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一章

あちこちに晒すために、修正をかけた作品です。

1【カイ】

 目を開けると、馴染みのあるリビングの天井が視界に広がった。夕飯の後、満腹の気持ち良さに任せて寝てしまったようだ。

 立ち上がると、胃からだるさが襲って来た。耐え切れず、またソファに座りこむ。

「あ?」

 しばらく焦点の合わない目でリビングを眺めていると、不意に自分の見ている光景の強烈な違和感に気付いた。思わず何度も目をこする。

 視界が全体的に赤みがかかっている。赤いガラスを通して、物を見ているかのようだ。

 ゲームとパソコンのやり過ぎで、目がおかしくなっているのだろうか。祖母の忠告を聞いておけば良かった。

 カーテンを開け、窓を見ると、空がやはり赤く見える。ただの赤ではなく、紅と呼ばれるような濃い赤である。

 焦りと恐怖を覚えて、洗面台の有る風呂場へ駆け込んだ。下においてある体重計を蹴っ飛ばしてしまう。

 勢い良くドアを閉め、洗面台の正面に立つ。

 しかし、今度は視界が赤くならない。鏡で自分を見るが、目に異常はない。

 安堵して、深く息を吐く。どうやら物が赤く見えるのではなく、本当に空が赤くなっているらしい。

 安心すると、今度は恐怖と好奇心とが一緒になって沸き上がって来た。

 怪奇現象か公害か。何かが解る事を期待してテレビをつける。

 無表情なイメージの強いいつもの女性アナウンサーが顔色を変えて、何も言わず、原稿とにらめっこしている。

 他のスタッフが騒いでいる声がマイクに入ってしまって、うるさい。

 アナウンサーは、何かに強い衝撃を受けて、読み上げる事を忘れているようだ。

 十秒ぐらい経ってようやくこちらを向くと、震える声で、ニュースを読み上げはじめた。

「現在から、一週間前の午後二時頃、東京中の人間が全員意識を失っていたことが判明しました。その直後、東京の空が急に赤くなる現象が確認されています。また、透明な壁のような物が出現し、東京からの移動が出来なくなっている模様です。また、これは信じられないといいますか、未確認の情報ですが、既に死亡が確認された死体が動き出して人を襲っているという情報が入って来ています。皆さん、落ち着いて行動し、正確な情報が入ってくるまでは屋外に出ないようにして下さい。このチャンネルでは、この異変に関するニュースを継続してお伝えします」

 テレビの映像以外の自分の呼吸を含めた全ての物の時間が止まったような感覚。

 現実味の無い大量の情報が一気に入ってきた。これは映画やドラマの中のニュースなのか。

 しかし、実際に空が赤くなっている現状と照らし合わせて考えるに、本当に起きている事としか考えられない。

 俺は一週間も寝ていたのか。

 時計に目を遣る。

 六時。寝た時間から 時計が四時間進んでいる。だが、ニュースの話が本当なら、今はソファで寝たときから四時間後ではなく、一週間と四時間後ということになる。

 東京中の人間が一斉に意識を失い、その一週間後に目を覚ます。想像しがたい状況だ。

 そもそも、一週間も人間は睡眠を続けられるのだろうか。怠惰な性分なので、休みの日に一日布団の上で過ごしたことが一度も無いわけではないが、それだって途中で本を読んだり、食べ物を食べたりしながらの話である。

 いや、それよりも何処の誰が何をしたら、東京を壁で囲む事が出来るというのだろう。

 死体が動き出して人を襲うというのは、要はゾンビになるということなのか。

 聴覚視覚から入ってくる情報が余りに支離滅裂なせいで、自分の目にしている世界を疑いたくなる。これは自分の夢ではないと言い切れるだろうか。

 心臓の鼓動の音が大きく速くなる。落ち着こうとする事すら体が忘れている。

 アナウンサーは確かめるように何度も同じ内容の原稿を読み上げている。

 いつもの癖で、自分が落ち着く為に、机の上におかれた携帯電話を手に取る。日付が確かに一週間分進んでいる。

 何がどうなってるのか知りたくて、それと自分以外の誰かの存在を確認したい気がして、メールをしてみる。

 相手の安全を確かめる簡単な文面で、メールを何人かに一斉送信すると、そのうちの一人から、すぐに電話がかかって来た。

「もしもし」

「もしもし。生きてる?」

「いや、生きてるけど」

「周り誰かいんの?」

「鈴木とか、シンとか」

「一週間前、何してた?」

「カラオケしてた」

 取り乱して、大騒ぎするのもどうかと は思うが、状況に適さない間の抜けたような会話である。笑いが零れそうになった。

「じゃあ今、外出られないの?」

「うむ。さっき、カラオケの店員が知らせに来たんだけど、ゾンビがマジで外うろついてるらしい」

 甲高い電子音と共に「速報」の文字がテレビの場面の上部に映る。

「何か、速報入ったわ」

「うむ」 

 あちらもカラオケボックスの中のテレビで同じ局のニュースを見ているようだ。会話を止め、テレビから聞こえる声に集中する。

 画面に映ったアナウンサーは放心状態で表情がない。

「たった今、実際に死体が動いている映像が入りました。死体の映像を流すのは、本来、放送の規範に反する事ですが、止むを得ない状況と判断した次第です。小さなお子さんが居るご家庭でご覧になる際は御注意下さい。こちらです」

 こちらに見るかどうかの判断をさせる為なのか、画面が黒くなった後、しばらく時間を置いてから、カメラの映している映像に切り替わった。

 何処かの大きめの通りが画面に映る。

 カメラマンが走りながら撮影しているからか。何かが迫ってきているが、カメラがぶれてよくみえない。

 ある程度距離を開けた所で、ようやく動きが止まり、カメラに対象がはっきり映った。

 それは確かに動いていた。遠目には酔っ払いのようにも見える動きで。

 少しずつカメラが被写体にアップしていく。

 背筋を何かがなぞるような感覚を覚える。

 死体が血の気の無い蒼白い顔をして、焦点の合わない目から血を流しながら、悲しそうな表情を浮かべ、こちらへ迫ってくる。頭がへこんでいたり、へしゃげていたり、首から血が噴出していたりと、目を背けたくなるような姿をしている。

「ミエナイ……ミエナイ! ミエナイィイ!」

 死体が奇妙な言葉を発しながら、身を捩った。おぞましい動作だ。

 カメラマンが再び走り出し、建物に逃げ込んだ所で映像は終わっていた。

 頭が真っ白になり、画面を見たまま、しばらく固まっていた。今自分が見ていたものは、現実なのだろうか。

 何故、一週間寝てる間に東京が死体で溢れかえり、その死体達が酷く損傷しているのだ。

「あー、わけ解んないね」

 耳に当てていた携帯からの声で、止まってしまった思考回路が溜まった水が流れ出すように動き出す 。

「あぁ。だな」

 俄には信じがたいが、東京に閉じ込められているということは物資が外から届かないということだ。食料は大丈夫なのだろうか。

 この先家に立てこもって助けを待つにしても、自分で何か行動を起こす必要がある場合でも、食料は必要になる。

 立ち上がって、台所に行き、冷蔵庫の中を見る。

 だが、元から家で料理をして、皆で食事をするような習慣がこの家には無い。冷蔵庫の中には料理の具材などは無く、朝食用のヨーグルトやらゼリー類やらがあるだけだ。

「カイ? どうした? 何ゴソゴソやってんだ?」

 どうでも良い雑音を携帯電話が拾っている。肩で携帯電話を挟みながら、冷蔵庫の他の段を一つ一つ開けていく。

「あ、んー。家に食べ物あるのかなぁって思って、冷蔵庫の中身見てたんだけど」

「どうだった?」

「いや、安心出来るほどは無いな。そっちはどうよ?」

「目が覚めてから一時間後ぐらいに、店員さんがちょっとした食料届けてくれたけど、どれくらい食料があるのかは解らないな」

 普通の店などは正常な営業が出来る訳がない。食料を購入しに行くのは不可能だ。

 店内には食料が残したままになっているかもしれないが、取りに行くのは賢い行動とは言えないだろう。

「外出るの、まずいかな?」

 相手は考え込むように、低く唸る。

「どうだろう。カメラマンのおっさんは大丈夫だったみたいだけど」

 確かに、あのカメラマンは死体達の結構近くに寄っていた。テレビでも特に何も言ってない所を見ると、あの後、特に彼に変化があったという事は無さそうだ。

 それに、良く考えれば、皆が目を覚ましてから既に四時間と少し経っているのだ。そんな重要な情報はとっくに皆知っているだろう。

「そうか。まあ、俺とりあえず、食料集めに行こうかな。家の周り元からそんな人 いないから、ゾンビもそんなに居ないと思うし」

 パニックを通り越した思考がおかしな動きを始めている。

 自分自身から乖離して、奇妙なほど余裕と好奇心を持って状況を見ている自分がいるのだ。

 人間の精神には、許容を超えた緊張や混乱に直面した際に、自分の感覚を万能感という自信過剰な状態に持って行くらしい。気取らずにいってしまうと、浮き足立っているということなので、正常な判断ではないという事なのだろう。

 しかし、それでも外に出てみたいのだ。

「え、マジで? 今、外に出るの?」

「うむ……。やっぱり、ヤバイかね?」

「まあ、このまま動けなくても、死んじゃうのは一緒かもしれないけどさ。お前が行きたいなら行きなさいな」

 確かにその通りだ。この状況がずっと続くとも限らないが、今の所状況が打開される見込みはない。このまま動けずに、食料が尽き、餓死してしまうのであれば、結果は同じである。

「うむ。じゃあ、行ってきます」

 電話を切りながら、廊下出る。

 電球が切れたまま交換していないので、廊下の奥の方は明かりが届かず不気味に見えた。何か近づいて来そうな気がして、思わず目を背ける。今の勢いのまま動き出さないと恐怖で思考が固まってしまう。

 隅のクローゼットからリュックの様に背負えるタイプのスーツケースを引っ張り出してくる。旅行に行くようなことも少なくなって、多少、埃を被っているし、オシャレなデザインという事でもないが、ちゃんとしたブランドの物で、買った当時はそれなりの値段だったはずだ。

 全体を一通り叩いて、埃を落とす。

 背負えるとは言っても、かなりの大きさで、常に持ち歩けるような代物ではないが、十分に使えそうだ。

 大きな音を立てぬように、マンションの部屋のドアを開ける。死体達はマンションの中には入って来ていないのだろうか。

 背中のスーツケースは何も入っていなくても、既にかなりの重さがある。逃げるとなれば、邪魔になってしまうかもしれない。

 大量の荷物を運ぶなら、エレベータを使いたいが、狭い空間では、もし死体に遭遇した時に、逃げられないだろう。何より、今は閉鎖された場所に行きたくない。

 移動には、階段を使おう。

 どんなに荷物が重くなっても、ここは二階だ。命を危険に晒してまで、手間を惜しむような苦労ではないだろう。

 勇気を出して、一歩外に踏み出す。

 自分の足音がいつもより大きく聞こえる。通路の窓に映った自分の姿を見て、何か化け物かと思って、一瞬動けなくなってしまった。神経が過敏になり過ぎている。

 遠くで叫び声のようなものが聞こえるが、死体の声なのか、襲われている人間の声なのか、はたまた別の雑音なのか解らない。

 テレビの映像だけでは、実際の動く死体がどのように動くのか、はっきりとは解らなかったが、こちらが抵抗出来ない様な強さなのかもしれない。マンション内の死体が増えれば、外に出られなくなる状況になることも考えられる。ここは多少無理をしてでも、動くべきだろう。

 意を決して、駈け出し、下の玄関を目指す。なるだけ感覚が無くし、思考を停止して、大急ぎで階段を降りた。

 誰かの視線を感じる。

 見たいような見たくないような気持ちで、ゆっくりと振り向くと、ダンボールの中の人形と目が合う。

 新聞紙の上に白い顔をして髪をおかっぱにした子供の日本人形が置かれている。笑っていながら少し上を向いていて、まるでこちらを待っていた様だ。

 子供の玩具やがらくたと一緒に捨てられているので、誰かが投棄したのだと解る。だが、この雰囲気の中だと、人形というのは、動き出しそうな気がして、それだけで怖い。

 マンションの玄関で、脇に立て掛けられた赤い傘が目に入る。壊れている訳では無いようだ。手に取り、剣道の構えをとってみる。竹刀とは勝手が違うが、これは使えそうだ。

 コンビニなどにあるビニール傘ではない。恐らく、それなりに上等なものなのだろう。大きさもあり、武器として安心出来るほどではないが、一応、丈夫に出来ているようだ。

 自分と同じ事を考える人間が何人いるか解らない。死体達に直接会わずとも、切羽詰まって蛮行に走る人間に出会ってしまう可能性もある。護身に使うには甚だ心許ないが、無いよりマシかもしれない。

 試しに振り回してみるが、巨大な荷物を背中に背負いながら傘を振る姿は、我ながら格好付けても様になってないと思い、恥ずかしくなったので、止めた。

 ガラス製のドア越しに外を見る。強すぎる赤色にめまいを起こしそうになり、硬く目を閉じる。空の何処にも太陽は見当たらないのに、空自体がネオン灯のように赤い光を放っているのだ。

 赤い光で照らされる物は輪郭がぼやけて見難いが、街の街灯や店の明かりがなぜか付きっぱなしになっているので、思った程視界は悪くない。まぁ、空が赤い以外は、普段の夜の光景に近いかもしれない。

 何度も瞬きをして、空を見ないようにして、もう一度、道路を見渡す。生き残っているほとんどの人間は、屋内に篭っているのだろう。いつもの人の通行量と比べると、見える範囲に人影は少 ないように思われる。

 この状況では、とりあえず外に出ないほうが安全であると考える人間のほうが多いのか。

 外に歩いている人影は動きを見る限り、全てあの死体のように見える。

 確かに、理解しがたい事態だが、二時間も経って、行動を開始する人間が俺だけということは有り得るだろうか。

 色々な事に思考を巡らす内に、テレビに映ったアップになった死体の不気味な笑顔が脳裏に浮かんだ。

 頭に浮かんだ光景を振り切って、ドアに手を伸ばす。

 遠くに見える死体かもしれない人影を見ないように俯いて、マンションの玄関を飛び出し、隣のスーパーに滑り込むように入る。

 外に比べて狭くて逃げ場の少ないスーパーに入ったのは、正解だったのだろうか。あの幽霊のような奴等が追ってきたら、どうすればいいのだろう。

 震える膝を押さえて、建物の中に敵の気配が無いか、耳を澄ます。

 クーラーの冷気が吹き込んでくる。上着を持ってくるべきだったのだろうか。

 スーパーの中は明かりはついたままだが、人影は無い。

 嫌な予感がする。

 慎重に周りを見回しながら、ジュース売り場にたどり着く。気付くと、息が荒くなっていた。

 汗が額をなぞる。自分自身で思っているより緊張しているのかもしれない。

 大きく深呼吸をして、息が整ったのを確認する。

 背中のスーツケースを下ろし、お茶や水、スポーツドリンクをかき集め、中に詰めた。

 ふと上を見ると、電灯が点滅している。不安になり、しばらく見守っていると、弦楽器を弾くような音を立て、光が消えてしまった。外からの赤い光以外、明かりがなくなってしまう。

 停電だろうか。いや、そもそもこの状況で電力の供給は止まっていないの か。

 移動しようとして後ろを振り返ると、不意に、耳をつんざく悲鳴が響いた。

「イヤアアアァア!」

 少女のものである。もう何度も同じように悲鳴をあげたのだろう。しわがれ、掠れて、低くなった声は聞くと、恐怖や不安、嫌悪感の混じった歪な絶望感に飲み込まれそうになる。

