16. デビュタントです
「手、触れても良いだろうか?」
馬車の扉が閉められると、イアン殿下にそんな問いかけをされた。
断る理由は無いから頷くと、恐る恐るといった様子で手が重ねられる。
手が触れた瞬間、身体がさらに熱くなった気がするけれど、イアン殿下を見ると首元に朱がさしているから、彼も熱を感じているに違いない。
彼も私と同じで、異性の手に触れるのは初めてなのだろう。
整った容姿の彼がご令嬢方から人気が無いとは考えにくいけれど……。
そんなことを考えていると、窓から見える景色が王宮の庭園に変わっていた。
「イアン殿下、パーティーには手を繋いで参加するのですか?」
「嫌だったか?」
「恥ずかしいだけですわ」
「俺も恥ずかしいが、すぐに慣れると思う。それと、婚約者同士の関係になるのだから、殿下と呼ぶのはやめてもらえると助かる」
婚約のお話はとんとん拍子に進んだから、こういうお話はあまり出来ていない。
彼の言う通り、殿下と呼ぶのは婚約者同士の仲では相応しくないと思うから、今から改めることにした。
「イアン様とお呼びすれば宜しいでしょうか?」
「ああ。そのうち呼び捨てにしてもらいたいが、今はそれで良い」
「呼び捨てですか……!?」
王族を呼び捨てにするなんて畏れ多くて私に出来る気がしない。
でも、王妃様は陛下のことを名前だけで呼んでいたから、イアン殿下はそういう関係を望んでいるのだろう。
国王夫妻が今でも仲睦まじく、多くの貴族から羨まれていることは周知の事実だ。
私もあんな風になれたら……。
ふと、そんなことを考えてしまったけれど、私とイアン様はまだ婚約したばかり。
私には早すぎる気がした。
「結婚する人とは対等でありたいんだ」
「そうだったのですね。素敵なお考えだと思います」
「公的な場では弁える必要はあるが、今からでもアイリスとは対等でありたい」
「……善処しますわ」
そう口にすると馬車が止まり、イアン様が先に降りる。
私も降りようとすると彼は手を差し出してくれて、ほとんど彼に支えられるようにして地面に足をつけた。
「体調は大丈夫かな?」
「はい、大丈夫です」
「では会場に行こう」
笑顔で言葉を交わし、私達は玄関へと足を向ける。
馬車を降りた時から手は繋いだままだけれど、今は誰の視線も向けられていないから、恥ずかしさはあまり感じない。
けれども、会場に足を踏み入れた瞬間、いくつもの視線が私に向けられた。
今日のパーティーは王国中の貴族が参加する大きなものだから覚悟はしていたけれど、視線に射抜かれて身体中が穴だらけになりそうだ。
「……こんなに注目されるのですね。緊張してきました」
「耐えられそうか?」
「頑張ります……」
こんなに注目されるのは初めてのことだから、耐えきれる自信は無い。
でも、デビュタントを成功させないとイアン様にも迷惑をかけることになるから、気付かれないように深呼吸をする。
さっきまで楽しみだったのに、こうして注目されると不安ばかり襲ってくる。
イアン様は平然としているから、心臓に毛でも生えているのかもしれない。
「イアン様はどうして大丈夫なのですか?」
「王族は常に注目されるから、慣れたんだ。アイリスもすぐに慣れるよ。
何かあっても俺が必ず守るから、安心して楽しんで欲しい」
「そうだったのですね……」
言葉を交わしていると、参加者の中に見知った顔――ジュリアを見つけてしまった。近くには元義両親の姿もあり、楽しそうに談笑している。
ジュリアとは目が合ったけれど、何も気付かれなかったようですぐに視線がイアン様へと移動する。
その時だった。
「ジュリア・ザーベッシュ、まだ俺のことを狙っているのか……」
イアン様が呆れ混じりの険しい口調で呟いた。
どうやら、ジュリアは私のことなんか気にせず、イアン様ばかり注目しているらしい。
彼女は王族と婚姻を結び贅沢な暮らしをすることを夢見ていた。その気持ちは今も変わらないらしい。
イアン様が嫌そうにしているところを見れば、その夢は叶わないと分かるのに……。
「ジュリアはまだ諦めていないのですね……」
「彼女のしつこさには感心してしまうよ。嫌いだと告げても、恋文が送られてきているらしい」
嫌われていると分かっていても関係を持とうとするなんて、どうかしているとしか思えない。
イアン様は王家で、今の私は公爵家。伯爵家に権力で負けることは考えにくいけれど、ジュリア達の動きには気を付けた方が良さそうだ。
「そんなに酷いのですね……」
「ああ」
少し疲れたように見えるイアン様。
そんな時、ダンスの時に聞いた音楽が流れ出す。
すると彼は眩しい笑みを浮かべ、こんな言葉を囁いた。
「アイリス。最初の一曲、僕と踊りませんか?」
「はい、喜んで」




