第五十三話『重なる思い』
頭に昇った血が頭の中でどんどん膨れ上がっていて。それが重たいのか、フラフラとなりながら、ブランクは立ち上がる。
それは不思議な感覚だった。黒い空が光って唸り、風は横殴りに吹き付け、雨は叩くように降っているというのに。
(やけに静かだ……)
芽生えた野心がメラメラと燃え盛り、はらわたは煮えくり返り、今すぐにでも殴りたい気分なのに、ブランクの中には、妙な落ち着きがあった。
一度大敗を喫した相手なのに何故、と、思ってから、ブランクは気がついた。
(そうだ……コイツには、アルトリウスみたいに、絶対に勝てないって圧がない)
アルトリウス。あの恐ろしい夜に現れた、竜人族の男。
神すらも見下していそうな不遜な態度。白金色の長い髪に、月色の瞳が二つ。肉すら裂けそうなほど、鋭く冷たいあの声は、今思い出しただけでも鳥肌が立つ。しかし、
(ネロは確かに強い。一撃一撃が痛烈で、重みがあって、プロテマを超えてその打撃を突き抜けさせてくる。その上、俊敏性はハオディにも負けず劣らずだ)
(でも──)ブランクは、剣を握る力を一層強めた。
(それは、彼女を見捨てる理由にはならない……!!)
失意に座り込む少女。あれだけ気高い彼女がうずくまる姿など、もはや見るに堪えない。
「おい」ブランクは……ネロを倒す決意を固めた。
「……力の差が理解出来無い様だ。うじ虫以下の存在が。虫唾が走る。愚図は救い様がない。無謀と勇敢を履き違えている」
ブランクは、そう言われて額に青筋が立った。腹の底で燃え盛る気持ちを、震える肺から出た空気に乗せて。ブランクは──ネロに鋭い声で突きつけた。
「勇気なら……嫌というほど知っている」
親友から貰った勇気。奮い立たせた勇気。嘘を吐く勇気。向き合う勇気。手折られた勇気。
そして──見せつけられた、勇気。
あの夜のことを、ブランクは忘れたことがない。否、忘れることなどできやしない。己の無力を呪ったあの夜を。勇気を失うことの怖さを。
(そうだ。僕は……もう逃げたくないんだ)
自分が自分でなくなるような。あるいは、自分に嘘を吐き続けるような。苦しさ、悲しさ、悔しさ。どれか一つでも刺さればそれが自分の醜さを曝け出させ、見せつけ、自分のことがひどく嫌になる。
(そうだ、僕は──)
だからこそ逃げなかった。ナハクを相手にした時も、大蛇を相手にした時も、仕入れ人と戦った時も。ブランクは、自分のために逃げれば、この大切な輝きを失うことを知っていた。
きっと、ジャンやウィルもそうだったのだろう。
──自分を大切にしないのはどうして?
そうクロエに聞かれた時、咄嗟にその答えは、すぐには出なかった。けれど今にして思い返せば、その答えはずっとあったのだろう。今、ブランクはようやく理解した。
(だからこそ僕は──)
自分を大切にしないから無謀な戦いに挑むのではない。自分が自分でなくならないために。自分を愛するために。自分を好きでいられるために。そんな思いを大切にするために。ブランクは誓った。
「僕は──もう二度と、自分を裏切らない!!」
ブランクの心に、確かな炎が灯った。その輝く琥珀色を見て──ネロは、血色の目を伏せ、鋭く光らせた。
「……気に入らないな。まるで、自分が勝てると思い込んでいる、愚か者の顔だ」
ネロは手にしていた矛先を、ブランクへ差し向けた。
「そんな愚か者を、これまで沢山見てきた。皆、一様に捻じ伏せてきたがな」
「よく喋る人だね。あなたは、もっと寡黙な人だと思ってた」
「……何?」
ブランクの挑発に、ネロの視線が一層鋭くなった。
「僕は、君に勝てるだなんてこれっぽっちも思っていやしない」
「……そうか。では、今すぐ無様に逃げ出すのなら見逃してやる。去れ」
そうやって来た道を指し示すネロに、ブランクは「何を勘違いしてるの?」と強気に抗する。
「僕は、誰かに勝てないからと言って逃げ出すような、臆病者なんかじゃない」
「……何を言っている?」つくづく理解に苦しむ。そう続けたネロの後ろで。