 緩慢な動きで一カ所に集まっていく奇妙な人影を見て、ようやく状況が把握出来た。

 少女と目が合い、思わず商品棚に身を隠す。

「だずげで! だすけでよ! いやだ! 死にたくないぃ!」

 無心になって携帯食料とパンを荷物に詰める。助かるか解らない他人より自分がかわいい。

 そして、去り際に半ばやけくそに脇にあったワインのビンを死体達の集まっているのとは別の角に向けて放り投げた。

 ビンの割れる音と内容物の液体が飛び散る音がした。

 陽動と呼ぶのも憚られるレベルの作戦であるが、少しでも注意を逸らせれば、それで良い。

 意外にも、死体達は音に大きな反応を見せた。ニコニコと笑顔を浮かべながらワインの投げられた方をじっと見つめている。

 その隙を突いて、死体たちの間を突進するように少女が走り抜けて、出口へ向かう。

「よしゃ!」

 小声で勝鬨をあげる。

 死体達は、少女の動きに対応しきれず、体制を崩して倒れる。映画などでもそうだが、ゾンビが愚鈍であるというのは相場が決まっている。犬、いや昆虫程度知能しか持ち合わせないのかもしれない。

 横目に死体を確認し、出口に走る。

「うわああ!」

 自動ドアの前に出ると、突然、目の前に青白い顔が現れた。

 出口に出る角を曲がった所で、死体の群れと鉢合わせたのだ。

 一様に泣いているような顔で、たまに「ミエナイ、ミエナイ!」と例の言葉を嘆きながら迫って来る。その表情は外の赤い明かりに照らされていっそう不気味に見える。

 やってしまった。おそらくスーパーに入るまでに姿を見られていたのだ。

 陽動した死体達にまで気づかれて、挟み撃ちになるのを避けるために通路に飛びすさる。

 出口は二つある。右側の少女が出て行ったのと同じ出口には、死体が集まっている様子はない。

 脇目もふらず、もうひとつの出口へ走る。

 ゆっくりとではあるが、外にいる死体達もそちら側に移動し始める。相手の速さはせいぜい速歩き程度のはずだが、自動ドア が開くのが遅く感じる。

 間に合わないか。

 開き始めたドアの僅かな隙間を抜け、手を伸ばしてくる先頭の死体の手を身をよじり、間一髪で躱す。

 このまま死体達を車道側に避けて、マンションに戻ることも出来るが、自分のいるマンションの場所が気付かれるのは避けたい。

 傘で思いっきり死体の手を弾く。

「アギィアアギィイいいオ!」

 死体は蝉の鳴き声のような声で叫び、顔をしかめた。痛覚は有るようだ。

 サッと踵を返し、マンションとは逆の方角へ走り、角を曲がりスーパーとマンションの周りを一周して、再びマンションの側に出る。

 今度こそ誰にも見られないように、マンションの玄関へ急ぐ。

 後ろを確認し、追ってくる死体がいないか確認し、ドアの中に駆け 込む。重い荷物を背負って走る運動は思った以上の負担だ。

「怖すぎんだろ」

 死体達のこちらを見る顔が瞼に焼きついてしまった。こちらを見ているのに、焦点の合わない目。見えているのに、見えていない目だ。

 外からは見えない角度の壁に背をくっつけて、座り込む。背中から荷物を外し中身を確認する。これでも節約すれば、しばらくは生きられるだろう。食料を得て、他人より優位に立てた優越感と安堵感がある。

 先程の少女は無事だろうか。せっかく助けたのだ。無駄になったとは思いたくない。

 果たして自分の今の一連の行動は、正解だったのか。外に出ることのリスクは、覚悟の上で家をでたはずだが、急に不安になってきた。

 屋外に出ても大丈夫だったのだろうか。

 すぐにならずとも、時間が経つと自分もゾンビになってしまうのではないか。色々な仮定が頭の中を行き交い混乱する。

 落ち着こうとして息を整えていると、突然肩を叩かれた。

「ふぅいひぃあいやああぁ!」

 悲鳴を上げ飛び退く。

 振り向くと、先程の少女が下唇を噛み締めて、仁王立ちしている。

 一体、いつの間に入り込んだのだろう。

「あんた! アタシおいてったでしょ!」

 いつの間にか、俺の腰に下げていた傘を抜き取り、やたらめったら振り回している。

 あまりに恐ろしい体験をして、逆上しているのだろう。

 身を守るために思わず出した手が少女の顔に当たる。少女はバランスを崩し、後ろにのけ反った。良い手応えと嫌な音がする。

「あ、あ、うわ。ごめん」

 少女は、いよいよ大声で泣き始めてしまう。

「バカ! 死ね! 死ね!」

 ここで大騒ぎしているのを死体に気付かれては敵わない。マンションの階段を駆け上がる。

 行きより重くなった荷物のせいで、息が切れそうになる。

 少女は文句を言いながら、まだ追いかけてくる。付いてえきて、どうするつもりなのだろうか。

 終いに、部屋の中まで入って来たところで、少女が表情を変えた。

 少女はじっと一点を睨んで、黙り込んでいる。

「どうかした?」

 少女の視点の先には特に何も無い。

 しばらくして、ようやく少女が口を開く。

「ねえ。あんた取り付かれてるよ」

「え、何に?」

「ゆうれい」

 俯いて、深く溜息をつく。呆れたからではない。

「霊感あるの?」

 どう接していいのか解らず、なるべく不自然にならないよう目を反らしながら尋ねる。

「わかんない。こんなの初めてだし。てか、信じてないでしょ」

 初めて、というのは、どういう事だろう。たった今、霊感がこの少女に身に付いたのか。

 少女は頬を膨らませ、また不機嫌そうな表情をしてこちらを睨んでくる。

「いや。信じてるよ。その上で面倒臭い事になったと思って」

 本心である。東京が見えない壁で封鎖され、死体が動くような状況だ。幽霊がいたとしても、もう驚けない。

 立ち尽くしている少女に及び腰でギリギリまで手を伸ばし、隙をついて、傘を取り上げた。

 少しは怒りが落ち着いたのだろうか。少女はこちらを睨みつけただけで、騒がない。

 決して、不細工ではないのだが、端が吊り上がったまま降りてこない眉と目付きに、口うるさそうな性格が滲み出ている気がする。昔、ふざけて変な顔をしていると変な顔になる、と冗談めかして、誰かに注意されたことがあったが、彼女は怒り過ぎて、怒った顔が固定されてしまったのではないだろうか。

「その傘に何か憑いてる。あんまり触んない方が良いよ。さっきスーパーで急に明かりが消えたでしょ。あれ、そいつのせいだよ」

 さっきまで、あんなにしっかり掴んでいたくせに。

「あぁ。そうなの。気をつけなきゃな」

 そう返事をしたものの、今は何か手に持っていないと落ち着かない。

 傘を強く握り柄を撫でた。


0【刈谷】

 目を開けると、ぼやけた視界に圧迫感の有る空間が広がった。

 上から降る光が突き刺さるように眩しい。

 目に痛みを感じる気がして、顔を背ける。柔らかい雰囲気の橙色の蛍光灯でも、寝起きの今は無慈悲で無遠慮で疎ましい。

 寝返りを打ってから、足を反射的に引っ込める。肌が何か冷たい物に触れた。

 床の人肌が触れていた場所とそうでない場所との間に、いつの間にか温度の差が出来ていたらしい。

 机を挟んだ左右に、屍のように寝転がっている友人二人を見て、ようやくここがカラオケボックスの一室だと思い出す。部屋は座敷のように床に座る作りになっていて、辺りに適当に敷いた座布団が散乱している。

 既に随分眠っていた感覚が有るが、料金は大丈夫なのだろうか。

 まあ、規定の時間が近付くと、それを知らせる連絡が内線電話で来る決まりだし、それに反応が無ければ、従業員が部屋を見に来るはずだから、事前に決めた利用時間を超過してはいないのだろう。そこは安心して良いはずだ。

 前後の記憶は曖昧だが、学校帰りに入店したものの、部屋に入って数分の内に強烈な眠気に襲われたのだったと思う。

 耐え切れなかったので、少し寝てしまってから二人が気付いた時にでも起こして貰おう、と思っていたのだが、そうはならなかったようだ。

 それどころか、目の前の薄目を開けている二人も、今起きたばかりのように見えた。

「三人共寝てた訳?」

 がっかりした気持ちが声に出る。自分も寝ておいてなんだが、お金と時間の無駄だ。

 二人は眠そうに目をしばたかせるばかりで、質問に答えない。

 俺が一人で眠っている間に、後の二人も一緒に昼寝する事にしたという事なのだろうか。

 一般常識からすると、考え難い決断だが、若者らしい覇気や根気に欠けたこの二人に限って絶対に無いとは言い切れない怖さが有る。

「え、お前等も寝てたの?」

 数拍置いて、左隣に座っていたシンが手に持ったままになっていた携帯の画面を確認しながら、尋ね返して来た。

 しかし、おかしい。

 まるで他の二人が寝ていた事を知らなかったような口振りである。

 一体、何が起きたのだろう。

 眠る直前に、隣のシンと鈴木が起きているのは、確かに見た。

 すぐ隣で人が寝ている事に気付かずに、自分も眠ってしまうなんて事が現実に起こり得るだろうか。

 シンは何かを疑問に感じている様子も無く、半分眠ったまま携帯を弄り続けている。

 この背の高く、横にも太い巨漢は、いつでもその小さな機械を手放さない。まだ意識もはっきりとしていないのに触らずに居られないのだから、癖と言うより、依存症のような病気に近いのだろう。

 普通の人間の手を等倍した大きさの手の中で携帯の細かい操作をする姿は、縮尺の狂った絵のように見える。

 今の事態が何やら尋常でないとは思うのに、後を引く甘ったるい眠気が気持ち良く、頭が深い思考に向かわない。疑問や考えを言葉に纏めようとしても、形を結ぶ前に関係の無い余計な情報に絡め捕られ、夢現の混沌に引き戻されてしまう。

 何故か妙に気持ちが焦るが、全てを放棄して、また眠ってしまいたいという誘惑も断ち切れず、もどかしい。

 結局何か出来る訳でも無く、そのまま呆然と部屋を眺めていると、しばらくして突然、シンが声を上げた。

「何これ」

 素っ頓狂な声を出したシンの後ろに、四つんばいで回り込んで、携帯を覗く。

 画面を「空赤いんですけど」とか「空、赤!」など、とにかく空が赤いという事を伝える文章が上から下に流れていく。

 余り詳しくは無いが、シンが見ているのは、インターネット上の交友の為のサイトである。つぶやき、と呼ばれる短い文章で、自分の身の回りの出来事を仲間内で発表し合う有名な形式のものだ。

 鈴木は机の向こうから画面を覗くと、自分の携帯を取り出して、同じサイトを見始める。

屈み込んで、シンの携帯の画面に更に顔を近付ける。

「どゆことよ。夕焼け綺麗ってこと?」

 確かに最近改まって見る機会も少ないが、そんなに珍しいものではない。

「知らねぇよ」

 首をかしげながら、シンが携帯の操作をすると、携帯の小さな画面の色が目まぐるしく変わる。

 不意にドアの外でざわめきが聞こえた。

 何があったのだろう、と思って顔をそちらに向けると、突然カラオケボックスの店員が飛び込んで来る。

「あの! しばらくは外に出ないで下さい。空が赤くなってて、外に変な奴等がいるんです」

 店員は焦った調子のまま一気にまくし立てた。

 空が赤くなっている、と言う状態がどういう事を言うのか、そもそも良く解らないのだが、変な奴というのは、また何の事を言っているのだろうか。

 店員は目が少し腫れぼったく見えるし、若干鼻声だ。それこそ彼も、今起きたばかりのように見える。

 一体何が起きているのだろう。

 他の部屋でも、他の店員が同じ事を伝えて回っているらしい。話し声が聞こえる。

「家に帰れないような状態が続くようなら、しばらくして軽い食べ物持って来るから」 

 それだけ言うと、店員は忙しそうに部屋を出て行く。

 相変わらず状況が掴めないが、そんな緊急事態になっているのか。

「階段出る?」

 三人で顔を見合わせながら黙っていると、鈴木が言った。

 部屋に窓は無いが、この建物の階段は建物の外側に作られている。そこからなら、建物を出る事なく空の様子を見れるだろう。

「うん」

 三人が難儀そうに重い腰を上げた。

 急に立ち上がったせいで、立ちくらみが酷い。覚束ない足取りのまま、内開きのドアを体ごと引いて開ける。

 廊下に店員の姿は無い。既にこの階の部屋は全て回ったのだろう。

 部屋を出ると、すぐ隣に塗装の禿げかけている金属製の白いドアが有った。上には、非常口の存在を知らせる緑のランプが光っている。

 非常時しか使わないかというとそうでもなく、一台しかないエレベーターが中々来ない場合にも店員や客が良く利用しているようだ。

 ドアノブを回して力を入れると、錆び付いた金具が鳥のような鳴き声を上げ、意外な重さに腕が震えた。

 ドアが開いて、温度の違う空気が空調の効いた屋内に雪崩込んで来る。

「え!」

 三人が同時に叫んだ。

 一瞬感じた暑さの事など頭の中から吹き飛んでしまう。

 空が赤いというのは、こういう事か。

 夕焼け程、強い光を放っている訳ではない。何処まで行っても均一で、もっと鈍い赤だ。

「ちょっと! 駄目だって!」

 誰かが体を後ろに引っ張る。

 先程の店員が血相を変えて、立っている。

「まだ何が有るか解らないから、部屋に居て下さい!」

 敬語だが、鬼気迫る表情に圧倒されて、たじろいてしまう。

 頭を下げて、ベランダから中に戻った。

「すいません」

 今見た出来事と店員の必死さに驚いて、呆然としたまま部屋に戻る。

「ヤバいじゃん! マジどうすんの!」

 恐怖や困惑よりも興奮が勝るようで、鈴木はそう言いながらも、何故か頬を紅潮させて薄笑いしている。

 こういう空気に飲まれてしまえば、幾らか気持ちが楽なのだろうが、何だか現実感が沸いて来てしまって、俺には無理だ。

「いや……本当にどうすんだよ」

 付きっぱなしになっていたテレビは真っ青な画面に放送停止を伝えるテロップだけ映して黙ったままになっている。何処か無機質な印象の映像で、見ているだけで怖くなって来てしまう。

 消してしまった方が良いのだろうか。

 他の局でも同じなのだろうが、駄目元でテレビのチャンネルを回してみる。

「うおおいいい!」

 また三人が同時に叫んで、テレビの対角に飛んで逃げた。

 テレビの砂嵐が人の顔を象って浮き上がり、パクパクと口を上下に動かしている。

 本当に一体何がどうなっているんだろうか。


3 【カイ】

 ニュースの速報が聞ける場所で眠りたかったので、テレビの在るリビングのソファで眠るつもりだったが、結局、ソファーには少女が寝てしまい、気付くと、自分は床で眠っていた。

 だが、床のひんやりとした冷たさが逆に心地好い。

 相変わらず空は赤く、つけっぱなしのテレビでは、内容の同じニュースをやっている。

 固い床で寝ていたのが悪かったのか、なんとなく体の節々が痛い。

 携帯がチカチカと光り、メールの着信を知らせている。寝ぼけ眼のまま、携帯を開き、メールを確認する。


送信者:刈谷

腹減った。コンビニ行ったけど、もう食料無かった。駄目だ。


 刈谷が居るであろうカラオケボックスは池袋の外れの方にあるはずだ。

 言うまでもなく、池袋は東京でも比較的大きな町である。人が多い分だけ、死体、ゾンビの数も多いのかもしれない。食料を取りに行こうにも、すぐには身動きが取れなかったのか。 

 カラオケボックスの中にも客に出すための料理やその材料があるはずだが、その食料もすぐに底をついてしまうだろう。

 自分の知る人が飢え死にするというのはあまり想像したいものではない。

 助けに行こう。食料調達の時と同じ事だ。ニュースで異変が発生したと言っていた時間から数時間が経過し、既に時刻は、深夜に入っている。恐らく家族は、すぐには帰って来れない状況にあるか、既に死んでいるのだろう。このまま助からないのなら、せめて身近な知り合いの側にいた方が死ぬにしても心安らかでいられる。

