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The Alter Story  作者: 水落護
第七章『固められた決意』

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第五十六話『瞬刻の果断』

 投げ込まれた物体は、やはりあの金属の塊だった。


 それは、先ほどブランクの頭に押し寄せた光景とまるで同じで。ブランクは、全身の総毛立つのを感じながら、それを拾い上げ、窓へ向かって投げ返そうとした。


「あ」


 しかし──それでも手遅れだった。次の瞬間、それは音を立てて炸裂し、室内を翡翠色の液体で汚染した。それらが皮膚に飛び散ると、


「うぐっ、あぁあああッ!!」


 炎で炙られているような痛みが、たちまち押し寄せてきて。ブランクは、その自分の腕に触れた飛沫が一瞬で水膨れを作っている事実に、怖気(おぞけ)が走った。まるで、自分の腕じゃないようなものを見ているというのに、痛みはそこからきているのだ。


 ありえない。何が起きているのか。そう思いかけて、ブランクはハッとした。


「エレノア……!」


 腫れてえがんだ目蓋の隙間から、ブランクは亜麻色の髪した少女を探す。


「うっ……!」


 少女はすぐに見つかった。動けない黒い髪の少女を庇った背中には、とめどなく翡翠色の液体が染み込んでいた。


「エレノアッ!!」


 見上げた先、クロエには傷一つ見当たらない。対してエレノアは──、


「なんだ、これ……?」


 エレノアの皮膚は、赤い染みが広がっていた。それは液体に触れた部分が爛れたからではなく、白磁の肌を侵食するように広がっていく。手で押さえても、すっとすり抜けていく。それに伴い、エレノアの呼吸はどんどん荒くなる。


「エレノア、エレノア!!」


 気を失った少女の肩を揺さぶり、ブランクは声をかけ続けた。


 しかし、少女の双眸は固く閉ざされたままで、ブランクの手に触れた毒が、その手のひらまで膨らませると、彼女を抱くことすらままならなくなってしまった。床に力なく転がった少女を抱き上げることすらできない無力感。ブランクは手のひらがブヨブヨとしてしまい、もはや使い物にならないのを理解して、腹の底が寒くなるのを感じた。


「くっ、あっ……誰かッ、誰かいないのかッ!!」


 その必死な叫びに応える者は、誰もいない。……否、一人だけいた。


「あらあら。これは、大変そうですね」

「…………サラッ……!」


 こうなっては、背に腹など変えられない。この状況で不審に笑い続ける女に、ブランクは望みを託すしかなかった。


「頼む、手を貸してくれ……!」


 藁にも縋る思いで、その喜色の仮面を貼り付けた筆頭メイドに頼むのだが、サラは言う。


「あら、どうしてわたくしがそのようなことを? これはね、あなた達の自身が生み出した業と、その罰なの」

「なんだと……?」


 ブランクは、正気でいられそうになかった。辛うじて理性を保てたのは、皮肉にも、その身に余る痛みのおかげだった。クスクスと笑う女は、愉悦に口角を吊り上げ、言った。


「わたくし、忠告しましたよね? あの侯爵家の嫡男が報復しにくると。まあ渡した毒を、少し鬼人族(ラルヴァ)に効くように強めにはしましたけど。ただ、それだけで、こうも無様に苦しんでくれるとは。ふふふ……あなたが彼に逆らってくれて本当に良かった。利用しやすい火種が舞い込んできてくれて。まさに渡りに、船」


 ブランクは、目眩を覚えた。ネロといい、エレノアの周りは狂った人間ばかりだ。


「何が理由で、こんなことを……彼女が一体何をしたというんだ!!」


 喉の擦り切れんばかりに訴えた、ブランクの烈しい怒りは──、


「うっ……!」


 果たして、サラの視線に阻まれた。

 サラの視線は、無機物を見ているような冷たさだった。冷や水を浴びせるようなその視線に気圧されて、ブランクは言葉を詰まらせることしかできなかった。


 そんなブランクを歯牙にもかけず、サラは言う。


「この愚か者さえいなければ……旦那様は死ななかったのよ。わたくしは、たとえあの方と結ばれなくとも、ただ健やかに生きてくださっているだけで幸せだった。それを……それをあの愚か者が、全て壊したのよッ!」


