第一章 出会い
緑の森の奥深く小川のせせらぎが聞こえます。ギィーンは苔の精霊です。
僕が初めてギイーンに会ったのは、お母さんの実家であるおばあちゃん家の蔵の中だった。
僕のお母さんは五年前に病気で亡くなった。今はお父さんと二人で暮している。
お母さんが生きていた頃は、毎年夏休みに二人で遊びに行っていた。
お父さんは仕事でいつも一緒には来なかった。お母さんが亡くなってからは僕一人で行くようになっていた。
今年も僕一人でおばあちゃん家に行く事にした。
八月はお母さんの命日でもある。それでもお父さんは仕事を理由に墓参りにさえ来ようとしなかった。
お母さんが病気で入院してもお父さんは、たまにしか病院に来なかった。
お父さんはお母さんよりも僕よりも仕事が大事な人だった。
僕はそんなお父さんが大嫌いだ。
お母さんはいつも一人で頑張っていた。
最後の最後まで。
電車がおばあちゃん家に近づくと山々と眩しいくらいの緑が飛び込んできた。
おばあちゃん家は昔からある旧家だった。所々壊れていたり床がギシギシいうけれど、とても重厚で、どっしりと構えていて人の温もりがあるこの家が僕は好きだった。
その家の中庭には何かを祭ってある祠があった。
おばあちゃんは僕が行くと、とても嬉しそうな顔をして歓迎してくれた。僕にご馳走を作ってもてなしてくれた。
おばあちゃんは忙しそうに家中を動き回り働いていた。そして毎朝、中庭に有る祠の周りを掃除し拝んでいた。
太陽がぎらつく暑い日、もうすぐお盆でお客さんが来るから掃除を手伝って欲しいとおばあちゃんに頼まれ、僕は一人蔵の中の掃除をしていた。
蔵は中庭を挟んで反対側にある。
この蔵も家と同じに古く、壁の表面が落ちて繊維のような物が剥き出しになっていた。
昼間でも薄暗い蔵の中は、かび臭い匂いと蒸し蒸しと熱気がこもっており、僕はすぐに飽きてしまった。そんな時ふっと目をやると今まで全く気づかなかったが、地下に続く階段の脇の壁に扉のようなものが目に飛び込んできた。
近づいてよく見るとそれは確かに扉だった。
古い古いその扉は誇りを被りながら壁と同じ色になっていた。
僕は不思議と興味が湧きその扉に手を掛け押したり引いたりしてみたが固く閉ざされたままで全く動かなかった。扉には大きな鍵穴があった。そこから中を覗いて見たが真っ暗で何も見えなかった。
あの扉の向こうに何があるんだろう。すごい宝物でもしまってあるかもしれない。
中学一年の僕は妄想だけが広がり、その扉を開けたくてしょうがなくなった。
僕は急いで母屋に戻るとお昼の支度をしていたおばあちゃんに叫んだ。
「蔵の奥の階段の横に扉を見つけたんだ…。あれは何?」
僕は何気なく聞いたつもりだったが、おばあちゃんはちょっと眉間にしわを寄せ怖い顔をした。
「あの扉に触っちゃダメだ。」
「なんで?」
「あれは昔から悪霊を封印してある。祟りがあるから近づくな。」
「でも…。中には何があるの?見るだけでもいいから。」
僕はしつこくせがんだが、おばあちゃんは手を顔の前で振りながら一緒に首を横に振った。
「ダメなもんはダメだ。昔からそう言われておる。そんな事忘れて畑にいる爺さんにお昼だって呼んできておくれ。」
おばあちゃんはしわくちゃの顔に更にしわを寄せてなまりのある口調で言った。
仕方なく僕は畑に向かって走った。しかし、頭の中は気になって気になって仕方が無かった。
その日の夜、僕は夢を見た。あの扉を黒い大きな鍵で開け無数の光が飛び散るのを。そして、僕は何度も何度もあの扉の奥から呼ばれる声が聞いた。
朝になり僕はすぐ扉の前にいったが扉は固く閉ざされたままだった。
お盆に入るとおばあちゃんの家にはお客さんが毎日のようにやって来た。
その日は祠を開けて中に祭ってある物を外に出し、中を掃除したり皆で眺めたり手を合わせたりしていた。
今まで大人達のその光景を何度か目にはしていたが、中身を見るのは初めてだった。
それは、鈍い輝きを放す短剣だった。
小さい頃からこれはご先祖様だよと言われて来たからてっきり仏像みたいな物を想像していた。
「この短剣は昔、ご先祖様が使っていたの?」
僕は隣にいた伯父さんに尋ねた。
「使っていたというより取り上げた感じかな。これは精霊の短剣と云われているんだよ。何でも精霊が人間になる時、全ての力を剣に封印し始めて人間になる事が出きると云われているんだってさ。」
「そうなんだ。」
僕は目を大きく開け短剣を眺めた。
「何だ、興味あんのか?蔵の地下にたくさんその頃の事を書かれた書物がたくさんあるぞ、まあ昔の物だから難しくて読みにくいがご先祖の武勇伝が書かれているんだよ。叔父さんがまだガキの頃、曾爺ちゃんによく読んで貰ったよ。」