 池袋までは、重い荷物を背負って歩いても、一時間も掛からないはずだ。

 決心してしまうと、今度はまた、好奇心が蘇って来た。ゾンビがうろつく町を歩くことを想像すると、なぜだか心が躍る気すらする。

 再びクローゼットを開き、今度はリュックサック二つ取り出しす。

 リビングに戻り、少女を揺り起こす。

「なに?」

 寝起きで機嫌が悪いのだろうか。また、こちらを睨みつけてくる。

「行きたい場所が有るんだ。手伝ってくれない?」

 そう言って空のリュックサックと昨日取ってきたスーツケースの中の食料を差し出す。

「もう、置いて行かないでしょうね」

 いつの間にか、少女とは当然のように共に行動することになっている。しかし、食料を運んでくれる人数は多いほうが助かるのも確かだ。

「ハイハイ」

 頷いて、適当な返事をすると、今度は、舌打ちをして、そっぽを向いてしまった。

 あまりに女性らしからぬ動作に思わず苦笑いをする。

「このあたりなら、まだ食料残ってるかもしれない。これに詰めよう」

 少女は呼びかけに反応せずに、リュックサックを背負った。差し出された食料をぶん取ると、口に押し込み始める。

 これだけ感じが悪いと、友達なんていないのではないか。

 少女は無表情にテレビに見入っている。

「これからどうすんの?」

 少女が自分自身への疑問なのか、俺に対して問いかけたのか解らないような小さな声で呟いた。

「さぁ。わかんないけど」

 正直、初対面の相手と気さくに話す程、社交的な性格では無いが、これからどれだけ一緒に居ることになるか解らないので、そんな事は言っていられない。

 ひょっとすると、思春期の娘を持った父親は、こんな気持ちなのではないだろうか。無視したりは出来ないが、下手に話し掛ければ、相手は、こちらとしては理解しがたい理由で機嫌を悪くしてしまう。

「どこ行くつもりなの?」

 少女はこちらには視線をくれず、空を睨みながら話し掛けてきた。

「知り合いを助けに行きたいんだ」

 それを聞くと、少女は意地の悪い嫌な笑みを浮かべた。

「カッコつけちゃって」

 いよいよ憎たらしくなってきた。食料が底をつき始めたり、敵に襲われてピンチになったりしたら、真っ先に切り捨ててやろう。

「いや、でも、大勢でいた方が安心しない?」

 調子を合わせて、表面的に笑う。

 馬鹿にするように鼻を鳴らして笑うと、少女は、また覇気の無い無表情に戻った。

「おー茶ー」

 少女がまた、ぶっきらぼうに声を荒げる。

 少女の鞄の中にも同じ物が入っているはずだが、騒がれるのを面倒に思う考えで、反射的にスポーツドリンクを渡す。

 少女が喉を鳴らし、飲み始める。節約する事を覚えさせないと、こちらも危険だ。

 さっきから、慌ててばかりである。少しは落ち着く時間が欲しい、そう思った途端、急に少女がこちらに視線を向ける。

 何かに驚いた様子で目を見開いたが、飲み物で口が塞がれていたせいで少し遅れて悲鳴を上げる。

「キャアアアアァア!?」

「え、どした?」

 また、俺には見えない幽霊でも見えているのだろうか。

 後ろを見ると、カーテンの隙間から何か黒いものが揺れているのが見える。

 ここは二階である。カラスか、風で飛んできたゴミだろうか。

 二、三歩近づいて、確認する。

 寒気が走った。恐怖のあまり目を逸らしたくても逸らす事が出来ない。

 どれぐらい前からそこに居たのだろうか。時折見える黒い物は人間の髪であった。白塗りの女が窓の外で、ずっとこちらを睨んでいたのだ。

「ヤバイ! 逃げるべ!」

 荷物を背負い、床に転がっている傘を手にドアに向かって走る。少女が遅れて後に続こうとすると今度は勝手にドアが閉まった。

 少女が部屋に閉じ込められる形になる。

「イヤア!」

 窓の外にいたはずの女はいつのまにか室内に入り込み、少女の後ろから這ってくる。

「ホラー映画の見すぎだ!」

 前蹴りでドアを蹴破る。

 木製のドアが板チョコのように二つに割れて、蝶番ごと弾け飛ぶ。隙間から抜け出そうとする少女を引っ張り出し、玄関に走る。

 例によって例の如くドアのカギが開かない。鉄製のドアだ。破壊は出来ないだろう。

「うそでしょ!」

 少女は半ば怒りながら、カギと格闘している。

 だが、ドアはガチャガチャと音を立てるだけで動かない。玄関の側のすぐ横の部屋から、女が顔を出す。どうやって移動したのだろうか。

 瞬きもせず、こちらをずっと見ている。

 パニックになり咄嗟に傘で突きを放つと、その先端が女の目をえぐった。

「アアアアアアアアアアアアアアアイイガァー!」

 女は呻いて倒れ込む。

「オシャ! 効いた!」

 ガチャという音がなり、ドアが開く。

「やった! 開いた!」

 少女がドアの外に飛び出したのを確認して、自分も外にでる。マンションの廊下には、女の姿は無い。

 どこかに隠れてはしないか、角を覗き込んでみる。

「助かったのか?」

 少女は一言もしゃべらず、リズムを崩した不自然な呼吸をしている。

「大丈夫?」

 手を差し出すと、思い切り叩かれた。

「また、置いてったな!」

「え。いつ?」

「リビングで!」

「あれは、ノーカンでしょ。しかも、助けてあげたじゃん」

 少女は、わざとらしく大きな足音を立てながら、一人で歩き始める。

 少女は一人で勝手に進んでいき、マンションから出ると、こちらを振り返った。

「どっち行くの!」

「えと、スーパーの食料は多分もうないから、コンビニ行こう」

 通りを挟んで、左斜め前のコンビニエンスストアを指差す。言い終わるか終わら無いかぐらいの所で少女はまた移動し始めた。

 死体達に見つからないよう目立たない道を行きたかったが、引き止めるのは面倒なので、黙って付いていくことにした。

 死体達は、どうやらせいぜい速歩き程度の速度でしか移動できないらしい。広い場所なら一定以上の速さで移動していれば、囲まれたりしない限り、危険は無いだろう。

 少女はスルリとガードレールの間を抜け、スピードを緩めず突き進んでいく。周囲を確認しながら、自分も車道に出る。車は通らないと解っていても、思わず左右を見てしまう。

 コンビニの前まで来た所で、少女が立ち止まる。

「なんか、ジジイいる」

 見てみると、中で髪の白い老人が震える手でパン類を集めている。

「ああ」

 食料の奪い合いは覚悟していたが、老人一人ならば気にする事もないだろう。結果的に一人当たりの取り分は減ってしまうのは、仕方がない。

 自分達も中に入り、食料かき集め始める。

 狙いは、やはり持ち運びしやすい携帯食料、クッキーやパン類だろう。店内は、スーパーと同じく、クーラーが効いていて涼しい。電力はちゃんと流れているようだ。

 老人はちらりとこちらを見ると、大慌てで、食料の入った買い物袋を背後に隠したが、こちらが軽く会釈をすると、会釈を返し、また食料を集め始めた。

「このジジイが持ってる分取り上げようよ」

 目を遣ると、少女は駄菓子類を集め終わり、老人の前に仁王立ちしている。

 本気で言っているのか。或いは、この自己中心的な行動力こそがこういう状況に於いて、生き残る為に必要なのかもしれないが、俺には無い発想だ。

「え、いや。それは、ちょっと無いんじゃないか?」

 老人は少女を見上げて、震えている。

 少女は気に食わなさそうな顔で、ふーんと言うと、老人の食料を取り上げる代わりに、残りのパンを一気にリュックサックに詰め込んだ。

「あ、あ、あの」

 老人は何か言おうとしているが、怯えてしまって動けずにいる。終いに、助けを求めるような目でこちらを見て来る。

「もう鞄に入んないんじゃない?」

 ほっといても死んでしまいそうな老人がこれ以上追い詰められるのは、いたたまれない。直接、反対して言い争いになるのは億劫なので、他に理由をつける。

「いいよ。手で持つから」

 理由は解らないが、少女は何が何でも食料を老人に渡したくないようである。

「でも、こっから結構歩くよ。ゾンビに襲われた時に、手がふさがってるのはマズイよ」

「うっせーな!」

 唐突にそう怒鳴り、老人を睨みつけると、少女は鞄に入り切らなかったパン類を床にたたき付けた。脇に重ねてある雑誌を蹴飛ばし、店を飛び出す。

 目の前で老人が申し訳なさそうにまたパンを集め始める。

 謝罪の意味を込めて、また軽く会釈をし、自分も店をでる。

「行こう」

 出口の脇に立っている少女に声をかける。自分のぶっきらぼうな声で、自分が苛立っていることに気付く。

 これからずっとこの調子で少女に付き合わされるのか。少女も一連の異変でストレスが溜まっているのだろう。だが、いくらなんでもあんまりだ。

 遠くの方から、こちらに気付いた死体達が近づいてくるのが見える。追いつかれまいとは思っていても、やはり怖い。

「軽く走ろう。さすがに歩いてだけじゃ囲まれるかもよ」

 そう言って、少しスピードを上げると、少女は何も言わずに後ろからペースを合わせて付いてい来る。

 歩いていると、時々崩れた建物が目に入る。良く考えると、うちの古いマンションが崩れなかったのは奇跡的なことかもしれない。

 少女がコインランドリーの傘置きに入っていた傘を抜き取った。武器にするつもりなのだろう。強がっていても、怖いものは怖い。いや、怖いからこそ苛々して、他人に当たっているのだろう。

 だが、こちらも一々それに付き合っているほど余裕はない。少女の持っている食料を奪い取り、置いて行きたい衝動に駆られる。

 しかし、それでは少女とやっていることが同じになってしまう。

 道を進みながら、池袋への行き方を考える。

 大通りに出ないように脇道を通って行けば、敵は少なくて安全かも知れないが、電車の線路の上を歩いて行ったほうが敵は少ないかもしれない。

「線路の上を行こうか」

「歩きにくくないの?」

「ゾンビに出くわすよりいいよ」

「ふーん」

 さすがに老人にしたことに反省しているのか、少ししおらしくしている。

 冊を飛び越えて電車の線路にでる。思っていたより高い位置から落ち、足に衝撃が走る。

 電車が動いている様子はない。凹凸の多い岩の敷き詰められた線路は如何せん道がわるい。

 少女は転びそうになりながら、付いて来る。

 何も考えずに歩き続ける内に、少女とかなり距離が開いてしまった。

 線路に腰掛け、少女が来るのを待つ。

 日差しはないのに、夏の湿気のある嫌な暑さだけが残っている。足に飛び付き血を吸おうとする蚊を払い、空を見る。

 このまま東京に閉じ込められたままであれば、多少足掻いたとしてもても、最後には間違いなく死んでしまうだろう。

 そう頭では、解っているはずなのに、何故か実感は沸いて来ない。

 まだ助かる可能性が大いにある状況だからか、能天気な自分の性分がそうさせるのか、不都合な真実を心が無意識のうちに見ないようにしているからなのか。そんなことを考えながら、ぼんやりと空を眺めた。


2【刈谷】

 通信が切られて、取り残された携帯の電子音が鳴り続けている。

 カイのこういう行動には時々驚かされる。

 思春期の始めに良くある妄想癖や自意識過剰を引きずっているのかもしれないが、誰も見てないような、ふとした時に英雄的な行動を取ったり、豪傑ぶりたがるのだ。

 それ以外の点でも特別大人という事もないが、時折見せるそういう一面は、普段のカイと比べても、ちぐはぐで子供っぽく見える。

 半ばふざけてるように見えて、どこかで本気で酔っている部分もありそうだ。

「カイね、外出て見るってさ」

 目の前の二人が顔上げて、こちらを見る。

「マジで! カイ生きてたのか。あー、でも、カイなら、やりそう」

 だらしなく横になっていた鈴木が尻を後ろに引いて、姿勢を起こし、氷が溶けて薄くなったジュースに口を付けた。

 三人共目が覚めてしばらくは、怖がると言うよりも、本当にはしゃいでいたが、二時間経って流石に落ち着いて来た。

 馬鹿らしい話、ヤバいヤバい、と一際騒いでいた鈴木は、体力を切らしているのだ。

「ああいう奴が生き残るのが定番じゃね?」

 シンは鈴木と逆に、今まで保っていた姿勢を崩して、体を机の下に押し込む。

 自分の足に触れるので、蹴飛ばしてやる。

「痛ぁ!」

「邪魔だ。アホ。それに違うわ。ああいう生命力強すぎる奴は終盤で主人公助けて死んじゃうんだよ」

 結局、シンの巨体を退かすのも面倒なので、自分が足を畳む。

 ニュースを放送しているテレビを見る。

 部屋のテレビが着いたのは幸運だった。カラオケボックスのテレビは普通の放送が入る物と入らない物がある。

 起きて三十分ぐらいは、砂嵐や放送中止のテロップばかりだったのだが、先程ようやく一局だけ映像が映ったのだ。

 テレビを見たまま、細切れにしたフライドポテトを摘む。食料は先程、店員が届けてくれた。

 カラオケボックスに入って来たのが、平日のちょうど午後二時辺りだったので、客は沢山居る訳ではないのだろう。

 勿論、店員の善意にも感謝しなければならないが、客が多ければ、食料を配る余裕は無いはずだ。

異変が起きたのが、放課後の学生で町がごった返す三時から四時辺りなら、こうは行かなかっただろう。

 ドアが叩かれて、食料を持って来てくれた店員が顔を見せる。

「大丈夫? もう少ししたら、何か解ると思うからさ。それまで辛抱しよう」

 ドアを開け、笑顔で言う。

 明らかに引き攣っていて、自然な笑顔でこそないが、自分の恐怖を抑えて、他人を気遣う優しさが嬉しいものだ。

「ありがとうございます。良かったら、何か手伝うんで」

 店員が一瞬、真顔になって視線をテレビにやってから、廊下の方を見た。本心を言えば、自分もテレビに張り付いて、情報を待ちたいのかもしれない。

 再びこちらに視線を戻して、笑う。

「ありがとう。今は大丈夫。隣の女の子達がパニック起こしてるみたいだから、様子がおかしい時は、ちょっと見に行ってあげて」

 人間はこういう状況に直面してしまう時、状況の深刻さを実感し過ぎて、精神的に追い詰められてしまう人と、鈴木やカイのように実感を得られず、逆に普段と変わらなかったり、妙に興奮したりする人と状況を理解した上で冷静に動ける人の三種類に分けられると思う。

