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第二話 許嫁の秘密と帝都の異能者たち⑥

 教室に邪気が残っていないのを確かめてから、扉に貼っていた札を取る。

 札を破ると不自然なほどの静寂が解け、校庭や、部活動で残っていた生徒たちのざわめきが届くようになった。

 少女たちの楽しそうな笑い声を聞いて、朔夜はほっと息をついた。手の中で札をくしゃくしゃに丸め、爪の先ほどまで小さくしてから、胸ポケットに仕舞う。


「あら、神名さん、まだ残っていたの」


 教室の前の扉がひらき、中を覗いた女の教師が、後ろ扉の近くにいた朔夜を目にとめた。朔夜はばつが悪いふうを装って微笑をうかべた。


「授業のおさらいを少し」

「感心ね。でも、もう下校時刻ですよ」

「はい」


 朔夜が机から鞄を取り、前の扉へ向かうと、先生は道をあけて「気をつけて帰るのですよ」と声をかけてくれた。それにうなずいて頭を下げつつ、もう一度教室を見まわす。


(……何もない。大丈夫よね)


 この教室に、先生を残していくのが少し気がかりだった。


「どうしたの?」

「いいえ。忘れものをした気がして……。先生もお気をつけて」

「ありがとう。また月曜に」


 ごきげんよう、と挨拶を交わして、朔夜はその場をあとにした。ゆっくりと廊下を歩くあいだ、耳をそばだて、教室に異変がないか気にかけながら昇降口まで降りる。手早く室内用の靴と通学用の靴を取り換え、校庭に出て、もう一度教室の窓を見上げた。


(……何もないみたい、ね)


 そうして教室のほうに気を取られたまま歩いていた朔夜の腕を、急に掴むものがあった。ちょうど校門を出たところで、驚きに飛び上がってよろめく。


「きゃ⁉」


 ぐっと腰に腕が回され、引き寄せるように支えられて、朔夜はようやく相手の顔を見た。


「百瀬……」


 朔夜のセーラー服を捕まえていたのは、百瀬の長い指だった。骨ばったかたちと肌の白さが、セーラーの縹色の生地に映えている。


「ぼうっとして、どうしたの? 大丈夫?」

「ただいま。少し、考えごとをしていただけ」


 百瀬には朝のうちに、先生に呼ばれて少し遅くなると嘘を告げていた。朝にはそれを疑うそぶりは見せなかったのに、体を離した百瀬は眉を寄せて、朔夜の全身にすばやく視線を走らせた。


「何をしていたの?」


 いつになく厳しい表情で、百瀬が問う。朔夜は顔を顰めたい気分をこらえ、首をかしげてしらばっくれた。


「何のこと?」

「先生に呼ばれた用事って、何だったの」

「どうしてそんなこと気にしているの」


 おかしな百瀬、と笑ってみせるも、百瀬はつられてくれない。

 弁解を諦める代わりに、市電の駅に向かって歩き出すと、百瀬は朔夜の肩が触れそうなほど、ぴたりと隣に詰めてきた。


「力を使ったでしょう、朔夜。学校で」


 押し殺した低い声で、百瀬が言う。前を向いていた朔夜は、視線だけをちらりと百瀬へ向けたが、彼の深い黒の瞳とかちあって、思わず目を伏せてしまった。


「朔夜のことは、僕にはわかるんだよ。朔夜だってわかっているはず」


 百瀬の手が朔夜の胸元に伸びる。身を引きそうになった朔夜に対し、彼は反対の手で朔夜の腕を掴んで押しとどめ、セーラー服の胸ポケットから丸まった紙を引き出した。


「こんなもので、いったい何をしたの」

「ちょっと変なモノがいたのよ、学校内に。よくあるでしょう」

「ひとりでどうにかしようとするなんて」

「百瀬を連れ込むわけにはいかないじゃない」


 朔夜はひとつ息を吸い、意識して突き放すように言った。


「このくらい、私ひとりで解決できる 」


 百瀬が言葉に詰まったのがわかった。

 彼を傷つけたくはない。でも、頼ってばかりではいたくない。

 百瀬の動揺を気に留めないと見せつけるように、朔夜は歩く速さを保って、前だけを向いていた。一瞬だけ足を止めかけた百瀬は、すぐに追いかけてきて、元通り隣に並ぶ。


「……朔夜がそう言うのなら、従うよ」


 静かな声音からは、感情を読み取れない。


「…………」


 言い返したい言葉を、ぐっとこらえて飲み込む。

 今このとき、そんなふうに言ってほしくないと朔夜が言うのは、あまりに理不尽だ。


「鞄、僕が持つよ」


 百瀬が、思い出したように朔夜の鞄に手をかけた。百瀬の指が手の甲を掠めたことに気を取られ、鞄を手放しかけたが、はっとして彼の手を躱す。


「今日は、いい」

「何か隠してる?」

「そんなんじゃないわ。女の子にはいろいろあるの」


 口ぐせに近い言い訳だったが、百瀬にいつも言って聞かせていたことが功を奏したようで、彼はそれ以上手を伸ばしてこなかった。


(あの針、百瀬ならわかってしまう……)


 鞄をさりげなく持ち替え、百瀬から遠ざける。百瀬がちらとその仕草に目を留めたことに気づいたものの、朔夜は道の先を見つめてそしらぬふりをした。

 それから黙ったまま並んで歩き、電車に乗って、また入り組んだ道を歩いていた途中、百瀬がふと背後を振り返って告げた。


「『お帰り。ここは君のいる場所じゃない』」


 静かなひと言、だというのにこの場のすべてを支配する。

 朔夜が足を止めて振り向いたときには、そこに何かがいた形跡さえ見られなかった。だが百瀬が気づくとほぼ同時に気配は感じ取っていたから、何かが消えたのもわかっている。


「……帰る場所のない子だったのね」

「だからそれを求めていたんだよ。拠りどころ、主となる誰か……」

「あるいは、取って代われる誰か」


 人間を喰らい、成り代わろうとするあやかしは昔からいる。その理由のひとつが帰る場所を求めてのことと思えば、胸が痛む。

 居場所がほしい気持ちは、痛いほどわかる。


「朔夜。彼らのありようも、感情も、朔夜のものじゃない」

「……わかってる」

「僕を非情だと思う?」


 百瀬は、その気になれば軽い天候さえも思うままにできるほど強い言霊を使う。霊力を言葉で制御することに長けた術者であり、生まれ持った霊力も人並み外れている。

 その力で、有無を言わさずあやかしを消してしまった。


「いいえ。百瀬は、気分は悪くない?」

「この程度では、どうともならないよ」


 強すぎる力は身を亡ぼす。そうと知っている朔夜は、百瀬を案じずにはいられない。軽く笑って首を振った百瀬は、ゆるやかなそぶりで朔夜に手を差し伸べた。


「行こう、朔夜」


 朔夜を誘う百瀬の声音は、まだ言霊の余韻を引きずって霊力を帯びている。いつもよりも深く、魂をじんと震わすような音色をもつその言葉は、しかしながら朔夜には効かない。

 だから彼の手を取ったのは、間違いなく朔夜の意思だった。

 百瀬はその手をちらりと見下ろし、ほっとしたように小さく息をついた。



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