僕は伯父さんに蔵の中にある扉の事を聞いてみようとした。が僕はもう一つ祠から出て来た物に言葉を失った。それは鉄と木で出来た黒い鍵だった。僕は鍵に釘付けになった。信じられない。あの夢と同じだ。大きさも形も。
僕は胸の鼓動が高鳴りその場に居ても立っても居られなくなった。
胸を押さえながらとにかくはやる気持ちを押さえ夜まで待つ事にした。
僕はひたすら皆が寝静まるのを待った。大人達は酒を飲み遅くまで騒いでいたが、酔いが回り始めると深い眠りに落ちていった。
僕は小さな懐中電灯を握り締め、そおっと部屋を抜け出した。そして、祠から鍵と短剣を持ち出し、真っ暗な蔵の中に掛け込んだ。
扉の前に立ち黒い鍵を鍵穴に入れる。鍵は鍵穴に吸い込まれるようにぴったりと入ていった。ゆっくり回していくとカタンと鍵がはずれた高い音がした。
僕は分厚いその扉を押した。
永い間、開ける事を許されなかったその扉はとても重く固かった。
僕は何度も扉に体当たりをした。そして、少し隙間が開くとそこに身体をねじ込むようにして扉を押した。
扉は、鈍い音を立てながらゆっくり開いた。中からは埃とカビ臭いにおいが鼻を突いた。
僕は手で鼻と口を押さえながら懐中電灯で中を照らした。小さな部屋だった。その中央にバスケットボール位の茶色く、ぼそぼそとカスのような物が付いた石が置かれていた。石の下には文字の様な物が書かれており、周りには、しめ縄が幾重にも巻きついていた。
何だこれ?僕は何かすごい物が置いてあると期待していたが、ただの汚い石にちょっと落胆した。
石に近づき触ろうとした際、鍵と一緒に持って来てしまった短剣をうっかり落としてしまった。短剣は鈍い音を立て石にぶつかった。
僕は慌てて短剣を拾おうとした。が、短剣に近づいた瞬間に僕は石から放たれた光に目をつぶった。
その強い光に瞼の上からも光が突き刺してきた。夢と同じ光だ。心臓がバクバクと鼓動した。
恐怖と好奇心が僕の中で戦っていた。
数秒後、僕は恐る恐る目を開けた。
周りには石が砕け散り中央に光の球体が浮かんでいた。その現象に僕は全く体が動かなくなりその物体から目が離せなくなっていた。やがて球体は細長くなり人の形に変わっていく。
僕はいつのまにか、恐怖が吹っ飛び目の前に広がる不思議な現象を茫然と見つめていた。
光が弱まりだんだんと姿が現れた。
銀色の髪に緑色のギョロっとした瞳。
僕は爬虫類を連想した。しかしなぜだか、その姿が美しく見えた。
緑色の瞳だけが動き、辺りを見渡し始めた。そして僕と目は会うと少し目を細め、また光に覆われ再び姿を現した時は人間の女性の姿をしていた。
薄い茶色の髪に同じ色の瞳。
こんなに美しい人を僕は見た事が無かった。彼女はその薄茶の瞳で僕をじっと見つめて来た。
僕はその瞳にすい込まれそうになりながら何とか言葉を発した。
「君は誰?何者?」
僕の声は裏返っていた。
「私は…。ギイーン。」
彼女はゆっくりと答えた。
「ギィーン?変わった名前だね。僕は南条 光。」
「ヒカル…。」
ギイーンは小さく呟いた。
「あの、どうして石に入っていたの?」
「…。」
「おばあちゃんは悪霊とか言っていたけど。僕にはどうしても君が悪霊には見えないんだけど、最初はちょっと驚いたけど…。今はちっとも怖くないし…。」
「私は、悪霊と同じ。たくさん人に危害を加えてきた。もうこの世に出てくることは無いと思っていた。」
ギイーンは静かに答えた
「お前はここの者か?」
「僕のお母さんの実家なんだ。」
「…。」
「僕のご先祖様と関係があるの?」
僕は伯父さんから聞いたご先祖の武勇伝の話が頭をよぎった。そして精霊から取り上げたという短剣の事も。急に気になり、僕は短剣を探して辺りを見渡した。
するとギイーンは足元に落ちていた短剣を拾い上げた。
ギイーンの手の中で短剣が溶け出すように小さくなり自分の首に付けていた銀の鎖に通し首に下げた。そして、短剣の柄の部分には赤い石のような物をはめ込んだ。
「これは私のだ。」
ギイーンは僕を見ると小さくなった短剣に手をあてながら言った。
僕は黙って頷いた。
次の日、僕は朝から蔵の中に眠っていた古い書物を持ち出し古文と格闘していた。
ギイーンは黙って僕の隣に座っていた。
あの後、散らばった石を拾い集め台の上の置き何事も無かったように扉を閉め鍵を掛けた。鍵を元の祠に戻したが短剣はギイーンに返してしまった為、形のよく似た木工用小刀を包んであった布に巻き一緒に戻しておいた。
おばあちゃん達には内緒で僕は三日間、ギイーンを自分の部屋に置いて過ごした。