 先程から、この店員が隣の部屋で励ましの言葉を掛けているのが聞こえていた。

 カイや鈴木のような強さもある種の強さではあろうが、こういう行動を取れる人間こそ、真に強い人だと思う。

 用を済ませた店員が階段を駆け降りて行く。しばらくの間は、足音が聞こえていた。

「……いっそ、俺達も出てみようかぁ」

 鈴木も、また突拍子の無い奴であるが、カイとは違い、心根から単純であるが故に、突飛な奴だ。

 今回に関しては、全く脈略の無い発想でもないが、やはり普通の間が方の筋道からは離れている。仏なら、怖いと感じ、避ける行動だろう。

「でも、飢えて、死ぬの嫌だな」

 聞いていたシンがフライドポテトを二つ分一気に口に運ぶ。

 貴重な食料をそんな風に食う奴が居るとは。こいつ俺達を殺す気か。

「シンが、すぐ食っちまうからなぁ!」

 嫌味でそう言ってみる。

 シンよ。へらへら笑っているが、そんな呑気な状況じゃないぞ。

「行くか……」

 そう呟くのを聞いた鈴木が体操服等を入れる大きめの鞄の紐肩に掛けて、立ち上がる。

 まだ少し悩んでいたのに、絶対行く事になってしまうではないか。

 仕方なく二人に続いて、廊下に出ると、隣の部屋の女の子が泣いているのが聞こえる。

「うるさいなぁ」

 恐怖で震えている人間に余り酷い言い方をすべきではないのかも知れないが、うるさい物は、うるさい。

「そういう事、言っちゃいますか」

 鈴木が寂しさの滲んだ苦笑いで言った。俺は思った事を口に出し過ぎなのか。

 三人で下の階まで降りて行くと、カウンターの奥から、店員が出て来る。

「どうしたの! 大丈夫? 何か有った?」

 そんなに他人の心配ばかりしていると、自分自身が辛いだろう。良くも悪くも性分なのだろうが。

「食料取って来ます」

 騒ぎに気付いた女性の店員がもう一人、部屋から出て来る。

「どうしたのよ」

 この二人は恋人であろうか。全く関係ない事だが、会話の間から、何となくそう感じた。

「いや、この子達が食料取りに行くって……」

 男性の方は驚き過ぎて、理解出来ないまま喋っているようだ。

 女性の方が冷静に加勢に入る。

「止めといた方が良いと思うけど」

 諦めて、帰ろうとする鈴木の腕を掴む。鈴木はやる事成す事無茶苦茶な癖に、人見知りで、出鼻をくじかれると、すぐ弱気になる。

 ここまで来て他人に言われて、素直に帰るのは、何だか嫌だ。

「いや、言う程ゾンビも強くなさそうだし、大丈夫っす」

 敵意があるわけではないが、そう敢えて強い調子で言ってみた。

 女性の店員と目が合ったまま、会話が止む。

 しばらくすると、店員は顔を見合わせた後、諦めて自動ドアを開けた。

 何が正解か解らない状況で、これ以上他人の行動に気を使ったりするのは止めた方が良いと判断したのだろう。

「生きて帰って来てね。絶対」

 男性の店員が肩を揺さぶりながら釘を刺す。

 泣かせる気か。深い間柄でもない彼に親しみを感じる。

「ありがとうございます」

 後ろの二人と頭を下げて、建物を出た。

 そして、三人で改めて赤い空を見る。

「ちょっとキレイ?」

「たしかに」

 鈴木、シンの順に口を開く。

「で、ゾンビは?」

 会わないで済むなら、その方が良いに決まってるのだが、どうしても探してしまう。

「まずは、あそこのコンビニでしょ」

 また鈴木が勝手に走り出して、仕方なく二人がそれに続く。

 死んだら、こいつのせいだ。

 公園を突っ切って走る。自分の視界がもの凄く狭く感じる。あと左右に三十度ぐらい欲しい。

 花壇を飛び越えて、わざわざ砂場を通って、転びそうになり、脇で誰も乗っていないブランコが急に揺れだして、泣きそうになった。

「ついた!」

 青いコンビニの自動ドアが開く。

「は?」

 結果の話だけをするなら、予測出来た事なのだが、目の前の光景が理解出来ない。

 食べ物が殆ど無い。

 誰かが持っていったのではなく、食べられている。

 容器が、そのまま地面に散らかっているのだ。

「食べられてる」

 鈴木が唖然とする。

「この場でか?」

 気の狂った人間のやった事かもしれない。

 死ぬ前にに美味しい物が食べたくなったのか。しかし、その為にコンビニに来るだろうか。

 いや、来ないだろう。

 三人で残った食料が無いか、探す。

 店内にプラスチックの袋が擦れ合う音が響く。些細な音でも、そのせいで危険を知らせる物音を聞き逃すかもしれない、と考えると不安になる。

「イラッシャイマセー!」

 突然元気で威勢の良い声が叫んだ。

 驚きの余り、勢いよく立ち上がり、周囲を見渡す。

 太った女性がドアの前を塞ぐように立っている。幸せそうに肉まんを紙のついたまま頬張って、飲み込んでいく。

 目から血が流れ出す。

 ゾンビだ。

 信じられない程の威圧感だ。絶望やら相手の圧倒的な迫力のせいで、体が縮こまったように感じる。

 自分に明確な攻撃の意志を持った敵が目の前に居る状況は、俺の人生の中に今の所そう何回も無い。視界が揺れる程、体が震えている。

 カウンターの前に居たシンに向かって、ゾンビがスキップして飛び付いた。こちらの精神的な問題でそう感じるだけなのか、図体が大きい癖に、テレビで見たゾンビよりも幾分、素早く見える。

 足のすくんでいるシンは、すぐに敵に腕を掴まれた。

「か、刈谷、これ」

 鈴木が歯をがたがた言わせて、震えている。

 何か武器は無いのか。

 投げ付けられるパンすら無いが、雑誌類は残っている。

「投げまくれ!」

 やたらと重いファッション誌を敵に出来るだけ寄ってから、投げ付ける。

 鈴木も加勢するが、手が震えていて、力が入っていない。

 このままでは、シンが死んでしまうかもしれない。

 勇気を振り絞って、本を持ったまま、鈍器にして、敵を殴る。

「アバガァ!」

 本の角でゾンビの頬が切れ、僅かに体がよろめいた。

「ふおぉ!」

 必死になって奇声を上げながら、シンがゾンビから逃れる。

「走れ!」

 前のめりになりながら、カラオケまで走り、三人でドアを叩きまくる。

 自分達から出て来ておいて、何と言う醜態だろう。

 ずっと待ってくれていた店員がドアを開けてくれる。

「すんません。駄目でした」

「良いよ。それはもう。ゾンビ来てない?」

 背後を見る。完全に巻いたようだ。

 黙って頷くと、店員も頷き返して来る。

 あの調子で、どこの食料も無いのではあるまいか。

 何だか隣の部屋の女子と一緒に叫びたい気がして来た。


4

 東京に残った最後の路面電車。荒川線。

 線路に交差する道には、春になれば桜が咲く。もう毎年何度も見ているはずだが、それでも春を迎える度に感動させられる。

 だが、次の春までに自分が生きていられる可能性は絶望的に低い。

 来年までには、いや、あと数ヶ月以内は自分の存在が無くなるかもしれない。死への実感は相変らず沸かないが、そうやって具体的な事態を思い浮かべると、悲しく怖い事のように感じた。

 だが、実際にはまだ助かる可能性だって有る。東京の外の人間が何もしないわけではないし、しばらくすれば、色んな事が解って、情報が入ってくるかもしれない。

「ねー。まだ?」

「もう二十分もかかんないよ」

 死体達が線路の外から、こちらを覗いている。先程からずっと線路の柵の外から付いてきていたのだ。さすがに一体にも見つからないというのは無理だったか。

 柵を乗り越えようとする死体達を出来るだけ離れた位置から傘の柄で押し戻すが、意外と力が強く、構わず柵を登ろうとしてくる。

「せーの!」

 あまり近づきたくはなかったが、仕方なく柵の下に寄って、思い切り踏ん張ると、やっとの事で死体がとまった。

「アーウ!」

 しばらく力比べで粘っていると、奇妙な声を上げて死体が地面にたたき付けられる。どうやら、死体も鈍間なだけではないようだ。

 それとも、この個体だけが特殊なのだろうか。

「馬鹿みたい」

 遅れて付いてきていた少女がようやく追いついて来た。歩調を合わせて、また歩き始める。

 お互いの安全の為にやった事を馬鹿呼ばわりされるのか。救われない話だ。

 電柱の上にカラスが止まっているのが見える。東京にも野生の動物達がいる。彼らはどうなるのだろうか。カラスは最終的には、死体達を食べて生き残るかもしれないが、甘やかされた飼い犬などは飢え死にしてしまうだろう。

 いや、他人の心配をしている時ではないのだった。自分達が彼らを食べてでも生き残らなければ、ならなくなるかもしれないのだ。

「ねえ、あれなんだろ」

 電柱の上を見ていて気づいた。というか、先程から時々見えている気はしていたのだ。

 時々、空のかなり高いところを青い光が立ち上って行く。そして、空と同じ色なので解りにくいが確かに赤い色の光が飛んでいるのも確認できる。

「また、幽霊かなんかなの?」

 少女が目を凝らして、光を見つめる。しばらく意識をそちらに集中させると、首をかしげる。

「そういう感じのものには見えない」

 淡々とそれだけ言って、また少女が歩き始める。

「お、あれだ」

 線路の先に駅が見えた。ここから先は必ずしも駅を目指すよりも、直接目的地に向かった方が良いかもしれない。

 幸い柵の外に死体達の姿はない。振り切ることが出来たようだ。

「こっから外に出ちゃおう。その方が早いよ。」

「もー疲れたんだけど。」

 いつか言い出すと思っていた台詞だ。池袋は広い。町の中を移動するだけでも、それなりに歩かされる。このまま歩き続けるのは不可能かもしれない。

「脇道に入って、少し休憩しようか」

 線路をぬけ、住宅街に入る。二人で玄関先に座り込み、食料をつまむ。

「アンタ何歳?」

 少女はそう質問したものの、相変わらず、こちらには興味の無さそうな表情をしている。

「17」

「年下だろ。タメ口きいてんじゃねえよ」

「え! 年上?」

「18だから。お前、中学生じゃないのな」

 性格も見た目も子供っぽいのは自覚があるが、こいつに言われたくない。

「ったく、面倒くさえな。いい加減にしろよ。いつまで連れ回すんだよ」

 少女が大きな欠伸をした。

「ごめん。遅くならないうち着きたいし、そろそろ行こう。」

 遅くなったからといってどうということもないが、確かに疲れてきた。早く休みたい。

 街中を突っ切っていければ、すぐに着くのだが、人通りが多いところは死体も多いはずだ。それは出来ないだろう。

 仕方なく、町の人気のない外れの方を遠回りして向かうことにする。余り考え無しに動いてしまったが、下手をすれば、ここからの道の方が長いかもしれない。

「どこ向かってるわけ?」

「ちょっとはずれのカラオケボックスなんだけど……あっちかな」

 既に何回も、通ったことのある道を景色を楽しむ事も無しに、歩き続ける。

 意識がなくなるくらい歩いたところで、ようやくカラオケボックスについた。ぶつくさ文句を言っていた少女も、疲れきって無言になっている。

 カラオケボックスの中を覗き込む。中に店員らしき男が見える。

「うわ!」

 目が合うと、こちらを死体だと思ったのか、悲鳴を上げた。

「人間です。中に入れてください。」

「早くしてよ! ゾンビ集まって来ちゃうでしょ!」

 少女の怒鳴り声を聞いて、店員がドアのロックを開ける。外が見える場所にカウンターがあったことで、自動ドアをすぐにロック出来たのだろう。そうでなければ、ここにも死体達は入り込んでいたかもしれない。

 店員は二人が入ったことを確認すると、大急ぎでドアをロックする。

「君達、何故こんなところにいる。外に出ても大丈夫なの?」

「いや、その、それよりも、刈谷っていう客、来ていませんか?」

 店員は蒼い顔で、首を振る。まだ状況が掴めていないのだろう。

「い、いや、わからない」

 自分で探した方が早そうだ。

「そうっすか。ちょっと探させてください。あと……これ。良ければどうぞ。もうあんまり残ってないけど」

 携帯食料を店員に分けて、階段を駆け上がる。

「何で嘘つくのよ。食料たくさんあんじゃん」

 少女が小声で話し掛けて来る。いちいち自分の言動の意図を説明するのは、正直面倒だ。

「食料が大量にあるのがばれたら、それが目当て狙われるかもしれないでしょ。ていうか、俺、友達探してから戻って来るから、ちょっと休んでてよ」

 少女はそれを聞くなり、そっぽを向いて、歩いていき、受付の隣にある客用のソファーで、くつろぎ始めた。

 どうやら言う通りにしてくれるということらしい。

「疲れたー」を連発し続ける少女を連れ回すのは、こちらにもストレスだ。

 階段を見上げる。大した段数ではないが、重い荷物と長距離の移動による疲れのせいで、足が思うように動かない。

 しかし、食料を奪われる可能性を考えると、荷物を何処に置いて行くことは出来ない。階段を一段、上がる度に中の荷物がガサリと音を立てた。

 やっとのことで二階に着く。

 地震発生時、客は余りいなかったのだろうか。ほとんどの部屋には明かりが付いていない。唯一奥の右側の部屋から明かりが見える。

 疲労で足が震える。もう一度、階段を上る事を想像すると、それだけで何だか気分が悪くなった。

 刈谷達のいる部屋が、この部屋であることを切に願う。だが、部屋を覗くとそこには、刈谷達の姿は無かった。

 カップルが部屋の隅に並んで座っている。二人共、テレビを食い入るように見ている。

 男の方がこちらに気付いた。明らかに怯えた表情で、ソファの端へ飛び退く。

 こんな状況だ。死体と勘違いされたかもしれない。

「すんません。間違えました。」

 そう言って、また階段へ向かう。

 少しずつ休みながら行けば、良い話なのだが、長い時間少女を待たせると、また文句を言われる。四階建ての建物だから、どんなに辛くとも、後一回だ。そう自分を鼓舞する。息を大きく吸い込み、肺に空気を貯め、一気に走り出す。

 もう限界を超えてしまったからだろうか。思った程辛くはない。

 だらだら上るより、始めからこうした方が早かったのかもしれない。

 最後の一段を昇り切り、前を見ると、見覚えのある緊張感のない顔がドアから見えた。濃い顔と長めの髪を真ん中分けにした髪型が特徴的すぎる。

 間違いない。刈谷だ。

 勢いよく個室のドアを開け、スーツケースを机の上に下ろす。部屋の中の全員の視線がこちらに注がれる。

「お……! カイ!」

 自分の名が呼ばれたが、反応せずに、そのまま一階まで駆け降りる。

 少女は荷物を脇に置き、携帯をいじっている。

「見つかった! 行こう!」

 喜び勇んで、今来た道を引き返そうと振り向くと、髪の毛を引っ張られる。

「イッタ! 何すんだよ!」

 痛みと怒りで思わず声が大きくなる。

 少女は荷物を押し付けている。まさか運べというのだろうか。

 少女は、手ぶらで階段を軽快に上がっていく。

 店員が心配そうな目でこちらを見ている。

「運ぼうか?」

 是非、お願いしたいが、食料が入っている事を悟られる訳には行かない。これ以上ないというほど、精一杯、爽やかな作り笑いをする。

「いえ。大丈夫です。ありがとうございます」

 上っていくうちに、足の感覚がなくなり、そのうちに意識が飛び、気付くと三階にいた。

 ドアの前で少女が待っている。

 すれ違い様にわざと聞こえるように舌打ちをする。

 少女はこちらを見ることさえせず、まるで聞こえていないように携帯をいじり続けている。

 ドアを開け、その場で仰向けに倒れ込む。もう一歩も歩きたくない。

 刈谷が携帯食料をかじりながら、こちらを見下ろしている。

「お帰り」

「ああ」

 やっぱりどこか間の抜けたような会話である。少女が体を踏み越え部屋に入る。

「グアア!」

 靴の踵の角が腰にあたり、激痛が走る。

 少女は挨拶もせず、ソファーに横になる。見ず知らずの人間に囲まれて良くそこまで大胆に振る舞えたものだ。

 もはやこの少女に尊敬の念さえ抱き始めている自分に気付く。

「知り合い?」

 鈴木がヤキソバパンを頬張りながらこちら見た。

「まあ、性格の良い、優しい子だよ」

 皮肉たっぷりに、そう言うと、刈谷が小さな声で笑った。

「そうみたいだな」

 少女は、シンに絡んでいる。

「くっせーなデブ。暑苦しいんだよ! どっか行けよ!」

 シンが反応に困って苦笑いしている。

「シン、もうそいつ無視していいから」

 少女にまた睨まれる。

「ハ? テメエ。食料、運んでやったのに、アタシに刃向かうわけ?」

 もう我慢の限界だ。優しく接し続けるのは諦めよう。

「気に食わないなら、どっか行けよ。食料置いて!」

 少女は顔を真っ赤にして、机を蹴り飛ばす。

「裏切り者のクソったれ!」

 何の捻りもないわ悪口で罵ると、少女はそのまま隣の部屋へ行ってしまった。

 これでやっと落ち着ける。

「よくこれたな。重い荷物背負って」

 シンは食べ物を食べる時、本当に幸せそうに食べる。持ってきた甲斐が有ると言う物だ。

「いろいろ苦労したんだぜ。感謝しろ」

「カイさん、マジカッケーッス。」

 鈴木が気のない事を気の無い声で言う。茶化しているつもりらしい。

「このクソったれの恩知らずが」

 そう言って、笑う。

 数時間、緊張しっぱなしだった体がほぐれていく。気が緩むと、眠気が襲ってきた。意識が遠退いて行く。

 食料を一度に食べ過ぎないように皆に言わなければならないのだが、瞼が重すぎる。少し寝てしまおう。

 気付くと、自分は、過去の記憶の中にいた。どうやら夢を見ているようだ。


5

 小さい頃の記憶である。

 正確には、小さい頃に一度だけ見た夢の記憶だ。

 特に何か深く感じる所があったということこともなく、何度も見たというわけでもない夢を何故、今になって、また見ているのだろうか。

 どこだか解らないが、高いコンクリートの段の上に父がいる。その段差の下で自分は、父を見上げている。

 父は気分が良さそうに歌を歌っていた。

「パパ! 抱っこ!」

 父の隣に座りたくて、引っ張り上げてくれるようにせがむが、父は歌をやめない。何度頼んでも、「自分で上がれるだろう」とこちらを見ることも無く、答えるだけである。

「無理だよ。持ち上げてよ」

 そうして、駄々をこね、泣き始めたところで、目が覚める。気分が悪いというか、胸の苦しくなるような夢であった。

 目を開けると、部屋の電気が消えていて、皆の寝息が聞こえる。テレビの光だけが眩しくこちらを照らしている。

「死体に殺されたのではなくとも、東京の中で死亡すると、無条件に動く死体になるという事のようです」

 アナウンサーの話を断片的にだが、聞き取れた。少しづつ情報も集まる場所には集まって来ているようだ。

 画面の端の時計は、六時を指している。地震発生から十二時間か。色々と忙しく動いていたからだらうか。もっと長い時間を過ごした気がする。

 また眠ろうとするが、思ったように寝付けない。

 仕方なく考え事を始める。先程の夢は何だったのだろう。

 何故、今になって、あの夢の記憶が蘇ったのかは解らないが、あんな夢を見るそもそもの理由には、心当たりがある。

 おそらく原因は、自分の両親に対してのコンプレックスだ。良くある珍しくもない話だが、うちの両親の仲は良いと言えなかった。父親が母親の友人と関係を持ったのが、直接の原因だが、もともとの相性も悪かったのだろう。

