第三話 いにしえの契約とふたたびの罪⑩
「そういうことを言わないの」
朔夜が咎めると、少年は少し不思議そうに朔夜を見上げたのち、「げっ」とうめいた。
「失礼ね」
「あんた、あれだろ、あそこの家の神さま」
と、朔夜の家のある方向を指さす。
「神さまじゃない、あそこの家の娘よ、人間の」
「えー」
不満そうな声を漏らした少年を軽く睨んで、本題を続ける。
「人の子を弄ぶものじゃないわ」
「ちょっと遊んでただけだよ」
少年は面白くなさそうに視線を逸らし、地面から紙切れを拾い上げた。土汚れを払って折り畳み、着物の懐に仕舞う。
「なあに、それ」
「最近、帝都で流行っているの。興味があったから、そそのかしてみただけ」
「それで変なあやかしを喚び出すなんて……」
「害はないやつだし、ぼくが見てるんだから、いいじゃん」
妖力の気配などから、朔夜は少年を野良の座敷童子のたぐいだと見当をつけた。帰る家を失ったかつての神さまだろう。この混沌とした帝都に流れ着き棲みつくあやかしとして、珍しいものではない。
「……何かあったら、ちゃんと守ってあげるのよ」
「そう言ってる」
少年はややおざなりに応えると、話は終わったとばかりにそそくさと走り去った。その背中は唐突に道半ばでかき消える。それを見送ってから、朔夜も自分の家のほうを振り仰いだ。
「私も、帰らないと」
朔夜だって、子ども相手にお説教している場合ではないのである。
逃げていたって、百瀬の気持ちはわからないし、朔夜の想いだって伝わらない。
「占ってわかるものだったらいいのに」
「僕は、朔夜がいてくれるだけでいいんだって、それだけだよ」
突然声をかけられても、朔夜は驚かなかった。まだ顔を見られなくて、地面に目を伏せながら振り返る。
「……それだけでどうして百瀬が幸せなの? ほんとうにそれでいいのか、私にはどうしてもわからない」
ゆっくりと瞼を上げると、百瀬は夕暮れの薄闇の中でもまっすぐに朔夜の視線を捉えて見つめ返してきた。
「わかるわけない、朔夜は僕じゃないんだから。でも、いいでしょう、それで」
「……そうかしら」
納得がいかずにまたうつむく朔夜の前に、百瀬がほっそりとした手を差し伸べてきた。
「帰ろう、朔夜」
百瀬とのあいだに夜の風が滑り込み、ひと肌の恋しさで心がさざめく。百瀬はゆっくり近づいてきて、朔夜に逃げる隙を与えながら、そっと朔夜の指を絡め取った。
「なにもかもわかるわけじゃない、僕たちはひとつではないから」
朔夜の頬にそっと反対の手をすべらせ、優しく撫でて顔をあげさせた百瀬は、歌うようにささやいて微笑する。
「だから必要だったんだよ、『契約』が」
朔夜は、はっと目をみはって百瀬を見上げた。朔夜の驚きを平然と受け止めて、百瀬が笑みを深める。
薄闇にも褪せぬ紅い瞳が弧を描く。麗しいかんばせにかたち作られたそれは魂を惹きつけるほどに妖しく、そのぶんだけいっそう美しい。その笑みを向けられた朔夜は、あえて問わずとも答えを知ってしまった。
百瀬は知っていたのだ。
あの幼い日、自分たちが交わした契約の正体を――初めから。




