第六話
母さんと妹と夕飯を食べたあと、リビングでコーヒーを飲む母さんと二人になった。俺はそれを見計らって、ずっと気になっていたことを聞いた。
「最近、千尋とよく話すんだ」
口に運ぼうとしたマグカップが、一瞬揺らいだのを俺は見逃さなかった。
「え? あ、ああ千尋ちゃんね。それで? どう? 元気にしてた?」
すぐに、母さんは全部知っている。と、直感した。
「おじさんとおばさん、離婚したらしいね。あいつ、すごく辛いみたいだ。母さん知ってた?」
コトリ。と、母さんがマグカップを置く。
「知ってたよ……。ごめんね、言わなくて」
「どうして言わなかったの?」
母さんはゆっくりと話し始めた。
「あのね、パパと菅山さんの旦那さん、三年前に大喧嘩したの。それで、それ以来あまり関係を持ってなかったのよ……。ほらパパ、頑固だから……」
言葉を選んで話しているような母さんに、今すぐ問い質して洗いざらい吐かせたい衝動をこらえる。
「うちに、千尋は……来てたの?」
「たまに、ね。でも、お父さんがいつも居留守したり、あんたがいるのに遊びに行ってるって言って追い返してたわ。……本当に悪いことをしたわね。それで、元気にしてた?」
「……ッ」
元気にしているわけがないだろう……。その行為で、千尋がどれだけ苦しんだことか!
「なんで俺に言わなかったんだ! 父さんがどうだって、母さんが俺に言えばよかっただろ!!」
思わず声を荒げてしまう。驚いたのか、母さんがびくりと震える。
「し、仕方なかったのよ! 菅山さん、よく怒鳴りあってたし、近所でもすごく噂されてたんだから! だからあんたを関わらせたくなかったの!」
本当にごめんね……。と、母さんは申し訳なさそうに言った。
「俺が知らないように隠してたってことか。あっちの家族の仲が悪いってのも知ってたの?」
「そりゃあ、ね。パパが大喧嘩したのも、そのことでだもの」
「そのこと?」
まさか。と、思った。
「母さんが関わってる?」
俺の質問の意図を理解したのか、母さんは目を泳がせた。どうやら、千尋の父親は本当に最低な人間らしい。
「そっか。分かった。ごめん」
俺はそう言い残して、リビングを出た。
千尋の家から俺を遠ざけたのは、親としては正しい判断だろう。子供を巻き込みたくないという、守るための手段。それを責める気にはなれなかった。
自室に戻って携帯を見るが着信はない。ベッドに横たわって天井を見つめる。千尋の話のこと、虐めのこと、明日からの学校のこと。頭の中が荒れないように整理をする。とにかく、自分を強く固く保たねばならないと思った。
千尋を守らなければいけないという、好意とは違った、使命感のようなものを俺は抱いていた。
翌朝、目が覚めて支度をする間、ずっと落ち着かなかった。決意はしたものの、はっきり言って怖かったのだ。昨日までと変わらない通学路が、まるで異質なものに感じられる。
校門から下駄箱に着くまでの間ですら、周囲に睨まれている気がした。教室のある階への階段を上り、廊下を歩いた時、雰囲気の違いを目の当たりにした。
毎朝、顔を見れば声をかけてくる友人が、今日は一人もいない。
もうはじまってるのか……。意外に冷静な自分に少し驚く。
廊下でこちらを見る女子の視線を受けながら歩いていると、石田とすれ違った。目も合わせることなく、彼女は通り過ぎて行った。
教室に入った瞬間、室内のざわめきが一瞬止まった。視線が突き刺さる。が、すぐに元のざわめきに戻った。俺は自分の席に向かい、座る。
いつもなら誰かが寄ってくるのだが、誰一人来ないどころか、目も合わそうとしない。自分の周囲だけ空間が隔絶されて、そこに何もないというような扱い。まるで、自分が透明になったかのように思えた。
ああ、千尋。お前はこの世界にいたのか……。でも、絶対、なんとかしてみせるから。
「なんかお前暗くね?」
唐突に横から声をかけられた。驚いて見ると、今教室に入ってきたのか、クラスメイトの中島がいた。
「なに驚いてんだよ。おはよう」
あくびをしながらそう言った。
「あ、ああ……。おはよう」
こいつだけは、まるでいつも通りだ。噂を知らないのか、知っていてこの態度なのかは分からないが、孤独に打ちひしがれていた俺は泣きそうになった。
中島は仲の良い友人だ。親友と言ってもいい。だが、もともとクラスでは浮いた存在だった。特別嫌われてはいないが、周囲に溶け込んでもいない。自分だけの世界を持っているような、そんな人間。ただ、馬鹿だ。脱色され尽くし、剣山のように立てられた短髪がそれを物語る。
自分の席に向かう中島を見ながら、俺は冷静にクラスを観察した。
こちらを見てひそひそと談笑する女子の一団の奥で、佐伯がにやついていた。どうやら主犯はこいつらしい。おそらく、石田か茜あたりに何か吹き込まれたんだろう。同時に、俺に対して何も思っていない人間や、嫌々やっているような連中も少数いることも把握した。
女子は敵だった。大人しく、どうでもいいと思っているような子もいたが、ほとんどが流されている者や、楽しんでいる者しかいない。その中でも、ひときわ仲の良かった女子三人組までもが敵になってしまったのは、とても残念に感じた。
授業の合間の休み時間は、中島と話して過ごした。いくら中島でも、今のクラスの状態に気付かないはずがない。それでも、いつも通りのくだらない話をしてくれるのは、とても救いになった。
同時に胸が痛む。千尋は、クラスでひとりきりだ。
そして昼休み、俺は千尋のいる教室へ向かった。
続く