 兎にも角にも、それを知った母は父を責め立てたが、父親は逃げ回るばかりでまともに話し合うこともしなかった。

 結局、実質的に絶縁状態になり、やり場のない母親のストレスは、俺にぶつけられるようになった訳だ。

 それは、あるときは過度の期待だったり、精神的、肉体的暴力であったりしたが、俺にとって苦痛であるのに変わりはなかった。

 心理学の素養が有る訳ではないが、きっと心の中で、いつも逃げ回る父を憎み、母親から逃げることが出来ることを羨んでいたのだろう。父に救い出して欲しくもあったのかもしれない。

 気付くと、いつのまにか頬を涙がつたっている。誰にも見られないように、俯いて、服の袖で顔を拭いた。

 急に空腹感を感じ、机の上のスーツケースを自分の方に引き寄せる。到着した時は、疲れのあまり食欲も無かったが、今は何かお腹に詰めないと、落ち着かない気分だ。

 鞄の中に手を入れてちょうどいい食料を探していると、不意に声を掛けられる。

「おはよう」

 声の主はシンであった。

「ああ、おはよう。わりい。起こしちゃったか?」

 暗闇の中から、急に低い声が響いたので、驚いてしまった。

「いや、大丈夫」

 シンがポケットの中から、徐に携帯を取り出す。

「そういえば、地震の後も電気は流れてるんだな」

「ああ。人も物も通さない壁が有るのにに、何故か水と電気は通ってるってのが不思議だよな」

「元々流れているものは、止まらないみたいな話なのかもな。理由はよく解らんけど、奇跡的なまでに都合の良い話だよな」

 ファンタジーの設定考証のような話だが、この状況で納得出来る理屈を探そうとするのも無駄な作業だろう。

 それに、もし科学的な説明を聞けたとして、その方面の知識が無い俺は、きっと頭が痛くなるだけだ。

「あった。これだ。」

 携帯をいじっていたシンが何の前触れもなく、携帯をこちらに差し出す。

「え。何これ? おもしろ画像?」

 画面には、神社にあるような鳥居とその奥の祠のようなものが写っている。特に笑える点は見つからない。

 神社を写した画像だから、心霊関係のものかもしれない。

 シンが笑う。

「ちげえよ。バカ! 地震の直後から、この変な鳥居があちこちで発見されてるらしいんだよ。沢山有る訳じゃないみたいだけど、街中や建物の中やら、今まで何も無かった所に急に現れるらしい。お前来る途中に見なかった?」

「んー。いや、気付いてないだけかもしんないが、見てないと思う。でも、地震の後に確認されたなら、今回の事に何か関係してるかもしれないって事か」

「まあ、まだネット上での噂だからな。悪質なデマって事もあるとは思うけど」

 もう一度、画面をよく確認する。鳥居の額束にズームする。

 もし本当に神と呼ばれるような何かがいて、今回の異変が、それに関するものなら、額束に刻まれた文字から何か重要な情報が掴めるかもしれない。

 だが、少し遠めに撮っているからか、拡大すると、ぼやけてしまい、額束の文字は認識できない。

「シン、これさ、この板の部分、もっと近くで撮った画像ない?」

「いまんとこ、掲示板に上がってるのは、そんだけ。一応、画像を掲示板に上げた人に頼んでみるけど」

「ん、頼むわ」

 テレビでは、アナウンサーが交代もせずに、ニュースを伝えている。

「根性あるよな。このアナウンサー」

 シンもテレビに視線を向ける。

「テレビ局にも何体もゾンビが入りこんでて、どっかの部屋に篭って、放送してるらしいよ。しかも、この局だけ」

「こちらとしては有り難いけど、頑張りすぎだろ」

 鈴木が芋虫のように体を動かして、目を覚ます。線の細長い体が壁に縦長の影を作る。

 短く刈り上げられて、立ち上がった髪が床を掃く箒のように壁を擦った。

「何だ。二人共、起きてたのか。起きたら、起こせよ!」

 起きたそばから、大騒ぎしている。目の前に人が居るだけで喜ぶ人懐っこい犬のような反応だ。

 寝起きが良すぎる。

 刈谷も鈴木の大声に反応して、薄目を開けた。

「うるせえよ! バカ!」

 刈谷は鈴木とは対照的に、朝は苦手だし、眠いと機嫌が悪い。

「あ、ゴメン」

 鈴木は怒られたショックで、静かになる。まるでいつもの学校のようなやりとりだ。二人を見ていると、気分がなぜだか落ち着いた。

「誰か一緒にトイレ行かない?」

 尿意がある訳ではないが、この狭い部屋の外に一度出たくなった。

「マジで? 俺も今行こうと思ってたとこだ」

「二人とも行くのかよ。俺も行くよ」

 三人で外に出ようとすると、不意に誰かが転ぶ。

「おぅわ!」

 机に何かが当たる音がした。

 鈴木が何かに躓いたようだ。机の下を覗き込むと、少女が床で眠っている。勢いで出ていったものの、一人で不安になったのだろう。しっかり戻ってきている。

「っもー。なんなわけー」

 鈴木が少女を蹴っ飛ばす真似をしている。

「止めとけ。起こすと、面倒だろ」

 鈴木は仕方なく、少女を跨いで、ついて来た。男三人でゾロゾロと並んで、 トイレへ向かう。お世辞にも、爽やかな光景ではない。

「男三人で、連れションて絵にならないな」

「確かに。汗くさいな」

 皆、無言になる。トイレにつき、シンと鈴木は小便をする。

「カイ、しないの?」

「出ない」

 そう答えて、鏡の前で顔を洗う。いくらか、気分がスッキリした。

「先行くよ」

 そう言って、部屋に戻る。

 少女と刈谷が起きている。お互いに視線を合わせることなく、テレビを見ている。

「おう、おはよう」

 初対面お二人に仲良くお喋りをしろと言うのも無茶かもしれないが、二人の間には、何があったのかは解らないが、初対面である以上の余所余所しさと険悪なムードが漂っていた。


6

 刈谷と少女の間の空気に何とも不穏で居ずらい雰囲気を感じる。大方、ちょっとした口喧嘩だとは思うのだが。

 刈谷は、大人だし、話も面白いので、周りに常に人がいるタイプなのだが、少し頑固なところがある。理不尽な屁理屈を押し付けてくる少女に怒りを感じるのは仕方が無い。

 何かしていないと居心地が悪かったので、スーツケースからメロンパンを取り出し、半分にして食べる。先程は、なんやかんやで食べるタイミングを見失ってしまったのだ。

「食料も節約しないとな」

「ああ、そうだな」

 極端に短いその会話の後、また沈黙が三人の間を流れる。

 トイレに行っていた二人が部屋に帰ってくる。皆何をするでもなく、テレビをボーッと見ている。

「体力無駄にしないために、あまり動かないほうがいいのかもしれないけど、この人数だとすぐ食料が切れちゃうし、食料調達しに行った方がいいかもね」

 鈴木が食料の入っているスーツケースとリュックの中身を確認している。

「まだ皆が元気で動けるうちに食料を探しに行ったほうがいいのかもしれないな」

 刈谷はシンの携帯を借りて、遊んでいる。

「でも、コンビニなんかの食料はもう大体持ってかれてるからなぁ。百貨店とかスーパーまで行けば食料ば有るかもしれないけど、ゾンビの数も多いだろうし」

 部屋の中は、クーラーがきいているので、暑いということはないのだが、それでも、この狭い空間にずっといるのは、気がめいる。

「確かに徒労に終わる可能性も否定出来ないけど、一日中ここにいるのもなぁ。三、四人で行けば、安全だろうし、行ってみるか」

「アタシ行かない。パス」

 少女は相変わらず携帯をいじっている。別に、元から連れて行こうとは思っていない。

 どうしようか悩み、一瞬、視線を部屋の外に外す。

 不意に何かが壁に当たる音がした。隣の部屋からだ。

「キャア! 大丈夫?」

 壁を挟んで、篭った女性の声が聞こえる。

「どうした! ゾンビか?」

 刈谷が立ち上がる。

「ちょっと見てくるよ」

 ドアを開けて、廊下を見るが、特に何もない。隣のドアの前に立ち、様子を見る。鈴木がついて来ている。

 ドアを少し開ける。

「どうしました?」

 女性がこちらを向く。

「友達が下痢とか嘔吐とか繰り返してるんです。さっきから、トイレに往復してたんですけど、ついに腹痛で動けなくなっちゃったみたいで」

 もう一人の女性が俯いて、嘔吐している。

「大丈夫?」

 鈴木が駆け寄る。

 この女性どこかで見たことがある。自分も傍によって顔を確認する。

「竹田?」

 女性が顔を上げる。

「カイ?」

 何と言う偶然だろう。中学の同級生の竹田だ。

「お前もここにいたのか?」

「う、うん」

 吐いている所を見られた恥ずかしさからか、竹田が顔を赤らめる。腹痛でトイレに行くことが出来ず、ここで吐いてしまったのか。

「鈴木、ちょいコイツ、トイレに運んでやってくれ」

 女性は、こちらを心配そうに見ている。

「えと……」

「あ、私、金山っていいます」

「金山さん。竹田をトイレまで運びますから、安心してください」

 鈴木がお姫様抱っこで竹田を運ぼうとして、ふらふらしている。一人で、運ぶのは無理か。自分も立ち上がり、手伝う。

 トイレの個室に竹田を運ぶ。

「ありがとう」

 竹田はもう泣きそうである。恥ずかしそうにしている顔を見ていると、何だかこちらが申し訳ない気がした。確かに、普段であれば、有難迷惑な行為かもしれないが、今は仕方が無いだろう。

「まぁ、後で食料とか持っていくからさ。早く治せよ。」

 部屋に戻り、スポーツドリンクを何本か取って、金山と竹田の部屋へ持っていく。

「金山さん。脱水症状起こすといけないから、これ竹田にどうぞ。あと、金山さんもよければ」

「あ、どうも」

 金山がほっとした表情をして、笑顔を浮かべた。

 少し肉がついていて、おっとりとした男好きする種類の女性だろう。

 吸い込まれるような微笑を見て、何故だか、無言になってしまい、部屋に戻る。

 鈴木はもう部屋に戻っていた。

「大丈夫っぽいよ」

「そう。で、結局食料調達行くの? 食料無いの辛いんだけど。」

 シンはすでにぐったりしている。

「ダイエットだと思って我慢しろよ」

 刈谷がシンの大きな腹を叩いて、笑う。

「うるせえよ」

 シンもつられて笑い出す。わざと下品な笑い声を上げながら、刈谷の頭を叩く。

 確かに、このままのペースで食料を消費し続ければ、すぐになくなってしまうだろう。

「行こうか。食料調達。隣の部屋の二人組の女の子、片方が知り合いなんだ。出来れば、二人にも、食料渡してやりたい」

 少女がこちらをみる。

「え。食料があることばらさないんじゃないの?」

 そう言った記憶はある。確かに少女の言うとおりだ。何故彼女たちに食料を渡すのは、良いのだろうか。自分でもよく解らない。

「え……。いや、もう一人の金山さんて子が可愛くてさ。だから良いかなって……」

 適当にその場で、理由をつける。だが、事実、自分の中でも、そういうことだと思う。

「馬鹿か」

 少女が初めて楽しそうに笑った。

「じゃあ。ご褒美のために頑張って来るか!」

 鈴木がニヤニヤして言った。だが、彼女たちを助けたからといって、彼女たちから何かしてもらえる保障はない。

「よっしゃ。俄然、やる気出て来た!」

 刈谷が腕を振り上げる。

「本当に行くなら、確かこの近くに、格闘技のグッズ屋みたいのあるよね。あそこの木刀とか、棒とか武器になるかもしれない。寄ってから行こう。シンとお前は置いていくけど、下手なことすんなよ」

