表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/28

第三話 いにしえの契約とふたたびの罪⑧

「『百瀬』」


 百瀬の睫毛が小さく震えた。紅い瞳がぎこちなく動き、やがて朔夜をとらえる。

 朔夜の霊力は朔夜の身に馴染みすぎて、あえて言葉で御するには向いていない。普段は感覚で操っている。

 その頼りない朔夜の言霊が、この世で唯一、何より強力に効く相手。


「『やめて、百瀬』」


 その瞬間、荒れ狂っていた霊力は、水をかけられたろうそくの炎のように落ち着いた。百瀬の紅い瞳は朔夜をじっと見つめていたが、朔夜を見ているのではない。今、彼の目に映っているのは彼を従える主で、彼は静かに、主が次に何を言うかを――命令を待っている。


「…………」


 百瀬に言葉をかけようとしたけれど、できなかった。

 主である朔夜に、百瀬は絶対服従だ。そこに彼の意思はない。強すぎる霊力を御するほどの彼の強靭な意思も、朔夜の言霊がねじ伏せる。

 今の百瀬に何かを言えば、彼を縛る呪いになってしまう。


「……百瀬」


 迷ったすえに、祈りに代えて名を呼んだ。言葉にすればすべてが命令になりかねない関係のなかで、朔夜が口にできるものはそれだけだった。

 名は、原初の祈りでもある。


 そのひとに、そのひとであってほしいという祝福。


「百瀬」


 水の流れゆく先があまたあるように、あらゆる可能性がある。そのどれかを選んで生きてゆく。

 選ぶのは百瀬だ。

 何者であるかも、どこで生きるかも、何もかもすべて、決めるのはほかの誰でもなく、百瀬であるべきだ。


「百瀬」


 みたび彼を呼んだとき、ふっと百瀬の目が瞬いた。苛烈な真紅の色が薄れ、静かな漆黒が戻ってくる。


「……朔夜……」


 掠れがちの声で、ひそかなため息のようにそっと朔夜の名を口にした百瀬へ、朔夜は黙って微笑み返した。

 それを見た百瀬は安堵を滲ませて静かに笑う。

 その静謐さにどことなく不安をおぼえるけれど、百瀬と言葉をかわすひまもなく、無粋で不快な口出しが割りいってきた。


「許嫁などと言うからどうしたものかと思ったが、結局首に縄をかけて握っているんじゃないか」

「だからあなたは()()を見誤るのよ」


 朔夜の声音は静かだった。静かすぎて、あらゆるものを停滞させる。

 空気を凍らせ、生きものの息吹のすべて、この世を巡る気の流れすら止めてしまうほどの冷気。それがじわりと周囲を侵し、新が眉を寄せたところで、朔夜は力を収めた。

 危機が去ったとわかるやいなや、新が姿勢を緩め、腕を組んで朔夜を睨む。


「それだけの力、人のために役立てるべきだとは思わないのか。帝都が危機にさらされていると言ってもなお、君は知らぬふりをするつもりか?」

「あなたのような人が、人々を救う英雄になるのでしょうけれど」


 朔夜は無感動に返し、それから胸にゆるく握ったこぶしを当てた。


「私は、私と私の大切なひとのためにこのいのちを使うわ」


 新を一瞥したのち、視線を百瀬へと移す。


 このひとのために。


 それが朔夜にできるたったひとつだ。

 百瀬は凪いだ瞳で朔夜の視線を受け止めていて、何を思っているかわからなかった。自分たちのあいだにはそういうことも少なくはないと、朔夜はほろ苦い気持ちをなだめる。


「もう話すことはないでしょう。では、ごきげんよう」

「お前の思い通りにいくかな」


 朔夜がきっぱり話を終わらせたら、新は挨拶を返さないどころか、捨て台詞をつぶやいた。無視して踵を返し、朔夜は百瀬を連れてその場を離れた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