第五十四話『キナくさい友情』
ブランクは、水桶と清潔な布を片手に、屋根裏部屋のドアをノックした。
「……入るよ?」
キィと物寂しい音を鳴らしながら部屋に入ると、椅子に座っていたエレノアが「ぁ……」と小さく声を漏らした。
「容態はどう?」
ブランクが布の水を搾りながら尋ねると。エレノアは静かに首を振る。
「一命は取り留めたけど、まだ予断が許されないって……」
エレノアは唇をキュッと結ぶと、堪えきれずに「ねえ」とブランクの肩を揺らした。
「ブランク、どうしよう。わたし、どうしたらいいの?」
「ちょっ……一旦、落ち着いて」
ね? と念を押して。高熱にうなされるクロエの額にある、濡れた麻布を交換していくと、エレノアは、「そう、ね。そうよね……」と、現状をようやく確認したかのように、言葉を反復させた。
「わたし、クロエがやられるだなんて、ちっとも考えてなかった。この子がまさか、ネロと事を構えるだなんて、少しも思ってなかったの……」
「ごめん、僕がもっと早く気づいていれば……」
ブランクの言葉に、エレノアは首を振る。
「違うわ。わたしが、もっと早くにあなたの言葉に耳を傾けてたら──」
少女が唇を結び、部屋の湿度が一層と増そうとした──その時だった。
「やあ、ご機嫌麗しいかなお二方。僕の仕事ぶりはどうだった?」
あはっ、と陽気に笑って現れた大鷲の男。びくりと肩を飛び跳ねさせたエレノアと違って、ブランクは、空気の読めないその男に「何?」と強気に応えてみせた。
「やだなあ、そんなよそもの扱いしなくたっていいじゃないか。僕は善意で君たちを助けたんだよ? 現に君もそこの禍猫種の彼女も。僕がいなきゃ、あそこで死んでたかもしれないんだ。感謝こそされど、こんな邪険にされるのは筋違いというものなんじゃないのかい?」
「善意で助けた人がそんな恩着せがましいこと言うもんか!」
何しに来たの? とブランクが尋ねると。大鷲の男はニンマリと笑って肩をすくめた。
「釣れないなあ。ちょっとくらい乗ってくれてもいいのに」
ま、いいさ。と続けながら。大鷲の男はほら、と一枚の獣皮紙を取り出す。
「請求書を持ってきたんだ。ほら、まだ精算が済んでなかったろう?」
「……見せて」
クロエのことでそれどころではないエレノアに代わって、ブランクがそれを手に取った。そうして目を通すと、読めなかったらどうしよう──、などという杞憂は一瞬で消え失せた。
「一、十、百……げっ! 二百万ネッカだって!?」
パッとこちらを見たエレノアに、ブランクはしまったと思った。
「な、なんでもないんだ、あははは……」
それから笑って誤魔化すと、ブランクは大鷲の男に「ちょっと」と声をかけ、部屋の隅へと連れて行く。
「あのさ、さすがに冗談だよね? いくらなんでも高すぎる」
ただ人を運んだだけでこの値段では、ぼったくりだと疑うのも無理のない話であった。
さすがにブランクがこの国の常識に疎いとはいえ、二百万ネッカが安い買い物でないことくらいは分かる。ましてや、資金面に苦労しているキッシュベルグの財状を思えば、なんとか値切りをしたいところであった。しかし──。
「高すぎる? 馬鹿を言っちゃいけないよお客さん。ウチは貴族様を相手に始めた商売で、これで食べてきてるんだよ。相場より少し割高なのは認めるけれど、それは潰えそうな命を運んだからさ。それとも何かい? 君たちにとって彼女の命は、取るに足らなかったとでもいうのかい?」
「うっ……」
そう言われるとブランクも立場が弱かった。すると男は芝居がかった動きに拍車をかけて、顔を手で覆った。
「あーあ、それなら余計なことをしたね。結局これも無駄骨のタダ働きかあ。僕ぁはなんてかわいそうなヤツなんだろう。二度も運んで、二人の命まで助けてあげたというのに!」
「むむむ……」
あわよくば踏み倒せたら、なんて思っていたのだが。先んじてそう言われると、ブランクの良心だって黙っていない。燻りそうだった罪悪感は途端に勢いを取り戻し、轟々と燃え盛った。
