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鉄と革の沈殿 ~ギルド地下倉庫記録係  作者: Mr.Q
第1章 ギルド地下倉庫記録係

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第8節:限界と《スロウ》の兆候

地下倉庫の空気に、微かに鼻を突く匂いが混ざり込むことがある。

それは新鮮な薬草の青臭さではなく、長期間患部に貼り付けられ、人間の脂と汗、そして微かな膿を吸って乾燥した、古く澱んだ鎮痛草の匂いだ。


カウンターに置かれたのは、ひどく使い込まれた予備の剣帯と、防寒用の外套だった。


「三週間分、頼む。……いや、一ヶ月にしておこうか」


低い、かすれた声。カウンターの向こうに立つのは、倉庫番とそう歳の変わらない、三十代後半から四十代に差し掛かる中堅の冒険者だった。

彼の顔の造形もまた、倉庫番の記憶からは数日のうちに抜け落ちるだろう。だが、彼の肩の傾きや、カウンターに手をつく時の右肘の不自然な庇い方は、倉庫番の眼に深く刻み込まれる。

倉庫番自身もまた、かつての怪我や加齢によってVIT(耐久力や生命力)が低下気味であり、重い物を運べば腰を痛めるような身体を抱えている。だからこそ、彼がひた隠しにしようとしている身体の限界が、極端なまでに正確に読み取れてしまうのだ。


外套の裏地には、古傷を冷えから守るために分厚い毛皮が継ぎ接ぎされていた。剣帯は、腰の負担を減らすために何度も穴を開け直され、革が不自然に伸びきっている。

若手冒険者が放つ、あの青臭く暴力的なまでの希望の熱はここにはない。あるのは、どうにかして自分の肉体が崩壊するのを先延ばしにしようとする、惨めなほどの細工と諦念だけだ。


中堅と呼ばれる年齢に達した彼らは、すでに自分が世界を救う特別な《英雄》などではないことを骨の髄まで理解している。

数々の死線を潜り抜けてきたものの、歴史の書物に名を残すような伝説の主にはなれなかった。だが、かといって剣を置き、全く別の生業へと鞍替えするには、あまりにも長く血と泥の匂いに染まりすぎた。結果として、彼らはこのギルドという「国家では処理コストが高すぎる危険業務の受け皿」にぶら下がり、己の生命力を少しずつすり減らしながら日銭を稼ぐしか道が残されていないのだ。


彼の差し出した木札を受け取りながら、倉庫番の《残留感知》が外套に染み付いた波長を微かに捉える。

そこに宿っていたのは、もはや熱狂や恐怖すら通り越した、陰鬱な重さだった。

彼らの内面にまとわりつく閉塞感と絶望は、時間の流れが遅滞する《遅延魔法:スロウ》状態として観測できる。それは、ゆったり構えたい安堵感や、時間の流れを望む余裕などではない。むしろ、「動きが止まる=絶望」による閉塞感を伴う、ひどく複雑で息苦しい心象である。

敵の動きを遅くする魔法を、他でもない自分自身の人生にかけられたかのように。

彼らの主観時間は、泥沼の中を歩くように年々重く、遅滞していく。どれほどもがいても、かつてのような身軽な踏み込みは戻らない。自分の身体が脳の命令を聞かなくなり、一つの動作を終えるたびに、見えない疲労がのしかかってくる。


地上の酒場で語られる輝かしい冒険譚には、怪我や加齢による静かな没落など一切描かれない。英雄は死ぬか、莫大な財宝を手にして凱旋するかのどちらかだ。

だが、冒険の現実の大部分は、こうした「終わりの始まり」を静かに受容していく過程に他ならない。

彼らは自身のランクが停滞し、次第にギルドから回される依頼が割に合わない泥臭いものへと変わっていく事実を、ただ黙って受け入れている。いつか致命的な判断ミスを犯し、未帰還者区画へ棚番号を移される日が来ることを、彼ら自身が最も冷徹に予期しているのだ。


「……五十八番だ」


倉庫番は台帳に預かり期間を記し、新しい木札を彼に渡した。

彼は小さく頷き、右膝を庇うような不自然な足取りで、ゆっくりと石階段を上っていった。その背中は、かつて限界を悟って剣を置き、この地下倉庫の暗がりに居場所を見つけた倉庫番自身の姿と、どこか重なって見えた。


彼と倉庫番の違いは、自身の「終わりの始まり」をどこで迎えるか、ただそれだけだ。

倉庫番は地下で物を整頓し、彼は地上で剣を振るう。

社会という巨大な機構は、彼らのVIT低下を個人的な悲劇としては扱わない。ただ「処理能力の落ちた駒」として、やがて新しい若手と入れ替えていくだけだ。

倉庫番は五十八番の棚に彼の使い込まれた外套を収め、古びた剣帯を静かに置いた。


重い湿気を含んだ地下倉庫の空気が、鎮痛草の澱んだ匂いをゆっくりと包み込んでいく。彼がこの呪いのような《スロウ》状態の果てに、泥濘の中でひっそりと動きを止めるのか、それとも無事にこの荷物を引き取りに来るのか。

倉庫番は《石化》した内面の奥で、そのどちらの結末にも等しい重さの沈黙を用意しながら、次の足音が階段を降りてくるのを待っていた。

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