「はーい」

 二人が声を合わせて、返事をした。


7

 ペットボトルの飲み物を二本づつ持ち、外に出る。カラオケボックスの店員に挨拶する。

「こんにちは」

「あれ? 君たちどこか行くの?」

「ええ。ちょっと」

 皆には、他の誰かに食料を持っていることを言わないよう言ってある。

「そうか、気をつけてね」

 本気で自分たちを心配してくれているようだ。嘘をついている後ろめたさで、店員と目を合わせられない。彼にも食料を分けるべきだったか。

 外に出て、赤い光に包まれると、急に周りの空気が変わったように感じる。

 繰り返しになるが、元々一通りの多い池袋には死体の数も多いはずだ。色々な可能性を想定して、動かなければならないだろう。

 周囲に気を巡らせているからか、普通に立っているだけでも、次第に疲れてくる。

 体のあらゆる部位に糸が繋がっていて、それを力いっぱい引っ張られているような気分だ。緊張というのは、正にこの感覚の事を言ったのではないだろうか。

 二人に不安を気取られないように、左右を一瞥し、背筋を真っ直ぐにしたりして、自然体を作り出してみる。だが、或いは、こういう態度こそが怪しまれるのかもしれない。

「とりあえず、武器取りに行こうか。カイ、つれてってくれよ」

「あれ・・・・・・どうやって行くんだったけな?」

 確かに、一度行ったはずなのだが、イマイチ場所がハッキリ思い出せない。適当に歩き回っていれば、ペットボトルのドリンクが無駄になってしまう。

「え。わかんないのかよ」

「ドーナッツ屋のそばだった気がするんだけどな」

「えー、それ、結構遠いじゃんか。道違うし!」

 少し道を進んだ所で、鈴木が振り返った。

 そうだったかもしれない。自分が言いだしておいて何だが、思った以上に道をよく覚えていなかったようだ。

「そうだっけ。わりい」

 早い段階で間違った道に進んでいるのが解って良かった。

 鈴木が先導を代わり、どんどん進んでいく。自分が若干の方向音痴なのもあるが、俺に比べて、よくこのあたりで遊んでいる鈴木は、道には詳しい。

「そろそろ、ドーナッツ屋だよ。まだ?」

 右の階段の上にいかつい印象のロゴが見えた。

「あれだ。あれ」

 階段を上がり、ドアを開ける。鍵はかかっていない。

「店員さんは、おらんようだ」

「お、早速武器になりそうなのが」

 鈴木が木刀を見つけて、棚から取り出す。

「二刀流とかどうよ?」

 片手に一本づつとって構えている。

「二本は、かさばるし、木刀でも片手で持つと、腕が壊れるぞ」

「ゾンビには、あんまり近づきたくないし、槍みたいに突いて使えるものの方が良いんじゃない?」

 刈谷が棒を見つけて来て、股間をつついてくる。

「何をやってんだよ、お前は!」

 近くの箱から、黒い木刀を取り出し、額をどつく。

「あ、いってぇ!」

 刈谷が床に倒れる。鈴木は、まだ箱の中を探っている。

「あ!」

 鈴木が急に大きな声を出す。二人とも、鈴木の方を見る。

「これなら、イケる!」

 鈴木は短めの木刀を見つけて、先程と同じように構えている。様になってる気がしなくもないが、死体達と戦う時、足手まといになれば、致命的な事態に陥りかねない。

「いや、駄目だろ」

 刈谷の冷たい目線に気付かず、鈴木は嬉しそうに、二本の木刀を振り回して、すっかり悦に入っている。

「いいじゃん。二人と武器かぶるのやだし」

 被ったら、どうだというのだろう。

「もう良い。外に長いこといると、飲み物が無駄になる。そろそろ食料を集めにいかないと」

 刈谷が店の外に出る。鈴木は食料を入れるための鞄に、目を輝かせて、ヌンチャクやらグローブを詰め込んでいる。

「鈴木、刈谷行っちゃったよ。もう行こう。ドーナッツ屋で、ドーナッツでも回収しようや」

 そう言って、外に出る。

 突然、刈谷が戻って来て、店内に突き戻される。刈谷は肩を小刻みに震わしている。

「え、どうした?」

「店員のゾンビだ! 何か様子がおかしいし、武器持ってる! この辺をうろついていたらしい!」

 死体が動いているのだから、様子がおかしくない訳がないのだが、確かに、下の方から重い金属を転がすような音がする。

「何の音だ?」

 音が段々と近付いて来る。

「ブァーアー!」

 もう一度、大きな音がして、男の死体がドアの外に現れた。手には、金属バットが握られている。音の正体はバットが地面を擦る音だったらしい

 どういうことだ。

 昆虫程度どころか、道具を使える知能があったというのか。

 頭部に何か当たったのが死因だったのだろう。頭から血を流している。そして、何より体のサイズが他の死体よりも一回り大きい。

 生前から体が大きかったのだろうか。だが、筋肉の付き方が明らかに不自然に上半身だけ発達している。こんな体型の人間がいるとは思えない。

 死体がこちらを見て、目を見開き、歓喜の声を上げた。

「居ダャアアア!」

 バットを振り上げて、ガラスを叩き割る。バリーン!という音共にガラスの破片が飛び散る。

 目を守るために反射的に腕で顔を隠す。

 衣服に守られていない足首に破片が刺さり、激痛が走る。

「いぃ!」

 ドアにあいた穴から、体を乗り出し、死体が入って来ようとする。

「刈谷、棒で突き返せ!」

 刈谷は腰が抜けてしまって、動けなくなっている。

「あああ!」

 鈴木が木刀をバットの持ち手に当てがい、動きを止める。鈴木の動きに反応して、刈谷が遅れて動き出す。

 がむしゃらに突いた棒が、首に当たる。

「アッバーアー!」

 死体が突かれた部分を手で抑え、ドアから、一歩離れた。

「今だ!」

 ドアを開け放ち、苦痛に悶える死体に組み付き、バットを取り上げる。

 すかさず、鈴木が木刀を死体の頭へ振り下ろす。ゴッという鈍い音が響いた。

「ヴゥー……」

 うめき声を上げ、死体は動きを止めた。

「逃げるぞ!」

 三人で階段に詰め寄ったことで、足が絡まる。バランスを崩し、半ば転げ落ちるように下に降りた。

「いでえ!」

 上で死体が雄叫びを上げている。こちらを見て、階段を駆け降りて来る。

「やっぱり復活すんのか!」

「そりゃ、ゾンビだからな」

 明らかに普通の死体よりも、移動が速い。

「うわあ! こっちくんなあ!」

「あっちだ!」

 刈谷が走り出した方向に行く先も考えず、一目散に逃げ出す。

「何なんだよ!」

 七、八分、走り続けるとと、ようやく死体の姿が見えなくなった。

「あーあ。クッソー! ドーナッツ食べたかったわー」

 鈴木は本気で言っているらしい。もう少しで死んでしまうところだったというのに、何処かおかしいのではないだろうか。

「ゾンビが武器使ってくるなんて! おかげでカラオケから大分、離れちまった」

 変な冒険心から武器を取りに行ったが、食料調達は楽になるどころか、より手間がかかることになってしまった。

「あぁ。でも……まぁ、いいさ。せっかく遠くまで来たんだ。食料を集めよう。確かこの辺カレー屋があるはずだし」

 喋りながらも、刈谷は痛そうに片目を閉じ、脇腹を押さえている。

 自分自身もカレーが大好物なのだが、カレーが嫌いな日本人はいないから不思議である。

「そうだな。外食チェーンなんかにはまだ、意外と食料があるかもしれない」

「カレーかぁ。まぁ、いいや」

 鈴木はまだドーナッツが惜しいようだ。三人並んで、また、とぼとぼと道を歩き始める。

 ゾンビから奪い取った金属バットを、RPGの主人公の真似をして、振り回す。

 正直、楽しい。思わぬ形で、良い武器が手に入った。

「カッコつけてんじゃねえ!」

 刈谷が尻に向かって、棒を突いてくる。棒が尻に食い込み、意外と痛い。

「痛! またやりやがったな!」

 刈谷の足の間に、バットを入れ、金的目掛けて軽く持ち上げる。刈谷がとっさに足を閉じ、おかしなポーズをとった。

「バッカ、あぶねえよ!」

「アハハ!」

 鈴木が後方から、木刀で尻を付く。木刀が割れ目に食い込み刈谷が前につんのめる。そのまま転びそうになり、地面に手をついた。

「テメェ!」

 鈴木の頭に、棒が振り下ろされる。

「アイタ! 刈谷、結構本気で叩いたな!」

 刈谷は、鈴木を無視し、話題を変える。

「しかし、死体達は武器を使えるのか。人の入り込めない建物に入ってれば安全とおもってたんだけどな」

「確かに。道具があれば、ガラス製、木製のドアはすぐ壊せるしな」

 カラオケボックスも安全とは、言えないということだ。

「道具を使うってことは、それなりの知能があるって事だろ。でも、そう考えると、奴らの行動は、不可解だよな。いつも、目の前の人間を追うだけで、挟み撃ちや、仲間内の情報伝達をしてる様子もない」

 鈴木が会話に入ろうと、叩かれた頭を抑えながら、刈谷と俺の間に割り込む。

「人を殺すために、武器の使いかただけ、プログラムされているってのが一番無難な考えじゃない?」

 確かにそれが一番有りそうな話しだ。なるほどと、相槌をうつ。

 鈴木が急に声を上げる。

「あったー! カレーだ!」

 喋りながら歩く内にカレー屋がもう見える範囲まで来ていた。目印である黄色い看板が確認できる。

「カレーライス!」

 鈴木と競走しながら、カレー屋へ向かう。刈谷がその後ろから、面倒臭そうに小走りで走って来る。

「着いた! 食料、あるかな?」

 俺が厨房を探り出したのを見て、鈴木がお土産用の商品を漁りだす。

「お土産は無事みたいだし。使えそうだ」

「了解した!」

 鍋の中の蓋を開けると、中身から異臭がした。

「鍋の中のは、駄目だ! 夏場だったからなぁ。腐ってる。」

 刈谷が店に入って来る。

「冷蔵庫を開けてみろ。まだ、調理前のルーやら、具材が有るかもしれない」

「いや、そのつもりだけどさ」

 暗い中、冷蔵庫を手探りで探す。

 奥の方に入ると、急に何か鍋のカレー以外に腐臭がしだした。

「何か臭くないか?」

 厨房の奥で、皿が割れる音がする。

 恐怖を感じ思わず、飛び上がる。

 目を凝らすと、暗闇の中で何かが蠢いている。

「どうした?」

 刈谷がカウンターを越え厨房に入って来る。

「わからん。奥に何かいるらしい。おい! 鈴木! 電気付けてくれ!」

「あ? どうしたよ」

 明かりが付き、蠢いていた物が照らし出される。

「うわああ!」

「冗談だろ」

 二人共、カウンターを飛び越えて、厨房の外へ逃げ出す。

「どうした!」

 鈴木が厨房を覗き込む。

「あ……あれ、どういう事?」

 鈴木が死体から視線を逸らし、こちらを見る。

「ゾンビだ。きっといろいろな偶然が重なってこうなったんだろう」

 死体達が数体で集められ、厨房の隅でロープやテープで縛られている。いや、正確には、誰かに縛らせたのだろう。

「今回の地震か、もしくは、元からの病気か何かで、即死せずにゆっくりと死んでいった人が、偶然、傍にいた生存者に頼んで、自分を縛って貰ったんだ。ゾンビになって人を襲うことのないように」

 ダンボールテープで目隠した目から、血が滲み、体には、虫がたかり、腹部から腐り始めている。

「おい、あれ」

 カウンターの上にメモが、何枚か置いてある。一枚のさほど大きくない紙に異常な程、文字を詰めて文章が書いてある。必死さや切迫した状況での狂気が紙から伝わってくるようだ。

 皆の視線がメモに集まる。


[ここにたどり着いた生存者に、伝えたい事が、有ります。死体を見て、気持ちが悪かったでしょう。怖い思いをさせたら、ごめんなさいね。貴方達には、どうでもいいことだと思うけど、少し私の話をさせてください。私は、この歳まで未婚でした。特に理由が有った訳じゃないけど、縁がなかったのね。そして、もちろん子供もいません。欲しいと思ってはいたのだけどね。私は結局、一人も産まなかった。けれど、自分の何かを受け継いでいく子供がいるというのは、素晴らしいことだと思います。でもね、死に直面して、私は人が受け継いで行けるのは、遺伝子だけではないと気付きました。教師から生徒に知恵を残し、師から弟子に技術を残し、友達から友達へ感情を分かち合ったりするように、私達は、生きてるだけで、自分の中の何かを他人の中に残しているのだと思います。だから、もし私が誰かに、生きる可能性を残せたら、それは、子供がいるのと同じくらい、素晴らしいことだと思うのです。余計な話ばかりして、ごめんなさいね。でも、私のお願いをどうかこれだけは、聞いて下さい。どんな形でも、良いから一日、一秒でも長く生きて、命を繋いでください。そのために私はここに自らを封じ込めます。食料も半分は私達を縛るのを手伝ってくれた須藤さんに渡しておきますが、もう半分は、ここに来た貴方達のために残しておきます。では]


「遺言……か」

 口元を小さく動かして、自分の意思ではないかのように僅かな言葉を零した。

 ほとんど改行も入れずに、必死に文字を詰め込んだのだろう。所々、文字が細くて読みにくい上に、涙が染みていて、字がぼやけている。

 須藤というのは、その生存者の名前か。

 普通なら、ここで悲しみや同情で流すのだろうか。驚きのせいなのか、三人共表情の変化も無く、紙を見つめている。

 自分は悲しみに感情が大きく動かされることがあまり無い種類の人間だと自分で思う。というか、人間全般が実は、そうなのだろう。皆、雰囲気に飲まれることは有っても、そんなに他人に深く同情できるようには出来ていない。増して、見ず知らずの人間が残した遺書をいきなり見せられた所で、感情移入を本心からできる人間は少ないだろう。

 ただ嫌な物を見たとい鬱屈した気持ちだけが残る。

「びっくりしたな。食料が残ってるんだろ。早く、集めて行こう」

 刈谷が冷蔵庫を開け食料をつめ始める。

 時折、死体が動いて壁に当たる鈍い音がする。あまり聞いていて気分のいい音ではない。

「そうだな」

 メモを四つ折にして、ポケットに滑り込ませる。冷蔵庫にはルーの貯め置きと、野菜やら、肉やらが入っていた。

 長持ちする具材ではないが、しばらくは食べられるだろう。冷蔵庫の中身をすべて詰め込むと、ちょうどスーツケースがいっぱいになった。

「行こう。あまり遅くなると、皆が心配する」

「ああ」

 最後にもう一度、厨房を見て、死体をみる。死体に手を合わせて、店を後にした。 


6

 刈谷と鈴木は、洋服屋にあった肩掛けカバンに食料を詰めて、持っている。

「そのバットでドア破壊すれば、他の店からも、食料がとれるだろ」

 そう刈谷が言ったので、その通りに彼方此方でドアを破壊しては食料を集めたのだ。不良というか悪党にでもなったような気分である。

 ようやくカラオケボックスが見えてくる。

「武器をもったゾンビに居場所がばれるのは怖い。あいつらが入ってこないように入り口の明かりは消すよう店員さんに言おう」

「あぁ」

 ガラス製のドアをカンカンと叩く。

「あ、今、開けるね」

 自動ドアが、機械音を立てて開く。

「大丈夫だった?結構、時間がかかったみたいだけど」

 壁に掛けてある時計を見ると、既に午後四時を回っている。

「格闘技グッズの店に武器取りに行ったら、案外面白いのが沢山あってはまっちゃて」

 店員は、自然な笑顔でこちらを見る。

「そうか」

 もう本当は、俺達が食料を持っていることに気付いているのかもしれない。その上で、気を使わせないようにそのことを口に出さないでいてくれているとすると、俺達は、とんでもない自己中心的な行動をしているように思えてくる。

「あの、それと、入り口の明かり、消してもらうことって出来ますか?」

「え?」

「ゾンビが武器を持ってるのを見たんです。ここに人が居るのを見られたら、ドアを破壊して、入ってくるかもしれない」

「ゾンビが武器を持っていたの?」

「はい。この金属バットを持ったゾンビに襲われました」

「じゃあ、本当なんだね。そう……解った。明かりは消しておく」

「ありがとうございます」

 三人で階段を昇って行く。

 先頭の鈴木が急に立ち止まる。玉突き事故のように、三人がぶつかった。

「いてえ!」

「なぁ。この食料、冷蔵庫が無いと保存できないぞ。素直に店員さんにだけ話して、冷蔵庫使わしてもらった方がよくないか?」

 鈴木が謝りもせずに、会話を始める。悪い奴ではないが、鈴木とは、そういう奴である。

「あ、そうか……」

 確かにそうだ。クッキーや携帯食料と違い、具材やカレーは比較的すぐに、腐ってしまう。

 階段を何段か下がり、カウンターに居る店員に声を掛ける。

「あの、少し食料を持ってきたんですが、冷蔵庫に入れておいて、皆で分けませんか?」

「え? あ、ああ」

 店員は驚いた表情を浮かべる。その驚きが、食料があることを打ち明けたことに対してなのか、食料があることを知ったことに対してのものなのかは、解らない。

「あぁ、そうか。スタッフの部屋はこの奥だよ」

 何か言われるかと思ったが、店員はあっさりと鍵を渡してくれた。やはり、最初から食料を持っていることを知っていたのだろうか。

「ありがとうございます」

 鍵を開け、部屋の中に入る。他のスタッフと目があった。会釈をして、キッチンに入る。

 奥に大き目の冷蔵庫があった。

 食料を冷蔵庫にしまう。

「じゃあ、部屋に戻ります」

「あぁ、カレー、後で調理して持って行こうか?」

 カレーは失敗が無いというが、料理が出来る人が調理してくれるのなら、ありがたい話だ。

「いいんですか?そこまでしていただいて」

「うん。スタッフでも分けていいかい?」

「あ、はい」

 食料が減るペースは速くなるだろうが、仕方ない。冷蔵庫が使えなければ、一日で食料は駄目になってしまう。

 部屋に戻ると、シンと少女がいない。

「あれ?あいつらは?」

 隣の部屋からバシャバシャと水の音がする。

「何やってんだ?」

 隣を覗くと、シンがモップで床を拭いている。竹田が吐いてしまった後の後始末をしているようだ。

「ああ、ほっといたら臭くなるからな。竹田さん達は別の部屋に移ってもらってる」

 シンは見かけによらずしっかりしている。

「そうか。手伝おう」

「いや、もう終わる。それよりも食料はちゃんと手に入ったんだろうな」

 大食いのシンには、ここ何日かの食料を節約した生活はかなり堪えたのだろう。

「あぁ。ちゃんと持ってきた。でもな、だからって沢山食って良いわけじゃねえぞ。助けがいつ来るかわかんない状況は、変わらないんだから」

「えー。マジかよ! もういいじゃん腹一杯食って、潔く死のうぜ」

 シンがその場に座り込んで、呻いた。

 夜が更けてから、皆で竹田の様子を見に行った。

 少女は竹田の部屋にいたらしい。何にしても、扱いにくい性格ではあるが、女性同士の方がまだ仲良くやれるのだろう。

「もう元気そうだな」

 竹田は普通に食料を食べている。

 シンが席を立つ。

「飲み物と携帯を持ってくるわ」

「行ってらっしゃい」

 刈谷が手を振る。

 俺は、携帯を持っていないので、特にすることもなく、テレビを見ている。災害の時、同じ情報を何回も流すニュースを不謹慎にも疎ましく思うことがあったが、自分が当事者になってみると、そこに誰かが映っているだけで、何か慰められる所がある気がした。