 旦那様。エレノアの亡き父親のことだろうか。ブランクは震えた。それが事実だとしても、エレノアに一体全体、何の非があると言うのか。


「そんなの……ほとんど私怨じゃないか!!」


 なんと自分勝手な理由なのか。父の死を、娘であるエレノアが悼んでいないはずなどなく。むしろ、身を粉にして父の後釜を努めんとしている少女の足を、あろうことか、侍女である彼女が引っ張っている。あり得ないことだ。


「待てよ……」


 もしかして、とブランクはハッとした。


「彼女の毒殺を企んだのは、まさか──」


 ブランクが全てを言い終えるより早く。サラはつかつかと歩き出し、翡翠色の液体を爪先で舐め、その靴底を──、


「ガッ、あッ!!」


 ブランクの口内へ向けて、蹴り込んだ。


(なんッ──(あつ)ッ……!?)


 ブランクの口内に、燃え広がるような熱が広がった。舌が縮み上がるような感覚と、噴き出す汗と。そんな異常事態だと言うのに、脳床には冬が訪れたような冷たさが広がっていく。悶絶すら生ぬるいような苦痛がのたうっているというのに、肺へ入り込んだ異物のせいか、叫び声を上げることすらままならない。毒のせいだと瞬時に理解した。


「人聞きの悪い。誰かに聞かれたらどうするのです」

「ゃ……おま……」


 擦り切れた声でブランクが手を伸ばすと、サラはその手を踏み潰した。ブランクは、もう叫び声を上げることすらできなかった。


 段々と苦痛が遠のいていく。視界に深淵が忍び寄ってくる。口の中の熱は、生命(いのち)の全てを蹂躙し尽くし、最後には痛みすら奪っていった。

 その上から──サラの、ささやくような声が降ってきた。


「ええ、そうよ。あなたも……彼女に肩入れしなければ、長生きできたのに。ああ、とてもおかわいそうな愚か者ですね、ふふっ」


 嬉々とした声で、それが遠ざかっていく。


「誰か、誰かッ、襲撃です、御当主様がお倒れになってます! 手を貸して!」


 どの口が、と。冷えゆく意識の中。ブランクの怒りだけが燃え盛っていく。


(絶対に許さない……絶対に……!! ぜったい……)


 そうして掠れる意識と世界の境界が曖昧になった時──。


「──…………あ?」


 ブランクはよろけてこけそうになったところを、誰かに支えられた。それは、先ほど別れたはずのグエンだった。

 脳裏に響いた何かの砕けるような音。久々の感覚に、トレーを持つ手が震えていた。


「おいおい。確かに盗み食いかって聞こうとしたが、そんなビビらなくてもいいじゃねえか。こんなにブルってたんじゃ、まるでオレが悪者わるもんみてえじゃねえか」


 グエンがそうやって語りかけてくるのだが、ブランクはもはや気が気ではない。先ほどまで、命の輪郭を緩やかに侵されていたのだから。


(この能力……久々に発動した。死ぬことが条件? いや、そんなことよりも──)


 汗で窒息しそうになりながらも、目の前でたじろぐグエンと視線を合わせると、ブランクは、温かな食事の乗ったトレーを押しつけた。


「ちょっ、おまえ──」

「ごめんなさいグエンさん、ちょっと持っててほしい!」


 待てよという制止の声を振り切って。ブランクは走り出した。


 今は一分一秒が惜しく、グエンに信じてもらえるかも分からない話の説明をしている暇もない。立ちくらみと記憶の整理に手間取ったせいで、残されているはずの猶予も一刻とない。


(間に合え、間に合え、間に合え……!!)


