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The Alter Story  作者: 水落護
第七章『固められた決意』

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第五十五話『放たれた悪意』

「それじゃ。僕は帰るよ。腕利きの医者を連れてくるから。まあ楽しみにしててよ」

「なるべく早くお願い」

「おお、急かすねえ」


 まあいいさ、とレイスは翼を広げる。空はもうすっかり晴れていて、庭先の花は、みんなレイスが飛び立つのを待っていた。


「僕なら、ひとっ飛びだからね」


 大鷲の男は、そう言いながら舞い上がると、地平の彼方へ向かって飛び去っていった。


「嵐のような人だったな……」


 ドッと押し寄せた疲れに、ブランクは肩を叩く。そうして振り返ると、屋敷の前に獣車が止まっているのが目に見えた。


(見慣れない獣車だな……)


 ブランクは目を凝らした。見るに獣車は大きさなどにさしたる違いなどないのだが、何が、と問われれば、ブランクは、獣車に刻印された家紋が違うのだと思った。


(蝶の体に硬貨──ウチのは、鬼の目に硬貨だっけ)


 そうして観察していると、その獣車が別の領から来た獣車なのだとブランクは気がついた。


 その物珍しさにブランクが遠巻きにぼうっと眺めていると、屋敷の扉が乱暴に開かれて、ブランクはギョッと肩を跳ねさせ驚いた。


「帰るッ!!」


 現れたのは芋虫のような腹をした男だった。激昂に息巻く姿は見るに堪えないほど醜怪で、気品など召し物だけが主張するばかりだった。それを追うメイドは見るに焦りを覚えていて。それがただ事ではないとブランクに悟らせた。


「お待ちくださいテハス様ッ、ご主人様は日を改めてお会いになると──」

「うるさい!!」


 あ。と思うより早く。ブランクはハオディを唱えていた。


「……なんだ、お前は!」

「ただの召使いだよ」


 今はね、と続けながら。ブランクは、男の振るわれた拳を締め上げながら、青ざめた顔の侍女が、目端から消えるのを待った。


「なんだ、この無礼な奴は!! こんな小汚い小僧を雇っているのか、ここは!」

「小汚いって……」

「お前も、ラーゼンヴァルグの小娘も、とんだ恥知らずだ!!」


 なんてひどい言い草だ、とブランクが心の内でため息をついていると。その男──テハスはブランクの手を振り払い、唾でも吐き捨てるような顔でブランクを見下げた。


「こんな客間に弔花(ちょうか)を飾るような真似をして……ただで済むと思うなよ!」

「む……」


 穏やかでない捨て台詞を吐き棄てて男は去っていった。獣車が遠のくにつれて、ブランクの中には言い知れぬ不安が孕んでいった。


「あらあら。やってしまいましたわね」

「君は……」

「これは大変なことになりました」


 ブランクが振り返ると、そこには筆頭メイドのサラがいた。口ぶりとは裏腹に、その声は喜色が多分に含まれている。


「大変って……何が大変なのさ」


 苦手意識に尖る口先。エレノアの言葉も頭の片隅にあって、やや身構えるようにそう言うのだが、サラはそれを見てクスクスと笑うだけだ。


「何がおかしいの?」

「いえいえ。侯爵家の跡取り息子に、庶民であるあなたが手を上げた。ただそれだけのことですよ」

「……それだけのことじゃないみたいな口ぶりだけど?」


 ブランクがそう言うと、サラは目を丸くして、それから腹を抱えて笑った。ブランクは、かあっと顔を真っ赤にして憤った。


「何がおかしい!」

「いえいえ。まさかここまで愚か者だとは。ああ、面白いものを見させていただきました。お礼に。少しだけ、貴族社会というものを教えて差し上げましょう」


 サラは、そう言いながらほくそ笑んだ。

 貴族社会。ブランクが今まで知る機会のなかったもの。いずれにせよ、自分が矢面に立つならば何とかなる。


「彼、必ず報復に来ますよ。あなたか──あるいは、彼女の元へ」


 その自信はエレノアのいる部屋へ目線が送られると──途端に雲行きが怪しくなった。


「君は……彼女に仕えているんだろう?」


 どうしてそんな他人事なのか。その問いを続けることは、ブランクにはできなかった。


「さあ。あなたには──関係がないでしょう?」


 背筋の凍るほどの、冷たい瞳に阻まれて。喉の凍るような思いをさせられたブランクは、次の瞬間には破顔する(貼り付けたような笑み)サラに気圧されていた。


「あなたがどれだけ足掻けるか……ふふっ、見物ですね」

 まあ、興味もないけれど。と続けて。サラは立ち去っていった。残されたブランクは、何とも形容しがたい、後味の悪い思いを噛みしめていた。


「なんだよ、あいつ……」


 それから。ブランクは給仕室へ向かった。クロエに飲ませる水や、エレノアの食事を運ぶためだった。


 給仕室は皿洗いをするための小さな水路や、食器棚、飲み水用の水瓶があった。調理場は包丁などの調理器具が整然と置かれていて、使用感はあるのに、厨房すら人の気配がしないのを、ブランクは奇妙だと思っていた。


「ねえ君。ここに人がいないのはどうしてだい?」


 ブランクは、偶然給仕室の前を通りかかったメルと似た年頃の少女に声をかけた。それは先ほど逃げ出した侍女で。その少女は肩をびくっと飛び跳ねさせると、右へ左へ視線を往復させ、おっかなびっくりとしながら答えた。


