第二章 過去
ギイーンは森の奥深く、小川のせせらぎが聞こえる静かな岩に住む苔の精霊だった。小川に住む魚や蛙、蛍たちが友達だった。
ある日、ギイーンは道に迷った青年と出会った。青年の名は竜樹と言った。二人はあっという間に恋に落ちた。
しかし人間と精霊では結ばれる事は出来ない。ギイーンはある決心をした。それは自分が精霊を捨て人間になる事。愛する人と一緒に居られるのならギイーンは精霊で無くなることなど何とも思わなかった。
ギイーンの周りの仲間達は反対したがギイーンの気持ちは変わらなかった。
ギイーンは人間に成る為、銀の短剣に自分の精霊の力を全て注ぎ込んだ。
青々した若葉の色をした瞳も髪も精霊としての永遠の命も。
そして、森も捨てギイーンは竜樹の元に向かった。
しかしギイーンを待ち受けていたものは愛する人の裏切りだった。
竜樹の家では精霊を嫁に貰うなどとんでもない事だった。
竜樹は家を出、ギイーンと供に二人で暮す事にした。
二人はとても幸せな時間を過ごしていた。
しかし怒った父親は二人を引き離し竜樹を遠くの地へ監禁した。
人間は人間と一緒になるほうが良い。精霊なんかと一緒に居たら息子が不幸になる。
ギイーンは何度も父親の元を尋ねるが取り合ってもらえなかった。
人間になったギイーンは森にも戻れずただ竜樹の帰りを一人待っていた。
竜樹とギイーンの噂は小さな村にはすぐに広まった。
父親はギイーンが疎ましかった。
そこである占い師にこの事を相談したのだった。
占い師は父親にこう伝えた。
「早く息子さんに嫁を貰ってあげなさい。そうすれば精霊も諦めるでしょう。」
父親はすぐ息子に嫁を貰ってやった。
その話しを聞いたギイーンは悲しみに打ちひしがれた。それでもギイーンは竜樹を信じ待つ事を決めた。
一年後やっと竜樹に再会した時、彼は既に子供がいた。
ギイーンは悲しみと信じて待っていた自分を裏切られた気持ちがいっぱいで胸が破裂しそうだった。ギイーンの心はズタズタに切り裂かれていった。
そんなギイーンの元へ竜樹の父親がかつて相談した占い師がやって来た。
「森の精霊ギイーン、お前がここに居るべきではない。是非、我が師の元へ。ご案内しましょう。」
ギイーンは何も考えることが出来なかった。ただ悲しみとそして時間が経つに連れ現れた憎悪の気持ちで支配されていた。
善悪の判断さえすることが出来なくなっていた。
ギイーンが占い師に連れて来られた場所は魔民が住む洞窟だった。
「よく来られたな。苔の精霊ギイーン。」
ギイーンの3倍はある大きな男が現れた。名は九苦魔と言った。
魔の世界に住む魔民は精霊のギイーンにとっては正反対の存在。
人の弱いところに着け込む卑怯な奴等だった。
しかし今のギイーンにとってそんな事はどうでも良かった。
ギイーンの心は精霊の心でもなく人間の心でもなかった。
裏切られた心は復讐に支配されていた。
九苦魔は精霊の力が欲しかった。たまたま、村の噂で精霊が人間の元に嫁いだと聞きつけた。こんなうまい話はそうそうない。それで占い師が九苦魔と組んでギイーンを嵌める事にしたのだ。
九苦魔はギイーンと竜樹のささやかな幸せを奪い去ったのだ。人間に惚れた精霊ほど騙すのは簡単だった。竜樹の父親操り、二人を別れさせ、裏切る。占い師のシナリオ通りに事は運んでいった。
そして何も知らないギイーンはそのまま正気を失い彼等の思い通りに操られた。
その日からギイーンは九苦魔の力で魔民になり精霊の力を甦らせた。そして大暴れをした。
精霊の力を使えるギイーンにとって人間達が使う悪魔封じや呪文などは全く通用しなかった。
魔民達はそんなギイーンの後につき、物を盗んだり、娘をさらったりとやりたい放題に暴れた。その悪行に困り果てた村人達は竜樹の家に相談にやって来た。
竜樹は分かっていた。自分以外ギイーンを止めることなど出来ないことを。
数日後には村人が呼んだお寺の高僧がやって来た。
精霊でもない人間でもないギイーンを封印することは不可能に近かった。
しかし、ギイーンが愛する竜樹の心臓ならギイーンを封印する事が出来るかもしれない。竜樹は自分の命と引き換えることを高僧たちに話した。
そして竜樹の心臓と高僧たちによってギイーンは封印された。
竜樹の姿を見たギイーンはまるでこの時を待っていたように自ら彼等の結界の罠に嵌った。
かつて自分が住んでいた懐かしい苔の生えた岩の中に。