
鈴木はベットからずり落ち、シンは大きないびきをかいている。
このままでは、うるさくて眠れないだろう。
シンの鼻を詰まむ。シンの呼吸が止まり、しばらくすると、口で呼吸をし始めた。また、いびきを始める前に寝てしまわなければ。
運良く鈴木のいなくなったベットに、大の字で体を倒す。
一瞬、目を閉じると、体がふわりと浮かぶような感覚になる。
そうして、もう一度、目を開けると、シンと鈴木がベットの左右に立っていた。
「おはよう! 刈谷!」
鈴木が肩を揺すってくる。
慌てて、置き時計を見る。
先程、見た時から、三時間分、短針が進んでいる。
「うわ! 結構、寝ちまったか?」
シンが携帯用のバー型ケーキとお茶を差し出して来る。
「空がいつでも真っ赤なんだから、時間もへったくれも有ったもんじゃねえだろ。気にしなくてよくね?」
「悪いな。俺待ち状態か?」
「皆、今から行く所だよ。気にしなくて良いから、早く準備しろよ。シャワーぐらい入っていく時間は有るよ」
そう言いながら、鈴木がリモコンを手に取り、テレビの電源を付けた。
「急げ、急げ!」
シンに背中を押され、シャワールームに放り込まれる。
「皆、シャワーは浴びてから行く流れになってんのか……」
仕方が無いので、服を脱ぎ、シャワーのスイッチを捻った。
手でお湯の温度を確かめながら、少し温めの温度にする。
シャンプーとボディソープで大急ぎで体に塗りたくり、一気に洗い流す。
湯舟に浸かりたいが本、先程の鈴木とシンの様子からすると、全員、既に行く用意を始めているはずだ。
乗り気ではない作戦だが、自分のせいで全員の行動が遅れるのは、流石に申し訳ない。
洗面台の下にシンと鈴木が使ったタオルがだらしなく落ちている。
棚に残っている未使用のタオルを使って、体を拭く。
代えの服も無いので、シャワーを浴びる前に脱いだ服を着る。せっかく体を洗っても、汗で汚れた服をまた着たのでは、綺麗にならないのではないだろうか。
チャンスが有れば、服も調達しなければならないだろう。
「上がったぞ」
タオルを首に架け、シャワールームを出る。
「後、五分で行くぞ。早く飯食えよ」
二人が部屋を出て、下の階に降りて行った。
「はいはい」
ベットに腰掛けて、ケーキを口に入れ、お茶で流し込む。
床に置いてある棒と鞄を足で引き寄せ、中身を見る。
一応、夕方には、ここに戻って来る手筈になっているのだ。最低限の食料と武器以外の荷物は、置いった方が良いだろう。
ケーキの最後の一片を食べ終わり、立ち上がる。
廊下に出ると、二人を乗せたエレベーターが動いていた。
また来るまで待つのも時間がかかりそうなので、歩いて階段を降りる。
ホテルの外では、既にトラックの荷台に皆が乗っている。
金山が昨夜の事を話したのだろう。鈴木とシンが妙に機嫌が良かったのは、これのせいか。
「俺は運転なんて見様見真似だぞ。本当に良いのか」
「駄目元でやってみようぜ」
鈴木は、落ち着かなそうにトラックの上を行ったり来たりしている。
「じゃあ。やってみるけど」
運転席に乗り込み、エンジンを動かす。
車が動き始めると、後の荷台でちょっとした歓声が沸き上がる。
初めて車に乗る訳でもあるまいに。何をはしゃいでいるのだろうか。
「行くぞ!」
アクセルを踏み込むと、トラックは段々と速度を上げ、道を走り出す。
窓から入る風が何とも言えず、気持ち良かった。
6【刈谷】
頻繁にブレーキを掛けながら、慎重に車を進ませる。
車が急停止する度に、後ろの荷台から喚声が聞こえる。