「この時間帯は、ご当主様がいつも使っている時間帯なのです。この時間帯には、誰も勝手に入ってはいけないのです」


 もういいですか、とよそよそしく。少女が人目をはばかるように足先を背けたので、


「ありがとう、えっと、君は……」

「シリルです」


 ありがとう、シリル。そう伝えると、シリルはこそこそと耳打ちした。


「あなたと話してると怒られるのです。あまり話しかけないでください」


 その引きつった顔に、ブランクは謝罪とお礼の言葉を伝えて給仕室を振り返った。


(変だな、なんでそんなことをするんだろ──)


 思いかけて。ブランクは、あっと声を上げた。


「そうか。いつかにクロエが言ってた……!」


 思い返して見れば、食器棚にある皿や匙は、全て銀製だった。錆びているものなど一つも見当たらず、曇りだって一つもない。


「銀器に銀匙とは言うけれど……こんなの、慎重なんて言葉じゃ片付かないぞ……」


 毒殺されかけた過去。それがあるから、こんなにもたくさんの銀食器が揃えられているのだろう。替えが効くようにたくさん置いてある。


「これ、食べるのかな……」


 食事は持ってきてほしいと頼まれたわけではない。今ブランクが持っていったところで、いらないと言われればそれまでだ。余計なお世話になるのが目に浮かぶようで。


「でも──枕元に水っていうし……」


 その時はその時だと割り切って。ブランクは、誰もいない食堂と給仕室とで配膳を急いだ。


「よし、行くぞ!」


 木製のトレーに、ブランクは食事を乗せて運んだ。銀食器は幸いどこも変色しておらず、作り置きされたスープとパンは食欲をそそる見た目をしている。


 毒殺を目論んだ人物は捕まったのだろうか。仔細を聞いていなかったがために、確かめる術などないのだが、今日ブランクがスープを拝借したのは、ブランクの思いつきで、突発的なものだ。だからこそ毒はないと踏んだのだが、どうやら山は当たったらしい。


(そういえば、話を聞くなんて状況じゃなくなっちゃったな……)


 ブランクがそんなことを思いながら廊下を歩いていると、対面側から、一人の男が歩いてきた。


「おっ。なんだ新入りか」

「あなたは……」


 太っちょで角刈りの中年男。髭は紐でくくられていて、白衣はところどころシミだらけだ。見るに清潔感はあまり見られないのだが、姿や様相を見るに、どうやら彼は調理師のようで。その左手には、こぼれそうなほど食材の詰まった麻袋があった。


「なんだ盗み食いか? 食い意地張ってんなあ」

「違うよ、これは──」


 言いかけて、ブランクは言葉を詰まらせた。毒殺を企んだ犯人が彼である可能性もあるのだから、下手なことは言えない。


「まあ、肉の塩漬け手伝ってくれたらしいから、多少は大目に見てやるけどよ。あんまり、食い扶持増やしてくれるなよ」

「ごめんなさい」

「こういう時はありがとう、な。まったく、このグエン様もヤキが回ったもんだぜ」

「……ありがとうございます、グエンさん」


 いいってことよ、と気さくに手を振る男、グエンに。ブランクもこうしてはいられないと、エレノアの元へ向かうべく、その足を踏みだした。


「ぁ──」


 その時だった。意識がぐにゃりと曲がっていく。


 靴底が水でも踏み抜いたような感覚に。ブランクは、どこかを走っているような気がしていた。それはこの屋敷内で、向かっているのはエレノアのいた屋根裏部屋で。そこへ──。


 窓ガラスが割れ、何かが飛び込んできた。ブランクは恐る恐るそれを拾い上げる。何かの金属の塊だった。それは中に何か液体が入っていて、拾い上げた衝撃で液面が左右に揺れるのを手のひらの中で感じた。


『あ』


 その直後、だっただろうか。ブランクの目の前にあるそれが、炸裂した。中に毒が入っているのか、それは、焼けるように熱く。視界を開くことすらままならない。かすかに開いた目蓋からは、翡翠色の光が室内に飛び散っているのが見てとれて、外の明るさが、刺すように眩しく感じた。


 その視界の隅で。巻き添えを食って倒れたエレノアの姿に、血の気の引くのを、ブランクは感じていた────。


「今のは……!」


 久々の感覚だった。遺跡で感じた時と同じような感覚。それが収まると、ブランクの視界は、茹だったようにぼんやりとしているものの、元いた廊下に戻っていた。


「おい、お前!!」


「え? うわっ!」振り返れば、ブランクは胸ぐらを掴まれていた。


「言ったそばから飯を台無しにしやがって、誰が作ってると思ってんだ!」

「え、あ……」


 ブランクの足元には、スープに浸されたパンが転がっていた。絨毯が掃除に努める中で、そのシミはどんどん広がっていく。


 頭に割り込んだ情報量が多いせいか、思考が追いつかなくて。ブランクがぼうっとそれを見つめていると、再び強く胸ぐらを引き寄せられた。


「おい、聞いてんのか?」

「えっ、ごめんなさ──」


 言いかけて。ブランクは、あっと大声上げて、気がついた。


「ごめんグエンさん、後で!!」

「なっ──!」ブランクは、グエンの手を振り解いた。


 おい、と呼び止める声も捨て置いて。ブランクは、スープのついた靴のまま、廊下をひた走っていく。


(まずい。あれはいつ起きる? 外が明るいから、今すぐ起きても不思議じゃない!!)


 ブランクは、再びハオディを唱えていた。人を避け、階段を飛ばし、ブランクはクロエとエレノアのいる部屋を開けた。


「エレノア!!」「え──」


 少女が亜麻色の髪を踊らせながら振り返った時──窓ガラスが砕け散った。

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