35. 堀に水を入れます
あの後、二つ目の塔の水を入れ替え終えた私は、三つ目の塔を登り切った。
「――これで最後ですね!」
「ああ。頼ってばかりで申し訳ない」
「私の意思ですから、イアン様は気にしないでください!」
彼が私のことを気にかけていることは嬉しい。でも、あまり心配されると申し訳ない気持ちになってしまう。
私の全力を見せたら安心して指示を出してくれると思うけれど、そういう機会は来そうになかった。
「今回も一瞬だったな……。次は堀に水を入れに行こう」
「分かりました」
そんな言葉を交わし、私達は馬車寄せへと向かう。
堀は昨日のうちに完成していて、今は王都を守る城壁のさらに外側にも防衛のための堀を作っているという。
しばらく馬車に揺られると、少しだけ周囲が暗くなる。城壁にある門をくぐったらしい。
外に視線を向けると、先週は無かったはずの橋を渡っているところで、その先には想像していたよりも深く広い堀があった。
「これが堀ですか……?」
「ああ。正直これだけでも魔物の足止めにはなると思う」
魔物から守るために堀を作る理由は一つだけ。
真っ直ぐ王都に入れないようにして、四つある入口のどれかから攻めにくるようにしている。
王都に近付けないことが理想だけれど、押されたときは入口のところで袋叩きにするという作戦だ。
空飛ぶ魔物が相手だと難しいけれど、大抵は地面の上しか移動できない魔物が現れるから、その対策が優先されているのだ。
「簡単には登れなさそうですものね。これを一週間で作るなんて、すごいです」
「土魔法の使い手を国中から集めたんだ。水が染み込まないように工夫しているから一週間かかったが、それが無ければ一日で終わるらしい」
「一日……すごいですね」
「アイリスも大概だよ」
そんな言葉を交わしながら、慎重に堀に水を入れていく。
一度に作っても良いのだけど、見えない場所に大量の水を作り出すのは危険だから、水かさを見ながら魔法を使い続ける。
うっかり大波を作って城壁を壊したら目も当てられないもの。
時間をかけてでも、慎重に作りたい。
「ただの水と違って、堀は形を作ってますから」
「三百人と一人では比べ物にならないが……」
イアン様がそう漏らした時、ようやく堀の半分ほどを満たすことが出来た。
「でも、私よりも魔力がある方はたくさん居ますよね?」
「おそらく、アイリスが王国で一番魔力を持っている」
「冗談……ですよね?」
私なんかが王国一だなんて、何かの間違いだと思う。
貴族は爵位で地位が決まっているけれど、魔力量の多さでも権威が変わってくるのよね……。
功績も権力も名声もない令嬢が王国一だなんて、嫉妬で何かされてもおかしくないから、こんな名誉はさっさと返上したい。
「本気で言っている」
「イアン様が一番ということになりませんか?」
「無理だと思う」
彼が一番なら色々と都合が良いのに、即答されてしまった。
今までずっと使用人以下の生活をしていた私が権威を持ったところで、何にもならないのに。
「ど、そうすれば良いのですか?」
「魔力量の多さは実力に直結するから、自慢して牽制に使うのはどうだ? 仮に俺よりアイリスの方が権威を持ったとしても、結婚すれば同じことだから遠慮は不要だ」
「私には難しいです……!」
そう声を上げ、水魔法を止める。
これ以上は雨が降った時に溢れてしまうから、まだ完全には満たせていないけれど丁度いいはずだ。
「権威を振るうことは無くても、持っていた方が良い。それだけで厄介事に巻き込まれることが減るんだ」
「よく分からないのですけど、お守りのようなものでしょうか?」
「ああ。とはいえ、このまま一番を明け渡すのは悔しいから、鍛錬してアイリスを超すよ」
悔しいと言いながら、イアン様の表情はすごく明るい。
私も一番になるのは遠慮したいから、彼に早く抜いてもらいたかった。
「魔力って増やせるのですね」
「そう簡単には増えないから、効率よく使えるように練習する」
私の言葉に、イアン様は首を振る。
簡単には増えないということは、増やせるという意味でもある。
一体どうすれば増えるのか気になるけれど、彼に突然抱き寄せられ、言葉が出なくなってしまった。
「……イアン様!?」
直後、大きな弧を描いて飛んでくる矢が見えた。
それをイアン様は素手で掴み取る。
「いきなりで済まなかった。
強い魔物が現れたらしい。王都に戻ろう」
「どういうことですか?」
矢が一瞬だけ見えたから、また暗殺されそうになったのかと思ったけれど、どうやら違うらしい。
その証拠に、彼が握っている矢の鏃は丸くなっていて、本当に私達に危険を知らせるものだと理解した。