何がそんなに楽しいのか知らないが、五月蝿過ぎて、運転に集中出来ない。
だが、止めてと頼んで止めてくれる雰囲気でもないので、仕方なく黙って車を走らせる。
最初は、上手くいかなかったものの、しばらく運転していると、やり方が解って来て、思い通りに車を動かせるようになった。俺にも才能が有るのではないか。
思ったよりも、車道も混んでいない。何とか進んで行けそうだ。
大きな通りに出る。
事故で大破したままの車が放置されていて、通れなくなっている。
「こりゃ駄目だ。道を一本ずらそう」
車をUターンさせ、来た道を戻る。
帰りの事を考えると、今の内に、この辺りの車で通れる道を覚えてしまった方が良いかもしれない。
進んでは、車で封鎖された道に突き当たり、道を戻るという事を繰り返す内に、カラオケボックスの大分、近くまで来ることが出来た。
だが、目的地に近付くにつれて道が混み合い、思うように進めなくなっていく。
「これ以上は、無理だな。後は、歩いて行こう」
車を止め、エンジンを切る。
「えー。だるーい」
間中が愚痴をこぼしながら、車を降り、運転席に近寄って来る。
「仕方ねぇだろ。ほれ。そこどけよ。降りられねえだろうが」
ドアで間中を押し退け、自分も車から降りる。
「あんまり長い間、外うろつかない方が良いでしょ。急ごうよ」
竹田が先頭を歩き始める。
何分とも経たぬ内に、カラオケボックスとその足元にある鳥居が見えて来た。
「おい! 刈谷! 見ろ!」
シンが後を振り向くなり、急に叫ぶ。
「え?」
振り向くと、カラオケボックスの向かいの公園にいたゾンビの大群が消え、あの巨大な黄色い卵が割れている。
「あれ、やっぱり、何かの卵だったのか。てか、ゾンビは?」
卵の側に駆け寄り、中を覗き込む。
何かの得体の知れない液体が底の方に溜まっている。
「で、中身は何処に行った訳?」
間中が首を傾げる。
「さあな。でも、やっぱり、この辺に居るのは危険だ。さっさと帰ろう」
「え! ここまで来て、それは、無いだろ!」
鈴木が一人で鳥居の方へ歩いて行く。
「ちょっと! 危ないよ!」
金山が肩を掴んで、鈴木を止める。
「大丈夫だって! 金山さん」
肩に置かれた手を穏やかに外し、鈴木が走り出す。
「勝手な事すんな。アホ!」
そう叫ぶのも聞かずに、鈴木は、そのまま鳥居の奥の祠へ入って行ってしまった。金山が心配そうにその背中を見送る。
「あのバカ! どうすんだよ」
シンが祠の中を覗く。
「大丈夫だろ。あいつ、案外臆病だから、怖くなってすぐに戻って来るよ」
「うわああああああああああああああああ」
不意に、何かが祠の中から飛び出してきた。
振り向くと、鈴木が花壇に腰をぶつけて、のた打ち回っている。
「は?」
「え? ど、どうしたんだ?」
金山とシンが鈴木に駆け寄る。
「祠の奥に透明な膜が有って、触ったら弾き飛ばされた」
鈴木は、痛みで涙を流しながら、絶え絶えにそう答えた。
「どうなってんだよ……」
道端に落ちていた少し中身の残ったペットボトルを手に取る。
「皆、鳥居の前に立つなよ」
シンと金山が鳥居の前の道を開けた。
祠の奥を目掛けて思いっきりペットボトルを投げ、自分も横に避ける。
次の瞬間、鈴木と同じように目の前をペットボトルが勢い良く横切って行った。冗談を言っている場合ではないが、さながらペットボトルロケットである。
「元から鳥居の中には、入れないようになってたのか」
どんなカラクリが有るのか知らないが、祠の奥に行くと、吹き飛ばされてしまうらしい。
無駄足を踏まされた上に、怪我人が出してしまった事に腹が立つ。