亜麻色の髪をした少女が「ブランク……?」と不安そうに声を漏らした。
その揺れる緑青色と目が合うと。ブランクは──不敵にニカっ、と笑ってみせた。
「君の聞かん坊な友だちを、ちょっと懲らしめてやるよ」
待ってて、と言い終えた直後。眼前に差し迫った鈍色の刃へ、ブランクは、手にした剣の刃を当てがい、火花を散らせた。
「俺を挟んで会話をするな。気軽に彼女と口を利くな──下衆がッ!」
「くっ……!?」
はっ、と逆流しそうになる胃液を懸命に堪え、立て直そうとしたブランクの頬へ向けて。黒い塊が視界を割っている。拳だ。
「ブランクッ!!」
吹き飛ばされて、転んだブランクを見て。エレノアは懇願する。
「お願いネロ、もうやめて。わたし、あなたの言う通りにするから。これからはもう、何も望まない。あなたの望む通りに生きる。だから──」「エレノアッ!!」
全てを言わせる前に。ブランクは名を呼び、引き留める。肩を跳ねて怯える少女に、そうじゃないと、首を振る。
「僕はそれを絶対君に言わせない。言わせちゃいけない。言わせたらきっと……僕は、僕を許せない。だから君は──」
口の中が切れて、鉄の味がする。でも、それを気取られないように、ブランクは、白歯を見せつける。
「いつもみたいに、呆れたって──ナマイキに笑っててよ!」
「ブランク……」
毒気を抜かれた顔をして、どこか呆れたような顔してエレノアが呆けていると──。
「忌々しい、実に忌々しい……私の娘を見るなァッ!!」
(娘──?)ブランクがネロの言葉に疑問を覚えた時だった。
「──あ」
ブランクの眼前に、鈍色があった。槍だ。その矛先が、ブランクの眼球を貫かんとしている。
「プロテ──」
マと言えたかは分からない。悪あがきだ。あるいは生存本能だったかもしれない。
これまで幾度も自身を救ってきた口癖のような。自分は既にプロテマの有効時間内にあるというのに、ブランクは、何故かプロテマにすがるように、それを唱えていた。
そして──、
「…………う?」
いつまで経っても来ない衝撃と、とうに鳴り終えた金属音とにうっすら目を開くと、
「……え?」
ブランクは、何事かと思った。
攻撃を受けたはずのネロがどろどろになった地面で、横ばいに丸まってうずくまっている。
何故、という疑問が浮かんだところで。どこかで似た様子を見たことがあると、ブランクは思った。それから、
「あっ」
と思い出した。それは、はぐれヤラグ族と初めてやり合った日の、プロテマによる反撃を与えた時だ。あの時のヤラグ族はプロテマの効果によって、まさに今のように。力が逆転し、弾かれ、腕をへし折られていた。
腕こそ大袈裟に折れてはいないが、ネロの状態は、非常によくそれと重なる。
(なんでだろ、さっきまでは痛いくらいだったのに──)
今までの自分と変わったところ。自分の姿を顧みて、ブランクは、あっ、とそれに目を釘づけられた。
「そうか……魔法剣っ!!」
ブランクは気がついた。魔術演算効率を高める魔法剣は、無詠唱を可能とするだけではない。恐らくは、その隠された力の中に、魔術の二重適用を可能とする、高速演算能力を持ち合わせているのでは、と、ブランクの中の仮説が成り立った。
「へへっ……ありがと、ダザン!」
思えば師に感謝の念を送り、再び立ち上がった敵へと意識を送る。
「何をした……?」
「何もしてないよ。君が勝手にやられたんだ」
ブランクとしては、煽りでもなんでもなく、ただ本当に、それが蓋然性のある客観的事実として述べたつもりであったのに。ネロは額に青筋を浮かべ、その内に燃え盛る怒りの劫火を、さらに膨れあがらせた。
「お前を……殺す」
混じりっ気のない殺意を向けられて、さすがのブランクも背筋に悪寒が走る。恐怖はないにしろ、その威圧感はアルトリウスに負けずとも劣らない。
「大方、防御魔術なのだろう。お前には、それ以外の能が無いようだからな」
それならば、同じ魔術で看破すれば関係が無い。そう続けたネロは、その黒槍を一巡振るい、矛先に手を添えた。
「怨嗟共鳴」
(無詠唱……!)