 刈谷は、携帯をずっといじるタイプではないが、流石にやることが無いので、携帯で動画サイトを見ている。

 しばらくすると、シンが部屋に戻って来た。

「カイ、あの画像の板の部分のアップ、掲示板に上がったぞ」

「え? 今頃?」

「いや、俺もなかなか上がらないから、デマかと思ったんだけどさ。あの鳥居の周りにゾンビが群れてたから、なかなか近づけなかったかららしいんだ」

 シンが机の上に携帯を置くと、皆が机に身を乗り出す。

「アチーよ。集まるな」

「カイ、これなんだ?」

 刈谷や他の皆は知らないらしい。

「今、これが東京のあちこちにあるらしい」

 画面に伊弉諾と刻まれた額束が映っている。

「イザナギか。まぁ、鳥居だからな。神道の何かは何だろうとは、思ってたけど。代表的な神様だからな。こっからじゃ何にもわからない」

「後、これを見ろ」

 シンが携帯の画面に触れ、指でなぞると、別の画像が画面に現れた。また額束の画像だ。

 だが、額束の板の色が青い。

「色が違うな。どういう関係なんだ?」

「わからん。今のところ最初の赤い奴とその青色のしか発見されてない」

 刈谷が携帯を手に取る。

「赤と青って言うと、信号を思い付くけどな」

「あぁ。しかも、赤が現れると青もその近くになって出てくるらしい。対になってるのものかもな」

 寝転がっていた鈴木がこちらに寝返りをうつ。

「もし、このまま助けが来なくって、食料が切れたら、最後は、そこに行ってみなきゃいけなくなるかもな」

「うむ。最後には、そこに脱出の手掛かりが有りそうな場所は、何処でも行ってみなきゃいけなくなるだろうな」

「その時は、私達も行かなきゃ駄目かな」

 金山は気乗りしないようだ。

 そりゃそうだ。誰も好き好んで、ゾンビの群れに会いに行きたくはない。

「ゾンビが沢山周りをうろついてるんだもの。人数は、沢山いた方が良いんじゃない?」

 刈谷は眠そうな顔で欠伸をして言った。

「まあ、東京の外の人達もきっと何か手を考えてくれてるさ。そのうち助けが来るよ。」

 本心からそう言った訳では無いが、不安を煽っても仕方が無いだろう。

「ん!」

 竹田が口いっぱいにクッキーを溜めて、何か言った。金山が背中をさする。

「大丈夫? 喉に詰まった?」

 竹田は、金山を手で制し、口の中の物をを飲み込もうと、必死になっている。ようやく、飲み込むと、焦って早口で話し始める。

「今、透明な壁が東京を覆ってるんでしょ? 思ったんだけど、それって、最低限、都道府県の概念を理解してないと出来ないことだよね。てことはさ、少なくともこの異変に意思のある何かが関係してるってことにならない?」

 なるほど。その通りだ。東京都の範囲を知らずに、東京を綺麗に壁で囲むような芸当は出来ない。信じ難いが、やはり、今回の異変は、呪いか魔法の類の何かだということか。

「解っちゃいたけど、やっぱり自然現象って訳じゃないのか」

 画像をもう一度見直していると、背中側のドアを叩かれた。

「カレー持って来たよ」

「え! カレー! 何で?」

 少女がはしゃいでドアを開ける。何度も言うが、カレーは、誰にとっても大好物だ。店員が約束通り、俺達が持って来たカレーを調理してきてくれたようだ。

「ありがとうございます」

「いや、いいよ。食料ありがとう。スタッフの皆もお礼を言っといてって」

 店員は、それだけ伝えると、そのまま下へ戻っていった。

 美味しそうな香りが、部屋に充満していた物々しい雰囲気を払拭する。

 皆、無言になり、夢中でカレーを食べ始める。そうして、数分も経たないうちにどの皿も綺麗に空になってしまった。

「俺、皿持って行くよ。」

 そう言って、皿とコップを重ねる。

「皿割んなよ! おっちょこちょい!」

 シンが心配そうに手伝おうとする。

「わぁってるよ! 大丈夫」

 階段を慎重に降りて、カウンターに皿を届ける。カウンターで見張りをしていた店員は、いつもの男性ではなく、背の小さな女性だった。

「本当、ありがとうこざいました」

 会釈をすると、はにかんで会釈を返してきた。

 階段を上がり、皆のいる部屋に戻る。

 激しい運動したからだろう。普段眠る時間帯ではないが、眠くなってきた。

「おい。俺、部屋に戻ってもう寝るよ」

「ちょっと待って。間中さんが大事な話があるんだって」

 竹田がそう言って、スペースを開け、こちらに座るよう促す。

 間中というのは、少女の名前だろう。今度は、皆が少女の携帯の周りに集まっている。テレビ電話を使っているようだ。

「間中っていうのか、お前」

「どうでも良いから、こっち来て! 古矢さんが話が有るって言ってるの!」

「古矢って誰だよ?」

「呼び捨てにしないでくれない? 私の霊能力者の知り合い。すごい人なんだから、失礼の無いようにしてよ!」

 こいつに礼儀を教えられるとは。

「どういう知り合いなんだ?」

「東京に居る霊能力者の集まりのリーダーをやってる人なの」

 馬鹿にしたように、刈谷が鼻を鳴らす。刈谷は霊能者のことを妙に気取ったやつが多いという理由で嫌っている。恐らく、幽霊をそもそも信じていないだろう。

「胡散臭すぎるだろ。変な宗教団体じゃねえの?」

 躍起になった間中が立ち上がって、唇を震わせる。本気で怒っているらしい。

「宗教団体みたいに、変な事してない! 色んな事相談しあってるの! 空が赤くなってから、東京の幽霊達の様子がおかしいから、いろいろ連絡取り合ってたの!」

 雲行きが怪しくなってきたので、話を無理やり進めてしまうために、言われた通り、携帯の前に正座で座る。

 携帯の画面には女性が映っている。霊能力者と聞いて、派手派手しい服装の太った中年女性を想像したが、そこには、地味な服装の痩せた小奇麗な女性がいた。

「え、と。こんにちは」

「はい、こんにちは。やっと皆そろったわね。いえ、一番この話を聞いておくべき人が来たと言うべきかしら」

 俺がどうして霊能力者の話を優先して、聞かなければ、いけないのだろう。もったいつけたような話し方は、テレビに出て来る霊能力者と同じだ。わざとやっているのだろうか。

「皆さん、幽霊は信じる?」

 信じるも何も、昨日、実際に見たのだ。

「先日、初めて見ました」

「マジ?」

 シンは疑いの目で、俺を見ている。

「黙って!」

 間中が怒鳴ってシンを制する。静かになったのを見て、また古矢が話し始める。

「わたしね。別に今まで霊感なんて無かったのよ」

 何の話を始めるつもりだろうか。

「多分の話だけどね。今、東京中に溢れてる幽霊は、異変の前に皆が幽霊と呼んでいた物と同じ物じゃないみたいなの。異変の後から現れるようになって、それと同時に、異変の前の霊能力者とは別に、そういう存在を感じ取れたり、超能力みたいな物が使える人間が現れてる。人を呪い殺したり、怖がらせたり、やってることは、良くある怪談話の幽霊と変わらないけどね」

 どういう事だ。異変の前は間中にも、この中年女性にも幽霊は見えていなかったのか。確かに、会った頃に、間中がそんな様な事を言っていたような記憶はあるが。

「どうすれば、呪いに掛からずに済むんですか?」

 金山が恥ずかしそうに顔を覗かせて、携帯に向かって呟く。

 古矢は金山を見て、宥めるように微笑む。胡散臭く感じてしまう一面もあるが、基本的には感じの良いおばさんだ。

「由美ちゃんが一緒に居るから、力の弱い霊は何とかなると思うけど、その手の幽霊に憑かれたら、終わりなの。皆、基本的に怖い雰囲気を感じるような所に近寄らないようにして。後は出来る限り、そういうものに関わらない様にとしか言いようが無いわね。呪いのメール、呪いの掛かった場所、呪いの映像、呪いの食べ物みたいに今仲間内で報告されてるだけでも、呪いの形はたくさんあるから、正直こうしておけば絶対大丈夫という対処法は無いのよ」

 この霊能者が本物かはわからないが、どうやら、ただ不安を煽る似非霊能者ではないようだ。何か本当に知っている事があるなら、出来るだけ情報を引き出したい。

「死体が動き出すのもやっぱり幽霊の仕業なんですか?」

「ごめんなさいね。ゾンビたちの事は、まだ良く解らない。あれは、また幽霊とは別の何かのような感じがするわ。折角、地震でも死なず、ゾンビにも殺されず、ここまで生き残ったんだから、お互い命は大切にしましょうね。とりあえず、皆にはそれだけ。じゃあ悪いけど、カイ君以外は、席を外して頂戴」

 先程からなぜ俺だけが特別扱いなのだろう。俺だけにする必要のある話とは一体何だ。

 言われた通り、皆、部屋に帰っていく。

「先、寝てるぞ」

「おー」

 間中だけは部屋に残っている。

「おい。携帯は、後で渡しに行くから、お前も、もう部屋に帰れ」

 間中は呼びかけに答えない。

「由美ちゃん。もう知ってるのね?」

 古矢がそう尋ねると、間中が何も言わずに頷いた。

「彼女に隠す必要は無いわ。もう解ってるみたいだから。えと、どこまで話したかしら? 幽霊の話はしたわよね?」

「はい」

「そう。その人を殺す力を持った霊はさっきも言ったように、基本的には近づかないようにしていれば、何とも無いの。でもね、例外がいて、人を探して徘徊する霊がいるのよ。私達はそれを<徘徊者>って呼んでる」

 東京中を徘徊し、見つかったら、死が確定。恐ろしい話だが、それ以上に気になる事がある。それを何故俺だけに話す必要がある。

「えと、それと俺の関係って?」

「特に無いわ。」

(は?)

「貴方と徘徊者の関係を証明する明確な証拠は、特に無いわ。でもね、何か感じるのよ」

「第六感ってことですか?」

「ええ、まあそんなところよ。でも、霊感とは、違う何かで貴方と徘徊者の間に何かを感じたの」

 何かで何かを感じられても、こちらには何も解らない。

「それが徘徊者が貴方を狙っているということなのかもしれないけど、正確には、何なのか解らないわ。でも、貴方と徘徊者には何かきっと因縁がある。俳諧者については知った所で防ぎようが無いし、他の皆に知らせなかったんだけど、貴方には教えておいたほうが良いと思ったのよ。今日は、それだけ。もう寝ていいわよ」

 それだけ言い切ると古矢はいきなり電話を切った。ポカーンしていると、携帯を少女が片付けてしまう。

 結局何がなんだって言うんだ。知っても、どうにも出来ないのは俺も同じだ。

 頭の中は混乱して、間中とは特に何も話さなかった。フラフラしながら部屋に戻る。隣の部屋は、明かりがついている。竹田達は、まだ寝ていないようだ。

 皆が寝ている間のスペースに横になる。頭の中は、混乱して落ち着かないはずなのに、すぐに体は言うことを聞かなくなり、気付くと眠りに落ちていた。


7

 体を揺すられて、目が覚める。目を開けると、竹田が横にいた。

 旅行などで、普段と違う場所で寝ると良く起こる事だが、一瞬、自分がどこにいるのか解らなくなる。

「おはよう。どうした?」

 竹田は焦っている様子は無いが、平静を失っている。

「良いから、非常口に来て!」

 竹田が手を引いて、引き上げると、体がふわりと持ち上がる。体調を崩していた姿からは想像出来ないかもしれないが、竹田は、運動も出来て、女性にしては身長も高く、力も強い。