 ハオディを唱え、記憶をなぞらえるように人を避けて部屋へと向かう。そうして扉を開けると、少女が亜麻色の髪を飛び跳ねさせた。


「えっ、ブランク……?」


 困惑に揺れる瞳に、とりあえずの安心を得るのだが、


「あ」


 それも束の間だった。次の瞬間にはガラスを突き破った金属の塊が、放物線描いて目の前に飛び込んでくる。


 ブランクは──ここで気がついた。


 結局のところ、これが室内に入るよりも早く、外の人物を止めなくてはならなかった。もしくは、床に落ちるよりも早く、なんとかして受け止めるかだ。


 さっきの翡翠色は、恐らく発光バクテリアのものだ。つまり、この爆弾は、衝撃によって隔たれていた液体が発火性の高いものと混ざり、攪拌かくはんされ、化学反応によって仕込んだ毒液もろとも炸裂させる、というものである。


 今この瞬間、落ちてしまった以上、ブランクにできることは、外へ戻すことだけなのだが、投げ返すのでは遅いことは、先の未来が証明している。


(やるしかない。もう、これしかない……!!)


 ブランクは──その爆弾を拾い上げた。


「ハオディ!!」


 魔法剣の力を使い、ハオディを重ねて使い、ブランクは、窓を蹴破った。


「なんッ……」「え」その眼下に──シリルがいた。


(どうする。想定外……いや、行き当たりばったりだ。僕自身を守る術は──)


 ブランクの脳裏を条件反射で通るのは、


「プロテマッ!!」


 やはり、この補助魔術であった。

 直後、腹に包んだ爆弾の、炸裂する衝撃が走った。それを腕や胸、腹と膝、余すところなく受け止めると、


「ぐっ、う、ぁあああッ!!」


 体の前面全てを火炎で炙られたような痛みに。ブランクは、空中で体を弓なりに逸らしながら、受け身の一つも取れずに中庭へ墜落した。


 毒に対してプロテマの効力は、ほぼ無意味であった。しかし、こと落下に関しては、プロテマがなければ死んでいた。悪あがきが功を奏した形となるが、ブランクとしては、死んでいた方がマシだったかもしれないと思った。


 付着した毒は土や草花に擦り付き、途端にそれらを腐らせていく。しかし、体内に残った毒に関してはもはや手遅れだった。


 体の前面が水ぶくれで腫れ上がり、ただ風や草が擦れるだけでも、声帯の縮み上がるような激痛がブランクを苛む。


 体の中では怒り狂ったように何かが蠢き、食い荒らされているような気がして、咳と同時に塊を吐くと、それは痰の混じった血の塊で。それを吐けば体が楽になって熱が下がるのと同時に、致命的な寒さが押し寄せてくる。


 毒を受けていない全細胞が悲鳴を上げていて大騒動の中、眼球など、体から飛び出そうとしている。そうであるのに、次の瞬間には、花の萎れるように目蓋が縮れてゆく。


(ああ……。ぼくは、また死ぬのかな……)


 全身が茹って燃え尽きていくような感覚の中。ブランクは、自分に駆け寄る影の存在に気がついた。


「────ゃよ、だめ、死なないで……!!」


 視界に映る景色は輪郭をぼんやりと失っていて、目の前に落ちた影が誰かも分からない。しかし、その中でとりわけ一等輝くその緑青色の曇るのが、ブランクは堪えられなかった。


 ああ──。泣かないで。


 その言葉は、震えることすらやめた唇が言わせない。頬を滑る銀筋を拭うことを、痺れる右手が許さない。叶わない願いばかりが揃う不条理な世界で、ブランクは、我が身を包んでいる、不思議な気配に息を漏らす。


(あたたかい…………?)


 体が冷えているせいか、土床の温かくなるのを感じた。狭まる視界の中──ブランクは、枯れてくたびれたはずの草花が、上背を正す姿を最後に、


 ああ──。眠たい──。


 その意識を……ただ静かに手放した。

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