ブランクは、ネロの矛先が低周波を鳴らし、触れた雨が悲鳴のような音を立てて蒸発するのを聞いた。
「どんな防御も意味を為さない。この振動は……お前を内部から破壊する」
さあ来い、と、ネロは不敵に笑った。
「……親切だね、魔術効果を教えてくれるなんて」
出方を窺いながら揺さぶりをかけると。ネロは、嘲るように笑った。
「お前が無様に逃げ回る様を見たいからだ。現に──」
「うっ?!」
ネロは一息に肉薄し。何故か矛先ではなく、ブランクの頭を足で蹴り飛ばす。
「お前は槍に集中していて他が疎かになっている」
無様だな、と続けながらニヒルに口元を歪めるネロであったが。ブランクは、そんなことを気にしている余裕などなかった。
(二重魔術……効果時間が、めちゃくちゃ短い……!!)
二転、三転と地面を這い。ブランクは、二つ目のプロテマの効果時間が切れたことを痛感した。同様に。ネロもまた、自分の足に異常がないことを確かめると「やはりな」と不敵に笑った。
「先ほどの強固な魔術……恐らく、相当持続時間が短いのだろう。お前は顔に出やすい上に、分かりやすい。お前が真に無敵なら、お喋りなどせずに向かってくるはずだ」
弱者とはそう云うものだろう? と、続けるネロ。一つも言い返すことができないために、ブランクは、切れた口内から溢れた血を口元から拭いながら、立ち上がる。
(コイツの厄介なのは、あの爆発的な瞬発力だ。兎だからか。初速がすごく早いんだ)
悠然と構えているのは、まだ自分との実力差を歴然たりと感じているからだろう。しかし、それが付け入る隙でもあると、ブランクは感じていた。
「お前は……本当に愚かだ。まだ勝てると思っているのか?」
「なんだと?」ブランクのその切り返しを。ネロは、鼻先で笑い飛ばした。
「まだ分からないのか。ここまで来ると滑稽だな」
そう言いながら。ネロは構えを解いた。まるで絶対強者が弱者を歯牙にもかけないような、明らかな格下扱いであった。
「何のつもりだ?」
「打たせてやる。来い」
罠だ。分かっていても、ブランクには乗る以外の手立てがなかった。
「……後悔するなよ」
「御託は十分だ。弱者は口ばかりだな」
卑怯だ、という意志もあり。ブランクは「いくぞ!」というかけ声とともに駆け出した。ネロはまだ動かない。
(動かない……?)疑問に思うまま、ブランクは剣を振るう。
「うっ……!」
しかし、ブランクは気づいた。剣が止まる。
「やはりお前はつくづく愚かだ!」
ネロが槍を構えれば、ブランクは引き下がった。触れれば振動に襲われると理解したからだ。
「この状況でまだ勝てると思っているのか? 俺が本気を出せば、お前はいつでも斃す事が出来る。今お前が生きているのは、単に俺の気が済まないからに他ならない!!」
もっともだと思いながら。ブランクはその辛酸を舐めることも、飲むことも許せなかった。なんとか打開策を、とも思うのだが、咄嗟の思いつきである重ねたプロテマもすぐに対策を打たれた。
(一体どうすれば──!)
思いかけて。ブランクは思考を止めた。諦めたからではない。
「もしかして、あれなら……!」
ブランクは剣を横に構えた。その様子を見て、ネロは嘲るように鼻で笑い飛ばす。
「気でも狂れたか? この後に及んでまだ諦めないとは」
「僕は諦めが悪いんだ。それに──」
ちらと不安そうにこちらを見つめる少女の緑青色に、ブランクはそっと微笑む。
「負けるつもりは、最初からない!!」
「そうか……」
そうして向き直ると。ネロは、槍の石突を近くの岩へ軽く押し当てた。すると、その岩はけたたましい叫び声と共にひび割れ、砕け散り、容易く崩壊した。
「なら──この岩のように、お前の骨を粉々に粉砕してやるッ!」
今度は隙のない構えだ。本気で自分を殺す気なのだと、ブランクにも分かった。しかし、ブランクだって負けてはやれない。
「いくぞ」「来い、雑輩がッ!!」
ブランクは感謝した。彼が油断していなければ、ブランクはこの一太刀浴びせられたかが分からなかったからだ。
「ハオディ」
瞬間。ブランクは消えた。否、消えたように一息で、ネロの背後へ着地した。体についた雫を置き去りに。その白刃には、鮮烈な朱を乗せて。
「あなたは……油断しすぎた」
直後──雨上がりの空の下。ネロはとうとう膝を突いた。




