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第三話

 虐めの噂を聞いて多少気になったものの、すぐに収まるだろうと思っていたが、想像以上に女子というのは執拗だった。

 噂を聞いてから一週間ほど経った今日、気になって千尋の教室を覗いた俺は唖然とした。明らかに浮いていたのだ。

 談笑する周囲から切り取られたかのように、千尋の周りだけ空気が違う。ひとりぽつんと机に座る彼女に表情はない。

 女子の一団がひそひそと千尋の方を見て何かをつぶやいていた。男子は話しかけようと思っても、女子の圧力によって話しかけられない空気が充満していた。話しけかけようものなら次は自分が標的にされる。皆がそう思っているようだった。里山も同じようで、気まずそうに千尋を見つめている。彼女は千尋とは違い、本当に内気な性格なのだ。無理もない。

 例のバスケ部の彼氏を呼んでやるか。いや、火に油か。というか呼ばなくても来い佐伯。


 俺は見るのをやめて、そのまま教室に入った。千尋の机の前に立つ。顔を上げた千尋は驚いたような表情をしたが、すぐに目をそらした。周りから何かを呟くような声が聞こえる。

「今日、一緒に帰ろう」

 千尋の肩がぴくりと震える。

「……うん」

 彼女は消え入りそうな声で、小さく頷いた。

 教室から出る時も周囲の視線が俺に刺さったが、気にせず自分の教室に向かう。

 自分の教室に戻り、机に座って次の授業の準備をしているあいだ、俺の心中は穏やかではなかった。

 もしかしてとんでもないことをやっちまったんじゃないか……。

 廊下から覗く他クラスの女子の視線を受けながら、俺はそんなこと思っていた。


 放課後、テニス部は休みだったため、俺は誰もいない教室で千尋を待っていた。静寂に包まれる薄暗い教室でひとり座っていると、扉を開ける音が響く。千尋だった。

「早いな」

「つまらないの」

 そう答えて千尋は俺の前の椅子を反対向きにして、机を挟んで座る。

「少し、話さない?」

 俺の返事を待たずに、千尋は大きく溜息をついた。俺はあえて何も言わず、次の言葉を待つ。

「本当に」

 沈黙を破ったのは千尋のそんな言葉だった。

「本当に面倒臭いわ。女って。ここまで陰湿だと思わなかった。今日だって、上履きに画鋲が入っていたのよ。漫画の読みすぎじゃないかしら」

 蓋を開けたように喋り始める。

「昨日はロッカーをめちゃくちゃにされて、その前は机に落書き。でも誰も直接は接触してこない。女って本当に嫌な生き物だわ」

 留まることなく話し始める千尋に、俺は軽く呆気にとられるも、たまっていたものがあったのだろうと思い至った。

「さっきも美術部の皆が完全に無視を決めてたし、居心地が悪いったらない。本当に、皆まとめて死んでくれないかしら」

 最後の一言は聞こえないことにした。そして、俺も彼女に聞きたいことがあるのを思い出した。

「確かにそれは気の毒だけど、お前も人の彼氏とったんだろ? だったらこうなる覚悟ぐらい」

「付き合ってなんかないわ」

 俺の質問は彼女の言葉に中断させられた。

「あの人が勝手に勘違いしてるだけよ。気味が悪いわ」

 肩をすくめて、明らかな嫌悪を顔に浮かべる。

「気を利かせて当たり障りのないように断ってあげたのに、一人で盛り上がって付き合ってるなんて言いふらして、いい迷惑よ」

「え、それ本当?」

「一度でも、私があの人と一緒にいる所を見たことがあるの?」

「ないね」

「でしょう? それに、彼女がいたことだって知らなかったわ」

 千尋の言ってることが本当であれば、彼女は勘違いで虐めを受けているということだ。ふと、思ったことを尋ねる。

「お前の断り方に問題があったんじゃないか?」

「さあね。覚えてないわ。口をきいたことすら忘れたいくらいよあんなゴミ虫」

 苦いものでも食べたかのような顔をする彼女を、俺は無言で見つめる。そして佐伯への嫌悪感が沸々と湧いてきた。俺は口を開く。

「それじゃあ、皆に話して誤解を解こう。俺も手伝うよ」

 はっとしたように千尋は俺を見る。が、すぐにいつもの冷めた目に戻る。

「別にいいわ、あと一年で高校だし。それに、あなただって評判が落ちるわよ」

「俺の評判ならもう頭打ちだ。なんとかなると思う」

 テニスでの成績。そして交友関係もそこそこな俺には自信があった。なにより最近の充実感による慢心が大きい。


 一瞬、千尋の視線が泳いだ。そしてすぐに戻る。

「ところで、最近石田さんとはどうなの? あまりうまくいっていないように見えるけど?」

 一瞬泳いだ彼女の視線の先を見ようとした所で、彼女が唐突に尋ねてきた。

「そんなことないよ。 テニスで忙しいだけ」

「へえ。最近凄いものね。この前も集会で表彰されてたし。あなたはいいわね。打ち込めるものがあって。虐められてもテニスがあれば生きていけそうだもの」

 珍しく千尋が発した褒め言葉に、俺は嬉しくなる。

「確かに。テニスさえあれば何があっても大丈夫かな!」

 自慢げに言う俺に、千尋は微笑を浮かべた。

「本当にテニスが好きなのね。それじゃあ、彼女とテニスどっちが好き?」

「テニス!」

 即答だった。深い意味は考えず、話の流れでそう答えた。まさに口を突いて出た言葉。

 直後、廊下を走る足音が響いた。俺はすぐに振り返って扉を見るが、そこにはもう影すらない。


「あら? 聞かれたかしら」

 相変わらず微笑を浮かべたままの千尋が言う。廊下への扉は俺からは死角になっていたが、俺に対面する千尋には見えていたはずだ。

「お前、気付いてたのか! やばい! どうしよう!」

 先ほどの自分の発言に、ひどく後悔する。取り乱す俺とは対照的に、千尋は落ち着いた様子で自分の鞄を持ち上げた。




「テニスがあれば生きていけるんでしょう? あれは嘘?」

 そう言って椅子から立ち上がる。

「もう帰りましょう」

「あ、ああ……」


 千尋の言葉に、俺は動揺を押し込んで立ち上がった。







続く

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