「マジかよ。ここまで来たのに」
シンがカイが使っていた金属バットを杖の代わりにして地面に膝をついた。
「鈴木は? 大丈夫か?」
「一応、歩ける」
鈴木が痛みに顔をしかめながら、背中を押さえて、立ち上がる。服の背中の部分に血が滲んでいる。余程、強く打ち付けないと、こうは、ならないだろう。
「そうか。急いで、トラックに戻って、ホテルに帰ろう」
鳥居に名残惜しさが無い訳ではないが、竹田が言っていた通り、この辺りに居続けるのは、危険だ。
鈴木に肩を貸してトラックまで歩く。鈴木は、しばらくは、まともに動けないだろう。
「おい。シン! 助手席側のドア開けてくれ!」
「おう」
シンにドアを開けて貰い、トラックの助手席に鈴木を座らせる。
揺れの激しい荷台に居て、怪我に響いては、まずい。助手席の方が揺れは、まだましなはずだ。
「キャアア!」
「うわあああ!」
急に、荷台から悲鳴が聞こえた。
「今度は、どうしたよ!」
「刈谷! 良いから車出せ!」
シンが怒鳴り声を上げる。語気に押され、素直に車を出す。
「あぁ。もうやだ。また何か起こるのかよ」
ネガティブな事は、余り言いたくないが、もう限界だ。カイがいなくなり、鈴木は怪我をし、折角、苦労して運転して来た鳥居には、入れなかった。状況は一向に好転しないのに、良くない事だけがずっと続いている。
「か、刈谷! 後ろ!」
鈴木が窓から顔を出し、後ろを見ている。
「あぁ?」
バックミラーに目を移す。
何かの影が道の遠くの方から、近づいて来る。何か叫んでいるが、距離が離れ過ぎて、何を言っているのか解らない。
少しずつ、車を加速させている間にも、影が段々と大きくなっていく。何かが物凄い勢いで近付いて来ているのだ。
「うわあああ! 何じゃあれえぇ!」
それは、巨大な全裸の女性だった。
「ニゲナイデ! ニゲナイデ!」
無茶を言うな。あの図体追い掛けて来たら、誰でも逃げる。蜥蜴を思わせる走り方が余計に気味が悪い。
「もっとスピード出して!」
間中が荷台の側から、壁を叩いて来た。アクセルを完全に踏み込む。
間違えて、通れない道に入り込んでしまったら、生きては、帰れないだろう。来るまでの記憶を必死で辿る。
だが、体の大きい分、巨人は、迫って来る速度も速い。このまま走り続けも、追いつかれるのも時間の問題だろう。
鈴木が車のエンジン音に掻き消されないように大声で話し掛けて来る。
「なあ! あれ、どう考えても、あの卵の中身だよな!」
「知るか!」
道が直線に入った所で出来るだけ速度を上げ、角を曲がり、巨人の視界から隠れた場所に車を止める。
「刈谷、何やってんだ!」
「このままじゃ逃げ切れない!バラバラに隠れながら逃げよう!鈴木は、俺が背負う!」
全員が四方八方へ別れて、ビルの隙間へ逃げ出す。自分も鈴木を背負い、走り出す。
角を出た所で、急に周りに陰が落ちて、暗くなった。
「ニゲナイデ!」
「うわああああ!」
上を見上げると、巨人と目が合う。
もたもたしている内に追いつかれたしまった。恐怖で足がすくむ。ゾンビ達と同じ感情の感じられない笑顔を浮かべ、巨人がこちらに手を伸ばして来る。
「くそが! 鈴木、悪い!」
鈴木を守るように両手を広げ、巨人の前に立ちはだかる。
巨人の手が、こちらを掴める位置にまで伸びて来る。ほんの数秒のはずの動きが一分にも五分にも感じられる。
「あ……あ」
死の覚悟を決めたその瞬間、不意に、巨人の動きが止まる。
その首から噴水のように鮮血が飛び散る。巨人は俯せになって、その場に倒れた。




