第五話
「そう……。本当は分かってたわ。そんなことくらい……。それに、今日は助けてくれた……」
ひとしきり泣いた千尋は、少しずつ落ち着きを取り戻して、ぽつぽつと喋り始めた。俺はそれを合図にして口を開いた。
「学校の事は、俺に任せてくれないか。なんとかしてみせる」
俺の言葉に、千尋は不思議そうな顔をした。
「俺には、お前の家族のことはどうするこもできない。でも、学校のことならどうにかできるはずだ」
千尋は涙のあとを拭う。
「そんな事をしたら、あなただって」
「それくらい覚悟はしてる。言ったろ。俺はテニスがあれば生きていけるんだ」
胸を張って言う俺に、千尋がくすりと笑った。その笑顔に、妙な安心感を覚える。
「そう。せいぜい頑張ってね」
ぶっきらぼうに彼女は言ったが、千尋なりの応援だと思った。
俺は立ち上がり、千尋に手を差し伸べた。
「帰ろう」
握り返した彼女の手は、とても小さくて、温かかった。
家の前で千尋を見送り、自室に入って携帯を見ると、着信が入っていた。石田からだ。
俺は今後のために、彼女を味方に付けようと考えた。少しずつでも、千尋の誤解を解いていこうと思った。
電話をかけなおすと、すぐに繋がった。
「もしもし」
電話に出た声の主は石田ではなかった。だが、聞き覚えのある声。それが石田の親友の茜であると気付くのに時間はかからなかった。
「あれ、石田は?」
答えずに、彼女は続ける。
「今日、学校で菅山と話してたでしょ。途中から全部聞いてたよ。あんた最低だね」
あの時の足音を思い出した。聞いていたのは彼女だったらしい。
「なに? テニスのほうが大事なの? 彼女可哀相だと思わないの?」
「わ、悪かったって! すぐにでも謝るから!」
放っておけば茜の愚痴はいつまでも続きそうだ。
「絶対よ。謝んなかったら許さないから」
「あ、ああ。ところで、千尋のことなんだけど」
「はぁ!? あんたまたそんな」
「違う!」
千尋の名に反射的に反応する茜を、言葉を重ねて制する。
「なんで千尋が虐められてるのか、知りたいんだ……」
「知らないの? 佐藤の彼氏とったからじゃん。最低だよ。それに……」
少し間が空く。
「……あの子、誰にでも良い顔するじゃない? あと、見た目も良いし、女子の嫉妬もあると思う」
やはり、女子には千尋の性格は見抜かれているようだ。だが、少なくとも誤解は解かなければならない。
「ひとつ聞いてくれ。千尋は佐伯と付き合ってない。佐伯が勘違いしてるだけで、すごく迷惑がってるんだ」
「それが嘘だとは思わないの? 私はそうだと思うけど?」
呆れたような口調で茜が言う。
「俺が何年あいつと一緒にいると思ってるんだ。嘘をついてるかくらい分かる」
嘘泣きの演技は見抜けなかったが、今となって思えば、あの時の千尋は涙を流していなくても、本当に泣いていたのかもしれない。
「もういいよ。かわるね……」
ためいき混じりにそう言って、茜は電話をかわった。
「もしもし。私だよー」
意外なほどに明るい調子の石田に、少し安心する。
「ああ、うん。今日はごめん。確かにテニスって言った俺は最低だった。ごめん」
とりあえず謝らなければいけないと思った。彼女を傷つけたのは事実だし、申し訳なかった。
「んーん。大丈夫だよ。テニス頑張ってるの知ってるし、応援したいとも思ってる。けど……」
「けど?」
次の言葉は、なんとなく分かった。
「けど、やっぱり千尋ちゃんとは一緒にいてほしくないよ……。悪口、言われちゃうよ?」
予想通りの言葉だった。
「それは……できない……」
心配する石田の気持ちは分かるが、俺の意思は変わらない。
「どうして? 千尋ちゃんとそんなに仲良くないでしょ? どうしてそんなに肩持つの?」
「確かに、二年の最初まではあまり関わってなかったよ。でもあいつとは幼稚園のころからの幼馴染なんだ。小さい頃からよく遊んでるし……大切だ」
無言のままの石田に、俺は構わず続ける。
「それに、あいつは良い奴だよ。信頼もしてる。そんなやつが虐められているのは、放っておけない」
「騙されてるよ!」
突然の石田の声に、俺は咄嗟に携帯から耳を離した。すぐに耳を戻す。
「騙されてるよ……あの子は誰にだって優しく振舞ってる! どうしてそんなことも分からないの!?」
腹の中に、どす黒い苛立ちが渦巻くのを感じた。
誰にでも良い顔してることなんて知ってるんだよ。
性格が悪いことなんて知ってるんだよ。
それを隠して過ごしてることも知ってるんだよ
絶対に、嘘だけはつかないことも知ってるんだよ。
誰も知らないけどな。
「だから……」
「なあ」
続けようとした石田の言葉を制する。
「なに?」
「別れよう」
「え?」
「だから、別れよう。千尋と離れるなんて無理だし、それ以上あいつのことを悪く言われるのも腹が立つんだよ」
もう、石田の声も聞きたくなかった。
「え、えっと、え?」
突然のことに、彼女はうろたえている様子だ。
「あとさ、よく知りもしないで人のことを勝手に決め付けるのは、俺はどうかと思うよ。じゃ、また学校で」
返事を待たずにそれだけ言って電話を切った。
俺は天井を仰いで、深呼吸をして冷静になる。
やっちまった……。
感情に流されるままに発言したことを後悔する。
俺の悪い癖だ。普段はそんなことはないのだが、感情が高ぶると、自分でも抑えきれなくなることがまれにあった。当初の、彼女を味方に付けるという目論見も途中から完全に忘れていた。
これで俺と千尋の評判は地に落ちたも同然だ。
俺はベッドに寝転がって、明日からどうしようかと考えていた。
続く