「それは、僕が──」
建て替える? できるのか。そんな疑問が渦巻くブランクに。大鷲の男はニヤリと笑って肩を抱いた。
「どうしても払えないっていうなら、少しくらいまけてあげてもいいよ」
「え?」ブランクは耳を疑って振り返った。
「なんなら、二千ネッカにしてあげてもいい」
「なんっ……!」
二百万ネッカが二千ネッカ。あまりにも差がありすぎて、気まぐれ過ぎるというべきか。端的に言えば、いい加減であった。どういう風の吹き回しだ、と、ブランクの中に猜疑心が芽生え始めて。何か他に目的があることがありありと見て取れるために、ブランクは瞬時に身構えた。
「……タダじゃないんでしょ?」
「もちろん」
やっぱり、とブランクは思う。目的はエレノアの資産だろうか。それとも魔法剣か、賢者の書かの存在を、どこからか知っていて、それを要求するのでは。そうしてブランクが思考を巡らせていると、その探るべく腹の延長線上に、突然スッと、手が伸びてきた。
「僕と友だちになろうよ」
「……は?」
突然のことに呆気に取られていると、男は胡散臭そうに笑いながら続けた。
「そしたら友だち価格で、二千ネッカにまけてあげてもいいよ」
「……一体何が目的?」
あまりに信用できないので、ブランクが斜に構えてそう言うと。大鷲の男は「やれやれ、心外だなー」とおどけてみせる。
「じゃあ二百万ネッカでもいいよ? 僕はどっちでもいいんだ。君がお金を払ってくれてもいいし、彼女に請求したっていい」
「……」
そんな大金、ブランクはもちろん、エレノアだって気軽に動かせやしないだろう。見るにエレノアは、大盤振る舞いの贅沢三昧をする貴族などではなく、最低限の嗜みをしつつも、基本は慎ましやかに暮らしている。
(この男、何を企んでるんだ……?)
気持ちを逆撫でするような含み笑いが胡散臭いことだけは分かるのに、ブランクは、その瞳の奥にある真意だけが、どうしても読み解けなかった。
「どうして僕と? 彼女じゃなくて?」
まさか、自分の隠している能力を知っている、あるいはバレたのではないか。そう思って左手の紋様を庇ったものの、大鷲の男はちらと一瞥するに留めて、再びブランクの琥珀色と向き合った。それから、彼は言う。
「そうだね。僕は君がいいんだ」
何故なら──、と続けた大鷲の男は、ブランクの顎を指の背で持ち上げると、しっかりとその視線を交わらせた。
「君がとてもいい目をしているからだ。黄金色の……そう、美しい目を。まるで黄金のようだ。なんて貴い色をしているのだろう。この世のものとは思えない」
素晴らしい! と手放しに褒められるのだが。ブランクには、どうしてもそれだけのためだとは思えなくて、懐疑心が晴れなかった。
「ちなみに。僕は仕事柄、顔が広いんだ。僕と友だちになったなら、君たちに腕利きの医者だって紹介してあげられるよ?」
これ以上ない条件である。都合良く運び過ぎていて気味すら悪い。
「…………わかった」
しかし──。果たして、ブランクは頷いた。狙いがどうであれ、自分が矢面に立っているのなら、何なりとやりようがあると思ったからだった。
それを受けて、大鷲の男は「へえ」と感心に頷く。
「さすが、よく分かってるじゃないか。賢明な判断だと思うよ!」
指を鳴らして小粋に目をすがめる大鷲の男に、ブランクはどこか胡散臭さを感じてしまうのであった。
「僕、そのお友達の名前すら知らないんだけど?」
ブランクがそう言うと。大鷲の男は面食らったように目を瞬かせ、それから、腹を抱えて大笑いをした。
「いやあ、そうだったそうだった、それは失敬したね、きみ」
クスクスとまだ冷めやらぬ笑いに、ブランクは何がおかしいのやら、と口を尖らせた。
「僕の名前はレイシス・ソリュウス。レイスでいいよ。僕らは友だちだから」
「……よろしく」
ブランクは、再び差し伸べられた手へおずおずと手を伸ばしたものの、やがて観念したかのように、しっかりと契りを結んだ。