 普段の竹田を知る人にとっては、病気で弱々しくなっている姿の方が違和感が有るのだ。

 手を引かれたまま、非常口から外に出る。

 階段の踊り場に、皆が集まっている。皆、何かを見て、騒いでいる。

 鈴木がこちらに気付く。

「おお、カイ! おはよう」

「ハイハイ。で、どうしたよ?」

 皆を掻き分け、手摺りまで寄る。

「何だよ。あれ……」

 目を疑う光景だ。

 カラオケボックスの前の公園に巨大な黄色い卵型の物体がある。

 もう余程の事が起こらないと、驚かないと思っていたが、余程の事が目の前で起こっている。いつのまにあんな巨大なものが現れたのだろうか。

 大きさは、カラオケボックスの建物よりも一回り以上大きく、周りの木々を押し倒してしまっている 。

「カイ君、下見て!」

 金山が今いる建物のちょうど右隣りを指差す。

「あ、あれって」

 下には、写真でみた鳥居とそっくり同じものがある。

「鳥居だな。例の」

 シンは携帯の画像と下の鳥居を見比べている。

「板の色は?」

 刈谷が落下しないよう手摺りをしっかりと掴み、身を乗り出し、鳥居を覗き込む。

「赤だ!」

「鳥居は知ってるけど、あの卵みたいなのは何なんだよ!」

 鈴木が部屋から武器を詰めた鞄を持って、急いで戻ってきた。

「念のため武器持って、様子を見に行こう」

 鈴木に続いて皆が階段を降り、卵の周りに集まる。良く見ると、卵は半透明で、中が若干透けて見える。

「何か入ってんのか」

 鈴木が木刀で卵を突く。陶器やガラスを叩いたような音がする。

「ねえ……この卵、人が入ってるように見えない?」

 竹田は少し離れた位置に立って卵を見ている。

「人?」

 竹田と同じくらいの距離まで、後ろに下がり、卵を見る。輪郭がかなりぼけていて、解りにくいが、確かに長い黒い髪をした人間のようにも見える。

「鳥居と一緒に出て来たって事は、鳥居と何か関係が有るのか?」

 刈谷が握り拳を作り、卵を軽く小突く。

 中から何かが出て来るのだろうか。

「皆、周り見て!」

 不意に金山が叫び声を上げる。

 振り向くと、四方八方の道から、死体が集まって来ていた。完全に包囲されている。

 間中がパニックを起こし、騒ぎだす。

「何やってんのよ! ドジ! ボサッとしてるからゾンビ集まって来ちゃったじゃん!」

 だが、それにしてはおかしい。今の短時間で、こちらに気付いた死体が集まって来たにしては、死体の数が多すぎる。

 元から、ここに向けて集まって来たというのか。

「どうなってんだよ!」

 ベルトに下げていた金属バットを構える。

「皆、武器取れ!」

 鈴木が背中の鞄を開ける。

 本人もこうなる事を予測していたとは、思えないが、鈴木の持って来た武器が役に立つ時が来ると、誰が想像しただろうか。

 皆、急いで木刀やら棒やらを鞄から取り出す。

 間中が遅れて鞄の中を見る。

「何よこれ!」

 もう他に残っていなかったのだろう。

 間中が手に持っているのは、ヌンチャクだ。

「アンタのと交換して!」

 鈴木の二本の木刀を奪おうとするが、鈴木はヒラリと身を躱す。

「アンタ二本あんじゃん!一本ちょうだいよ!」

「お前ももう一本有るぞ」

 鈴木が鞄からもう一本のヌンチャクを取り出す。

「ふざけんな!」

 間中が振り回したヌンチャクが鈴木の脛に当たる。

「イテ!」

 鈴木が足を抱えてしゃがみ込む。

「お前ら! 遊んでんじゃねえよ! 来るぞ!」

 刈谷は既に棒を構えている。一体ずつ見れば、動きの鈍い死体達ではあるが、この数だと勝負は五分だろう。

 幸い武器を持っている様子はない。

「イダアイア!」

 死体が襲い掛かって来る。相手がこの人数では、剣道など、意識していられない。野球選手のようにバットを振り回し、一度に出来るだけ多くの敵を殴る。

 恐らく一人で死体達に囲まれたら、間違いなく死んでしまうだろう。

 刈谷が背後を取られぬように棒を横にして、死体達を押し返し、そこをシンと間中が武器で殴る。殴られた死体達はその場に倒れ込んでいく。

 格闘技グッズ店で襲われた時の事を考えると、死体達は、一度、致命傷を与えれば、しばらくは動かなくなるのだろう。

 だが、この状況では、他の死体の相手をしているうちに先に倒した死体が復活してしまう。

「埒があかない!皆、一点を強行突破しよう!」

 あたふたして、動けずにいる金山を護るように皆が集まる。自然と陣形が出来上がる。

 まず、俺が金属バットで飛び込み相手が崩れたところを刈谷が棒で押し退ける。そして側面に漏れ、陣形に入って来ようとする敵を他の仲間が叩く。

 少しずつだが、外に向け陣形が進みはじめる。

「あとちょい!」

 そう言って踏ん張る刈谷の背中を間中が後ろから押す。そして、それを見た鈴木が更に後ろから二人を押すと、ようやく七人全員が、弾き出されるように死体達の包囲から抜け出した。

 後ろを見ずに、全速力で逃げ出す。

 建物の角を曲りきった所で、死体達の居る今来た道を振り返る。

「あれ?」

「何やってんだ、カイ!」

 刈谷が戻って来る。

「あいつら追い掛けて来ないぞ!」

 死体達はこちらには目もくれず、卵に向かって、歩いて行っている。

「え?」

 他の皆が戻って来る。

「奴ら、俺達が目当てじゃなかったのか」

「襲って来たのは、通るのに邪魔だったからなのか?」

 死体達が人を殺す以外の目的を持って、行動することが有るのだろうか。

 死体達は卵の周りまで来ると、円を作って並び、卵に近い列から膝をつきはじめる。死体の大群が波のように動きだした。

「祈ってる……のか?」

 シンは、携帯のカメラで動画を録っている。掲示板で情報を求めるつもりなのだろう。

 祈りか。言われてみれば、そう見えなくもない。

「おい、中身動いてねえか?」

 刈谷が卵の上の方を見て言った。

「え?」

 確かに、卵の上部にあった髪の毛と思われる黒い部分が左右に振れて動いている。一瞬、動きが激しくなったと思うと、ピタリと止まる。

 次の瞬間、卵から美しい女性の声が響きはじめる。

「歌?」

 何かの言語のようにも聞こえるが、意味は解らない。

「卵が歌ってるの?」

 間中は、シンの陰に隠れている。音楽には詳しくないので、何の歌なのか良く解らないが、原住民の音楽のような何か原始的なもののようだ。

 赤い空の下で、巨大な黄色い卵を囲み、死体達が祈りを捧げる。

 そして、高らかに響く歌声。

 それは不気味でどこか幻想的な風景だった。

「気持ち悪い。何この音楽。趣味悪」

 間中が顔をしかめて耳を塞ぐ。確かに好みは分かれそうな曲ではある。

「そうか? 俺は、何か好きだけどな」

「私も」

 金山は、うっとりとして、歌を聞いている。

「お前の霊感で何か感じないの?」

 鈴木に茶化された間中が鈴木を睨みつけ、その脛を蹴る。

「はううぅ!」

 鈴木は、情けない声を出し、また足を抱えて座り込んだ。いちいちちょっかいを出さなければ良いものを。

 刈谷は卵の中の人影の頭部を見上げている。

「でも、どうすんだよ。もう、この辺には居られないぞ。あの卵も雰囲気からして人畜無害って訳じゃなさそうだし」

 また、荷物を持って移動するのか。途方に暮れて、カラオケボックスの方を見る。

「そうだな。でも、食料は置いてく訳にはいかないだろ。一旦は荷物を取りに戻ろう」

 死体達はまだ卵に祈りを捧げている。後ろを通れば気付かれないだろう。

「急いだ方がいいな。奴らが何をしようとしてるのか知らんが、それによって俺達が得をするとは、思えん」

 シンが木刀を手に取る。どうやら自分も行くつもりらしい。

「三人はこの辺うろついてろ。死体に気をつけてな」

「わかった」

 竹田が強張った表情で頷く。

 男、四人で、運べば、一回で、全ての荷物を運べるだろう。小走りで、カラオケボックスへ向かう。

 念のため死体達の視界に入らないように道の端を歩く。だが、死体達は、こちらに気付く様子はない。

それほどまでにあの祈りのような動作は、死体達にとって大事なものだろうか。

 部屋の中の食料は良いとして、店員達の部屋に置いてある食料は置いていくしかないか。いや、そもそも店員達はこれからどうするつもりなだろうか。

 店内に入り、カウンターの奥の部屋のドアをノックする。少しして、いつもの店員が部屋から出て来た。

「あぁ! 大丈夫だった? すごかったねえ」

 戦ってるのを見ていたのだろう。

「ここは、もう安全じゃなさそうですし、僕達は、出ようと思ってます。店員さん達は、ずっとここにいるんですか?」

 店員は、諦めたような表情で苦笑いをする。

「どこに居ても、危ないのは、同じだからね。僕達は、大人しくここで助けを待つよ」

 一瞬一緒に逃げるという選択肢が頭に浮かぶが、食料の事を考えると、それは出来ない。

「そうですか……。じゃあ僕達は、荷物を取って来ます」

「ああ」

 四人で階段を上がる。鈴木が寂しそうな顔で俯いている。

「何か悲しいな」

 確かに世話になった人を置いて逃げるようで、気分が悪い。

「スタッフルームに置いてきた食料は、店員さん達へのお礼だと思おう」

 自分自身に言い聞かせるように呟いた。

「しかし、ここを出て、それからどこに行くんだ?」

 刈谷は一番後ろから、ゆっくりと階段を上っている。

「特に決まった当てはないな。でも、この辺のホテルとかが良いんじゃないか?」

「ホテルか。それこそゾンビが入り込んでそうだけどな」

 シンは、携帯を取り出し、何かしている。

「まぁ、とりあえず、この辺のホテルを調べてみるよ」

「出来るだけ大きな所が良いだろ。中で敵と遭遇する確率は低くなるからな」

「あぁ。わかった」

 皆で寝食を共にした3階の部屋が見えてくる。そんなに長くここに居た訳でもないのに、立ち去るとなると、途端に物悲しい気持ちになるから不思議である。

「ん?」

 部屋の中に何か動く影を見つけて、走り出す。あの部屋にもう人はいないはずだ。

「どうした? 急に」

「いや、あれ」

 遅れて来た鈴木が部屋の中をじっと見ている。

「あ?」

 刈谷が鈴木の脇をすり抜け部屋を覗く。

「え……」

 部屋で一組の男女が、俺達の荷物を物色している。どこかで見た顔だ。頭のどこかに二人を見た記憶が有る。

「あ! あいつら」

 ここ数日間の記憶を辿って、ようやく思い出した。何を隠そう、最初にここに来た時、間違えて入った部屋にいたカップルではないか。

「下の階にいたカップルだ! ったく、どうするかなぁ」

「いや、止めなきゃだろ」

 刈谷がドアを開けようと手を伸ばす。あまり、他人の目を気にするとか、空気を読んだりせずに、動くのも刈谷の特徴の一つである。

 手を掴み、刈谷を止める。

「いや、待ってくれ。俺がやる」

 こちらに怪我人が出れば、足手まといになることになり、相手を殺せば、ゾンビになってしまう。無駄な戦闘は避けたい。

「そうか……。じゃあ頼んだぜ」

 黙って頷き、深呼吸する。

「おい!」

 大声で叫び、ドアを勢いよく開ける。男が飛び上がり、こちらを見た。

 相手を驚かし、怯ませられれば、無駄な戦闘は避けられるかもしれない。

 だが、男は、一瞬驚いた反応を見せたものの、すぐに強気な表情で、凄み始めた。

「あんだ? てめぇ? 喧嘩売ってんのか?」

 女が加勢に入る。

「あんたら、怪我したくなかったら、逃げた方が良いよ」

 定型的な脅し文句と、キンキラキンに染めた髪、それ程大きくはない体格。大体、相手の事が解った。オシャレ不良という奴だ。

 気取って不良の真似事をし、女子にも、本物の不良にも、一般人にも嫌われるタイプの人間だ。好き好んでやってる奴らの気がしれない。

 隣に居る女子は、世間知らずで、相手がどういう人間か解っていないお嬢様といった所だろう。強がっているが、来ている制服は、所謂、お嬢様学校の物だ。

 恐らくこちらは、進学校のお坊ちゃまで、抵抗することは無いとでも、思われているのだろう。完全に舐められている今、ここで凄み返しても、余り効果はない。

 無表情のまま、相手を睨みつけながら、相手の足を踏み付ける。

 抵抗される事が予想外だったのだろう。男の表情に一瞬、恐怖が混じる。

(今だ!)

 不意をついて、思いっきり壁をを蹴り飛ばす。綺麗に腰の力が入った蹴りが決まる。

 音を立てて、壁が凹む。どうやら壁は、あまり丈夫は出来ていないようだ。

「キャー!」

 思わぬ行動に、女が悲鳴を上げる。間髪を入れずに、机など、周りの他の物にも蹴りを入れ破壊する。

男はこちらの奇行に呆気に取られている。

 その隙をついて、一気に荷物を回収する。急いでドアの外で待っていた三人に一つずつ鞄を渡す。

「ざまぁ」

 様子を見ていた鈴木が男を見て嬉しそうに笑った。

 哀れなことに、女はまだ、男が本当は強い不良だと思い込んでいるようだ。

「ヒデくん。食料持ってかれちゃうよ!」

 男は怯えきってその場を動かない。

 何事も無かったかのように荷物を持って階段を下り始める。自分で言うのも何だが、痛快である。

 最初は黙って歩いていたが、皆の間に、笑い声がもれだす。

 二階まで、来た所でシンがついに吹き出す。

「ブッフフ」

「気持ちの悪い笑い方をするな!」

 そういいながらも、刈谷も笑みが隠せない。

「いや、カイ、ナイスだわ」

「おう!」

 皆、本当に良い笑顔をしている。カラオケボックスを出て道路に出る。気分が良さそうな顔で道を歩く。

 あんな奴ら相手にするまでもないと思いつつも、あの二人の関係が、これからどうなるのか見たい気もした。

 カラオケボックスの外に出て、竹田達を探す。どこに隠れているのだろうか。姿が見えない。

「竹田、どこいんのー!」

「カーイ!」

 後ろの駐車場から、声がした。三人が壁の陰から出て来る。特に怪我をしてはいないようだ。

「無事だったか」

「遅い!」

 間中が食料を取りに行った四人を一人ずつどつく。

「いろいろ有ったんだって」

 鈴木は、まだニヤついている。いつまでその笑いを引きずるつもりなのだろうか。

「食料は大丈夫だった? 早くここ、離れようよ」

 金山が不安げに周囲を見回す。思えば、金山と竹田は異変が発生してから、これまで一度も外に出ていない。死体をテレビ以外で見るのも初めてだったので、怯えているのだろう。

「いや、一旦どこかに隠れよう。まだどこに行くかは、決まってないんだ」

 間中が袖を引き、自分達が隠れていた建物を指差す。

「あそこの建物、中に入れるよ」

 異変が起きる前から何も入っていなかったような寂れたオフィスビルが見える。建物の中に死体達は入り込んでいないようだ。

「よし、じゃあ、そこ行こう」

 そう言って、刈谷は、荷物を持ち上げようとすると、横から竹田が手を差し出した。

「あたし、運ぶよ」

 竹田は刈谷から荷物を受け取り、それを軽々と持ちあげて、駐車場に走っていく。それを見て、金山もこちらに、手を差し出して来る。

「カイ君、私も荷物、代わるよ」

 有り難い話しだが、華奢な体付きの金山に、この荷物を運ばせても、時間が掛かるだけであろう。

まして、怪我などをされては、堪らない。

「いや、大丈夫だよ。金山さんも急いで隠れて」

 片方の腕を曲げ、力瘤を叩く。事実、ここ数日間で大分体力がついて来ていたので、荷物を運ぶのも、そこまで辛くは感じなかった。

 金山がそれを見て申し訳無さそうに笑う。

「そう」

 間中は、荷物の事など気にせず、スタスタと歩いて、建物に入っていく。端から手伝う気など無いのだろう。

 全員が、建物の中に入る。

 建物内の気温は、高く、皆汗が止まらない。

 地震が発生したのは、七月八日である。壁が有っても、季節は外と変わらないようだ。

「タオル欲しいかも」

 竹田が袖で汗を拭く。

「後で探してみようか」

「でも、ホテルに行けば部屋に有るだろ」

 シンが携帯を見せてくる。

「一応、大きなホテルも、歩いて行ける範囲に、幾つか有るみたいだけど、どこも人が多かった場所だなぁ。やっぱりこっちの小さくても、町外れのホテルの方が良くないか?ここからの距離も大したことないし」

 画面にホテルの場所が表示されている。シンの言う通り、そこまで遠い場所ではない。せいぜい徒歩二十分といったところか。

「そうか……」

 確かにどんなに広かろうと、ホテルに入っていく所を死体達に見られれば、元も子も無い。死体達の多い地域に、行くのは賢明とは言えないだろう。

 刈谷が立ち上がる。

「もうそこしか無いだろ。今回は、荷物も有るから、死体達と遭遇しても、この前みたいな大立ち回りは出来ないしな」

 シンが携帯の地図サイトを開き、それを頼りに歩き始める。理由は解らないが、この状況でインターネットやGPSが使えるのは、幸運としか言いようがない。

「ねえ、カイ君」

 縦に並んで歩いていると、不意に後ろの金山が声を掛けてきた。歩きながら、後ろを振り返る。

「ん?」

「ちょっと相談していい?」

 何故か金山は、こちらに視線を合わせようとしない。

「え? どした?」

 金山は目を伏せて、しばらく沈黙し、ようやく口を開いた。

「アタシ、実は記憶が無いんだ」

「え?」

 どういう事だ。竹田との仲は、それなりに長いように見えたが。

「いや、でも、竹田の友達で同じ高校でしょ? ちゃんと覚えてるじゃん」

 金山は、首を横に振り、急にヒステリックな声を出す。

「違くて……その、違うのよ! 解らない!」

 声に驚いて、皆が金山を見る。

「裕子?」

 竹田が声を掛ける。 

 金山はそのまま地べたに座り、頭を抱え動かなくなってしまった。

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